「マザー・グース」の版間の差分

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'''マザー・グース''' ({{lang|en|Mother Goose}}) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承[[童謡]]の総称。イギリス発祥のものが多いが、アメリカ合衆国発祥のものもあり、著名な童謡は特に17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まっている<ref name=FujinoA4>藤野 (2007), 4頁。</ref>。600から1000以上の種類があるといわれるマザー・グースは、英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、[[聖書]]や[[シェイクスピア]]と並んで英米人の教養の基礎となっているとも言われている<ref>藤野 (2007), 8頁。</ref>。現代の大衆文化においても、マザー・グースからの引用や言及は頻繁になされている。
'''マザー・グース''' ('''Mother Goose''') は、[[おとぎ話]]と[[ナーサリーライム|ナーサリー・ライムズ]] (Nursery Rhymes) の文学の中で有名な英国の伝承童謡の総称、またはマザー・グースを作った特定されていない典型的なイギリスの田舎の女性作家たちのことを指す<ref group="+">English readers were familiar with [[Old Mother Hubbard|Mother Hubbard]], already a stock figure when [[Edmund Spenser]] published his satire "Mother Hubbard's tale", 1590; with "Mother Bunch" and her superstitious advice on getting a husband or a wife and was credited with the fairy stories of [[Madame d'Aulnoy|Mme D'Aulnoy]] when the first appeared in English. Ryoji Tsurumi, "The Development of Mother Goose in Britain in the Nineteenth Century" ''Folklore'' '''101'''.1 (1990:28-35) p. 330 instances these, as well as the "Mother Carey" of sailor lore and the Tudor period prophetess "Mother Shipton".</ref>。単に、[[ナーサリーライム|ナーサリー・ライムズ]] (Nursery Rhymes) としても知られている<ref group="+">Margaret Lima Norgaard, "Mother Goose", ''Encyclopedia Americana'' 1987; see, for instance, [[Peter and Iona Opie]], ''The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes'' (1951) 1989.</ref>。現代のイギリスではマザー・グースをクリスマス・[[パントマイム]]とだけしか認識されていないにもかかわらず、マザー・グースは伝統的なイギリスのパントマイムの元となっている。


なお、英語の童謡を指す言葉としてほかにナーサリー・ライム (Nursery Rhymes) があり、イギリスでは童謡の総称としてはマザー・グースよりもこちらが使われる傾向もある。しかし「ナーサリー・ライム」が新作も含む童謡全般を指しうる言葉であるのに対して、「マザー・グース」は伝承化した童謡のみに用いられる点に違いがあると考えられる<ref name=FujinoA7>藤野 (2007), 7頁。</ref>。後述するように「マザー・グース」が童謡の総称として用いられるようになったのは18世紀後半からであるが、それに対して「ナーサリー・ライム」が童謡の総称に用いられるようになったのは1824年のスコットランドのある雑誌においてであり、「ナーサリー・ライム」のほうが新しい呼称である<ref name=FujinoA7/>。
== 概説 ==
英語文化圏の多くの国で作者不詳の童歌が数多く歌われており、[[子守唄]]、[[物語唄]]、[[早口言葉]]、[[数え唄]]、[[なぞなぞ]]、[[言葉遊び]]をはじめ、古い事件、政治家や王室、有名人への皮肉などが盛り込まれている。およそ1,000を超える童歌がある。


== 呼称の由来 ==
マザー・グース(フランス名:マ・メール・ロワ)は伝説上の童謡作家として扱われることもある。文献上、マザー・グースという文字が印刷物に記載されたのは、フランス人のオレ (Loret) という人物による『ラ・ミューズ・イストリク』(1650年)の中で、「マザー・グース物語のように (like a Mother Goose story) 」という箇所である。その当時、すでに童謡集を意味するタイトルとして一般化していたものと考えられている。
[[File:Perrault (1697) - Frontispice - Clouzier.png|thumb|190px|ペローの『コント・ド・タン・パセ』の口絵]]
英語の童謡は古くから存在したが、それらに対して「マザー・グース」という言い方が定着するようになったのは18世紀からである。この「マザー・グース」([[ガチョウ]]婆さん)という呼称は、もともとは同じ意味のフランス語「マ・メル・ロワイエ」(ma Mère l'Oye) の訳語であったと考えられている<ref name=FujinoA5>藤野 (2007), 5頁。</ref><ref name=Hirano26>平野 (1972), 26頁。</ref>。[[1729年]]、フランスの著作家[[シャルル・ペロー]]の童話集『{{仮リンク|コント・ド・タン・パセ|en|Histoires ou contes du temps passé}}』(昔の物語集、原著は1697年)がロバート・サンバーによって英訳されイギリスに紹介されたが、この本の口絵では「コント・ドゥ・マ・メル・ロワイエ」(ガチョウ婆さんのお話)という文字が、壁にかかった額のようなものの中に書かれていた(右図)。英訳ではこの部分を「マザー・グースィズ・テイルズ」(Mother Goose's Tales) とした上で本の副題として採用しており、後には本のタイトルにも使われている。これが英語圏における「マザー・グース」という言葉の初出であった<ref name=Hirano26/>。この英訳本は18世紀中に何度も増刷されて広く読まれており(アメリカ合衆国でも1794年に刊行されている)<ref name=FujinoA5/>、こうしたことが背景となって英国人に「マザー・グース」という言葉へのなじみができ、伝承童話や童謡と結び付けられるようになっていったものと見られている<ref>平野 (1972), 27-28頁。</ref>。[[1780年]]には、ロンドンの出版者{{仮リンク|ジョン・ニューベリー|en|John Newbery}}([[ニューベリー賞]]の由来となった人物)によって『マザー・グースのメロディ』と題する童謡集が出版され、以後同じような童謡集や伝承童謡に対して「マザー・グース」という語を用いる慣行が定着していった<ref name=FujinoA5/>。


もともとフランスではガチョウは民話や童話に頻出する動物であり、またイギリスでも家畜として重宝されている動物であった。おとなしいために比較的世話が楽であるガチョウは、しばしば家庭の「お婆さん」がその世話を受け持った。また時間を持て余している「お婆さん」はしばしば伝承童話や童謡の担い手でもあり、このことから「ガチョウ」「童話・童謡」「お婆さん」の3つが結びついたものと考えられる<ref name=FujinoA5/><ref>平野 (1972), 27頁。</ref>。
ただし、マザー・グースに分類される童謡を集めた童謡集としては、29編の童謡を集めた『トミー・サムのかわいい唄の本』(1744年)が最も古く、さらに「マザー・グース」という名が冠せられた童謡集としては、52編の童謡を集めたジョン・ニューベリー([[:en:John Newbery|John Newbery]])<ref>ジョン・ニューベリーは18世紀の児童書出版者で、世界で最も古い児童文学賞であり、例年、[[アメリカ合衆国]]における最も優れた児童文学の著者に与えられる賞である[[ニューベリー賞]]は、彼にちなんで創設されたものである。</ref>編の『マザー・グースのメロディー<ref>正式な題名は『マザー・グースのメロディー、あるいは、ゆりかごのためのソネット』(Mother Goose's Melody, or, Sonnets for the Cradl)。</ref>』(1765年ごろ<ref>[[平野敬一]] 著『マザー・グースの唄 <small>イギリスの伝承童謡</small>』([[中公新書]]、1972年)に、1765年ごろの出版と思われる初版の実物は現存せず、1791年版が現存版で最も古い版であると記されている。</ref>)が最初である。これらに対して飛躍的に童謡の収録を増大させたのがジェームズ・ハリウェル=フィリップス([[:en:James Halliwell-Phillipps|James Halliwell-Phillipps]])<ref>ジェームズ・ハリウェル=フィリップスは著名なな[[シェイクスピア]]学者である(『[[リチャード二世 第1部]]』、『[[ヘンリー八世 (シェイクスピア)]]』参照)。</ref>による『イングランドの童謡』(Nursery Rhymes of England, 1842年)で、そこには600編を超える伝承童謡が収録されている。それから約100年後、さらに200編以上の伝承童謡を集めたのがイオナ・オーピー、ピーター・オーピー夫妻([[:en:Iona and Peter Opie|Iona and Peter Opie]])で、2人による『オックスフォード版・伝承童謡辞典』(The Oxford dictionary of nursery rhymes, 1951年)が現在においてマザー・グース童謡集の決定版として知られている<ref group="+">[[平野敬一]] 著『マザー・グースの唄 <small>イギリスの伝承童謡</small>』([[中公新書]]、1972年)参照。</ref>。


== 伝説上の人物として ==
日本では、[[北原白秋]](『まざあ・ぐうす』 [[アルス (出版社)]]、1921年)、[[竹友藻風]](『英国童謡集』 [[研究社]]、1929年)、[[谷川俊太郎]]などが訳しており、とくに谷川俊太郎 訳・[[堀内誠一]] 画『マザー・グースのうた』全5集([[草思社]]、1975年-1976年)の出版により「マザー・グース」ブームがもたらされ、広く一般的に知られるようになった<ref>1976年5月3日付の[[毎日新聞]]に掲載された「大変な人気『マザー・グース』」という記事に「“[[谷川俊太郎]]訳”が引き金に」との見出しで、[[草思社]]刊の『マザー・グースのうた』が出版社自身が仰天するほどの“爆発的”売れ行きであることと、それに伴う「マザー・グース」ブームが紹介されている。</ref>。また、1976年4月にマザー・グースを引用したミステリー作品として知られる[[アガサ・クリスティ]] 著『[[そして誰もいなくなった]]』が[[ハヤカワ文庫|ハヤカワ・ミステリ文庫]]創刊第1弾として刊行されたことも、このブームを後押ししたものと思われる<ref>『[[そして誰もいなくなった]]』が「マザー・グース」ブームを後押ししたことは、『ふしぎの国の『ポーの一族』』(いとうまさひろ著 [[新風舎]]文庫 2007年 ISBN 9784289503544)に指摘されている。また、毎日新聞の記事(「大変な人気『マザー・グース』」、1976年5月3日)にも、『そして誰もいなくなった』や『[[不思議の国のアリス]]』、『[[僧正殺人事件]]』などの外国文学を通してマザー・グースが親しまれ、受け入れられる下地となっていることが記載されている。</ref>。さらにそれらと時期を前後して、[[萩尾望都]] 著『[[ポーの一族]]』([[小学館]]、1972年-1976年)を読んでマザー・グースを知った当時の女子中高生たちによって、1つの読者層が形成されるようになった<ref>毎日新聞の記事(「大変な人気『マザー・グース』」、1976年5月3日)に、[[萩尾望都]] の少女漫画『[[ポーの一族]]』の愛読者である中学、高校の女生徒たちが萩尾の作品を通してマザー・グースを知り、萩尾ファンが横すべりして1つの読者層を形成したとみていると記されている。</ref>。
[[File:C19th Mother Goose.jpg|thumb|170px|19世紀のマザー・グース人形]]
「マザー・グース」(ガチョウ婆さん)はまた、上述のような童謡や童謡集の伝説上の作者として紹介されることもあり、一部の英和辞典などでは童謡の総称としてよりもこちらの説明を載せているものもある。伝説上の人物としての「マザー・グース」は、アヒル(ガチョウ)の背に乗ってどこへでも自由に飛んでいく老婆(魔女)として描かれている<ref>藤野 (2007), 6頁。</ref>。この鵞鳥にまたがった魔女としてのマザー・グース像は、[[1806年]]、ドゥルリー・レインの王立劇場で初演されたトマス・ディプソン脚本による[[パントマイム (イギリス)|パントマイム]]『ハーレクィンとマザー・グース、あるいは黄金のたまご』で初めて描かれ、この劇が成功したことによって定着したものである<ref>鶴見、22-24頁。</ref>。


アメリカ合衆国では一時期、この「マザー・グース」がある実在したアメリカ人だという説が広まったことがあった。この俗説によれば、1665年[[ボストン]]生まれのエリザベス・グースという人物が、夫アイザック・グースに先立たれたのち、1719年に英語の童謡集『子供たちのためのマザー・グースのメロディ』という本を出版し、ここから「マザー・グース」が伝承童謡の総称として広まったのだという。この説は後述の北原白秋による『まざあ・ぐうす』のはしがきでも事実として触れられている<ref name=FujinoA58>藤野 (2007), 58頁。</ref><ref>平野 (1972), 23-24頁。</ref>。しかしこれはのちの調査で、ジョン・フリート・エリオットという、エリザベス・グースの曾孫に当たる人物によって、1860年にボストンの新聞に匿名で投書されたことから広まったまったくの作り話であり、上述のようなタイトルの書物も存在しなかったことが判明している<ref>平野 (1972), 26-27頁。</ref><ref name=FujinoA58/>。
== 代表的な唄 ==


== 出版史 ==
*'''''Old Mother Goose'''''(マザーグースのおばさん)<ref group="+">Iona and Peter Opie, eds. ''The Oxford Nirsery Thume Book'' (Oxford) 1976:88, 90.</ref><ref group="+">[http://mother-goose.hix05.com/Mg4/mg095.mother.html マザーグースのおばさん Old Mother Goose :マザーグース]</ref>
[[File:LondonBridgeTommyThumbPrettySongBook.jpg|thumb|160px|『トミー・サムの可愛い唄の本』より、「[[ロンドン橋落ちた]]」の最初のページ]]
:''Old Mother Goose, マザーグースのおばさんは''
前述のように「マザー・グース」という言葉が童謡集の題名として用いられたのは、ジョン・ニューベリーが1780年に刊行した『マザー・グースのメロディ』であるが、伝承童謡を集めたものとしては[[1744年]]5月に『{{仮リンク|トミー・サムの可愛い唄の本|en|Tommy Thumb's Pretty Song Book}}』という書物がロンドンで出ており、これが実在が確認されている最古のマザー・グース集である<ref name=FujinoA59>藤野 (2007), 59頁。</ref>。この本は第2巻となっており、現物は確認されていないものの、同年3月に出版されたらしい『{{仮リンク|トミー・サムの唄の本|en|Tommy Thumb's Song Book}}』の続篇であると考えられている<ref name=FujinoA59/>。『トミー・サムの可愛い唄の本』には「[[6ペンスの唄]]」「[[ロンドン橋落ちた]]」など、今日でもよく知られている童謡が確認できる<ref>平野 (1972), 31頁。</ref>。いっぽうニューベリー編の『マザー・グースのメロディ』は52篇の童謡を収めており、このうち23篇は(確認できる限りでは)この本が文献初出となっている。ただし、この52篇の中には、ニューベリーと親しかった作家[[オリヴァー・ゴールドスミス]]の創作が相当数混じっているのではないかという説もある<ref>平野 (1972), 31-32頁。</ref>。
:''When she wanted to wander, 散歩がしたくなったときは''
:''Would ride through the air ご亭主の背中にまたがって''
:''On a very fine gander. 空中を飛び回るんだとさ''


19世紀半ばには、文献学者{{仮リンク|ジェームズ・ウォーチャード・ハリウェル|en|James Halliwell-Phillipps}}による『イングランドの童謡』([[1842年]])によって、600あまりのマザー・グースが渉猟された(初版は299)<ref>藤野 (2007), 11頁。</ref>。ハリウェルの集成はより学問的な方法に基づいており、個人の創作らしきものを注意深く排除し、集めた童謡を「歴史的」「文字遊び」「物語」など18の項目(初版では14)へ分類したうえで注釈と解説を施している<ref>平野 (1972), 41-42頁・48-63頁。</ref>。この書物は同著者の『イングランドの俗謡と童話』([[1849年]])とともに、以後100年あまりの間イギリスの伝承童謡の唯一の典拠となっていた<ref>平野 (1972), 41頁。</ref>。その後、20世紀半ばに{{仮リンク|オーピー夫妻|en|Iona and Peter Opie}}による集成『オックスフォード版 伝承童謡辞典』([[1951年]])、『オックスフォード版 伝承童謡集』([[1955年]])および『学童の伝承とことば』([[1959年]])があらわれ、これらが現代におけるマザー・グース集成の決定版と見なされている<ref>平野 (1972), 65-69頁。</ref>。
:''Jack's mother came in, するとジャックのママがやってきて''
:''And caught the goose soon, マザーグースを捕まえると''
:''And mounting its back, その背中にまたがって''
:''Flew up to the moon. 月まで飛んでいったとさ''


== レパートリー ==
*'''''London Bridge (is broken down) '''''([[ロンドン橋落ちた]])<ref>"London Bridge is broken down"の詩と異なる、遊び唄としてよく知られる"London Bridge is falling down"の歌詞とそのメロディーはアメリカで派生したものが広まったものであると、[[鷲津名都江]]は『ようこそ「マザーグース」の世界へ』([[日本放送出版協会]]、2007年)に記している。</ref>
{{see also|#一覧}}
:''London Bridge is broken down,''
前述のように19世紀のマザー・グース集はすでに600を超える童謡を収録していたが、現代のマザー・グース集の収録作を合わせ重複分を除くとその数は1000を超える<ref>藤野 (2007), 10頁。</ref>。その種類も、「[[ハンプティ・ダンプティ]]」のようななぞなぞ唄、「{{仮リンク|ハッシャバイ・ベイビー|en|Rock-a-bye Baby}}」のような子守唄、「[[ロンドン橋落ちた]]」のように実際の遊びに伴って唄われる遊戯唄、「{{仮リンク|ペーター・パイパー|en|Peter Piper}}」のような早口唄、「{{仮リンク|ジャックとジル (童謡)|label=ジャックとジル|en|Jack and Jill (nursery rhyme)}}」のような物語性のある唄、「{{仮リンク|これはジャックが建てた家|en|This Is the House That Jack Built}}」のように一節ごとに行が増える積み上げ唄、「月曜日に生まれた子供は」のような暗記歌、そのほかお祈りやおまじないの唄など多種多様である<ref>藤野・夏目 (2004), v-ix頁(目次部)。</ref><ref>藤野 (2007), 12-31頁。</ref>。全体的な特徴としては、残酷さのあるものやナンセンスなものが多い<ref>藤野 (2007), 33-39頁。</ref>。またマザー・グースは「伝承童謡」と訳されているものの、実際には特定のメロディを持たないものも多く<ref>谷川 (2000), 4頁。</ref>、メロディにのせて唄うためばかりでなく「読むための唄」「読んで聞かせる唄」つまり押韻詩としての側面も強く持っている<ref>平野 (1972), 8-10頁。</ref>。
:''Broken down, broken down,''
:''London Bridge is broken down,''
:''My fair lady.''


マザー・グースに数えられる童謡の多くはイギリス発祥だが、「[[メリーさんの羊]]」のようにアメリカ合衆国発祥の著名なマザー・グースもある<ref name=FujinoA4/>。伝承であるために作者がわかっていないものも多いが、「[[きらきら星]]」や「[[10人のインディアン]]」のように、作者のはっきりしている新作童謡がのちに伝承化しマザー・グースに加えられるケースもある<ref>藤野・夏目 (2004), 282頁。</ref><ref>平野 (1972), 119-120頁。</ref>。人物としてのマザー・グースを主題とした唄である「{{仮リンク|オールド・マザー・グース|en|Mother Goose}}」などは、もともとは1815年ごろに出版された[[チャップ・ブック]]向けの韻文物語であったものが、マザー・グースそのものが主題であったためによく親しまれて伝承化した例である<ref>平野 (1972), 133頁。</ref>。また作者不詳の古い唄には、12世紀の[[羊毛税]]の導入あるいは15世紀の[[囲い込み]]を唄っているのではないかと言われる「{{仮リンク|めえめえ黒ひつじ|en|Baa, Baa, Black Sheep}} 」、[[イングランド]]と[[スコットランド]]の統一から発生したのではないかと言われる「[[ライオンとユニコーン]]」のように、歴史的な出来事に関連して発生したものと推測されているものもある<ref>藤野・夏目 (2004), 266頁。</ref><ref>藤野 (2007), 88-92頁。</ref>。
   2番は1番のLadyにかけているものなら''
:''Take the keys and lock her up,''
:''Lock her up, lock her up,''
:''Take the keys and lock her up,''
:''My fair lady.''


== 大衆文化の中で ==
   他に、木と粘土で架け替えろというものなど様々ある''
{{see also|[[:Category:マザー・グースを題材にした作品]]}}
:''Build it up with wood and clay,''
[[File:Little Miss Muffet 1940 poster.jpg|thumb|160px|「マフェットちゃん」の歌詞をもじったポスター]]
:''Wood and clay, wood and clay,''
マザー・グースはイギリスにおいては身分・階層を問わず広く親しまれており、このことを言い表すのに「上は王室から下は乞食まで」という言葉も使われる。王室関係者がマザー・グースに親しんでいることを示す出来事として、[[ヴィクトリア女王]]が庶民の子供と「{{仮リンク|子猫ちゃん子猫ちゃん|en|Pussy Cat Pussy Cat}}」をめぐってやりとりをしたというエピソードや、[[チャールズ皇太子]]が生まれた際、貴族院のメンバーが「{{仮リンク|月曜日に生まれた子供は|en|Monday's Child}}」にちなんだ祝いの言葉を述べた、といったエピソードも伝えられている<ref>藤野 (2007), 78-82頁。</ref>。庶民に親しまれている例としては、「キャット・アンド・フィドル」(「{{仮リンク|ヘイ・ディドゥル・ディドゥル|en|Hey Diddle Diddle}}」)のようなマザー・グースから取られた店名を持つ[[パブ]]がイギリス各地に点在していることなどがあげられる<ref>藤野 (2007), 32頁・98頁・102頁。</ref>。
:''Build it up with wood and clay,''
:''My fair lady.''


マザー・グースの引用や登場人物、またそれにちなんだ言い回しは、近代から現代にいたる英米の社会において、新聞記事や雑誌、文学作品や漫画、映画などあらゆる分野のなかにひろく見ることができる。文学においては[[ルイス・キャロル]]の『[[不思議の国のアリス]]』『[[鏡の国のアリス]]』が物語のなかにマザー・グースを用いたことでよく知られており、特に後者は[[ハンプティ・ダンプティ]]、[[トゥイードルダムとトゥイードルディー]]といったマザー・グースのキャラクターを個性的に描き出している。そのほか『[[メアリー・ポピンズ]]』『[[秘密の花園]]』『[[指輪物語]]』など、児童文学やファンタジーの古典にもマザー・グースの引用例は多い<ref>藤野 (2007), 47-50頁。</ref>。ミステリの分野では、「10人のインディアン」をモチーフとして連続殺人が行われる[[アガサ・クリスティ]]の『[[そして誰もいなくなった]]』、「[[クック・ロビン|誰がこまどりを殺したの?]]」の詩句に沿って連続殺人が行われる[[ヴァン・ダイン]]の『[[僧正殺人事件]]』などをはじめとして、多数の作品での引用例がある<ref>藤野紀男 「マザー・グースとミステリー」『マザーグースを口ずさんで』 113頁。</ref>。
*'''''Georgie Porgie'''''(ジョージ・ポージ)
:''Georgie Porgie, pudding and pie,''
:''Kissed the girls and made them cry;''
:''When the boys came out to play,''
:''Georgie Porgie ran away.''


== 日本における受容 ==
*''' ''Who killed Cock Robin?'' '''([[クックロビン|誰がこまどり殺したの?]])
[[ファイル:Kitahara Hakushu.jpg|thumb|160px|日本初のマザー・グース訳集を出した北原白秋]]
*'''''Old King Cole'''''([[コオル老王]])
日本における初期の訳業としては、大正時代の[[北原白秋]]による『まざあ・ぐうす』が知られているが、白秋以前に画家・詩人の[[竹久夢二]]が翻訳を試みたことがある。おそらく添えられているイラストから興味を持ち始めて自分で訳すようになったものと考えられ<ref name=FujinoA57>藤野 (2007), 57頁。</ref>、[[1910年]]([[明治]]43年)の著書『さよなら』に収録した物語のなかに「誰がこまどりを殺したの?」の訳を入れて以降、さまざまなマザー・グースを訳出している。ただし夢二は翻訳であるという断りをいれずに訳して自分の創作詩といっしょにあつかったりしており、翻訳というより翻案に近いようなものもある<ref name=FujinoA77>藤野 (2007), 77頁。</ref>。なお現在のところ日本で最初のマザー・グースの訳は、[[1881年]](明治14年)に出された自習書『ウヰルソン氏第二リイドル直訳』のなかで「小サキ星ガ輝クヨ」として掲載された「きらきら星」の直訳とされている<ref name=FujinoA77/>。
*'''''Twinkle, twinkle, little star'''''([[きらきら星]])
*'''''Mary had a little lamb'''''([[メリーさんのひつじ]])
*'''''Ten Little Niggers, Ten Little Injuns/Indians'''''(10人の黒人の男の子、[[テン・リトル・インディアンズ|10人のインディアン]]、[[そして誰もいなくなった]])<ref group="+">[http://www.ffortune.net/symbol/poem/goose/tenboys.htm 10人のインディアン、10人の黒人の男の子]</ref>
*'''''Humpty Dumpty'''''([[ハンプティ・ダンプティ]])
*'''''The house that Jack built''''' ([[つみあげうた|これはジャックの建てた家]])
*'''''Sing a song of sixpence'''''([[6ペンスの唄|6ペンスの唄を歌おう]])
*'''''Solomon Grundy'''''(ソロモン・グランディ)
*'''''Lizzie Borden'''''([[リジー・ボーデン]])
*'''''Wee Willie Winkie'''''([[ウィー・ウィリー・ウィンキー]])
*'''''Ring-a-Ring-o' Roses'''''([[Ring-a-Ring-o' Roses|リング・ア・リング・オー・ローゼズ]])<ref>[[西田ひかる]]は『<small>[[ケイト・グリーナウェイ]]の</small>マザーグース』([[飛鳥新社]]、2003年)のあとがきに「勘違いで子供の頃は、"Ring around a roses"と歌っていました」と記しているが、それは勘違いではなくアメリカ版の歌詞で、カリフォルニア育ちの西田がこのバージョンで覚えているのはむしろ当然であると、鷲津名都江は『ようこそ「マザーグース」の世界へ』(日本放送出版協会、2007年)に記している。</ref><ref>鳥山淳子は『もっと知りたいマザーグース』(スクリーンプレイ、2002年)の中で、アメリカでは"Ring around the rosy"と歌われていると記している。</ref>
*'''''Jack and Jill'''''(ジャックとジル)
*'''''Ride a cock-horce(to Banbury Cross)'''''(木馬に乗って(バンベリーのまちかどへ))
*'''''Oranges and Lemons'''''([[オレンジとレモン]])
*'''''Old Mother Hubbard'''''(ハバードおばさん)
*'''''Hey diddle diddle(The cat and the fiddle)'''''(ヘイ ディドゥル ディドゥル(猫にバイオリン))
など、英語の国際語化に伴い、日本でポピュラーになった唄も多い。
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北原白秋による訳は、まず児童雑誌『[[赤い鳥]]』の[[1920年]]1月号に「柱時計」({{仮リンク|ヒッコリー・ディッコリー・ドック|en|Hickory Dickory Dock}})と「緑の家」が掲載され、続けて同誌にマザー・グースの訳が発表されていった<ref>平野 (1972), 11-18頁。</ref>。そして翌[[1921年]]([[大正]]10年)末に、日本初のマザー・グース訳詩集『まざあ・ぐうす』として[[アルス (出版社)|アルス出版]]から刊行された<ref name=FujinoA57/>。この訳詩集では132篇を収録しており、『赤い鳥』に掲載されたものもより滑らかな口語に直されている<ref>平野 (1972), 14-16頁。</ref>。挿絵は[[恩地孝四郎]]が担当した。その後は英文学者・詩人の[[竹友藻風]]による『英国童謡集』が[[1929年]]([[昭和]]4年)に出ている。これは学習者向けの対訳詩集で、87篇の訳を原詩とともに収めたものであるが、とりたてて反響はなかったものと見られる<ref>平野 (1972), 17-18頁。</ref>。
== 代表的な早口言葉 ==


それから半世紀後の1970年(昭和45年)に、詩人の[[谷川俊太郎]]訳による絵本『スカーリーおじさんのマザー・グース』で、洗練された口語による翻訳が刊行された<ref>平野 (1972), 19-22頁。</ref>。この絵本では50篇のみの訳出であったが、1975年-76年には177篇の訳を収めた『マザー・グースのうた』全5集が[[草思社]]より刊行されている(イラストは[[堀内誠一]])。読みやすい谷川訳による『マザー・グースのうた』の出版には大きな反響があり、これをきっかけに日本におけるマザー・グースブームが起こった<ref name=Mainichi>「大変な人気『マザー・グース』」『毎日新聞』 1976年5月3日。</ref>。前後してマザー・グースを引用した作品である[[アガサ・クリスティ]]『[[そして誰もいなくなった]]』が[[ハヤカワ文庫|ハヤカワ・ミステリ文庫]]創刊第1弾として刊行されたこと(1976年4月)や、人気少女漫画『[[ポーの一族]]』([[萩尾望都]]、1972年-1976年)でマザー・グースが扱われたことなども、このブームを後押ししたと見られている<ref name=Mainichi/><ref>いとうまさひろ 『ふしぎの国の『ポーの一族』』 [[新風舎]]文庫 2007年。</ref>。
*'''''Peter Piper'''
:''Peter Piper picked a peck of pickled peppers; ピーター・パイパーは1ペックのピクルスをつまんだ。''
:''A peck of pickled peppers Peter Piper picked. ピーター・パイパーがつまんだ1ペックのピクルス。''
:''If Peter Piper picked a peck of pickled peppers, もしピーター・パイパーがピクルスを1ペックつまんだら、''
:''Where's the peck of pickled peppers Peter Piper picked? ピーター・パイパーがつまんだ1ペックのピクルスはどこにある?''


== 一覧 ==
*'''''She Sells Seashells'''
<!--訳が一定しないので原語表記順 -->
:''She sells seashells by the seashore. 彼女は海岸で海の貝殻を売っている。''
<!--増えたら一覧記事に分割を-->
:''The shells she sells are surely seashells. 彼女が売っている貝殻は、きっと海の貝殻だ。''
{{節スタブ}}
:''So if she sells shells on the seashore, だから彼女がもし海岸で海の貝殻を売っているのなら、''
*{{仮リンク|めえめえ黒ひつじ|en|Baa, Baa, Black Sheep}} (''Baa, Baa, Black Sheep'')
:''I’m sure she sells seashore shells. 貝殻はきっと海岸の貝殻だ。''
*{{仮リンク|ジョージ・ポージ (童謡)|label=ジョージ・ポージ|en|Georgie Porgie}} (''Georgie Porgie'')
*{{仮リンク|桑の木のまわりを回ろう|en|Here We Go Round the Mulberry Bush}} (''Here We Go Round the Mulberry Bush'')
*{{仮リンク|ヘイ・ディドゥル・ディドゥル|en|Hey Diddle Diddle}} (''Hey Diddle Diddle'')
*{{仮リンク|ヒッコリー・ディッコリー・ドック|en|Hickory Dickory Dock}} (''Hickory Dickory Dock'')
*[[ハンプティ・ダンプティ]] (''Humpty Dumpty'')
*{{仮リンク|ハッシャバイ・ベイビー|en|Rock-a-bye Baby}} (''Hush-a-bye Baby'')
*{{仮リンク|フェル先生、ぼくはあなたが嫌いです|en|I do not like thee, Doctor Fell}} (''I do not like thee, Doctor Fell'')
*{{仮リンク|ジャックとジル (童謡)|label=ジャックとジル|en|Jack and Jill (nursery rhyme)}} (''Jack and Jill'')
*{{仮リンク|ジャック・スプラット|en|Jack Sprat}} (''Jack Sprat'')
*{{仮リンク|てんとう虫、てんとう虫|en|Ladybird Ladybird}} (''Ladybird Ladybird'')
*{{仮リンク|ジャック・ホーナーくん|en|Little Jack Horner}} (''Little Jack Horner'')
*{{仮リンク|マフェットちゃん|en|Little Miss Muffet}} (''Little Miss Muffet'')
*[[リジー・ボーデン]] (''Lizzie Borden'')
*[[ロンドン橋落ちた]] (''London Bridge'')
*[[メリーさんのひつじ]] (''Mary had a little lamb'')
*{{仮リンク|メアリー、メアリー、へそ曲がり|en|Mary, Mary, Quite Contrary}} (''Mary, Mary, Quite Contrary'')
*{{仮リンク|月曜日に生まれた子供は|en|Monday's Child}} (''Monday's Child'')
*[[コオル老王]] (''Old King Cole'')
*{{仮リンク|一郎さんの牧場で|en|Old MacDonald Had a Farm}} (''Old MacDonald Had a Farm'')
*[[オールド・マザー・グース]](''Old Mother Goose'')
*{{仮リンク|ハバードおばさん|en|Old Mother Hubbard}} (''Old Mother Hubbard'')
*[[オレンジとレモン]] (''Oranges and Lemons'')
*{{仮リンク|ペーター・パイパー|en|Peter Piper}} (''Peter Piper'')
*{{仮リンク|子猫ちゃん子猫ちゃん|en|Pussy Cat Pussy Cat}} (''Pussy Cat Pussy Cat'')
*[[ハートの女王]] (''Queen of Hearts'')
*{{仮リンク|木馬に乗ってバンベリーへ行こう|en|Ride a cock horse to Banbury Cross}} (''Ride a cock-horce to Banbury Cross'')
*[[Ring-a-Ring-o' Roses|リング・ア・リング・オー・ローゼズ]] (''Ring-a-Ring-o' Roses'')
*[[6ペンスの唄|6ペンスの唄を唄おう]] (''Sing a song of sixpence'')
*{{仮リンク|ソロモン・グランディ|en|Solomon Grundy}} (''Solomon Grundy'')
*[[10人のインディアン]] (''Ten Little Indians'')
*[[ライオンとユニコーン]] (''The Lion and the Unicorn'')
*{{仮リンク|曲がった男|en|There Was a Crooked Man}} (''There Was a Crooked Man'')
*{{仮リンク|靴にお婆さんが住んでいた|en|There was an Old Woman Who Lived in a Shoe}} (''There was an Old Woman Who Lived in a Shoe'')
*{{仮リンク|これはジャックが建てた家|en|This Is the House That Jack Built}} (''This Is the House That Jack Built'')
*{{仮リンク|この子豚ちゃん|en|This Little Piggy}} (''This Little Piggy'')
*{{仮リンク|三匹のめくらネズミ|en|Three Blind Mice}} (''Three Blind Mice'')
*[[トゥイードルダムとトゥイードルディー]] (''Tweedledum and Tweedledee'')
*[[きらきら星]] (''Twinkle, twinkle, little star'')
*[[ウィー・ウィリー・ウィンキー]] (''Wee Willie Winkie'')
*{{仮リンク|男の子って何でできてるの?|en|What Are Little Boys Made Of?}} (''What Are Little Boys Made Of?'')
*[[クックロビン|誰がこまどりを殺したの?]] (''Who killed Cock Robin?'')


== 脚注 ==
*'''''Betty Botter'''
{{reflist|3}}
:''Betty Botter bought some butter. ベティ・ボッターはバターを買った。''
:''"But," she said, "the butter's bitter. 彼女は「だけどバターが苦いわ」と言った。''
:''If I put it in my batter, 「もし生地に入れたら''
:''It will make my batter bitter. 生地が苦くなってしまう。''
:''But a bit of better butter, だけどもう少しいいバターがあったら''
:''That would make my batter better." 生地が良くなるでしょうね」。''
:''So she bought a bit of butter. だから彼女はバターを少し買った。''
:''Better than her bitter butter. 彼女の苦いバターよりも良いバターを。''
:''And she put it in her batter. そして生地にそれを入れた。''
:''And the batter was not bitter. 生地は苦くならなかった。''
:''So 'twas better Betty Botter だからいいことだった、ベティ・ボッターが''
:''Bought a bit of better butter. もっといいバターを少し買ったのは。''

== マザー・グースが登場する作品 ==
英語圏で一般的な童歌であるため、新聞などの見出しでパロディに用いられたり、歌の歌詞に引用されたり、その利用は数限りなく多い。

引用している作品、童歌と同じ登場人物が出てくる作品で、日本でポピュラーなものの例を以下にあげる。
;小説
* [[不思議の国のアリス]]([[ルイス・キャロル]])
* [[鏡の国のアリス]](ルイス・キャロル)
* [[指輪物語]]([[J.R.R.トールキン]])
* [[僧正殺人事件]] ([[S・S・ヴァン=ダイン]])
* フランス白粉の謎、靴に棲む老婆、ダブル・ダブル([[エラリー・クイーン]])
* [[ドルリー・レーン]]<ref>[[ドルリー・レーン]]は元シェイクスピア俳優の探偵で、「マフィン売り」というマザー・グースの中に、ロンドン最古の劇場であるドルリー・レーン劇場が現存するコヴェント・ガーデン地区の通りの名として唄われている。</ref>([[Xの悲劇]]、[[Yの悲劇]]など、[[エラリー・クイーン|バーナビー・ロス]]<ref>[[エラリー・クイーン|バーナビー・ロス]]は、[[エラリー・クイーン]]が「ドルリー・レーン4部作」発表の際に使用した別名義。</ref>の推理作品に登場する探偵)
* [[ギデオン・フェル|フェル博士]]<ref>フェル博士 (Doctor Fell)の名前 は、「フェル先生 (Doctor Fell) 、私はあなたが嫌いです」というマザー・グースの中に唄われている。</ref>([[帽子収集狂事件]]、[[三つの棺]]、[[曲った蝶番]]など、[[ジョン・ディクスン・カー]]の推理作品に登場する探偵)
* ロンドン橋が落ちる (ジョン・ディクスン・カー)
* [[パンチとジュディ (推理小説)|パンチとジュディ]]([[ジョン・ディクスン・カー|カーター・ディクスン]])<ref>[[ジョン・ディクスン・カー|カーター・ディクスン]]は、[[ジョン・ディクスン・カー]]の別名義。</ref>
* [[そして誰もいなくなった]]、[[ねずみとり]]、他([[アガサ・クリスティ]])
* [[愛国殺人]]、[[五匹の子豚]]、24羽の黒つぐみ、他(いずれもアガサ・クリスティの[[名探偵ポワロ]]もの)
* [[ポケットにライ麦を]](アガサ・クリスティの[[ミス・マープル]]もの)
* NかMか、他(アガサ・クリスティの[[トミーとタペンス]]もの)
* [[カッコーの巣の上で]]([[ケン・キージー]])
* [[1984年 (小説)|1984年]]([[ジョージ・オーウェル]])
* サムシング・ブルー(シャーロット・アームストロング)
* [[秘密の花園]]([[フランシス・ホジソン・バーネット]])
* キッド・ピストルズシリーズ([[山口雅也 (小説家)|山口雅也]])
* [[白馬山荘殺人事件]]([[東野圭吾]])
* [[僧正の積木唄]]([[山田正紀]])
* [[灼眼のシャナ]]([[高橋弥七郎]])
* [[SCAR/EDGE]]([[三田誠]])
* パイは小さな秘密を運ぶ({{仮リンク|アラン・ブラッドリー|en|Alan Bradley}})

;漫画
* [[ポーの一族]]:[[トーマの心臓#小鳥の巣|小鳥の巣]]、ピカデリー7時、一週間、他([[萩尾望都]])
* [[パタリロ!]]([[魔夜峰央]])<ref>作中に登場する「クックロビン音頭」という踊りは、直接的には『ポーの一族』(「[[トーマの心臓#小鳥の巣|小鳥の巣]]」)のパロディである。</ref>
* [[フィフティーン・ラブ]]([[塀内真人]])<ref>作中に登場するロビン・ザンダーが「クック・ロビン」と時々呼ばれるが、主人公の姉が彼のことを「萩尾望都のマンガに出てくるタイプ」と評していることから、これもまた「小鳥の巣」からの引用であると『ふしぎの国の『ポーの一族』』(いとうまさひろ著 新風舎文庫 2007年)に指摘されている。</ref>
* [[左の眼の悪霊 ]]([[和田慎二]]、1975年) - 6ペンスの唄 ''Sing a song of sixpence''
* [[金田一少年の事件簿]](原作:[[金成陽三郎]]・[[亜樹直|天樹征丸]]、漫画:[[さとうふみや]])
* [[サイコメトラーEIJI]](原作:[[亜樹直|安童夕馬]])
* [[ローゼンメイデン]] ([[PEACH-PIT]])
* [[ブラック・ラグーン]]([[広江礼威]])
* [[天才柳沢教授の生活]]([[山下和美]])
* [[伯爵カインシリーズ]]([[由貴香織里]])
* [[きらきら☆迷宮]]([[おおばやしみゆき]])
* [[デッドマン・ワンダーランド]]([[片岡人生]]・[[近藤一馬]])

;その他
* [[ダイ・ハード3]]
* [[パワーパフガールズ]]
* [[ルパン三世 バビロンの黄金伝説]]
* [[Nursery Time]]([[MOSAIC.WAV]])
* [[クロックタワー2]]
* [[機神飛翔デモンベイン]]
* [[黒執事]](アニメ)
* [[Fate/EXTRA]]
* [[カルネージハート エクサ]]
* 咲坂と桃内のごきげんいかが 1・2・3 ([[スネークマンショー]])
* [[マザーグースの秘密の館]]
* [[魔法使いの夜]]

== 主な日本語訳された本 ==
* [[北原白秋]] 訳『まざあ・ぐうす』([[角川書店]]、[[1976年]])
* [[谷川俊太郎]] 訳・[[堀内誠一]] 画『マザー・グースのうた』全5集([[草思社]]、[[1975年]]-1976年)
* [[寺山修司]] 訳・[[アーサー・ラッカム]] 画『マザー・グース』([[新書館]]、[[1977年]])
* [[平野敬一]] 監修・[[谷川俊太郎]] 訳・[[和田誠]] 画『マザー・グースのうた』全4巻([[講談社]]、[[1981年]])
* [[西田ひかる]] 訳・[[ケイト・グリーナウェイ]] 画『<small>ケイト・グリーナウェイの</small>マザーグース』([[飛鳥新社]]、[[2003年]])

== 日本のマザーグース研究者 ==
* [[平野敬一]] - [[東京大学]]名誉教授
* [[鳥山淳子]] - [[大阪府立旭高等学校]]教諭
* [[藤野紀男]] - [[十文字学園女子大学]]教授
* [[鷲津名都江]](小鳩くるみ) - 元・童謡歌手、現・[[目白大学]]教授
など


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<!--執筆にあたって参照しているもの-->
* 平野敬一『マザー・グースの唄 <small>イギリスの伝承童謡</small>』([[中公新書]]、1972年) ISBN 4-12-100275-X
* 鷲津名都江 監修・文『マザー・グースをくちずさんで <small>英国童謡散歩</small>[[求龍堂]]、1995ISBN 4-7630-9535-8
* [[平野敬一]] 『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』 [[中公新書]]、1972ISBN 4-12-100275-X
* 鷲津名都江<small>英国への招待</small> マザーグースをたずねて[[筑摩書房]]、1996ISBN 4-480-83900-3
* [[藤野紀男]] 図説 マザーグース』 [[河出書房新社]]、2007ISBN 978-4-309-76092-6
* 鷲津名都江『マザーグースと日本人』([[吉川弘文館]]歴史文化ラブラ2001ISBN 4-642-05529-0
* [[鶴見良次]] 『マザーグースとイス近代』 岩波書店2005ISBN 978-4000021623
* 鷲津名都江『ようこそ「マザーグース」の世界へ([[日本放送出版協会]]2007ISBN 978-4-14-084215-7
* [[鷲津名都江]] 文・監修 『マザーグースを口ずさんで 求龍堂グラフィックス1995ISBN 978-4763095350
* 鳥山淳子もっと知たいマザーグース』(スクリーンプレイ2002ISBN 4-89407-321-8
* [[谷川俊太郎]]訳、[[鷲津名都江]]編 ぬきマザーグース』 [[岩波少年文庫]]2000ISBN 978-4001140682
* 藤野紀男・夏目康子 『マザーグース初期英米選集コレクション』全6巻+別冊(ユーリカ・プレス、2004年ISBN 4-902454-04-1
* 藤野紀男・[[夏目康子]] 『マザーグースコレクション100 [[ミネルヴァ書房]]、2004年ISBN 978-4623039203
* 藤野紀男・夏目康子 編『マザーグース初期研究所集成』全6巻+別冊(ユーリカ・プレス、2005年) ISBN 4-902454-08-4
* 藤野紀男・夏目康子 編『[http://www.aplink.co.jp/ep/4-902454-37-8.html マザーグース20世紀初頭英米選集コレクション]』全6巻+別冊(ユーリカ・プ* レス、2008年) ISBN 978-4-902454-37-6</div>
* 鶴見良次『マザー・グースとイギリス近代』([[岩波書店]]、2005年) ISBN 4-00-002162-1
* 藤野紀男『図説マザーグース』([[河出書房新社]]、2007年) ISBN 978-4-309-76092-6


== 出典 ==
<div class="references-small"><references group="+"/></div>

== 脚注 ==
<div class="references-small"><references/></div>
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[童歌]]
* [[青島広志]](谷川俊太郎訳詩に対し、混声/男声/女声合唱組曲「マザーグースの歌」を作曲)
* [[少年の魔法の角笛]] - ドイツの童謡集。ドイツのマザー・グースとも呼ばれる。
* [[マ・メール・ロワ]]
* [[コオル老王]]
* [[黒博物館スプリンガルド異聞マザア・グウス]]
* [[ドクター・スース]](アメリカの絵本作家で現代のマザー・グースと呼ばれている)
* [[少年の魔法の角笛]](ドイツのわらべうたでドイツのマザー・グースとも呼ばれる。実際、マザー・グースと同じような唄が見られる)


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[[Category:マザー・グース|*]]
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[[he:סיפורי אמא אווזה]]
[[it:I racconti di Mamma Oca]]
[[ko:교훈이 담긴 옛날 이야기 또는 콩트]]
[[pl:Bajki Babci Gąski]]
[[ru:Сказки матушки Гусыни]]
[[simple:Stories or Tales of Past Times]]
[[zh:鹅妈妈的故事]]

2013年4月27日 (土) 21:28時点における版

マザー・グース (Mother Goose) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承童謡の総称。イギリス発祥のものが多いが、アメリカ合衆国発祥のものもあり、著名な童謡は特に17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まっている[1]。600から1000以上の種類があるといわれるマザー・グースは、英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、聖書シェイクスピアと並んで英米人の教養の基礎となっているとも言われている[2]。現代の大衆文化においても、マザー・グースからの引用や言及は頻繁になされている。

なお、英語の童謡を指す言葉としてほかにナーサリー・ライム (Nursery Rhymes) があり、イギリスでは童謡の総称としてはマザー・グースよりもこちらが使われる傾向もある。しかし「ナーサリー・ライム」が新作も含む童謡全般を指しうる言葉であるのに対して、「マザー・グース」は伝承化した童謡のみに用いられる点に違いがあると考えられる[3]。後述するように「マザー・グース」が童謡の総称として用いられるようになったのは18世紀後半からであるが、それに対して「ナーサリー・ライム」が童謡の総称に用いられるようになったのは1824年のスコットランドのある雑誌においてであり、「ナーサリー・ライム」のほうが新しい呼称である[3]

呼称の由来

ペローの『コント・ド・タン・パセ』の口絵

英語の童謡は古くから存在したが、それらに対して「マザー・グース」という言い方が定着するようになったのは18世紀からである。この「マザー・グース」(ガチョウ婆さん)という呼称は、もともとは同じ意味のフランス語「マ・メル・ロワイエ」(ma Mère l'Oye) の訳語であったと考えられている[4][5]1729年、フランスの著作家シャルル・ペローの童話集『コント・ド・タン・パセ英語版』(昔の物語集、原著は1697年)がロバート・サンバーによって英訳されイギリスに紹介されたが、この本の口絵では「コント・ドゥ・マ・メル・ロワイエ」(ガチョウ婆さんのお話)という文字が、壁にかかった額のようなものの中に書かれていた(右図)。英訳ではこの部分を「マザー・グースィズ・テイルズ」(Mother Goose's Tales) とした上で本の副題として採用しており、後には本のタイトルにも使われている。これが英語圏における「マザー・グース」という言葉の初出であった[5]。この英訳本は18世紀中に何度も増刷されて広く読まれており(アメリカ合衆国でも1794年に刊行されている)[4]、こうしたことが背景となって英国人に「マザー・グース」という言葉へのなじみができ、伝承童話や童謡と結び付けられるようになっていったものと見られている[6]1780年には、ロンドンの出版者ジョン・ニューベリー英語版ニューベリー賞の由来となった人物)によって『マザー・グースのメロディ』と題する童謡集が出版され、以後同じような童謡集や伝承童謡に対して「マザー・グース」という語を用いる慣行が定着していった[4]

もともとフランスではガチョウは民話や童話に頻出する動物であり、またイギリスでも家畜として重宝されている動物であった。おとなしいために比較的世話が楽であるガチョウは、しばしば家庭の「お婆さん」がその世話を受け持った。また時間を持て余している「お婆さん」はしばしば伝承童話や童謡の担い手でもあり、このことから「ガチョウ」「童話・童謡」「お婆さん」の3つが結びついたものと考えられる[4][7]

伝説上の人物として

19世紀のマザー・グース人形

「マザー・グース」(ガチョウ婆さん)はまた、上述のような童謡や童謡集の伝説上の作者として紹介されることもあり、一部の英和辞典などでは童謡の総称としてよりもこちらの説明を載せているものもある。伝説上の人物としての「マザー・グース」は、アヒル(ガチョウ)の背に乗ってどこへでも自由に飛んでいく老婆(魔女)として描かれている[8]。この鵞鳥にまたがった魔女としてのマザー・グース像は、1806年、ドゥルリー・レインの王立劇場で初演されたトマス・ディプソン脚本によるパントマイム『ハーレクィンとマザー・グース、あるいは黄金のたまご』で初めて描かれ、この劇が成功したことによって定着したものである[9]

アメリカ合衆国では一時期、この「マザー・グース」がある実在したアメリカ人だという説が広まったことがあった。この俗説によれば、1665年ボストン生まれのエリザベス・グースという人物が、夫アイザック・グースに先立たれたのち、1719年に英語の童謡集『子供たちのためのマザー・グースのメロディ』という本を出版し、ここから「マザー・グース」が伝承童謡の総称として広まったのだという。この説は後述の北原白秋による『まざあ・ぐうす』のはしがきでも事実として触れられている[10][11]。しかしこれはのちの調査で、ジョン・フリート・エリオットという、エリザベス・グースの曾孫に当たる人物によって、1860年にボストンの新聞に匿名で投書されたことから広まったまったくの作り話であり、上述のようなタイトルの書物も存在しなかったことが判明している[12][10]

出版史

『トミー・サムの可愛い唄の本』より、「ロンドン橋落ちた」の最初のページ

前述のように「マザー・グース」という言葉が童謡集の題名として用いられたのは、ジョン・ニューベリーが1780年に刊行した『マザー・グースのメロディ』であるが、伝承童謡を集めたものとしては1744年5月に『トミー・サムの可愛い唄の本英語版』という書物がロンドンで出ており、これが実在が確認されている最古のマザー・グース集である[13]。この本は第2巻となっており、現物は確認されていないものの、同年3月に出版されたらしい『トミー・サムの唄の本英語版』の続篇であると考えられている[13]。『トミー・サムの可愛い唄の本』には「6ペンスの唄」「ロンドン橋落ちた」など、今日でもよく知られている童謡が確認できる[14]。いっぽうニューベリー編の『マザー・グースのメロディ』は52篇の童謡を収めており、このうち23篇は(確認できる限りでは)この本が文献初出となっている。ただし、この52篇の中には、ニューベリーと親しかった作家オリヴァー・ゴールドスミスの創作が相当数混じっているのではないかという説もある[15]

19世紀半ばには、文献学者ジェームズ・ウォーチャード・ハリウェル英語版による『イングランドの童謡』(1842年)によって、600あまりのマザー・グースが渉猟された(初版は299)[16]。ハリウェルの集成はより学問的な方法に基づいており、個人の創作らしきものを注意深く排除し、集めた童謡を「歴史的」「文字遊び」「物語」など18の項目(初版では14)へ分類したうえで注釈と解説を施している[17]。この書物は同著者の『イングランドの俗謡と童話』(1849年)とともに、以後100年あまりの間イギリスの伝承童謡の唯一の典拠となっていた[18]。その後、20世紀半ばにオーピー夫妻英語版による集成『オックスフォード版 伝承童謡辞典』(1951年)、『オックスフォード版 伝承童謡集』(1955年)および『学童の伝承とことば』(1959年)があらわれ、これらが現代におけるマザー・グース集成の決定版と見なされている[19]

レパートリー

前述のように19世紀のマザー・グース集はすでに600を超える童謡を収録していたが、現代のマザー・グース集の収録作を合わせ重複分を除くとその数は1000を超える[20]。その種類も、「ハンプティ・ダンプティ」のようななぞなぞ唄、「ハッシャバイ・ベイビー英語版」のような子守唄、「ロンドン橋落ちた」のように実際の遊びに伴って唄われる遊戯唄、「ペーター・パイパー」のような早口唄、「ジャックとジル英語版」のような物語性のある唄、「これはジャックが建てた家英語版」のように一節ごとに行が増える積み上げ唄、「月曜日に生まれた子供は」のような暗記歌、そのほかお祈りやおまじないの唄など多種多様である[21][22]。全体的な特徴としては、残酷さのあるものやナンセンスなものが多い[23]。またマザー・グースは「伝承童謡」と訳されているものの、実際には特定のメロディを持たないものも多く[24]、メロディにのせて唄うためばかりでなく「読むための唄」「読んで聞かせる唄」つまり押韻詩としての側面も強く持っている[25]

マザー・グースに数えられる童謡の多くはイギリス発祥だが、「メリーさんの羊」のようにアメリカ合衆国発祥の著名なマザー・グースもある[1]。伝承であるために作者がわかっていないものも多いが、「きらきら星」や「10人のインディアン」のように、作者のはっきりしている新作童謡がのちに伝承化しマザー・グースに加えられるケースもある[26][27]。人物としてのマザー・グースを主題とした唄である「オールド・マザー・グース英語版」などは、もともとは1815年ごろに出版されたチャップ・ブック向けの韻文物語であったものが、マザー・グースそのものが主題であったためによく親しまれて伝承化した例である[28]。また作者不詳の古い唄には、12世紀の羊毛税の導入あるいは15世紀の囲い込みを唄っているのではないかと言われる「めえめえ黒ひつじ英語版 」、イングランドスコットランドの統一から発生したのではないかと言われる「ライオンとユニコーン」のように、歴史的な出来事に関連して発生したものと推測されているものもある[29][30]

大衆文化の中で

「マフェットちゃん」の歌詞をもじったポスター

マザー・グースはイギリスにおいては身分・階層を問わず広く親しまれており、このことを言い表すのに「上は王室から下は乞食まで」という言葉も使われる。王室関係者がマザー・グースに親しんでいることを示す出来事として、ヴィクトリア女王が庶民の子供と「子猫ちゃん子猫ちゃん英語版」をめぐってやりとりをしたというエピソードや、チャールズ皇太子が生まれた際、貴族院のメンバーが「月曜日に生まれた子供は英語版」にちなんだ祝いの言葉を述べた、といったエピソードも伝えられている[31]。庶民に親しまれている例としては、「キャット・アンド・フィドル」(「ヘイ・ディドゥル・ディドゥル英語版」)のようなマザー・グースから取られた店名を持つパブがイギリス各地に点在していることなどがあげられる[32]

マザー・グースの引用や登場人物、またそれにちなんだ言い回しは、近代から現代にいたる英米の社会において、新聞記事や雑誌、文学作品や漫画、映画などあらゆる分野のなかにひろく見ることができる。文学においてはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』が物語のなかにマザー・グースを用いたことでよく知られており、特に後者はハンプティ・ダンプティトゥイードルダムとトゥイードルディーといったマザー・グースのキャラクターを個性的に描き出している。そのほか『メアリー・ポピンズ』『秘密の花園』『指輪物語』など、児童文学やファンタジーの古典にもマザー・グースの引用例は多い[33]。ミステリの分野では、「10人のインディアン」をモチーフとして連続殺人が行われるアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』、「誰がこまどりを殺したの?」の詩句に沿って連続殺人が行われるヴァン・ダインの『僧正殺人事件』などをはじめとして、多数の作品での引用例がある[34]

日本における受容

日本初のマザー・グース訳集を出した北原白秋

日本における初期の訳業としては、大正時代の北原白秋による『まざあ・ぐうす』が知られているが、白秋以前に画家・詩人の竹久夢二が翻訳を試みたことがある。おそらく添えられているイラストから興味を持ち始めて自分で訳すようになったものと考えられ[35]1910年明治43年)の著書『さよなら』に収録した物語のなかに「誰がこまどりを殺したの?」の訳を入れて以降、さまざまなマザー・グースを訳出している。ただし夢二は翻訳であるという断りをいれずに訳して自分の創作詩といっしょにあつかったりしており、翻訳というより翻案に近いようなものもある[36]。なお現在のところ日本で最初のマザー・グースの訳は、1881年(明治14年)に出された自習書『ウヰルソン氏第二リイドル直訳』のなかで「小サキ星ガ輝クヨ」として掲載された「きらきら星」の直訳とされている[36]

北原白秋による訳は、まず児童雑誌『赤い鳥』の1920年1月号に「柱時計」(ヒッコリー・ディッコリー・ドック英語版)と「緑の家」が掲載され、続けて同誌にマザー・グースの訳が発表されていった[37]。そして翌1921年大正10年)末に、日本初のマザー・グース訳詩集『まざあ・ぐうす』としてアルス出版から刊行された[35]。この訳詩集では132篇を収録しており、『赤い鳥』に掲載されたものもより滑らかな口語に直されている[38]。挿絵は恩地孝四郎が担当した。その後は英文学者・詩人の竹友藻風による『英国童謡集』が1929年昭和4年)に出ている。これは学習者向けの対訳詩集で、87篇の訳を原詩とともに収めたものであるが、とりたてて反響はなかったものと見られる[39]

それから半世紀後の1970年(昭和45年)に、詩人の谷川俊太郎訳による絵本『スカーリーおじさんのマザー・グース』で、洗練された口語による翻訳が刊行された[40]。この絵本では50篇のみの訳出であったが、1975年-76年には177篇の訳を収めた『マザー・グースのうた』全5集が草思社より刊行されている(イラストは堀内誠一)。読みやすい谷川訳による『マザー・グースのうた』の出版には大きな反響があり、これをきっかけに日本におけるマザー・グースブームが起こった[41]。前後してマザー・グースを引用した作品であるアガサ・クリスティそして誰もいなくなった』がハヤカワ・ミステリ文庫創刊第1弾として刊行されたこと(1976年4月)や、人気少女漫画『ポーの一族』(萩尾望都、1972年-1976年)でマザー・グースが扱われたことなども、このブームを後押ししたと見られている[41][42]

一覧

脚注

  1. ^ a b 藤野 (2007), 4頁。
  2. ^ 藤野 (2007), 8頁。
  3. ^ a b 藤野 (2007), 7頁。
  4. ^ a b c d 藤野 (2007), 5頁。
  5. ^ a b 平野 (1972), 26頁。
  6. ^ 平野 (1972), 27-28頁。
  7. ^ 平野 (1972), 27頁。
  8. ^ 藤野 (2007), 6頁。
  9. ^ 鶴見、22-24頁。
  10. ^ a b 藤野 (2007), 58頁。
  11. ^ 平野 (1972), 23-24頁。
  12. ^ 平野 (1972), 26-27頁。
  13. ^ a b 藤野 (2007), 59頁。
  14. ^ 平野 (1972), 31頁。
  15. ^ 平野 (1972), 31-32頁。
  16. ^ 藤野 (2007), 11頁。
  17. ^ 平野 (1972), 41-42頁・48-63頁。
  18. ^ 平野 (1972), 41頁。
  19. ^ 平野 (1972), 65-69頁。
  20. ^ 藤野 (2007), 10頁。
  21. ^ 藤野・夏目 (2004), v-ix頁(目次部)。
  22. ^ 藤野 (2007), 12-31頁。
  23. ^ 藤野 (2007), 33-39頁。
  24. ^ 谷川 (2000), 4頁。
  25. ^ 平野 (1972), 8-10頁。
  26. ^ 藤野・夏目 (2004), 282頁。
  27. ^ 平野 (1972), 119-120頁。
  28. ^ 平野 (1972), 133頁。
  29. ^ 藤野・夏目 (2004), 266頁。
  30. ^ 藤野 (2007), 88-92頁。
  31. ^ 藤野 (2007), 78-82頁。
  32. ^ 藤野 (2007), 32頁・98頁・102頁。
  33. ^ 藤野 (2007), 47-50頁。
  34. ^ 藤野紀男 「マザー・グースとミステリー」『マザーグースを口ずさんで』 113頁。
  35. ^ a b 藤野 (2007), 57頁。
  36. ^ a b 藤野 (2007), 77頁。
  37. ^ 平野 (1972), 11-18頁。
  38. ^ 平野 (1972), 14-16頁。
  39. ^ 平野 (1972), 17-18頁。
  40. ^ 平野 (1972), 19-22頁。
  41. ^ a b 「大変な人気『マザー・グース』」『毎日新聞』 1976年5月3日。
  42. ^ いとうまさひろ 『ふしぎの国の『ポーの一族』』 新風舎文庫 2007年。

参考文献

関連項目