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{{基礎情報 書籍
{{文学}}
|title = 『クマのプーさん』
{{Portal ディズニー}}
|orig_title = Winnie-the-Pooh
'''クマのプーさん'''({{lang-en-short|''Winnie-the-Pooh''}})は、[[1926年]]に発表された[[A・A・ミルン|ミルン]]の[[童話]]、及びその童話の主人公である[[クマ]]の[[ぬいぐるみ]]である[[テディベア]]の名前である。童話の挿絵は、[[E・H・シェパード]]によって描かれた。
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『'''クマのプーさん'''』({{lang-en-short|''Winnie-the-Pooh''}})は、[[1926年]]に発表された[[A・A・ミルン]]の[[児童小説]]である。擬人化されたクマのぬいぐるみである「プー」と、森の仲間たちとの日常を10のエピソードによって描いている。[[1928年]]には同様の構成をもつ続編『プー横丁にたった家』も発表された。『クマのプーさん』のシリーズはこの二つの物語集と、その前後に発表された二つの童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』『さあぼくたちは六歳』の計4冊からなっており<ref>安達 (2002), 8頁。</ref><ref group="注釈">ただし、後述するように童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』にはまだ「プー」の名前は登場しない。また童謡集『さあ僕たちは六歳』では詩や挿絵の随所にプーや関連キャラクターが登場するものの、それらに限った本というわけではない。以下本項目では『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の二つの物語集を中心に、「プー」と関連キャラクターに関係する限りにおいて2冊の童謡集についても適宜触れる。</ref>、挿絵はいずれも[[E・H・シェパード|E.H.シェパード]]が手がけている。
また、本作を原作とした[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]社の[[アニメーション]]作品が存在する。ディズニー版のタイトルは{{lang-en-short|''Winnie the Pooh''}}(邦題『'''くまのプーさん'''』)と[[ハイフン]]が省かれている。


A.A.ミルンはこの作品を自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていた[[テディ・ベア]]から着想している。本作品とそのキャラクターは発表当時からひろく人気を集めており、多数の言語に翻訳されいまなお世界中で読まれている。1960年代からは[[ディズニー]]によって一連のアニメーション作品が作られ、作品の知名度に大きく貢献した。ディズニー版では「Winnie the Pooh」とハイフンが脱落した表記が使われており、日本では「'''くまのプーさん'''」の表記が作品・キャラクター双方で用いられている。
主人公はしばしば、'''プーさん'''、'''プー'''とも呼ばれる。本記事においては、原作の童話を指す場合は「クマのプーさん」、ディズニー版を指す場合は「くまのプーさん」、キャラクターを指す場合は「プーさん」で統一する。


== 成立 ==
『クマのプーさん』は世界中に翻訳されており、作者の本国である[[イギリス]]のみならず、多くの読者に愛され、親しまれている。
[[ファイル:Harry Colebourne and Winnie.jpg|thumb|180px|「ウィニー・ザ・プー」の名前の元となった「ウィニー」と、元の飼い主のコルバーン中尉]]
『クマのプーさん』は1926年、作者A.A.ミルンが40代のときに刊行された。ミルンはすでに風刺雑誌『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』の副編集長および同誌で活躍するユーモア作家としてのキャリアを経ており、[[1924年]]にはじめて子供向けの著作としてはじめて手がけた童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』(''When We Were Very Young'')<ref>小田島雄志、小田島若子訳 『クリストファー・ロビンのうた』 晶文社、1978年。『クマのプーさん全集』(岩波書店、1997年)にも所収。</ref>が高い評価を受けていた<ref>石井訳『クマのプーさん』 244-245頁(訳者解説)。</ref>。この童謡集は当時3歳だった自分の息子{{仮リンク|クリストファー・ロビン・ミルン|en|Christopher Robin Milne}}のためにつくった童謡をあつめたもので、のちに「プー」となる彼のテディベアも「エドワード・ベア」の名称で「テディ・ベア」という詩のなかで顔を見せている(この詩の初出は『パンチ』1924年2月号)<ref>安達 (2002), 49頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|詩行の中には登場しないが、『ぼくたちがとても小さかったころ』のシェパードによる挿絵では「おやすみのお祈り」「かいだんをはんぶんのぼったところ」にもミルン家のテディベアが描かれている。ただし後述するように、挿絵のモデルとなったぬいぐるみ自体はミルン家所有のものとは別のものである<ref>安達 (2002), 44-47頁。</ref>。}}。クリストファーがもう少し成長すると、ミルンは息子のために彼の持つぬいぐるみたちが活躍する物語を構想し、これが『クマのプーさん』のかたちをとった。


ミルン家のテディベアは、もともとベア、テディ、エドワード・ベア、ビッグ・ベアなどさまざまな呼ばれ方がされていたが<ref>安達 (2002), 53頁。</ref>、これがさらに「ウィニー・ザ・プー」という名称を持つに至ったいきさつは本作品の序文に書かれている。まず「ウィニー」は、当時[[ロンドン動物園]]で公開され人気を集めていた雌の[[アメリカグマ|クロクマ]](ただし序文では「[[ホッキョクグマ]]」と書かれている)「[[クマのウィニー|ウィニー]]」にちなんでいる。もともとは女性名であり、物語の冒頭では語り手がクリストファー・ロビンに“But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだが)と問いかけるシーンがある<ref group="注釈">石井桃子の訳では省略されている。</ref>。「プー」のほうは、もともとはミルン親子がたびたび訪れていた[[サセックス州]][[ポーリング]]にいた[[白鳥]]につけられていた名前であった。この白鳥の「プー」も『ぼくたちがとても小さかったころ』の中の詩「かがみ」にその名前で登場している<ref>安達 (2002), 59-61頁。</ref>。
== 歴史 ==
クマのプーさん(くまのプーさん)の歴史は、原作の発表から翻訳を経て世界各地に広まった段階と、ディズニー社によるアニメーション化以降の段階に大別される。


[[File:The original Winnie the Pooh toys.jpg|thumb|260px|作中のキャラクターのもとになったぬいぐるみたち。後列左からカンガ、プー、イーヨー、前列左からティガー、ピグレット。カンガの子供「ルー」は、ミルン家が所持していたときに紛失してしまている<ref>スウェイト (2000), 192頁。</ref>。また「プー」の挿絵のほうのモデルとなった「グロウラー・ベア」も現存しない{{refnest|group="注釈"|E.H.シェパードの息子グレアムの所有物であった「グロウラー・ベア」は、後にその娘ミネットの手に渡っている。彼女は戦争中も疎開先のカナダに「グロウラー」を連れて行っていたが、このぬいぐるみはある日、[[モントリオール]]の公園で野犬に噛み裂かれてずたずたになってしまった<ref>シブリー (2003), 117-119頁。</ref>。}}。]]
=== 名前の由来 ===
*プーは、作品中においてウィニー・ザ・プー、プー・ベア(Pooh Bear)、エドワード・ベアといくつかの名前で呼ばれている。
*ウィニー(Winnie)とは、ミルンの息子クリストファー・ロビン・ミルン([[クリストファー・ロビン]]のモデル。以下クリストファーと記す)が持っていたテディベアの名前ウィニペグ(Winnipeg 、[[ロンドン動物園]]の人気者であった[[アメリカグマ]]の [[クマのウィニー|ウィニペグ]]から名付けたもの)の[[愛称]]に由来する。ウィニーという呼称は通例女性につけられる名前([[古英語]]由来のエドウィーナ(Edwina)、[[ウェールズ語]]由来のウィニフレッド(Win(n)ifred)やグウィネヴィア(Guinevere)など)の愛称形であるため、童話版冒頭にはミルンがクリストファーに “But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだが)と問いかけるシーンがある。
*プー(Pooh)<ref>[[wikt:en:pooh|pooh]] という英単語は通例マイナスイメージの間投詞として「首チョンパ」([[解雇]])、「ブーブー」(軽蔑)、「プンプン」([[悪臭]]による不快)を示したり、「うんち(する)」という幼児語としても用いられる。</ref>はミルン親子が休日に見た[[白鳥]]の名前から。この白鳥はミルンの代表的な児童向け詩集『[[:en:When We Were Very Young|When We Were Very Young]]』(1924年刊)で独立したキャラクターとして描かれている。なお、この詩集に収録された「テディベア」(Teddy Bear)という詩にはプーさんが「クマのエドワード氏」(Mr. Edward Bear 、こちらはエドワードと名づけられた別のテディベアがモデル。初出は同年2月発行の大衆向け週刊娯楽誌「パンチ」([[:en:Punch (magazine)|Punch, or the London Charivari]]))として登場し、またシャツを着たテディベアのイラストも1点収録されている。
*『クマのプーさん』に登場するプーさん以外のキャラクターも、一部を除いてクリストファーが所有していたテディベアがモデルとなっている。これらのテディベアは、[[ニューヨーク公共図書館]]1階{{lang|en|Children's Center at 42nd Street}}内に展示されているが、「ルー」のぬいぐるみだけは野犬に持ち去られて現存していない。またプーさんの絵のモデルにもなったといわれる、本のイラストを描いたE・H・シェパードの息子が持っていたテディベア「グロウラー」は飼い犬に壊されてしまい現存していない<ref>日本語版童話のあとがきより。</ref>)。
*クマのプーさんの舞台である[[100エーカーの森]]は、ミルンの故郷であるイギリスの[[イースト・サセックス州]]にある、500エーカーほどの森林である[[アッシュダウンフォレスト]]をモデルにしており、作中にも同じ名称がいくつか登場している。


のちに「プー」となるこのファーネル社製のテディ・ベアは、1921年、クリストファーが1歳のときに誕生日プレゼントとして[[ハロッズ]]で購入されたものであった<ref>安達 (2002), 35頁。</ref>。他のキャラクターのうち、ロバのイーヨーは同年のクリスマスプレゼントとして、子豚のピグレットは隣人からプレゼントされてクリストファーに与えられていた<ref>安達 (2002), 132頁。</ref>。執筆が進むと、ミルンは物語に登場させるために新たにカンガルーの親子カンガとルー、トラの子供ティガーのぬいぐるみをハロッズで購入した。登場キャラクターのうち特定のモデルが存在しないのはフクロウのオウルとウサギのラビットだけである<ref>安達 (2002), 133頁。</ref>。キャラクターのモデルとなったこれらのぬいぐるみは、ミルンによる「出生証明書」付きで、アメリカ合衆国で長年のあいだ巡回展示が行われたのち、1987年より[[ニューヨーク公共図書館]]にて展示保存されている<ref>スウェイト (2000), 190-191頁。</ref><ref>{{cite web |url= http://www.nypl.org/locations/tid/36/node/5557 |title= The Adventures of the Real Winnie-the-Pooh |publisher= The New York Public Library |accessdate=2012-11-4}}</ref>。
=== 出版物 ===
*[[1926年]]に1作目『クマのプーさん』、[[1928年]]に続編の『プー横丁に建った家』が発表された。これらの話のほか、プーさんを題材としたいくつかの童話があり、その挿絵はすべてE・H・シェパードによって描かれた。
*日本では、[[石井桃子]]の訳により{{和暦|1940}}に[[岩波書店]]から出版された。また、{{和暦|1957}}、[[岩波少年文庫]]より訳を改めて出版された。
*ミルンの没後([[1956年]])、『クマのプーさん』に関する権利は、イギリスの紳士クラブ、[[ウェストミンスター・スクール]]、王立文学基金、ミルンの家族に分割されて相続された。
*『クマのプーさん』の著作権は[[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]に基づき、[[カナダ]]や[[ニュージーランド]]ではミルンの没年から50年後の[[2006年]]に失効した。ただし、日本は[[戦時加算 (著作権法)|戦時加算]]のため[[2016年]]5月末まで、イギリス本国を始め[[欧州連合|EU]]域内や[[オーストラリア]]では[[2026年]]まで、[[アメリカ合衆国]]や[[メキシコ]]では[[2046年]]まで著作権が存続する予定<ref>アメリカ合衆国著作権法における同国がベルヌ条約に加盟した[[1978年]]以前に公表され、旧法下で保護期間を満了しなかった著作物に対する特例に基づき「死後95年または公表後120年のどちらか短い方」の後者が適用される。メキシコの著作権保護期間は全世界最長の「個人の死後100年」。</ref>。また、E・H・シェパードの挿絵に関する著作権は[[2026年]]〜2046年(国・地域により異なる)まで有効である。
*Methuen社版の『クマのプーさん』の単行本の売上は1996年末までに2000万部を超える。この売上にはDutton社版や英語以外の翻訳版の売上は含まれていない<ref>[http://www.just-pooh.com/history.html Winnie the Pooh - History of Pooh]</ref>。全世界での単行本売上は2001年時点で7000万部を超える<ref>[http://disney.go.com/disneyvideos/newsletter/jul2001/index.html Disney Video and DVD Insider]</ref>。
* [[2009年]][[10月5日]]に『100エーカーの森に帰る』が出版される予定。


物語の舞台は、[[サセックス州]]に実在する田園地帯{{仮リンク|アッシュダウンの森|en|Ashdown Forest}}をモデルにして描かれている。ミルンは1924年夏、息子が4歳のときに、この地の北のハートフィールド近郊に建てられていた古農家コッチフォード・ファーム{{refnest|group="注釈"|コッチフォード・ファームは、ミルンの息子クリストファーが手放したのち、[[ローリング・ストーンズ]]の[[ブライアン・ジョーンズ]]が買い取って自宅として使っていた<ref name=INOKUMA50>猪熊 (1993), 50頁。</ref>。ブライアンは1969年にこの家のプールで自殺しており<ref>{{cite web|title=“ストーンズをつくった男”ブライアン・ジョーンズの人生を映画化。|url= http://www.narinari.com/Nd/2006045801.html |date=2006年4月5日 |author= コジマ |publisher= ナリナリドットコム |accessdate=2012-12-8}}</ref>、その後はまた人手にわたり個人に所有されている<ref name=INOKUMA50/> 。}}を買い取って別荘とした。そして改修が済んだ1925年以降、毎週末や復活祭、夏季休暇などのたびに妻子と乳母の4人でこの地を訪れており、クリストファーはいつもぬいぐるみたちを連れてきていた<ref>安達 (2002), 123-124頁。</ref><ref>猪熊 (1993), 36頁。</ref>。作品が有名になって以降、アッシュダウンの森は『プーさん』の愛読者が訪れて物語を追体験する観光地となっている([[#文化的遺産]]参照)。
=== 商品化権の変遷とディズニー社との関係 ===
{{出典の明記|section=1|date=2007年11月}}
*キャラクターライセンス事業の先駆者である、ステファン・スレシンジャーは、スレシンジャー個人と彼の会社であるスティーブン・スレシンジャー社(後の米国著作権管理会社である[[スレシンジャー]]社)の権利として、演劇・朗読・楽曲・[[アニメ]]・グッズ製作及び広告に関するクマのプーさんの商品化権を、[[1930年]]に取得した。この権利は大きい利益を生み出すこともなく{{要出典|date=2006年12月}}、[[1953年]]にスレシンジャーが亡くなった後には、商品化権はスレシンジャーの妻である、シャーレイ・スレシンジャーに相続された。
*シャーレイは、スレシンジャーの没後も『クマのプーさん』の商品製作を続けたが、[[1961年]]、ディズニー社がスレシンジャー社に権利料を支払うことを条件に、ディズニー社に演劇などの権利使用を認めた。また同年、ミルンの妻であるダフニ・ミルンも、アニメ化を含む権利使用をディズニー社に認めた。
*ディズニー社の作品は、初期には原作を元にしたストーリーであったが、後にディズニーオリジナルのストーリーが使われるようになった。ゴーファー(「プーさんとはちみつ」〜)、ケシー(「[[新くまのプーさん]]」〜)、ランピー(「はじめまして、ランピー」〜)などのオリジナルキャラクターも登場する。絵も本のイラストに近いものから現代的なものへと変わっていった。
*[[1977年]]『くまのプーさん』(The Many Adventures of Winnie the Pooh)が劇場公開された。ゴーファー(Gopher)が初めて登場するこの映画は1966年から1974年の間に制作されていた3作品からなる。[[1983年]]に4番目の短編映画「プーさんとイーヨーのいち日」が公開。その後、新くまのプーさんや、[[ザ・ブック・オブ・プー]]などの、テレビシリーズも制作。
*[[2000年]]に[[ティガー]]が主人公の『[[ティガー・ムービー プーさんの贈りもの]]』(The Tigger Movie)、[[2003年]]に[[ピグレット]]が主人公の『[[くまのプーさん 完全保存版II ピグレット・ムービー]]』(Piglet's Big Movie)が公開。
*[[2005年]]12月、ディズニー社は「くまのプーさん」の新作テレビアニメを全世界の[[ディズニー・チャンネル]]で[[2007年]]に放映すると発表した([[プーさんといっしょ]])。同シリーズでは新たなメインキャラクターとして、ダービーという6歳の少女が登場している。
*[[1998年]]にはアメリカでのプーさんのキャラクター商品の売上がミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターで1位となった。
*2005年度のディズニー社の「くまのプーさん」関連商品の小売市場は年間60億ドルで、ディズニー社では[[ミッキーマウス]]に次いで第2位である<ref>[http://web.archive.org/web/20070102143214/http://www.sankei.co.jp/enak/2006/apr/kiji/12winniethePooh.html 産経新聞 ENAK CinemaClip くまのプーさん 殿堂入り]([[インターネット・アーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。
*[[キャラクター・データバンク]]の調査による日本におけるキャラクター商品の販売額において「くまのプーさん」は[[2002年]]から[[2005年]]まで4年連続1位を獲得した。日本ではプーさんのキャラクター商品は、子供だけではなく女子高生や大人世代にも人気があり、「[[癒し]]系[[キャラクター]]」と呼ばれることもある。


=== 使用権をめぐる訴訟 ===
=== 挿絵 ===
『クマのプーさん』シリーズの挿絵は、ミルンの古巣である『パンチ』の画家E.H.シェパードが手がけている(ただし、シェパードが『パンチ』に描くようになったのはミルンが『パンチ』を抜けてからである)。最初にシェパードがミルンの挿絵を手がけたのは、『ぼくたちがとても小さかったころ』の出版に先立ち、そのうちの数編が『パンチ』に掲載されたときで、この際にシェパードが挿絵画家として抜擢されることになった。ミルン自身はもっと名のある画家に頼みたいと思っていたたため、当初はこの決定に不満を持っていたが、出来上がった挿絵を見て、自分の作品に挿絵を描いて成功する者はシェパードをおいて他にないと確信したという<ref>猪熊 (1993), 88頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|A.A.ミルンはシェパードに贈った『クマのプーさん』の中に、自分が死んだら2枚の挿絵(ピグレットがタンポポの綿を吹いている場面と、プーとピグレットが夕日に向かって歩いていく場面)で墓石を飾ってほしい、という内容の戯詩を書きこんでいる。この本は1990年、クリスティーズのオークションで16500ポンドで落札された<ref>スウェイト (2000), 203-204頁。</ref>。}}。実際シェパードの挿絵は、『プーさん』の物語世界と非常に合ったものとして、現在では『[[不思議の国のアリス]]』のために描かれた[[ジョン・テニエル]]の挿絵と並ぶ評価を受けている<ref>石井訳『クマのプーさん』 250頁(訳者解説)。</ref>。
*「くまのプーさん」の映像や、ぬいぐるみなどの商品はディズニー社に莫大な利益をもたらした(未就学児童向け商品及びビデオソフトの売上が絶大である)。このため、ディズニー社は自作の商品に加え、オリジナル童話のシェパードの挿絵により近い「クラシック・プー」を商品化した。<!--ディズニー社における「くまのプーさん」関連の収入は推定で毎年30億〜60億ドルともいわれ、ミッキーマウス・[[ミニーマウス]]・[[ドナルドダック]]・[[グーフィー]]及び[[プルート (ディズニーキャラクター)|プルート]]による収入の合計額に匹敵すると見積もられる。なお、2005年時点ではプーさんの売上はミッキーマウスに次いでディズニー社で2位である。-->
*スレシンジャー社は、ディズニー社が同社と[[1983年]]に結んだ契約に違反し、「くまのプーさん」にかかる売上を偽って報告し、加えて、商品収入にかかる一部の権利料を払っていなかったとして、[[1991年]]にディズニー社に対して訴訟を起こした。この契約によれば、「くまのプーさん」にかかる売上のうち、98%がディズニー社の収入、残り2%がスレシンジャー社の収入となっていた。ディズニー社は2億ドル以上の商品化権に対する権利料を払うべきなのに、金額を実際より低く見せかけて6600万ドルしか払っていないというのが同社の主張であった。この訴訟において、ディズニー社は莫大な書類を破棄し、証拠隠滅を図ったと認定されたが、一方でスレシンジャー社も調査会社を使って、ディズニー社のゴミの中から証拠を不正に入手していたことが明らかになったため、[[2004年]]5月、ロサンゼルス上級裁はスレシンジャー社の訴えを棄却し、最終的にディズニー社が勝利した。
*一方、ディズニー社は、ミルンの娘であるクレア・ミルンの名義により、アメリカにおけるスレシンジャー社の「クマのプーさん」に関する一切の権利を、将来にわたって破棄することを裁判所に訴えた。これは、原作者一族に権利を戻した上で、ディズニー社がミルン家と独占契約し、「くまのプーさん」関連のビジネスを自由に展開しようとして行ったものである。しかし、連邦地方裁判所はスレシンジャー社の権利を認め、さらに[[2006年]][[6月26日]]、米国最高裁判所は原告の訴えを棄却したため、原告の敗訴が確定した。
*シェパードの孫もディズニー社の後押しを受けて、スレシンジャー社から著作権を取戻すべく[[1991年]]に提訴したが、連邦地裁は[[2007年]]2月、原告の訴えを退け“権利はスレシンジャー社にあり”の判断を下した。


『クマのプーさん』出版の際には、シェパードはミルンの家に招かれ、キャラクターのモデルとなったぬいぐるみたちをさまざまな角度から丁寧にスケッチして挿絵の準備をしている。ただし「プー」だけは、ミルン家のテディベアのスケッチも取っていたものの<ref>シブリー (1995), 11頁。</ref>、結局描きなれていた自分の息子グレアム所有のよりずんぐりした体型のテディベア「グロウラー(うなりや)・ベア」のほうをモデルにして描くことになった<ref>安達 (2002), 134頁。</ref>。「グロウラー」はおそらくシュタイフ社製で、『ぼくたちがまだとても小さかったころ』の挿絵のほか、それ以前のシェパードによる『パンチ』寄稿作品にも何度か登場している<ref>安達 (2002), 47頁。</ref>。シェパードはまたミルンの別荘コッチフォード・ファームにも家族ぐるみで招かれ、この地を散策して物語の舞台のスケッチを取った。これらのシェパードのスケッチの大部分は、1969年にロンドンの[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]に寄贈されている<ref>シブリー (2003), 117頁。</ref>。
== 登場人物 ==
ディズニー版のキャラクターについては、[[くまのプーさんキャラクター一覧]]を参照。
=== クリストファーのテディベアなどがモデルのもの(クリストファー自身も含む) ===
;プー(''Winnie the Pooh'')
: 主人公のテディベア。[[蜂蜜]]が好物。詩や歌を作る。今考えていたことをすぐに忘れてしまう。
:ディズニーアニメの「くまのプーさん」ではプーの家の表札に「サンダース(Mr.Sanders)」と書いてあるが、これはナレーター曰く、勝手に自分で名乗って表札を作ったものであり、まわりの皆はその名でプーのことを呼ぶことは決してない。
;[[クリストファー・ロビン]](''Christopher Robin'')
:森の動物たちから頼りにされている、5歳ぐらいの男の子。
;[[ピグレット]](コブタ)(別名:ヘンリー・プーテル)(''Piglet'', ''Henry Pootail'')
: プーの親友の子ブタ。とても気が弱い。ドングリを食べている。ディズニー版での口癖は「どどど、どうしよう」。
: 家の前にある立て札から祖父の名前を「侵入者ウィル(''trespasser will'')」と思い込んでいるが、ウィルは人名ではなく未来形の助動詞であり、実際は「侵入者はいずれ―(続きが欠けている ''be prosecuted'' と繋がり、“侵入者は訴追される”となるのが普通(つまりただの「入るな」というメッセージ))」というただの文章である。
: モデルのぬいぐるみはクリストファーの隣人からのプレゼント。
;イーヨー(''Eeyore'')
:陰気なロバ。アザミが主食。しっぽをすぐに無くしてしまうのと、木の枝の家がすぐに壊れてしまうのが悩み。ある意味、いちばんの常識人。とても想像力に長けるという面もある。
: モデルのぬいぐるみはクリストファーのクリスマスプレゼント。
;カンガ(''Kanga'')
:カンガルー。ルーの母親。ルーから片時も目を離さない。
;ルー(''Roo'')
:カンガルー。カンガの子供。ティガーと仲良くなる。
;[[ティガー]](トラー)(''Tigger'')
:陽気でお調子者のトラ。カンガルーの家に住むようになる。思い込みが激しく繊細な一面も持つ。ジャンプが大好きだが高所恐怖症という弱点がある。はちみつが大嫌い。
カンガ、ルー、ティガーのモデルのぬいぐるみは、「クマのプーさん」の物語を書く際に必要になったためA.A.ミルンが購入したものである。


後年、シェパードは『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の自身の挿絵に彩色をほどこしている。この彩色版は1973年に出版され、その後ひろく使用されるようになった。またシェパードは、もとの挿絵ほどの評価は受けていないものの、1950年代の終わりに絵柄を変えて描いた別の彩色版『プーさん』も手がけている<ref>スウェイト (2000), 213頁。</ref>。
=== アッシュダウンフォレストに実在した動物がモデルのもの(ぬいぐるみは存在しない) ===
;ラビット(ウサギ)(''Rabbit'')
:ちょっと神経質なウサギ。畑で作物を作るのが日課。ティガーにいつも跳ねとばされている。
;オウル(フクロ)(''Owl'')
:物知りなフクロウ。難しい言葉を幾つも知っており、クリストファー・ロビン以外では唯一文字が書ける。お喋りで話がとても長い。


== トリビア ==
== 物語 ==
=== プーさんの誕生日 ===
=== 『クマのプーさん ===
『クマのプーさん』(1926年)は前書きと10編のエピソードで構成されている。前書きでは前著『ぼくたちがとても小さかったころ』に触れられるとともに、前述した「ウィニー・ザ・プー」の名の由来や、前作には登場しなかったピグレットについて書かれている。本編の始まりと終わりをはじめ、物語のいくつかの部分で語り手が息子のクリストファー・ロビンに物語を聞かせている場面が挿入されており、これらの場面では「プー」たちは話したり動いたりしない、普通のぬいぐるみとして描かれている。
プーさんの誕生日は、公式設定では[[1921年]][[8月21日]]とされているが、他にも諸説ある。
;1921年8月21日
:クリストファー・ロビン・ミルンが、1歳の誕生日である1921年8月21日に、プーさんのモデルとなったぬいぐるみを贈られたことを根拠とする。このことは、作中、クリストファー・ロビンの発言にも現れている。
;[[1926年]][[10月14日]]
:1926年10月14日に、『クマのプーさん』が最初にイギリスで出版されたことを根拠とする。
:[[東京ディズニーランド]]では、[[2006年]]に原作デビュー80周年記念として、各種グッズが販売された。また、[[造幣局]]でも、2006年10月14日に、80周年記念の[[貨幣]]セット(「くまのプーさんとなかまたち 夢と冒険の80年 2006貨幣セット」)を発売した。
;[[1966年]][[2月4日]]
:1966年2月4日に、ディズニーアニメ『くまのプーさん プーさんとはちみつ』(Winnie the Pooh and the Honey Tree)が劇場公開されたことを根拠とする。ただし、ディズニー社ではプーさんの誕生日は特に設定していない(元々ディズニー社のキャラクターではないため)。


'''1.私たちがプーやミツバチと知り合いになり、それからお話がはじまります''':ある日プーが森を歩いていると、カシの木の上でミツバチがうなっていることに気付き、ハチミツがありそうだと考える。プーは木の上に上るが、失敗してハリエニシダの中に落ち、そこでクリストファー・ロビンの家を訪れて風船を借りる。プーはミツバチをだますために泥で真っ黒になり、黒い雲であるようなふりをして、風船に運ばれて木の上までゆく。しかしよく見るとミツバチではなかったので、クリストファー・ロビンに鉄砲で風船を撃ってもらい、地面に戻ってくる。
=== その他 ===
[[Image:Soviet_Union_stamp_1988_CPA_5916.jpg|thumb|right|180px|ソ連版『ヴィンニ=プーフ』の切手(1988年)]]
[[Image:2007-07-18 Warszawa, ul. Kubusia Puchatka.jpg|thumb|right|180px|[[ワルシャワ]]中心街「クーブシュ・プハーテック通り」の街路表示板]]
[[Image:2007-07-18 Warszawa, ul. Kubusia Puchatka, tablica MSI.jpg|thumb|right|180px|同「クーブシュ・プハーテック通り」の別の表示板。「クーブシュ・プハーテックはテディベア――A. A. ミルンが書いたイギリスの児童書『クマのプーさん』と『プー横町に建った家』の主人公」]]
*[[皇后美智子|美智子]]皇后の愛読書である。
*[[ローリング・ストーンズ]]の[[ブライアン・ジョーンズ]]の愛読書だった。ブライアンは晩年、[[A・A・ミルン]]の元邸宅に住み、[[1969年]]庭のプールで死去している。
*[[2006年]][[4月11日]]、[[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]に名前を刻んだ。
*[[1966年]]にデビューしたイタリアのロックバンド「[[イ・プー]]」の名前の由来になっている。
*日本の[[中川いさみ]]による[[4コマ漫画|4コマ]][[漫画]]作品『[[クマのプー太郎]]』とは一切関係が無いということになっている。
*[[ソビエト連邦|ソ連]]製のアニメもあり、『ヴィンニ=プーフ』({{lang-ru-short|Винни-Пух}})というタイトルで現在まで広く[[ロシア語圏]]で視聴されている。ヴィンニ(Vinni)は英語綴りの Winnie を、プーフ(Pukh)は同じく Pooh を転写したもので、スラブ語には[[冠詞]]が無いため the は省かれている。プーさんの声優はSF映画『[[不思議惑星キン・ザ・ザ]]』の宇宙人役などで著名なソ連を代表するコメディ俳優の[[エフゲニー・レオーノフ]]が担当している。
*[[ポーランド]]では「クーブシュ・プハーテック」({{lang-pl-short|Kubuś Puchatek}})あるいは単に「クーブシュ」と呼ばれて[[第二次世界大戦]]の前から親しまれている。クーブシュはヤークプ(Jakub 、聖書名の[[ヤコブ]]に相当)の愛称形、プハーテックはプーフ(Puch)の[[指小辞|指小形]]で「プーさん」と同様のニュアンスがある。[[首都]][[ワルシャワ]]の中心街には「クーブシュ・プハーテック通り(Ulica Kubusia Puchatka)」がある。


'''2.プーがお客に行って、狭いところに詰まります''':ある日プーが森を歩いていると、砂地の土手に穴を見つけ、ラビットがいるはずだと思って声をかける。「いないよ」という声がしたので、不思議に思って中に入り、問答のあとでハチミツとコンデンスミルクをつけたパンをごちそうになる。それからプーが穴から出ようとすると、食べ過ぎてお大きくなったために、途中でひっかかって出られなくなってしまう。やむなくやせるのを待つことになり、1週間の間クリストファー・ロビンは穴に詰まったプーに本を読んでやり、ラビットはプーの足をタオル掛けに使う。1週間後、クリストファー・ロビンとラビットの親戚たちが総出でプーを引っぱり出す。
=== ディズニー版長編作品 ===
*[[くまのプーさん 完全保存版]]([[1977年]])
*[[くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!]]([[1997年]])
*[[ティガー・ムービー プーさんの贈りもの]]([[2000年]])
*[[くまのプーさん みんなのクリスマス]]([[2002年]])
*[[くまのプーさん 完全保存版II ピグレット・ムービー]]([[2003年]])
*[[くまのプーさん ルーの楽しい春の日]]([[2004年]])
*[[くまのプーさん ザ・ムービー/はじめまして、ランピー!]]([[2005年]])
*[[くまのプーさん ランピーとぶるぶるおばけ]]([[2005年]])
*[[くまのプーさん (2011年の映画)|くまのプーさん]]([[2011年]])


'''3.プーとピグレットが狩りに行き、もう少しでウーズルを捕まえかけます''':ある冬の日、子豚のピグレットが自分の家の前で雪かきをしていると、プーがぐるぐる回りながら歩いているプーが目に入る。ピグレットが声をかけると、プーは狩りをしているんだと答え、自分が追跡している足跡を示す。どうやら「ウーズル{{refnest|group="注釈"|Woozleはミルンの造語。響きからイタチ (Weasel) などを連想させる<ref>安達 (2002) 152頁。</ref>。石井桃子訳では「モモンガー」となっている。}}」らしいという話になり、二匹で足跡を追っていくと、一組だった足跡はしだいに二組になり、三組になり、ついには四組になったので、ピグレットは急用を思い出して家に帰ってゆく。そのとき木の上からクリストファー・ロビンが声をかけて、プーたちが自分の足跡を追って木の周りをぐるぐる回っていたんだと教えられる。プーはクリストファー・ロビンに慰められてから、お昼を食べに家に帰る。
=== TV放映作品 ===
==== 新くまのプーさん ====
「くまのプーさん」シリーズ初のテレビシリーズ。[[アメリカ]]で[[1988年]][[9月10日]]から[[1991年]][[12月14日]]までの間に、4シーズンに分けて51話分が放送された。


'''4.イーヨーがしっぽを失くし、プーがしっぽを見つけます''':ロバのイーヨーが森のすみで考えごとをしていると、そこにプーがやってきてご機嫌をうかがう。あまりよくないようなのでプーが様子を見てみると、イーヨーのしっぽがなくなっていることに気づく。プーはしっぽを見つけてあげることを受けあい、森のあちこちを歩いたあとで、百エーカーの森に住むフクロウのオウルの家に相談にくる。オウルは懸賞をつけて張り紙を書くという提案をし、その張り紙はクリストファー・ロビンに頼むのがよいと話したあとで、彼が書いてくれた張り紙の字をプーに見せるために家の外に出る。そこでプーは玄関の鈴ひもがよく見慣れたかたちをしていることに気づき、それがイーヨーのしっぽであることを発見する。プーはしっぽを返してもらい、イーヨーはクリストファー・ロビンにしっぽをつけてもらう。
[[日本]]では[[テレビ東京]]にて最初に[[ディズニー劇場]]枠にて[[1995年]][[4月7日]] - [[1996年]][[3月29日]]に本放送が放映され、[[ディズニー・チャンネル]]にて[[2004年]][[11月15日]] - [[2007年]][[9月30日]]。ほか[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]にて再放送の放映がされた。テレビ東京では[[ミッキーキッズ]]、[[Disney Time]]内でも放映された。その後は2007年10月より、[[トゥーン・ディズニー]]で放送枠の移動を何度か行いながらずっと再放送の放映がされ、[[2009年]][[8月]]から[[ディズニーXD]]に改名されたあと、[[2010年]][[10月29日]]に終了した。ディズニーでは今後は、映画版を不定期に放映する予定。


'''5.ピグレットがヘファランプに出会います''':ある日クリストファー・ロビン、プー、ピグレットがそろって話をしていると、クリストファー・ロビンが「ヘファランプ{{refnest|group="注釈"|Heffalumpはミルンの造語。響きから象 (Elephant) を連想させる<ref>安達 (2002), 157頁。</ref>。シェパードの挿絵でも象に似た姿で想像図が描かれている。石井桃子訳では「ゾゾ」。}}」を見てきたと話す。興味を引かれたプーとピグレットは、帰り道、ふたりで罠をつくって「ヘファランプ」を捕まえることに決め、それには大きな穴を掘ってその底にハチミツを置くのがよいということになる。ピグレットが穴を掘り、その間にプーは家にもどってハチミツの壷を取ってくるが、持ってくる前にほとんど自分で食べてしまう。壷をしかけたのち、翌日見にこようということで二人は別れる。その夜、プーは我慢ができなくなり、穴に置いた壷まで来て底に残ったハチミツを舐め取ろうとし、頭が壷にはまってしまう。翌朝、穴の様子を見にきたピグレットは、壷に頭がはまったプーを「ヘファランプ」と勘違いして大慌てでクリストファー・ロビンを呼びにゆく。呼ばれてきたクリストファー・ロビンはプーの姿を見て大笑いする。壷が割れてプーの頭が出てくると、ピグレットは恥ずかしくなって家に寝込みに行き、プーとクリストファー・ロビンはいっしょに朝ごはんを食べる。
「[[くまのプーさん 完全保存版]]」に登場した全てのキャラクターが登場。ほか、犬のスキッピーや、クリストファー・ロビンのベビーシッターなどのゲストキャラクターが登場した。


'''6.イーヨーが誕生日で、二つのプレゼントをもらいます''':プーは川岸で、自分のすがたを川に映してしょんぼりしているイーヨーに会う。話をしてみると、今日はイーヨーの誕生日で、それなのに誰からも祝われていないらしい。プーはなにかプレゼントをあげようと考え、いそいで家にもどると、ちょうどピグレットが来ている。プーはピグレットに事情を話し、プレゼントにするためにハチミツのはいった壷を取ってくる。しかし途中で目的を忘れてハチミツを全部自分で食べてしまう。そこで代わりにその壷をプレゼントとすることに決め、オウルに誕生日祝いの字を書いてもらいに行く。いっぽうピグレットは風船をプレゼントすることに決めるが、急いでいたために途中で転んで風船を割ってしまい、しかたなく割れた風船をそのままプレゼントする。そこにプーがやってきて壷をプレゼントすると、割れた風船がちょうど壷の中に入るので、イーヨーは夢中になって壷から風船を出し入れする。(その後、語り手はクリストファー・ロビンが誕生日パーティを開いてあげたことを彼に語る)
泥棒コンビのスタンとヘフ、オウルの親戚デクスターなど、複数回登場したゲストもいる。なかでも、青い小鳥のケシーは本作に2回しか登場していないが、「[[ザ・ブック・オブ・プー]]」では、レギュラーとなっている。


'''7.カンガとルー坊が森にやってきて、ピグレットは風呂に入ります''':カンガルーの親子カンガとルーが、いつの間にか森に住むようになる。ラビットはそのことが気に入らず、プーとピグレットに小さなルーを捕まえる計画を持ちかける。計画にしたがって、プーがカンガと話している間、ピグレットはルーの代わりにカンガの袋に入り、ラビットはルーを連れ去る。家にもどったカンガは入れ替わりに気がつくが、わざと気がつかないふりをしてピグレットをからかい、彼を水風呂に入れる。そこにクリストファー・ロビンが訪れるが、様子の変わったピグレットのことがわからず、ピグレットはその隙にカンガの家から逃げだす。いっぽうカンガが飛び去るさまを見たプーはそれがうらやましくなってジャンプの練習をはじめ、ラビットはルーをあやしている間にルーがかわいくてしかたなくなる。そうしてカンガとルーは森に住みつき、みんなは元通り暮らすことになる。
日本においては、ほぼ全ての話が[[VHS]]化されているものの([[ビデオ]][[レンタル]]店などで確認できる。)、最初のリリース発売日は不明である。そのことから日本の声優陣によって最初にアフレコされた年も不明。なお理由は不明だが、VHS化されているにもかかわらず上記にある映画作品はDVD化されているが、この「新 - 」のみはDVD化されていない(一部VHS化されたものがDVD化されているが数は多くない)。


'''8.クリストファー・ロビンが北極のタンケン<ref group="注釈">原文では探検(Expedition)のつづり間違いでExpotitionと書かれている。作中のプーの言い間違いを反映したもの。</ref>に乗りだします''':ある日プーがクリストファー・ロビンをたずねると、彼は長靴をはいていて、これから北極(ノースポール)へ探検に行くと言いだす。そこで森の仲間たちはみんな食べ物のしたくをして集まり、クリストファー・ロビンについていって歩いて川をさかのぼってゆく。腰かけるのによさそうな草地でみんなで昼食を取ると、川で顔を洗っていたルーが水たまりに落ちて流されてしまう。プーは持っていた長い棒を川へわたして、カンガといっしょにルーを引き上げる。クリストファー・ロビンはその棒(ポール)を見て、それが北極(ノースポール)だと言い、プーは北極を発見したんだと告げる。そこでみんなで棒を地面に立てて、プーが発見したというメッセージをつける。
*放映リスト


'''9.ピグレットがまったく水にかこまれます''':大雨が降りつづき、あたりは川から溢れた水に占領される。ピグレットは家の窓すれすれまで水が来て不安になり、瓶のなかに助けを求めるメッセージを入れて水に投げこむ。いっぽうハチミツの瓶を持ち出して枝に避難していたプーは、流れてきた瓶を手に入れ、そのメッセージが(字が読めないので)自分あての手紙だと思い込む。そこでプーは大きな壷を水にうかべてその上に乗り、字が読めるクリストファー・ロビンのところへ行く。クリストファー・ロビンは手紙からピグレットが危機にあることを知るが、彼のところまで行く手段がなかった。しかしプーのとっさの思いつきで、クリストファー・ロビンのこうもりがさをひっくり返してボートにし、それに乗ってふたりはピグレットのもとへたどり着く。
{|class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!日本!!アメリカ!!サブタイトル(日)!!サブタイトル(米)!!備考
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|1話||1-1||プーさんとニンジンおばけ
||Pooh Oughta Be in Pictures||


'''10.クリストファー・ロビンがプーのためにパーティを開き、それから私たちはさよならを言います''':大雨があがると、クリストファー・ロビンはピグレットを助けるために活躍したプーのためにお茶会を開くことにし、オウルを呼んで森の仲間たちを集めてもらう。一同の前でクリストファー・ロビンはプーを称え、鉛筆のセットをプレゼントする。みんなはプレゼントに賛嘆し、それからプーはピグレットといっしょに夕日の中を家に帰ってゆく。
|-align="center"
|2話||1-2||やっぱり友達って良いね!<br>元気出して、イーヨー
||Friend in Deed<br>Donkey for a Day||


=== 『プー横丁にたった家』 ===
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『プー横丁にたった家』(1928年)は、『クマのプーさん』と同じく前書きにあたる文章と10編のエピソードから構成されている。前書きにあたる部分は「コントラディクション<ref group="注釈">「イントロダクション」の反対語としてオウルが教えてくれたと記されている。実際には「矛盾」を意味する言葉である。</ref>」と題されており、本文では今作で物語が終わりになることが示唆されている。今作では『クマのプーさん』とは異なり、語り手とクリストファー・ロビンが語り合う場面は描かれていない。
|3話||1-3||キャンプは楽しい<br>風船をわったのは誰?
||There's No Camp Like Home<br>Balloonatics||


'''1.イーヨーのためにプー横丁に家が建てられます''':ある雪の日、プーはピグレットをたずねにいく間に、イーヨーに聞かせるのによさそうな歌を考え付いたので、ピグレットといっしょにイーヨーを訪れることにする。寒いので松林の入り口で休憩していると、プーはイーヨーには家がなくてかわいそうだということを言い出し、この松林の脇をプー横丁と名づけて、ここにイーヨーのための家を建てようと提案する。近くにちょうど棒がたくさんあったので、プーとピグレットはいっしょにイーヨーのための家を建てる。いっぽう、イーヨーは自分の建てた家がいつの間にかなくなってしまったとクリストファー・ロビンに訴えにくる。プーたちがただ棒切れがいっぱい置いてあると思ったものが、実はイーヨーの家だったのである。プーたちは失敗に気がつくが、新しい家の場所を教えると、イーヨーは家が風でそこまで飛ばされたのだと思い込み、また場所柄もそちらのほうがよかったので満足し、まるく収まる。
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|4話||1-4||さよなら、ケシー
||Find Her, Keep Her||


'''2.ティガーが森にやってきて朝ごはんを食べます''':夜中にプーが物音に気づいて目を覚ますと、家の前に見慣れない虎の子供(ティガー)がいる。プーはティガーを招きいれて床に寝かせ、翌朝朝食としてハチミツをごちそうする。しかし口に合わないというので、プーはピグレットやイーヨーのところへ案内して、ピグレットの好物であるドングリを食べさせたり、イーヨーの好物であるアザミを食べさせたりするが、いずれもティガーの気に入らない。そこでクリストファー・ロビンに相談しに行こうとプーが言うと、彼はカンガの家に行ったとイーヨーに教えられ、クリストファー・ロビンとともにカンガの家を訪ねることになる。カンガの家の戸棚にもティガーの好むものはなかったが、ちょうどカンガがルーに薬として麦芽エキスを飲ませようとすると、ティガーがそれを横から食べてしまい、麦芽エキスが好きだということがわかる。そうしてティガーはルーといっしょにカンガに面倒を見られることになる。
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|5話||1-5||王様になったピグレット
||The Piglet Who Would Be King||


'''3.捜索隊がソシキ<ref group="注釈">原文では組織 (organaized) の綴り間違いでorgandizedとなっている。作中のプーの言い間違いを反映したもの。</ref>され、ピグレットはふたたびヘファランプと出会いそうになります''':ある日、プーが家でハチミツの壷の数を数えていると、ウサギがやってきて、親戚のひとりが行方不明なので捜索をしていると話す。そこでプーも捜索隊に加わり、その親戚がどんな動物なのかもわからないまま森を歩いていると、大きな穴に落ちてしまい、先に落ちていたピグレットがその下敷きになる。彼らは以前、「ヘファランプ」を捕まえるために掘った穴に自分たちで落ちてしまったのだった。ふたりは「ヘファランプ」が来たらどうしようと考えはじめ、プーは受け答えのしかたをあれこれ考える。そこへクリストファー・ロビンがやってきたので、ピグレットは「ヘファランプ」と勘違いして混乱した受け答えをする。すぐにクリストファー・ロビンとわかってピグレットは恥ずかしくなるが、かわりにプーの背中にとまっていたウサギの親戚(カブトムシ)を見つけて面目を保つ。
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|6話||1-6||おそうじは大変!
||Cleanliness Is Next To Impossible||


'''4.ティガーは木に登らないということがわかります''':ある日、カンガは家のなかの整理をしたくなり、ルーとティガーにサンドイッチを持たせて外に遊びにやる。ふたりは木登りをすることになり、ティガーはルーを乗せて得意げにマツの木の枝に登るが、降りられなくなってしまう。そこにプーとピグレットが通りかかるが、プーはふたりのサンドイッチを食べてしまうばかりで、ふたりを助けるいい案を思いつけない。そこに今度はクリストファー・ロビンとイーヨーがやってきて、クリストファー・ロビンは自分の上着を脱いでみんなでひろげ、落ちてきたふたりをそれで受け止めることを思いつく。そうしてふたりは無事木から降りることができるが、イーヨーはティガーの下敷きになってしまう。
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|7話||1-7||ハチミツどろぼうはだれ?!
||The Great Honey Pot Robbery||


'''5.ラビットがいそがしく立ち回り、クリストファー・ロビンが午前中なにをしているかがわかります''':ある日、ラビットがクリストファー・ロビンの家をたずねると、彼は留守で、かわりに家の前の張り紙を見つける。張り紙には「GON OUT BACKSON」と書かれており、ラビットは困惑してオウルに相談に行く。オウルはクリストファーロビンは「バックサン」といっしょに出かけたのだと説明し、ラビットはプーに「バックサン」を見なかったかたずねに行く<ref group="注釈">石井桃子訳では、貼り紙は「がいしつ すぎかえる」で、ラビットは「スギカエル」をさがすことになる。</ref>。一方、ピグレットはイーヨーのためにスミレの花束を作って持って行くと、イーヨーは地面の枝切れを眺めている。それは「A」のかたちに組み合わされており、イーヨーはクリストファー・ロビンから教わったのだと誇らしげに語る。しかしそこにラビットがたずねに来て、聞くまでもなくそれが「A」だとわかってしまったので、イーヨーは不機嫌になる。翌朝、クリストファー・ロビンの家の前に「GONE OUT BACK SOON」(外出中 すぐに帰る)という張り紙が張られ、彼が午前中勉強しに出かけているのだということがわかる。
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|8話||1-8||しまをなくしたティガー<br>最高のおくりもの
||Stripes<br>Monkey See, Monkey Do Better||


'''6.プーが新しい遊びを発明し、イーヨーが参加します''':ある日、プーが外を歩きながらマツボックリの詩をつくろうとしていると、うっかりつまづいて、持っていたマツボックリを橋の下の川へ落としてしまう。すると落としたマツボックリが橋のしたを通ってゆっくりと出てきたので、プーはこれを遊びにすることを思いつく。棒をいっせいに落として、どの棒が最初に橋をくぐって出てくるかで勝敗が決まるこの遊びは「[[プー棒投げ]]」と呼ばれ、プーはピグレットやラビット、ルーなどを呼んでいっしょにこの遊びをする。そこにイーヨーが上流から流れてくる。なんとか岸にあがったイーヨーは、ティガーに跳ね飛ばされたのだと言う。そこにティガーがやってきて口論になりかけると、ちょうどクリストファー・ロビンが通りかかったので、みんなはどうすればいいか意見をあおぐ。クリストファー・ロビンは「みんなでプー棒投げをすればいい」と答えたので、みんなはそれに従い、イーヨーとティガーは仲直りする。
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|9話||1-9||ベビーシッターは大いそがし
||Babysitter Blues||


'''7.ティガーがはねっかえりを正されます''':ある日、ラビットはプーとピグレットに向かって、ティガーの「はねっかえり」な態度が目に余るので、彼の態度を正す必要があると話し、そのための計画を説明する。翌日の寒く霧のかかった日、彼らは計画にしたがって、プーが以前北極を発見した場所にティガーを連れていき、そこにティガーを置き去りにする。しかし帰り道で、逆に自分たちが道に迷って帰れなくなってしまう。森をあちこちさまよううちにラビットともはぐれたプーとピグレットは、プーがハチミツの壷からの呼び声を感じ取ったことによって無事帰還する。いっぽうまったく道に迷うことなくカンガの家に帰ってきたティガーは、森にもどってウサギを探しだしてやり、救出されたウサギに感謝感激される。
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|10話||1-10||ラビットの家出
||How Much is That Rabbit in the Window?||


'''8.ピグレットがまことに偉大な行いをします''':ある風の強い日、プーとピグレットはふと思いついて、カンガ、ラビット、クリストファー・ロビン、イーヨーの家を次々とたずねて回り、最後にオウルの家を訪れる。そうしてお茶をごちそうになろうと待っていると、風でオウルの家が吹き倒されてひっくり返り、天井になった玄関のドアの上になにかかが乗ってしまって、外に出られなくなってしまう。脱出方法を考える中、プーの思いつきで、オウルが玄関の郵便受けにひもを通し、そのひもでピグレットをひっぱりあげて郵便受けから出すことになる。あとでこのことを詩にしてあげるとプーに励まされて、ピグレットはこの行いをやってのけ、外へ助けを呼びに向かう。
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|11話||1-11||風とともにバイバーイ<br>歯がない
||Gone with the Wind<br>Nothing But the Tooth||


'''9.イーヨーがオウルのための家を見つけ、オウルがそれに引越します''':ラビットは、家を失くしたオウルのために新しい家を探さなければならない、という手紙をあちこちに出し、字が読めないもののためにその手紙を読んでまわる。プーは倒壊したオウルの家の前に行き、そこで約束したピグレットのために詩をつくって、彼に聞かせ、ピグレットは感激する。その間にクリストファー・ロビンたちは以前のオウルの家に集まり、そこから家具をひっぱりあげたりする。そこにイーヨーがやってきて、オウルのための新しい家をみつけたと告げる。そうしてイーヨーはそこまでみんなを案内するが、それはピグレットが住んでいる家であった。しかしピグレットは、オウルにとってとてもいい家だ、と言ってしまい、それからその家のかわりに、プーの家にプーといっしょに住むことになる。
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|12話||1-12||西部のヒーロー、覆面グマ
||Paw and Order||


'''10.クリストファー・ロビンとプーが魔法の場所に行き、私たちはそこでお別れします''':森の仲間たちは、クリストファー・ロビンとの別れが近づいていることをそれとなく感じ取る。そこで彼らはプー横丁で会議をひらき、クリストファー・ロビンのための「ケツギ<ref group="注釈">原文では、ラビットが決議 (resolution) をうまく綴れず rissolutionと書かれている。</ref>」としてイーヨーに詩を書かせる。そしてみんなでそこに署名すると、クリストファー・ロビンのもとへ持っていき、彼がそれを呼んでいるあいだに次々と去ってしまう。クリストファー・ロビンはひとり残ったプーを、魔法の場所であるギャレオン・ラップ(ギャレオンくぼ地)に連れていき、そこで世の中のいろいろなことについて話す。プーは騎士の話に興味をひかれ、クリストファー・ロビンに頼んで騎士に叙してもらう。クリストファー・ロビンはプーに、「なにもしない」をすることがもうできなくなってしまった、と告げる。そうしてこの場所で再会することを約束しあったあと、いっしょにどこかに出かけてゆく。
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|13話||1-13||ラビットのブックエンド<br>ジュニアの4つの「T」
||Honey for a Bunny<br>Trap as Trap Can||


== キャラクター ==
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<!--ディズニー版とは設定が異なるので、原作を確認せずに加筆しないようお願いします。-->
|14話||1-14||ティガーは仮面のヒーロー<br>バンプティとスプーカブル
石井桃子訳で原著と名称が違うものは括弧内にカナ表記で併記している。ディズニー版の設定などに関しては[[ディズニー版くまのプーさんのキャラクター一覧]]を参照。
||The Masked Offender<br>Things That Go Piglet in the Night||
;プー(Winnie-the-Pooh)
:のんびりやのテディベア。表札に「サンダース」(Mr.Sanders)と書かれた家に住んでいる。好物はハチミツで、家にハチミツを入れた壷を溜め込んでおり、11時の「ちょっとひとくち」の時間を楽しみにしている。頭はよくないし字の読み書きもあまりできないが、詩をつくるのが好きで自作の詩をよく口ずさむ。
;クリストファー・ロビン(Christopher Robin)
:森のはずれの高台に住んでいる少年。字の読み書きができ、いつも名案を思いつくので森の仲間たちからたよりにされている。彼自身も特にプーのことを気にかけてよく面倒をみている。
;ピグレット(コブタ、Piglet)
:プーの親友で、体が小さくて気の弱い子豚。好物はドングリ。森のまんなかにあるブナの木の、そのまんなかにある家に住んでいる。ちかくにTRESSPASSERS WILL BE PROSECUTED(通り抜け禁止)の文字が脱落した立て札(TRESSPASSERS W)があり、ピグレット自身はこれが「Tresspassers William」という、自分の祖父の名前なのだと思い込んでいる<ref group="注釈">石井桃子訳では「トオリヌケ キンジロウ」。</ref>。
;イーヨー(Eeyore)
:暗くてひねくれもののロバ。周りのものに処世訓をたれるのを好む。森のすみの湿っぽい場所にいたが、プーとピグレットによって新たに家が建て直されてからは「プー横丁」と名づけられた場所に住むようになる。アザミが好物。
;ラビット(ウサギ、Rabbit)
:砂地の土手の穴に住んでいる利口者のウサギ。計画をたてたり指図したりすることを好む。様々な種類の動物からなるたくさんの親戚がいる。
;オウル(フクロ、Owl)
:百エーカーの森に住んでいるフクロウ。難しい言葉を好んで話す。難しい字の読み書きが(ある程度)できるので森の仲間たちから尊敬されている。
;カンガ(Kanga)とルー(Roo)
:いつの間にか森に住みつくようになったカンガルーの母子。子供のルーはまだ幼く、やんちゃな性格。母親のカンガはのちにティガーの面倒もいっしょに見るようになる。
;ティガー(トラー、Tigger)
:ある日突然森にやってきた虎の子供。きかん気(はねっかえり)が強く森の仲間の一部から少し厄介がられている。体は大きいが実際はルーと同じくらい幼く、ルーといっしょにカンガに面倒を見られることになる。麦芽エキスが好物。


== 出版 ==
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『クマのプーさん』の物語はまず1925年12月24日、『イヴニング・ニュース』紙のクリスマス特集号に短編作品として掲載された。これは『クマのプーさん』の第一章にあたる作品で、このときだけは挿絵をJ. H. ダウドがつけている<ref>スウェイト (2000), 100頁。</ref>。その後作品10話と挿絵が整い、刊行に先駆けて「イーヨーの誕生日」のエピソードが1926年8月に『ロイヤルマガジン』に、同年10月9日に『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』紙に掲載されたあと、同年10月14日にロンドンで(メシュエン社)、21日にニューヨークで(ダットン社)『クマのプーさん』が刊行された<ref>安達 (2002), 136頁。</ref>。前著『ぼくたちがとても小さかったころ』がすでに大きな成功を収めていたこともあり、イギリスでは初版は前著の7倍に当たる3万5000部が刷られた。他方のアメリカでもその年の終わりまでに15万部を売り上げている<ref>スウェイト (2000), 126-127頁。</ref>。ただし依然として人気のあった前著を売り上げで追い越すには数年の時間を要した<ref>スウェイト (2000), 127頁、190頁。</ref>。
|15話||1-15||7年もアンラッキー<br>魔法の耳当て
||Luck Amok<br>Magic Earmuffs||


『プーさん』の人気を受けて、ミルンは1927年に刊行されたシリーズ3作目にあたる童謡集『さあぼくたちは六歳』 (''Now We Are Six'')<ref>小田島雄志、小田島若子訳 『クマのプーさんとぼく』 晶文社、1979年。前掲『クマのプーさん全集』にも所収。</ref> でも、歴史的人物などとともに『プーさん』のキャラクターをあちこちに登場させた<ref>安達 (2002), 166-168頁。</ref>。1928年に『プー横丁にたった家』 (''The house at Pooh Corner'') が刊行されると、『プーさん』の続編としてロンドン、ニューヨークで爆発的な人気を博した<ref>安達 (2002), 241頁。</ref>。人気キャラクターであるティガーや「[[プー棒投げ]]」のエピソードが登場する『プー横丁』は、今日ではシリーズ4作のうちでもっとも人気のある作品となっている<ref>スウェイト (2000), 141頁。</ref>。もっとも、すべての人間に好意をもって迎えられたわけではない。すでに『さあ僕たちは六歳』を「気取っていて、平凡で、下手」と酷評していた<ref>スウェイト (2000), 136頁。</ref>アメリカの詩人[[ドロシー・パーカー]]は、『プー横丁』の出版に際しても、他の批評家が賛辞を送るなか、「鼻歌っぽく」という最初のエピソードに登場する言い回しをあげつらい嫌悪をあらわにした<ref>スウェイト (2000), 143-144頁。</ref>。ミルンは自分が子供向けの作家というレッテルを貼られていることに気づき、『プー横丁』の刊行後まもなく児童向け作品から離れると宣言することになる<ref>シブリー (2003), 112-113頁。</ref>。
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|16話||1-16||プーさんのきらきら星
||The Wishing Bear||


『クマのプーさん』のシリーズは、刊行当時から種々の限定版を含めさまざまな種類の版が現在と同じように作られた<ref>シブリー (2003), 108頁。</ref>。[[#挿絵|前述のように]]、後年にはシェパード自身の手による2種類の彩色版も作られている。これらのほかに、バースデイブックやエチケット・ブック、『プーさん』を題材にした文芸批評のパロディ『プー・パープレックス』(フレデリック・クルーズ、1963年)、プーさんのキャラクターを用いて道教思想を説く『タオのプーさん』(ベンジャミン・ホフ、1982年)など、「プーさん」のキャラクターを使用したパロディや関連書籍が現在にいたるまで数多く作られている<ref>安達 (2002), 271頁。</ref>。
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|17話||1-17||ティガーは森の王様<br>夕食に来たネズミ
||King of the Beasties<br>The Rats Who Came to Dinner||


『クマのプーさん』シリーズはまた30を超える言語に翻訳されている<ref>安達 (2002), 272-273頁。</ref>。日本では石井桃子による訳が1940年に岩波書店により出版され、以後これが定訳となっている。1958年にはアレクサンダー・レナードによる「ラテン語訳」『ウィニー・イッレ・プー』も出版されている。これはもともとレナードが娘たちのためのラテン語教材として書きはじめたものであったが、自費出版で知人に配ったとこ反響が大きかったため出版を決め、はじめにスウェーデンで、1960年にニューヨークで出版され、外国語で書かれた本としてははじめてニューヨークでベストセラーとなった。1980年には同じ訳者による『プー横丁にたった家』のラテン語訳『ドムス・アングリ・プエンシス』も出版されている<ref>安達 (2002), 271-272頁。</ref>。
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|18話||1-18||ぼくのヒーロー<br>オウルの羽
||My Hero<br>Owl Feathers||


2009年10月、『くまのプーさん』の正式な続編として『プーさんの森にかえる』がエグモントブックス社(イギリス)およびダットン社 (アメリカ合衆国)から刊行された。作者はデイヴィッド・ベネディクタス、挿絵はマーク・バージェスで、ディズニーから続編に関する権利を取り戻したミルンの知的所有権管理者からの許諾を受けており、物語、挿絵ともにそれぞれミルンとシェパードのスタイルを踏襲したものとなっている<ref>{{cite web |url= http://www.telegraph.co.uk/culture/books/6231831/Return-to-The-Hundred-Acre-Wood-writing-the-Winnie-the-Pooh-sequel.html| title= Return to The Hundred Acre Wood: writing the Winnie-the-Pooh sequel |publisher= Daily Telegraph |author= David Benedictus |date= 2009年9月30日 |accessdate= 2012-11-23}}</ref>。日本では2010年にこだまともこ訳で小学館より刊行された<ref>デイヴィッド・ベネディクタス 『プーさんの森にかえる』 こだまともこ訳、小学館、2010年</ref>。
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|19話||1-19||ピグレットは小さなヒーロー<br>おさかながいっぱい
||A Very, Very Large Animal<br>Fish Out of Water||


== 歌と朗読、舞台 ==
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物語のなかにしばしば登場するプーの詩(鼻歌)は、フレーザー・シムソンによって曲が付けられ、1929年に『プーの鼻歌』として、ミルンの序文つきで出版された。シムソンはチェルシーでのミルン家の隣人であり、『ぼくたちがとても小さかったころ』『ぼくたちは六歳』の詩にもそれぞれ曲をつけている。これらの詩や鼻歌は、高名なバリトン歌手であった[[ディル・スミス]]をはじめ、[[ヴェラ・リン]]、[[ロバート・ティアー]]など様々なプロの歌手がレコードやテープに吹き込んだ<ref>シブリー (2003), 104-107頁。</ref>。
|20話||1-20||ラビットの忘れ物<br>ティガーのジャンプ
||Lights Out<br>Tigger's Shoes||


プーの物語ははじめから朗読されることを意識して書かれており、『クマのプーさん』の出版前にドナルド・カスロップがラジオで朗読したのをはじめとして、物語の朗読レコードやテープも数多く作られた。A.A.ミルン自身の朗読レコードも作られたが、クリストファー・ミルンは父の朗読を「一本調子」と評した。BBCのラジオ放送では[[ノーマン・シェリー]]がプーの役を演じたが、A.A.ミルンは彼の演技を高く評価し、ミルンの葬儀では彼によるミルンの詩の朗読・歌唱が行われた<ref>シブリー (2003), 107-108頁。</ref>。
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|21話||1-21||ティガーになったイーヨー<br>探偵ティガー登場
||The "New" Eeyore<br>Tigger, Private Ear||


プーの物語は舞台化も行われ、まだ幼いクリストファー・ミルンもチャリティーのマチネー興行に自分役で何度も登場した<ref>シブリー (2003), 108頁。</ref>。しかしマスコミの取材がクリストファーやミルン家に殺到するようになったことは、後述するようにミルンが児童文学から身を引くことを決める一因となった。
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|22話||1-22||パーティーは大騒ぎ<br>ぼくどろんこ大好き
||Party Poohper<br>The Old Switcheroo||


== ミルン親子と『プーさん』 ==
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『クマのプーさん』の続編『プー横丁にたった家』を発表して間もなく、ミルンは「章のおわり」というエッセイの中で児童文学との訣別を宣言した。作品の大きな好評を得ていたにも関わらずミルンがこの分野から離れる決意をしたのは、一つには新たな分野に挑戦し続けたいという冒険心であり<ref>安達 (2002), 240-242頁。</ref>、一つには息子クリストファーの[[プライバシー]]がマスコミによって侵害されはじめたことに危惧を抱いたためであった<ref>安達 (2002), 246-247頁。</ref>。ミルンの手を離れて以降も、「プー」シリーズは版を重ね続け、またそのキャラクター商品が多数作られるなどして、その人気はひとり歩きしていく。しかしこうして作品が脚光を浴び続ける一方で、「プーさん」は作者のミルンと息子クリストファーの以後の人生に暗い影を落とすことにもなった。
|23話||1-23||かげぼうしと遊ぼう<br>ピグレットのしゃっくり
||Me and My Shadow<br>To Catch a Hiccup||


ミルンは児童文学との決別を宣言して以降、大人向けの戯曲や様々なジャンルの小説を手がけていくが、もともとは子供のためにほんの手すさびで書いた「プー」シリーズに匹敵するような成功を収めることは二度となく、その後半生は失意の連続であった<ref>安達 (2002), 242頁。</ref>。1939年に発表した自伝の中では、ミルンは次のように自嘲している。
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|24話||1-25||宝物を探せ<br>プーさんのおひっこし
||Rabbit Marks the Spot<br>Good-bye, Mr. Pooh||


{{Cquote|見識ある批評家が指摘するように、私の最新の戯曲の主人公は、ああ神さま、『クリストファー・ロビンがおとなになっただけ』なのだ。つまり、子どものことを書くのをやめても、今度はわたしがかつて子どもだった人びとのことを書きつづけるのだという。わたしにとって子どもとはたいした妄想になったものだ !<ref>A.A.ミルン (2003), 459頁。ただし訳文はスウェイト (2000), 189-190頁の引用部分によった。</ref>|||A.A.ミルン|『今からでは遅すぎる』}}
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|25話||1-24||割れないシャボン玉<br>春よ来い?!
||Bubble Trouble<br>Groundpiglet Day||


1955年にミルンが死去すると、太平洋の両岸でいくつもの長い追悼文が発表されたが、「プーさん」以外の業績を中心にして彼を讃えたのは古巣の『パンチ』一誌のみであった<ref>安達 (2002), 267頁。</ref>。
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|26話||1-26||プーさんとふしぎな井戸
||All's Well That Ends Wishing Well||


さらに「プーさん」は、息子クリストファー・ミルンのその後の人生にも重荷となってのしかかった。少年時代のクリストファーは、「おやすみとお祈り」をクリストファーに歌わせて製作されたレコードがもとで級友にからかわれたりといったことはあったものの、依然として父への尊敬を失うことなく過ごしていた<ref>安達 (2002), 248-249頁。</ref>。しかしその後、兵役を経て、父と同じケンブリッジを卒業したクリストファーは、父と同じようにユーモア作家を目指して雑誌に持ち込んだりといったことをはじめたもののほとんど断られ、それから就いた家具買い付けの見習いもすぐに解雇されてしまうなど、実社会において苦労と挫折を重ねていくことになる。そうした経験を積むうちに、クリストファーはしだいに父に対する嫉妬や怒りを感じるようになっていった。
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|27話||2-1||バレンタインのプレゼント
||Un-Valentine's Day||


{{Cquote|父は自分の努力で自分の道をきりひらいたが、それはその背後にだれかが従うことができる道ではなかった。だが、ほんとうに父ひとりの努力だったのだろうか? わたしもそのどこかに貢献したのではなかったか? 自分が持ちあわせている才能を使いたいと思ってくれる雇用主を求めてロンドン中をとぼとぼと歩きまわり、すっかり悲観的になっていたころ、わたしはこう思っていた。父は幼いわたしの肩にのぼり、父がいまある地位にまでのぼりつめたのだと。父がわたしの名誉を盗み、わたしには、父の息子であるという空っぽの名声だけをのこしてくれたのだと。<ref>クリストファー・ミルン (1977), 274頁。ただし訳文は安達 (2000), 258-259頁の引用部分によった。</ref>|||クリストファー・ミルン|『クマのプーさんと魔法の森』}}
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|28話||2-2||ラビットのとりで<br>フランケン・プー
||No Rabbit's a Fortress<br>The Monster Frankenpooh||


1948年、クリストファーは両親の反対を押し切って、ミルン夫妻と絶縁状態にあった親戚の娘と結婚する。そしてコッチド・ファームから200マイル離れたデヴォン州ダーツマスで書店の経営をはじめることによって自立を勝ち取ったが、そのためにミルンとクリストファーとはミルンの死まで絶縁状態が続いた<ref>安達 (2002), 260頁。</ref><ref>スウェイト (2000), 201-202頁。</ref>。クリストファーが父との精神的な和解を果たしたのは、1974年に出版された『魔法にかけられた場所』にはじまる一連の自伝執筆を通してであった<ref>スウェイト (2000), 213頁。</ref>。後年のクリストファーは、父の記念碑の除幕式など、「プー」関連のさまざまな企画に参加している。彼はデヴォンで妻子と暮らしながら執筆活動を続け、1996年に75歳でその生涯の幕を閉じた<ref>シブリー (2003), 116頁。</ref>。
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|29話||2-3||プーさんのさがしもの<br>空飛ぶプーさん
||Where Oh Where Has My Piglet Gone?<br>Up, Up and Awry||


== 商品化権とディズニー ==
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『クマのプーさん』のキャラクターは、すでに1920年代から人形やぬいぐるみ、文房具、カレンダー、バースデイブックといった様々な商品に用いられ一産業として発展していった<ref>安達 (2002), 270頁。</ref><ref>スウェイト (2000), 185頁。</ref>。[[1930年]]1月にはキャラクターライセンス事業の先駆者である[[ステファン・スレシンジャー]]が、アメリカ合衆国とカナダにおける『プーさん』のグッズ制作や翻案、広告等に関するものを含む商品化権を、1000ドルの前払い金と売り上げの66パーセントを支払う契約で購入した。1931年11月までには「プー産業」は年間5000万ドルを売り上げる一大事業となっている<ref> "The Merchant of Child". Fortune: p. 71. November 1931.</ref>。スレジンジャーの会社はその後30年にわたって「プー」のグッズ販売を行っていた<ref>MckElway, St. Claire (26 October 1936). "The Literary Character in Business & Commerce". The New Yorker.</ref>。
|30話||2-4||イーヨーのしっぽのお話し<br>3匹の子ピグレット
||Eeyore's Tail Tale<br>Three Little Piglets||


1961年、スレジンジャーの死後に商品化権を保持していた彼の妻シャーレイ・スレシンジャーは、売り上げの半分を使用料として支払う契約でディズニー社に『プーさん』の映像化や商品化などの権利使用を認め、同年にミルンの妻ダフネ・ミルンも権利使用をディズニーに認めた<ref>{{cite web |url=http://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune_archive/2003/01/20/335653/index.htm |title=The Curse of Pooh |publisher=FORTUNE |date= January 20, 2003 |author=Devin Leonard |accessdate=2012-12-7}}</ref> 。1966年には、ウーリー・レイサーマンによる「プーさん」の初のアニメーション映画「プーさんとハチミツの木」が制作・公開された。ただしこれは20分の短編映画で、ディズニーはもともとは長編アニメにするつもりであったが、原作の「イギリスらしさ」が物議をかもした結果として短編に変更されたという<ref>スウェイト (2000), 208頁。</ref>。
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|31話||2-5||ピグレットのトロフィー<br>プーさんを止めて!
||Prize Piglet<br>Fast Friends||


しかしこのアニメーション作品は、キャラクターたちはたいていアメリカ中西部のアクセントで喋り、プーの親友である子豚のピグレットが描かれず、その代わりに生粋のアメリカ的キャラクターとしてゴーファー(ジリス)という原作にないキャラクターが投入され、クリストファー・ロビンは髪を短くしていかにもアメリカ的な少年として描かれ、原作にあったミルンの詩は排除されて[[シャーマン兄弟]]の楽曲に差し替えられるなど、そのアメリカ的な解釈がイギリスで批判の的となった。イギリスの映画評論家フィリックス・パーカーは、この映画に対してクリストファー・ロビンの声を標準的なイギリス南部の発音にして吹き込み直すことを求めるキャンペーンを『イヴニング・ニューズ』紙で展開し、『デイリー・メイル』紙でもその運動に対する支持が表明された。さらにクリストファー・ミルンからも賛同の手紙が寄せられ、結果としてディズニーにクリストファー・ロビンの声を吹き替えさせることに成功した<ref>スウェイト (2000), 210-211頁。</ref>。
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|32話||2-6||お月さまのはちみつ<br>みんなでカラス退治
||Pooh Moon<br>Caws and Effect||


その後、ディズニーはピグレットを登場させた「プーさんと風の強い日」(1968年)をはじめ、短編・長編映画やテレビシリーズなど数多くの映像作品を製作している。当初は概ね原作に沿った内容で作られていたが、のちにはオリジナルストーリーも作られ、ゴーファーのほかにも小鳥のケシー、「ゾゾ」のランピーといったオリジナルキャラクターが加えられた。ディズニー版の「くまのプーさん」はアメリカでは強く支持され、「プーさん」はミッキー・マウスと並ぶ人気を持つディズニーキャラクターとなっている<ref>スウェイト (2000), 209頁。</ref>。のちにシェパードの挿絵の価値に気づいてからは、ディズニーはシェパードの絵の商品化権も買収し、「クラシック・プー」と言われるキャラクターグッズの販売も行っている<ref>安達 (2002), 273-274頁。</ref>。1998年には「くまのプーさん」のキャラクター関連グッズの売り上げがミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターの首位となった。日本でも人気が高く、キャラクター・データバンクが行った2002年のキャラクターグッズ購入調査では、ハローキティ、ミッキーマウスなどを抑えて首位となっている<ref>{{cite web |url= http://db.g-search.or.jp/sideb/column/20040401.html |title= キャラクタービジネス市場に変化?ほのぼのキャラクターが王座に! |work= G-Search "side B" 旬の話題 |publisher= ジー・サーチ |date= 2004年4月1日 |accessdate=2012-11-4}}</ref>。2006年、「くまのプーさん」はハリウッドで殿堂([[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム|ウォーク・オブ・フェイム]])入りを果たし、ハリウッド大通りその名が刻まれた<ref>{{cite web|url= http://www.walkoffame.com/winnie-the-pooh |title= Winnie the Pooh |publisher= Hollywood Walk of Fame official website |accessdate=2011-11-4}}</ref>。
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|33話||3-1||待て待てボトル<br>オウルの家族
||Oh, Bottle<br>Owl in the Family||


=== 訴訟 ===
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1991年、ステファン・スレシンジャー社は、ディズニー社が同社と[[1983年]]に結んだ契約に違反し、「くまのプーさん」関連のキャラクター商品の売上を偽って報告したこと、また商品収入にかかる一部の権利料を払っていなかったとして、ディズニー社に対して訴訟を起こした。この契約によれば、「くまのプーさん」のキャラクター商品に関する売上のうち、98%がディズニー社の収入、残り2%がスレシンジャー社の収入となっていた。ディズニー社は2億ドル以上の商品化権に対する権利料を払うべきなのに、金額を実際より低く見せかけて6600万ドルしか払っていないというのが同社の主張であった<ref>{{cite web |url= http://www.monitor.net/monitor/0201a/pooh1.html |title= The Pooh Files |author= Joe Shea |publisher= The Albion Monitor |date= January 18, 2002 |accessdate= 2012-12-7}}</ref>。この訴訟において、ディズニー社は莫大な書類を破棄し、証拠隠滅を図ったと認定されたが、一方でスレシンジャー社も調査会社を使って、ディズニー社のゴミの中から証拠を不正に入手していたことが明らかになったため、[[2004年]]5月、ロサンゼルス上級裁はスレシンジャー社の訴えを棄却し、最終的にディズニー社の勝利が確定した<ref>James, Meg (26 September 2007). "Disney wins lawsuit ruling on Pooh rights". The Los Angeles Times.</ref>。
|34話||3-2||本物のプーさんは誰<br>ピグレットの夢
||Sham Pooh<br>Rock-a-Bye Pooh Bear||


一方ディズニー社は、1998年の[[著作権延長法]]の制定後、ミルンの娘であるクレア・ミルンの名義により、アメリカ合衆国におけるスレシンジャー社の「くまのプーさん」に関する一切の権利を、将来にわたって破棄することを裁判所に訴えた。<!--これは原作者の親族に権利を戻した上で、ィズニー社がミルン家と独占契約し、「くまのプーさん」関連のビジネスを自由に展開しようとして行ったものである。-->しかし連邦地方裁判所はスレシンジャー社の権利を認め、さらに[[2006年]][[6月26日]]、米国最高裁判所が原告の訴えを棄却したため、ディズニー社側の敗訴が確定した<ref>{{cite web |title= ウォルト・ディズニー、「くまのプーさん」使用権で敗訴 - 米国 |url= http://www.afpbb.com/article/1345460 |date= 2007年02月17日 |publisher= AFPBB News|accessdate=2012-12-7}}</ref> 。またシェパードの孫もディズニー社の後押しを受けて、スレシンジャー社から著作権を取戻すべく[[1991年]]に提訴したが、連邦地裁は[[2007年]]2月に原告の訴えを退ける判決を下した<ref>{{cite web |title= 「プーさん」裁判、ディズニー敗訴…版権回復成らず |url= http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_02/g2007021903.html |date= 2007年2月19日 |publisher= ZAKZAK |accessdate=2012-12-7}}</ref>。また2012年にも、ワシントン連邦巡回区控訴裁判所にて行われた米国特許商標庁による裁判で、スレシンジャーの訴えに対しディズニー側を支持する判決が出されている<ref>{{cite web|url= http://www.bloomberg.com/news/2012-12-21/disney-wins-u-s-appeals-court-ruling-over-pooh-trademark.html |title= Disney Wins U.S. Appeals Court Ruling Over Pooh Trademark |author= Susan Decker |date=2012年12月22日 |publisher= Bloomberg.com |accessdate=2012-12-30}}</ref>。
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|35話||3-3||ボールで遊ぼう<br>ティガーの新しいおともだち
||What's the Score, Pooh?<br>Tigger's House Guest||


=== ディズニー版の映像作品一覧 ===
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{{portal ディズニー}}
|36話||3-4||ラビットのバケーション<br>もういいかい、もうイーヨー
==== 短編映画 ====
||Rabbit Takes a Holiday<br>Eeyi Eeyi Eeyore||
* プーさんとはちみつ(1966年)
* プーさんと大あらし(1968年)
* プーさんとティガー(1974年)
* Winnie the Pooh Discovers the Seasons(1981年)
* プーさんとイーヨーのいち日(1983年)


==== 長編映画 ====
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* [[くまのプーさん 完全保存版]](1977年)
|37話||3-5||空が雨もり!
* [[ティガー・ムービー プーさんの贈りもの]](2000年)
||Pooh Skies||
* [[くまのプーさん 完全保存版II ピグレット・ムービー]](2003年)
* [[くまのプーさん ザ・ムービー/はじめまして、ランピー!|くまのプーさん ザ・ムービー/はじめまして、ランピー!]](2005年)
* [[くまのプーさん (2011年の映画)|くまのプーさん]](2011年)


==== オリジナルビデオ ====
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|38話||3-6||プーさんとハチミツの大さわぎ<br>エイプル・フーさが
* [[くまのプーさんスト・ロビン!]](1997年)
* くまのプーさん 冬の贈りもの(1999年)
||April Pooh<br>To Bee or Not to Bee||
* くまのプーさん みんなのクリスマス(2002年)
* くまのプーさん ルーの楽しい春の日(2004年)
* くまのプーさん ランピーとブルブルおばけ(2005年)
* プーさんといっしょ スーパー探偵団のクリスマスムービー(2007年)
* プーさんといっしょ プーとティガーとミュージカル(2009年)
* Super Duper Super Sleuths(2010年)


==== テレビシリーズ ====
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* Welcome to Pooh Corner(1983-1986年) - 着ぐるみを使ったもの
|39話||3-7||騎士になったピグレット
* [[新くまのプーさん]](1988-1991年)
||A Knight to Remember||
* [[ザ・ブック・オブ・プー]](2001-2002年)- パペットアニメ
* [[プーさんといっしょ]](2007-2010年) - CGアニメ


==== キャラクターゲーム ====
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*[[キングダム ハーツ シリーズ]]
|40話||3-8||発明王、ティガー<br>虫さんはどこ?
*[[Kinect: ディズニーランド・アドベンチャーズ]]
||Tigger is the Mother of Invention<br>The Bug Stops Here||


== 文化的遺産 ==
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[[File:Gills Lap Plaque.JPG|thumb|ギルズ・ラップにあるミルンとシェパードの記念プレート。]]
|41話||3-9||ゴーファーのトンネル<br>プーさんを助け出せ
『クマのプーさん』の舞台となったハートフィールド村近郊の森は、現在観光地として多くの愛読者が訪れ、作品世界を追体験して回っている。ポッシングフォードの森にはプーたちが棒投げをして遊んだ橋のモデルとなった「プー棒投げ橋」があり、観光者が実際に「[[プー棒投げ]]」をして遊ぶ様子を見ることができる<ref>猪熊 (1993), 53頁。</ref>。ギャレオン・ラップのモデルとなったジルズ・ラップにはA.A.ミルンとシェパードの記念碑が、案内板もなくひっそりとつくられている<ref>スウェイト (2000), 221頁。</ref>。付近からは「ノース・ポール」と呼ばれる、マツの木が集まって生えている場所を眺めることもできる<ref>猪熊 (1993), 51頁。</ref>。「100エーカーの森」のモデルになった「500エーカーの森」は1987年のハリケーンによって多くの古木を失ってしまったが、シェパードの描いた情景を連想させる風景はなおも残されている<ref>猪熊 (1993), 56-57頁。</ref>。村の雑貨店「プーコーナー」(プー横丁)はプー・グッズで溢れており、夏の間は多数の観光客で賑わうが、秋になると地元の子供がときおり訪れるくらいになるという<ref>安達 (2002), 274頁。</ref>。
||Easy Come, Easy Gopher<br>Invasion of the Pooh Snatchers||


[[Image:2007-07-18 Warszawa, ul. Kubusia Puchatka.jpg|thumb|[[ワルシャワ]]中心街「クーブシュ・プハーテック通り」の街路表示板]]
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[[Image:Soviet_Union_stamp_1988_CPA_5916.jpg|thumb|ソ連版アニメ『ヴィンニ=プーフ』の切手(1988年)]]
|42話||3-10||誰でもない奴<br>小鳥のケシー
『クマのプーさん』の物語とキャラクターは、イギリスでは誰にもなじみのあるものとしてしばしば言及され、「イーヨーのようにぶつくさ話す」「ティガーのようにはねまわる」「ヘファランプのわな」のように比喩に使われることも多い。例えば詩人[[フィリップ・ラーキン]]はニュージーランド版『リスナー』誌で「イギリス詩のイーヨー」と呼ばれ、実業家[[ロバート・マックス]]は『スペクテイター』誌で「はねっかえりティガー」と呼ばれた。[[トム・ストッパード]]の戯曲『ハップグッド』(1988年)には、「あなたはティガーのようにはねまわった」という台詞が出てくる。また[[クライブ・ジェイムズ]]は、危機に瀕したイギリス人を描写した文章で「こわがるプーとピグレットのように、彼らは鼻歌を歌い続ける」といった表現を用いている。<ref>スウェイト (2000), 230-231頁。</ref>
||Tigger Got Your Tongue?<br>A Bird in the Hand||


[[ポーランド]]では「クーブシュ・プハーテック」({{lang-pl-short|Kubuś Puchatek}})あるいは単に「クーブシュ」と呼ばれて[[第二次世界大戦]]の前から親しまれている。クーブシュはヤークプ(Jakub 、聖書名の[[ヤコブ]]に相当)の愛称形、プハーテックはプーフ(Puch)の[[指小辞|指小形]]で「プーさん」と同様のニュアンスがある。首都[[ワルシャワ]]の中心街には「クーブシュ・プハーテック通り」([[:pl:Ulica Kubusia Puchatka|Ulica Kubusia Puchatka]])がある。
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|43話||4-1||早く寝なくちゃだめ!
||Sorry, Wrong Slusher||


ロシアでは1969年から1972年にかけて、ディズニー版とは別に、『ヴィンニ=プーフ』({{Lang-ru-short|Винни-Пух}})という総題で3作の短編アニメーションが作られている。ヴィンニ(Vinni)は英語綴りの Winnie を、プーフ(Pukh)は同じく Pooh を転写したもので、スラブ語には[[冠詞]]が無いため the は省かれている。プーさんの声優はSF映画『[[不思議惑星キン・ザ・ザ]]』の宇宙人役などで著名なソ連を代表するコメディ俳優の[[エフゲニー・レオーノフ]]が担当している。
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|44話||4-2||大人になるって大変!
||Grown, But Not Forgotten||


音楽では、[[ケニー・ロギンス]]が本作品に基づく「プー横丁にたった家」という歌を作っており、はじめにニッティ・グリッティ・ダート・バンドの1970年のアルバム『Uncle Charlie & His Dog Teddy』にこの歌が収録されたのち、[[ロギンス&メッシーナ]]の1971年のアルバム『Sittin' In』にも収録された。ロギンスはのちにこれをリライトして「プー横丁に帰る」という歌も作っており、1991年の同名のアルバムに収録された。ロギンスはその後、2000年のディズニー版映画『[[ティガー・ムービー プーさんの贈りもの|ティガー・ムービー]]』で主題歌「Your Heart Will Lead You Home」も歌っている。またイタリアのプログレッシブ・ロックバンド「[[イ・プー]]」のバンド名は本作品に由来する<ref>{{cite web |url= http://www.spinach-r.com/strange/1011~1018.html |title= I POOH プロフィール |publisher= ストレンジ・デイズ・レコード |accessdate= 2012-12-7}}</ref>。
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|45話||4-3||犬の世話は大変!?
||A Pooh Day Afternoon||


== 日本文学への影響 ==
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[[大江健三郎]]は、知的障害を持つ息子・[[大江光]]を自身の小説に登場させる際に、しばしば「イーヨー」をその名前として使っている。この名の初出は『[[われらの狂気を生き延びる道を教えよ]]』(1969年)である<ref>ウォララック (2007), 167頁。</ref>。現実の光は大江家では本作に由来する「プーちゃん」のあだ名で呼ばれていたが、大江は小説に用いるに当たって同作の別のキャラクターの名前に変えたのだという<ref>立花 (1994), 208頁。</ref>。1983年の『[[新しい人よ眼ざめよ]]』の最後では、彼が「イーヨー」の名を拒んで「光」と本名で呼ばれるようになった場面が描かれており(この部分は大江光が現実に「プーちゃん」のあだ名を拒むようになった経緯をもとにして書かれている<ref>立花 (1994), 208-209頁。</ref>)、以降の大江の作品では、例外的なものを除いて「光」「ヒカリ」などの名が主に用いられるようになった<ref>ウォララック (2007), 179頁。</ref>。
|46話||4-4||プーさんのカウボーイ
||The Good, the Bad, and the Tigger||


[[高橋源一郎]]は、「さよなら、クリストファー・ロビン」と題する短編小説を2010年に発表している(『新潮』1月号)。この作品では様々な物語の登場人物が自分が物語の登場人物に過ぎないことを自覚し始めた世界を描いており、「プーさん」の登場人物たちは「虚無」に対抗するために自分自身で自分たちの物語を書き続けるものの、最終的には全員が書くことを諦めてしまう。高橋は本作を表題作とする短編集『さよなら、クリストファー・ロビン』(2012年、新潮社)で第48回[[谷崎潤一郎賞]]を受賞している。
|-align="center"
|47話||4-5||やっぱりお家が一番
||Home Is Where the Home Is||


== 脚注 ==
|-align="center"
=== 注釈 ===
|48話||4-6||シャベルのルシール<br>天才になったプー
<references group="注釈"/>
||Shovel, Shovel, Toil and Trouble<br>The Wise Have It||


=== 参照 ===
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{{reflist|2}}
|49話||4-7||おこった雲<br>穴掘りゴーファーの夢
||Cloud, Cloud Go Away<br>To Dream the Impossible Scheme||


== 参考文献 ==
|-align="center"
*A.A.ミルン 『クマのプーさん』 石井桃子訳、岩波少年文庫、2000年
|50話||4-8||小さな詩人ピグレット<br>オウルの歌声
*A.A.ミルン 『プー横丁にたった家』 石井桃子訳、岩波少年文庫、2000年
||Piglet's Poohetry<br>Owl's Well That Ends Well||
*A.A.ミルン 『クマのプーさん全集―おはなしと詩』 石井桃子、小田島雄志、小田島若子訳、岩波書店、1997年

*A.A.ミルン 『今からでは遅すぎる』 石井桃子訳、岩波書店、2003年
|-align="center"
*クリストファー・ミルン 『クマのプーさんと魔法の森』 石井桃子訳、岩波書店、1977年
|51話||4-9||プーさんのメリークリスマス
*安達まみ 『くまのプーさん 英国文学の想像力』 光文社新書、2002年
||Winnie the Pooh and Christmas Too||
*猪熊葉子、中川祐二 『クマのプーさんと魔法の森へ』 求龍堂、1993年

*アン・スウェイト 『クマのプーさん スクラップ・ブック』 安達まみ訳、筑摩書房、2000年
|}
*ブライアン・シブリー 『クマのプーさんスケッチブック』 今江祥智、遠藤育枝訳、ブックローン出版、1995年

*ブライアン・シブリー 『クマのプーさんの世界』 早川敦子訳、岩波書店、2003年
== 脚注 ==
*クラウプロトック ウォララック<!--なんだか知らないが区切り子がないのでそのようにしておく--> 『大江健三郎論』 専修大学出版局、2007年
<div class="references-small"><references /></div>
*立花隆 「イーヨーと大江光の間」 『文学界』 1994年12月号

== 関連項目 ==
*[[くまのプーさんキャラクター一覧]]
*[[クマのウィニー]]
*[[Kinect: ディズニーランド・アドベンチャーズ]] - プー、ピグレット、ティガー、イーヨー等も登場するゲーム。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.disney.co.jp/character/pooh/ ディズニーストア公式サイト「キャラクターブック」]{{Smaller| - くまのプーさん紹介サイト}}
*[http://www.disney.co.jp/character/pooh/ ディズニーストア公式サイト「キャラクターブック」]{{Smaller| - くまのプーさん紹介サイト}}
*[http://www.mxtv.co.jp/newpooh/ 新くまのプーさん ]{{Smaller| - TOKYO MX内アニメ公式HP}}
*[http://www.visitbritain.jp/Attraction/Hartfield/Shop-or-Shopping-Centre/137227/Pooh-Corner.htm 英国政府観光庁]{{Smaller| - 世界中のファンが集まるショップ}}

{{めばえ連載中}}


<!--歴史的関連性が薄い
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[[Category:児童文学の登場人物]]


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2013年1月13日 (日) 15:59時点における版

『クマのプーさん』
Winnie-the-Pooh
著者 A.A.ミルン
訳者 石井桃子
イラスト E.H.シェパード
発行日 1926年
発行元 メシュエン社(英)
ダットン社(米)
ジャンル 児童文学
イギリス
言語 英語
形態 文学の登場人物、架空のぬいぐるみ
次作 『プー横丁にたった家』
ウィキポータル 文学
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クマのプーさん』(: Winnie-the-Pooh)は、1926年に発表されたA・A・ミルン児童小説である。擬人化されたクマのぬいぐるみである「プー」と、森の仲間たちとの日常を10のエピソードによって描いている。1928年には同様の構成をもつ続編『プー横丁にたった家』も発表された。『クマのプーさん』のシリーズはこの二つの物語集と、その前後に発表された二つの童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』『さあぼくたちは六歳』の計4冊からなっており[1][注釈 1]、挿絵はいずれもE.H.シェパードが手がけている。

A.A.ミルンはこの作品を自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていたテディ・ベアから着想している。本作品とそのキャラクターは発表当時からひろく人気を集めており、多数の言語に翻訳されいまなお世界中で読まれている。1960年代からはディズニーによって一連のアニメーション作品が作られ、作品の知名度に大きく貢献した。ディズニー版では「Winnie the Pooh」とハイフンが脱落した表記が使われており、日本では「くまのプーさん」の表記が作品・キャラクター双方で用いられている。

成立

「ウィニー・ザ・プー」の名前の元となった「ウィニー」と、元の飼い主のコルバーン中尉

『クマのプーさん』は1926年、作者A.A.ミルンが40代のときに刊行された。ミルンはすでに風刺雑誌『パンチ』の副編集長および同誌で活躍するユーモア作家としてのキャリアを経ており、1924年にはじめて子供向けの著作としてはじめて手がけた童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』(When We Were Very Young[2]が高い評価を受けていた[3]。この童謡集は当時3歳だった自分の息子クリストファー・ロビン・ミルン英語版のためにつくった童謡をあつめたもので、のちに「プー」となる彼のテディベアも「エドワード・ベア」の名称で「テディ・ベア」という詩のなかで顔を見せている(この詩の初出は『パンチ』1924年2月号)[4][注釈 2]。クリストファーがもう少し成長すると、ミルンは息子のために彼の持つぬいぐるみたちが活躍する物語を構想し、これが『クマのプーさん』のかたちをとった。

ミルン家のテディベアは、もともとベア、テディ、エドワード・ベア、ビッグ・ベアなどさまざまな呼ばれ方がされていたが[6]、これがさらに「ウィニー・ザ・プー」という名称を持つに至ったいきさつは本作品の序文に書かれている。まず「ウィニー」は、当時ロンドン動物園で公開され人気を集めていた雌のクロクマ(ただし序文では「ホッキョクグマ」と書かれている)「ウィニー」にちなんでいる。もともとは女性名であり、物語の冒頭では語り手がクリストファー・ロビンに“But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだが)と問いかけるシーンがある[注釈 3]。「プー」のほうは、もともとはミルン親子がたびたび訪れていたサセックス州ポーリングにいた白鳥につけられていた名前であった。この白鳥の「プー」も『ぼくたちがとても小さかったころ』の中の詩「かがみ」にその名前で登場している[7]

作中のキャラクターのもとになったぬいぐるみたち。後列左からカンガ、プー、イーヨー、前列左からティガー、ピグレット。カンガの子供「ルー」は、ミルン家が所持していたときに紛失してしまている[8]。また「プー」の挿絵のほうのモデルとなった「グロウラー・ベア」も現存しない[注釈 4]

のちに「プー」となるこのファーネル社製のテディ・ベアは、1921年、クリストファーが1歳のときに誕生日プレゼントとしてハロッズで購入されたものであった[10]。他のキャラクターのうち、ロバのイーヨーは同年のクリスマスプレゼントとして、子豚のピグレットは隣人からプレゼントされてクリストファーに与えられていた[11]。執筆が進むと、ミルンは物語に登場させるために新たにカンガルーの親子カンガとルー、トラの子供ティガーのぬいぐるみをハロッズで購入した。登場キャラクターのうち特定のモデルが存在しないのはフクロウのオウルとウサギのラビットだけである[12]。キャラクターのモデルとなったこれらのぬいぐるみは、ミルンによる「出生証明書」付きで、アメリカ合衆国で長年のあいだ巡回展示が行われたのち、1987年よりニューヨーク公共図書館にて展示保存されている[13][14]

物語の舞台は、サセックス州に実在する田園地帯アッシュダウンの森英語版をモデルにして描かれている。ミルンは1924年夏、息子が4歳のときに、この地の北のハートフィールド近郊に建てられていた古農家コッチフォード・ファーム[注釈 5]を買い取って別荘とした。そして改修が済んだ1925年以降、毎週末や復活祭、夏季休暇などのたびに妻子と乳母の4人でこの地を訪れており、クリストファーはいつもぬいぐるみたちを連れてきていた[17][18]。作品が有名になって以降、アッシュダウンの森は『プーさん』の愛読者が訪れて物語を追体験する観光地となっている(#文化的遺産参照)。

挿絵

『クマのプーさん』シリーズの挿絵は、ミルンの古巣である『パンチ』の画家E.H.シェパードが手がけている(ただし、シェパードが『パンチ』に描くようになったのはミルンが『パンチ』を抜けてからである)。最初にシェパードがミルンの挿絵を手がけたのは、『ぼくたちがとても小さかったころ』の出版に先立ち、そのうちの数編が『パンチ』に掲載されたときで、この際にシェパードが挿絵画家として抜擢されることになった。ミルン自身はもっと名のある画家に頼みたいと思っていたたため、当初はこの決定に不満を持っていたが、出来上がった挿絵を見て、自分の作品に挿絵を描いて成功する者はシェパードをおいて他にないと確信したという[19][注釈 6]。実際シェパードの挿絵は、『プーさん』の物語世界と非常に合ったものとして、現在では『不思議の国のアリス』のために描かれたジョン・テニエルの挿絵と並ぶ評価を受けている[21]

『クマのプーさん』出版の際には、シェパードはミルンの家に招かれ、キャラクターのモデルとなったぬいぐるみたちをさまざまな角度から丁寧にスケッチして挿絵の準備をしている。ただし「プー」だけは、ミルン家のテディベアのスケッチも取っていたものの[22]、結局描きなれていた自分の息子グレアム所有のよりずんぐりした体型のテディベア「グロウラー(うなりや)・ベア」のほうをモデルにして描くことになった[23]。「グロウラー」はおそらくシュタイフ社製で、『ぼくたちがまだとても小さかったころ』の挿絵のほか、それ以前のシェパードによる『パンチ』寄稿作品にも何度か登場している[24]。シェパードはまたミルンの別荘コッチフォード・ファームにも家族ぐるみで招かれ、この地を散策して物語の舞台のスケッチを取った。これらのシェパードのスケッチの大部分は、1969年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈されている[25]

後年、シェパードは『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の自身の挿絵に彩色をほどこしている。この彩色版は1973年に出版され、その後ひろく使用されるようになった。またシェパードは、もとの挿絵ほどの評価は受けていないものの、1950年代の終わりに絵柄を変えて描いた別の彩色版『プーさん』も手がけている[26]

物語

『クマのプーさん』

『クマのプーさん』(1926年)は前書きと10編のエピソードで構成されている。前書きでは前著『ぼくたちがとても小さかったころ』に触れられるとともに、前述した「ウィニー・ザ・プー」の名の由来や、前作には登場しなかったピグレットについて書かれている。本編の始まりと終わりをはじめ、物語のいくつかの部分で語り手が息子のクリストファー・ロビンに物語を聞かせている場面が挿入されており、これらの場面では「プー」たちは話したり動いたりしない、普通のぬいぐるみとして描かれている。

1.私たちがプーやミツバチと知り合いになり、それからお話がはじまります:ある日プーが森を歩いていると、カシの木の上でミツバチがうなっていることに気付き、ハチミツがありそうだと考える。プーは木の上に上るが、失敗してハリエニシダの中に落ち、そこでクリストファー・ロビンの家を訪れて風船を借りる。プーはミツバチをだますために泥で真っ黒になり、黒い雲であるようなふりをして、風船に運ばれて木の上までゆく。しかしよく見るとミツバチではなかったので、クリストファー・ロビンに鉄砲で風船を撃ってもらい、地面に戻ってくる。

2.プーがお客に行って、狭いところに詰まります:ある日プーが森を歩いていると、砂地の土手に穴を見つけ、ラビットがいるはずだと思って声をかける。「いないよ」という声がしたので、不思議に思って中に入り、問答のあとでハチミツとコンデンスミルクをつけたパンをごちそうになる。それからプーが穴から出ようとすると、食べ過ぎてお大きくなったために、途中でひっかかって出られなくなってしまう。やむなくやせるのを待つことになり、1週間の間クリストファー・ロビンは穴に詰まったプーに本を読んでやり、ラビットはプーの足をタオル掛けに使う。1週間後、クリストファー・ロビンとラビットの親戚たちが総出でプーを引っぱり出す。

3.プーとピグレットが狩りに行き、もう少しでウーズルを捕まえかけます:ある冬の日、子豚のピグレットが自分の家の前で雪かきをしていると、プーがぐるぐる回りながら歩いているプーが目に入る。ピグレットが声をかけると、プーは狩りをしているんだと答え、自分が追跡している足跡を示す。どうやら「ウーズル[注釈 7]」らしいという話になり、二匹で足跡を追っていくと、一組だった足跡はしだいに二組になり、三組になり、ついには四組になったので、ピグレットは急用を思い出して家に帰ってゆく。そのとき木の上からクリストファー・ロビンが声をかけて、プーたちが自分の足跡を追って木の周りをぐるぐる回っていたんだと教えられる。プーはクリストファー・ロビンに慰められてから、お昼を食べに家に帰る。

4.イーヨーがしっぽを失くし、プーがしっぽを見つけます:ロバのイーヨーが森のすみで考えごとをしていると、そこにプーがやってきてご機嫌をうかがう。あまりよくないようなのでプーが様子を見てみると、イーヨーのしっぽがなくなっていることに気づく。プーはしっぽを見つけてあげることを受けあい、森のあちこちを歩いたあとで、百エーカーの森に住むフクロウのオウルの家に相談にくる。オウルは懸賞をつけて張り紙を書くという提案をし、その張り紙はクリストファー・ロビンに頼むのがよいと話したあとで、彼が書いてくれた張り紙の字をプーに見せるために家の外に出る。そこでプーは玄関の鈴ひもがよく見慣れたかたちをしていることに気づき、それがイーヨーのしっぽであることを発見する。プーはしっぽを返してもらい、イーヨーはクリストファー・ロビンにしっぽをつけてもらう。

5.ピグレットがヘファランプに出会います:ある日クリストファー・ロビン、プー、ピグレットがそろって話をしていると、クリストファー・ロビンが「ヘファランプ[注釈 8]」を見てきたと話す。興味を引かれたプーとピグレットは、帰り道、ふたりで罠をつくって「ヘファランプ」を捕まえることに決め、それには大きな穴を掘ってその底にハチミツを置くのがよいということになる。ピグレットが穴を掘り、その間にプーは家にもどってハチミツの壷を取ってくるが、持ってくる前にほとんど自分で食べてしまう。壷をしかけたのち、翌日見にこようということで二人は別れる。その夜、プーは我慢ができなくなり、穴に置いた壷まで来て底に残ったハチミツを舐め取ろうとし、頭が壷にはまってしまう。翌朝、穴の様子を見にきたピグレットは、壷に頭がはまったプーを「ヘファランプ」と勘違いして大慌てでクリストファー・ロビンを呼びにゆく。呼ばれてきたクリストファー・ロビンはプーの姿を見て大笑いする。壷が割れてプーの頭が出てくると、ピグレットは恥ずかしくなって家に寝込みに行き、プーとクリストファー・ロビンはいっしょに朝ごはんを食べる。

6.イーヨーが誕生日で、二つのプレゼントをもらいます:プーは川岸で、自分のすがたを川に映してしょんぼりしているイーヨーに会う。話をしてみると、今日はイーヨーの誕生日で、それなのに誰からも祝われていないらしい。プーはなにかプレゼントをあげようと考え、いそいで家にもどると、ちょうどピグレットが来ている。プーはピグレットに事情を話し、プレゼントにするためにハチミツのはいった壷を取ってくる。しかし途中で目的を忘れてハチミツを全部自分で食べてしまう。そこで代わりにその壷をプレゼントとすることに決め、オウルに誕生日祝いの字を書いてもらいに行く。いっぽうピグレットは風船をプレゼントすることに決めるが、急いでいたために途中で転んで風船を割ってしまい、しかたなく割れた風船をそのままプレゼントする。そこにプーがやってきて壷をプレゼントすると、割れた風船がちょうど壷の中に入るので、イーヨーは夢中になって壷から風船を出し入れする。(その後、語り手はクリストファー・ロビンが誕生日パーティを開いてあげたことを彼に語る)

7.カンガとルー坊が森にやってきて、ピグレットは風呂に入ります:カンガルーの親子カンガとルーが、いつの間にか森に住むようになる。ラビットはそのことが気に入らず、プーとピグレットに小さなルーを捕まえる計画を持ちかける。計画にしたがって、プーがカンガと話している間、ピグレットはルーの代わりにカンガの袋に入り、ラビットはルーを連れ去る。家にもどったカンガは入れ替わりに気がつくが、わざと気がつかないふりをしてピグレットをからかい、彼を水風呂に入れる。そこにクリストファー・ロビンが訪れるが、様子の変わったピグレットのことがわからず、ピグレットはその隙にカンガの家から逃げだす。いっぽうカンガが飛び去るさまを見たプーはそれがうらやましくなってジャンプの練習をはじめ、ラビットはルーをあやしている間にルーがかわいくてしかたなくなる。そうしてカンガとルーは森に住みつき、みんなは元通り暮らすことになる。

8.クリストファー・ロビンが北極のタンケン[注釈 9]に乗りだします:ある日プーがクリストファー・ロビンをたずねると、彼は長靴をはいていて、これから北極(ノースポール)へ探検に行くと言いだす。そこで森の仲間たちはみんな食べ物のしたくをして集まり、クリストファー・ロビンについていって歩いて川をさかのぼってゆく。腰かけるのによさそうな草地でみんなで昼食を取ると、川で顔を洗っていたルーが水たまりに落ちて流されてしまう。プーは持っていた長い棒を川へわたして、カンガといっしょにルーを引き上げる。クリストファー・ロビンはその棒(ポール)を見て、それが北極(ノースポール)だと言い、プーは北極を発見したんだと告げる。そこでみんなで棒を地面に立てて、プーが発見したというメッセージをつける。

9.ピグレットがまったく水にかこまれます:大雨が降りつづき、あたりは川から溢れた水に占領される。ピグレットは家の窓すれすれまで水が来て不安になり、瓶のなかに助けを求めるメッセージを入れて水に投げこむ。いっぽうハチミツの瓶を持ち出して枝に避難していたプーは、流れてきた瓶を手に入れ、そのメッセージが(字が読めないので)自分あての手紙だと思い込む。そこでプーは大きな壷を水にうかべてその上に乗り、字が読めるクリストファー・ロビンのところへ行く。クリストファー・ロビンは手紙からピグレットが危機にあることを知るが、彼のところまで行く手段がなかった。しかしプーのとっさの思いつきで、クリストファー・ロビンのこうもりがさをひっくり返してボートにし、それに乗ってふたりはピグレットのもとへたどり着く。

10.クリストファー・ロビンがプーのためにパーティを開き、それから私たちはさよならを言います:大雨があがると、クリストファー・ロビンはピグレットを助けるために活躍したプーのためにお茶会を開くことにし、オウルを呼んで森の仲間たちを集めてもらう。一同の前でクリストファー・ロビンはプーを称え、鉛筆のセットをプレゼントする。みんなはプレゼントに賛嘆し、それからプーはピグレットといっしょに夕日の中を家に帰ってゆく。

『プー横丁にたった家』

『プー横丁にたった家』(1928年)は、『クマのプーさん』と同じく前書きにあたる文章と10編のエピソードから構成されている。前書きにあたる部分は「コントラディクション[注釈 10]」と題されており、本文では今作で物語が終わりになることが示唆されている。今作では『クマのプーさん』とは異なり、語り手とクリストファー・ロビンが語り合う場面は描かれていない。

1.イーヨーのためにプー横丁に家が建てられます:ある雪の日、プーはピグレットをたずねにいく間に、イーヨーに聞かせるのによさそうな歌を考え付いたので、ピグレットといっしょにイーヨーを訪れることにする。寒いので松林の入り口で休憩していると、プーはイーヨーには家がなくてかわいそうだということを言い出し、この松林の脇をプー横丁と名づけて、ここにイーヨーのための家を建てようと提案する。近くにちょうど棒がたくさんあったので、プーとピグレットはいっしょにイーヨーのための家を建てる。いっぽう、イーヨーは自分の建てた家がいつの間にかなくなってしまったとクリストファー・ロビンに訴えにくる。プーたちがただ棒切れがいっぱい置いてあると思ったものが、実はイーヨーの家だったのである。プーたちは失敗に気がつくが、新しい家の場所を教えると、イーヨーは家が風でそこまで飛ばされたのだと思い込み、また場所柄もそちらのほうがよかったので満足し、まるく収まる。

2.ティガーが森にやってきて朝ごはんを食べます:夜中にプーが物音に気づいて目を覚ますと、家の前に見慣れない虎の子供(ティガー)がいる。プーはティガーを招きいれて床に寝かせ、翌朝朝食としてハチミツをごちそうする。しかし口に合わないというので、プーはピグレットやイーヨーのところへ案内して、ピグレットの好物であるドングリを食べさせたり、イーヨーの好物であるアザミを食べさせたりするが、いずれもティガーの気に入らない。そこでクリストファー・ロビンに相談しに行こうとプーが言うと、彼はカンガの家に行ったとイーヨーに教えられ、クリストファー・ロビンとともにカンガの家を訪ねることになる。カンガの家の戸棚にもティガーの好むものはなかったが、ちょうどカンガがルーに薬として麦芽エキスを飲ませようとすると、ティガーがそれを横から食べてしまい、麦芽エキスが好きだということがわかる。そうしてティガーはルーといっしょにカンガに面倒を見られることになる。

3.捜索隊がソシキ[注釈 11]され、ピグレットはふたたびヘファランプと出会いそうになります:ある日、プーが家でハチミツの壷の数を数えていると、ウサギがやってきて、親戚のひとりが行方不明なので捜索をしていると話す。そこでプーも捜索隊に加わり、その親戚がどんな動物なのかもわからないまま森を歩いていると、大きな穴に落ちてしまい、先に落ちていたピグレットがその下敷きになる。彼らは以前、「ヘファランプ」を捕まえるために掘った穴に自分たちで落ちてしまったのだった。ふたりは「ヘファランプ」が来たらどうしようと考えはじめ、プーは受け答えのしかたをあれこれ考える。そこへクリストファー・ロビンがやってきたので、ピグレットは「ヘファランプ」と勘違いして混乱した受け答えをする。すぐにクリストファー・ロビンとわかってピグレットは恥ずかしくなるが、かわりにプーの背中にとまっていたウサギの親戚(カブトムシ)を見つけて面目を保つ。

4.ティガーは木に登らないということがわかります:ある日、カンガは家のなかの整理をしたくなり、ルーとティガーにサンドイッチを持たせて外に遊びにやる。ふたりは木登りをすることになり、ティガーはルーを乗せて得意げにマツの木の枝に登るが、降りられなくなってしまう。そこにプーとピグレットが通りかかるが、プーはふたりのサンドイッチを食べてしまうばかりで、ふたりを助けるいい案を思いつけない。そこに今度はクリストファー・ロビンとイーヨーがやってきて、クリストファー・ロビンは自分の上着を脱いでみんなでひろげ、落ちてきたふたりをそれで受け止めることを思いつく。そうしてふたりは無事木から降りることができるが、イーヨーはティガーの下敷きになってしまう。

5.ラビットがいそがしく立ち回り、クリストファー・ロビンが午前中なにをしているかがわかります:ある日、ラビットがクリストファー・ロビンの家をたずねると、彼は留守で、かわりに家の前の張り紙を見つける。張り紙には「GON OUT BACKSON」と書かれており、ラビットは困惑してオウルに相談に行く。オウルはクリストファーロビンは「バックサン」といっしょに出かけたのだと説明し、ラビットはプーに「バックサン」を見なかったかたずねに行く[注釈 12]。一方、ピグレットはイーヨーのためにスミレの花束を作って持って行くと、イーヨーは地面の枝切れを眺めている。それは「A」のかたちに組み合わされており、イーヨーはクリストファー・ロビンから教わったのだと誇らしげに語る。しかしそこにラビットがたずねに来て、聞くまでもなくそれが「A」だとわかってしまったので、イーヨーは不機嫌になる。翌朝、クリストファー・ロビンの家の前に「GONE OUT BACK SOON」(外出中 すぐに帰る)という張り紙が張られ、彼が午前中勉強しに出かけているのだということがわかる。

6.プーが新しい遊びを発明し、イーヨーが参加します:ある日、プーが外を歩きながらマツボックリの詩をつくろうとしていると、うっかりつまづいて、持っていたマツボックリを橋の下の川へ落としてしまう。すると落としたマツボックリが橋のしたを通ってゆっくりと出てきたので、プーはこれを遊びにすることを思いつく。棒をいっせいに落として、どの棒が最初に橋をくぐって出てくるかで勝敗が決まるこの遊びは「プー棒投げ」と呼ばれ、プーはピグレットやラビット、ルーなどを呼んでいっしょにこの遊びをする。そこにイーヨーが上流から流れてくる。なんとか岸にあがったイーヨーは、ティガーに跳ね飛ばされたのだと言う。そこにティガーがやってきて口論になりかけると、ちょうどクリストファー・ロビンが通りかかったので、みんなはどうすればいいか意見をあおぐ。クリストファー・ロビンは「みんなでプー棒投げをすればいい」と答えたので、みんなはそれに従い、イーヨーとティガーは仲直りする。

7.ティガーがはねっかえりを正されます:ある日、ラビットはプーとピグレットに向かって、ティガーの「はねっかえり」な態度が目に余るので、彼の態度を正す必要があると話し、そのための計画を説明する。翌日の寒く霧のかかった日、彼らは計画にしたがって、プーが以前北極を発見した場所にティガーを連れていき、そこにティガーを置き去りにする。しかし帰り道で、逆に自分たちが道に迷って帰れなくなってしまう。森をあちこちさまよううちにラビットともはぐれたプーとピグレットは、プーがハチミツの壷からの呼び声を感じ取ったことによって無事帰還する。いっぽうまったく道に迷うことなくカンガの家に帰ってきたティガーは、森にもどってウサギを探しだしてやり、救出されたウサギに感謝感激される。

8.ピグレットがまことに偉大な行いをします:ある風の強い日、プーとピグレットはふと思いついて、カンガ、ラビット、クリストファー・ロビン、イーヨーの家を次々とたずねて回り、最後にオウルの家を訪れる。そうしてお茶をごちそうになろうと待っていると、風でオウルの家が吹き倒されてひっくり返り、天井になった玄関のドアの上になにかかが乗ってしまって、外に出られなくなってしまう。脱出方法を考える中、プーの思いつきで、オウルが玄関の郵便受けにひもを通し、そのひもでピグレットをひっぱりあげて郵便受けから出すことになる。あとでこのことを詩にしてあげるとプーに励まされて、ピグレットはこの行いをやってのけ、外へ助けを呼びに向かう。

9.イーヨーがオウルのための家を見つけ、オウルがそれに引越します:ラビットは、家を失くしたオウルのために新しい家を探さなければならない、という手紙をあちこちに出し、字が読めないもののためにその手紙を読んでまわる。プーは倒壊したオウルの家の前に行き、そこで約束したピグレットのために詩をつくって、彼に聞かせ、ピグレットは感激する。その間にクリストファー・ロビンたちは以前のオウルの家に集まり、そこから家具をひっぱりあげたりする。そこにイーヨーがやってきて、オウルのための新しい家をみつけたと告げる。そうしてイーヨーはそこまでみんなを案内するが、それはピグレットが住んでいる家であった。しかしピグレットは、オウルにとってとてもいい家だ、と言ってしまい、それからその家のかわりに、プーの家にプーといっしょに住むことになる。

10.クリストファー・ロビンとプーが魔法の場所に行き、私たちはそこでお別れします:森の仲間たちは、クリストファー・ロビンとの別れが近づいていることをそれとなく感じ取る。そこで彼らはプー横丁で会議をひらき、クリストファー・ロビンのための「ケツギ[注釈 13]」としてイーヨーに詩を書かせる。そしてみんなでそこに署名すると、クリストファー・ロビンのもとへ持っていき、彼がそれを呼んでいるあいだに次々と去ってしまう。クリストファー・ロビンはひとり残ったプーを、魔法の場所であるギャレオン・ラップ(ギャレオンくぼ地)に連れていき、そこで世の中のいろいろなことについて話す。プーは騎士の話に興味をひかれ、クリストファー・ロビンに頼んで騎士に叙してもらう。クリストファー・ロビンはプーに、「なにもしない」をすることがもうできなくなってしまった、と告げる。そうしてこの場所で再会することを約束しあったあと、いっしょにどこかに出かけてゆく。

キャラクター

石井桃子訳で原著と名称が違うものは括弧内にカナ表記で併記している。ディズニー版の設定などに関してはディズニー版くまのプーさんのキャラクター一覧を参照。

プー(Winnie-the-Pooh)
のんびりやのテディベア。表札に「サンダース」(Mr.Sanders)と書かれた家に住んでいる。好物はハチミツで、家にハチミツを入れた壷を溜め込んでおり、11時の「ちょっとひとくち」の時間を楽しみにしている。頭はよくないし字の読み書きもあまりできないが、詩をつくるのが好きで自作の詩をよく口ずさむ。
クリストファー・ロビン(Christopher Robin)
森のはずれの高台に住んでいる少年。字の読み書きができ、いつも名案を思いつくので森の仲間たちからたよりにされている。彼自身も特にプーのことを気にかけてよく面倒をみている。
ピグレット(コブタ、Piglet)
プーの親友で、体が小さくて気の弱い子豚。好物はドングリ。森のまんなかにあるブナの木の、そのまんなかにある家に住んでいる。ちかくにTRESSPASSERS WILL BE PROSECUTED(通り抜け禁止)の文字が脱落した立て札(TRESSPASSERS W)があり、ピグレット自身はこれが「Tresspassers William」という、自分の祖父の名前なのだと思い込んでいる[注釈 14]
イーヨー(Eeyore)
暗くてひねくれもののロバ。周りのものに処世訓をたれるのを好む。森のすみの湿っぽい場所にいたが、プーとピグレットによって新たに家が建て直されてからは「プー横丁」と名づけられた場所に住むようになる。アザミが好物。
ラビット(ウサギ、Rabbit)
砂地の土手の穴に住んでいる利口者のウサギ。計画をたてたり指図したりすることを好む。様々な種類の動物からなるたくさんの親戚がいる。
オウル(フクロ、Owl)
百エーカーの森に住んでいるフクロウ。難しい言葉を好んで話す。難しい字の読み書きが(ある程度)できるので森の仲間たちから尊敬されている。
カンガ(Kanga)とルー(Roo)
いつの間にか森に住みつくようになったカンガルーの母子。子供のルーはまだ幼く、やんちゃな性格。母親のカンガはのちにティガーの面倒もいっしょに見るようになる。
ティガー(トラー、Tigger)
ある日突然森にやってきた虎の子供。きかん気(はねっかえり)が強く森の仲間の一部から少し厄介がられている。体は大きいが実際はルーと同じくらい幼く、ルーといっしょにカンガに面倒を見られることになる。麦芽エキスが好物。

出版

『クマのプーさん』の物語はまず1925年12月24日、『イヴニング・ニュース』紙のクリスマス特集号に短編作品として掲載された。これは『クマのプーさん』の第一章にあたる作品で、このときだけは挿絵をJ. H. ダウドがつけている[29]。その後作品10話と挿絵が整い、刊行に先駆けて「イーヨーの誕生日」のエピソードが1926年8月に『ロイヤルマガジン』に、同年10月9日に『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』紙に掲載されたあと、同年10月14日にロンドンで(メシュエン社)、21日にニューヨークで(ダットン社)『クマのプーさん』が刊行された[30]。前著『ぼくたちがとても小さかったころ』がすでに大きな成功を収めていたこともあり、イギリスでは初版は前著の7倍に当たる3万5000部が刷られた。他方のアメリカでもその年の終わりまでに15万部を売り上げている[31]。ただし依然として人気のあった前著を売り上げで追い越すには数年の時間を要した[32]

『プーさん』の人気を受けて、ミルンは1927年に刊行されたシリーズ3作目にあたる童謡集『さあぼくたちは六歳』 (Now We Are Six)[33] でも、歴史的人物などとともに『プーさん』のキャラクターをあちこちに登場させた[34]。1928年に『プー横丁にたった家』 (The house at Pooh Corner) が刊行されると、『プーさん』の続編としてロンドン、ニューヨークで爆発的な人気を博した[35]。人気キャラクターであるティガーや「プー棒投げ」のエピソードが登場する『プー横丁』は、今日ではシリーズ4作のうちでもっとも人気のある作品となっている[36]。もっとも、すべての人間に好意をもって迎えられたわけではない。すでに『さあ僕たちは六歳』を「気取っていて、平凡で、下手」と酷評していた[37]アメリカの詩人ドロシー・パーカーは、『プー横丁』の出版に際しても、他の批評家が賛辞を送るなか、「鼻歌っぽく」という最初のエピソードに登場する言い回しをあげつらい嫌悪をあらわにした[38]。ミルンは自分が子供向けの作家というレッテルを貼られていることに気づき、『プー横丁』の刊行後まもなく児童向け作品から離れると宣言することになる[39]

『クマのプーさん』のシリーズは、刊行当時から種々の限定版を含めさまざまな種類の版が現在と同じように作られた[40]前述のように、後年にはシェパード自身の手による2種類の彩色版も作られている。これらのほかに、バースデイブックやエチケット・ブック、『プーさん』を題材にした文芸批評のパロディ『プー・パープレックス』(フレデリック・クルーズ、1963年)、プーさんのキャラクターを用いて道教思想を説く『タオのプーさん』(ベンジャミン・ホフ、1982年)など、「プーさん」のキャラクターを使用したパロディや関連書籍が現在にいたるまで数多く作られている[41]

『クマのプーさん』シリーズはまた30を超える言語に翻訳されている[42]。日本では石井桃子による訳が1940年に岩波書店により出版され、以後これが定訳となっている。1958年にはアレクサンダー・レナードによる「ラテン語訳」『ウィニー・イッレ・プー』も出版されている。これはもともとレナードが娘たちのためのラテン語教材として書きはじめたものであったが、自費出版で知人に配ったとこ反響が大きかったため出版を決め、はじめにスウェーデンで、1960年にニューヨークで出版され、外国語で書かれた本としてははじめてニューヨークでベストセラーとなった。1980年には同じ訳者による『プー横丁にたった家』のラテン語訳『ドムス・アングリ・プエンシス』も出版されている[43]

2009年10月、『くまのプーさん』の正式な続編として『プーさんの森にかえる』がエグモントブックス社(イギリス)およびダットン社 (アメリカ合衆国)から刊行された。作者はデイヴィッド・ベネディクタス、挿絵はマーク・バージェスで、ディズニーから続編に関する権利を取り戻したミルンの知的所有権管理者からの許諾を受けており、物語、挿絵ともにそれぞれミルンとシェパードのスタイルを踏襲したものとなっている[44]。日本では2010年にこだまともこ訳で小学館より刊行された[45]

歌と朗読、舞台

物語のなかにしばしば登場するプーの詩(鼻歌)は、フレーザー・シムソンによって曲が付けられ、1929年に『プーの鼻歌』として、ミルンの序文つきで出版された。シムソンはチェルシーでのミルン家の隣人であり、『ぼくたちがとても小さかったころ』『ぼくたちは六歳』の詩にもそれぞれ曲をつけている。これらの詩や鼻歌は、高名なバリトン歌手であったディル・スミスをはじめ、ヴェラ・リンロバート・ティアーなど様々なプロの歌手がレコードやテープに吹き込んだ[46]

プーの物語ははじめから朗読されることを意識して書かれており、『クマのプーさん』の出版前にドナルド・カスロップがラジオで朗読したのをはじめとして、物語の朗読レコードやテープも数多く作られた。A.A.ミルン自身の朗読レコードも作られたが、クリストファー・ミルンは父の朗読を「一本調子」と評した。BBCのラジオ放送ではノーマン・シェリーがプーの役を演じたが、A.A.ミルンは彼の演技を高く評価し、ミルンの葬儀では彼によるミルンの詩の朗読・歌唱が行われた[47]

プーの物語は舞台化も行われ、まだ幼いクリストファー・ミルンもチャリティーのマチネー興行に自分役で何度も登場した[48]。しかしマスコミの取材がクリストファーやミルン家に殺到するようになったことは、後述するようにミルンが児童文学から身を引くことを決める一因となった。

ミルン親子と『プーさん』

『クマのプーさん』の続編『プー横丁にたった家』を発表して間もなく、ミルンは「章のおわり」というエッセイの中で児童文学との訣別を宣言した。作品の大きな好評を得ていたにも関わらずミルンがこの分野から離れる決意をしたのは、一つには新たな分野に挑戦し続けたいという冒険心であり[49]、一つには息子クリストファーのプライバシーがマスコミによって侵害されはじめたことに危惧を抱いたためであった[50]。ミルンの手を離れて以降も、「プー」シリーズは版を重ね続け、またそのキャラクター商品が多数作られるなどして、その人気はひとり歩きしていく。しかしこうして作品が脚光を浴び続ける一方で、「プーさん」は作者のミルンと息子クリストファーの以後の人生に暗い影を落とすことにもなった。

ミルンは児童文学との決別を宣言して以降、大人向けの戯曲や様々なジャンルの小説を手がけていくが、もともとは子供のためにほんの手すさびで書いた「プー」シリーズに匹敵するような成功を収めることは二度となく、その後半生は失意の連続であった[51]。1939年に発表した自伝の中では、ミルンは次のように自嘲している。

見識ある批評家が指摘するように、私の最新の戯曲の主人公は、ああ神さま、『クリストファー・ロビンがおとなになっただけ』なのだ。つまり、子どものことを書くのをやめても、今度はわたしがかつて子どもだった人びとのことを書きつづけるのだという。わたしにとって子どもとはたいした妄想になったものだ ![52]

—A.A.ミルン(『今からでは遅すぎる』より)

1955年にミルンが死去すると、太平洋の両岸でいくつもの長い追悼文が発表されたが、「プーさん」以外の業績を中心にして彼を讃えたのは古巣の『パンチ』一誌のみであった[53]

さらに「プーさん」は、息子クリストファー・ミルンのその後の人生にも重荷となってのしかかった。少年時代のクリストファーは、「おやすみとお祈り」をクリストファーに歌わせて製作されたレコードがもとで級友にからかわれたりといったことはあったものの、依然として父への尊敬を失うことなく過ごしていた[54]。しかしその後、兵役を経て、父と同じケンブリッジを卒業したクリストファーは、父と同じようにユーモア作家を目指して雑誌に持ち込んだりといったことをはじめたもののほとんど断られ、それから就いた家具買い付けの見習いもすぐに解雇されてしまうなど、実社会において苦労と挫折を重ねていくことになる。そうした経験を積むうちに、クリストファーはしだいに父に対する嫉妬や怒りを感じるようになっていった。

父は自分の努力で自分の道をきりひらいたが、それはその背後にだれかが従うことができる道ではなかった。だが、ほんとうに父ひとりの努力だったのだろうか? わたしもそのどこかに貢献したのではなかったか? 自分が持ちあわせている才能を使いたいと思ってくれる雇用主を求めてロンドン中をとぼとぼと歩きまわり、すっかり悲観的になっていたころ、わたしはこう思っていた。父は幼いわたしの肩にのぼり、父がいまある地位にまでのぼりつめたのだと。父がわたしの名誉を盗み、わたしには、父の息子であるという空っぽの名声だけをのこしてくれたのだと。[55]

—クリストファー・ミルン(『クマのプーさんと魔法の森』より)

1948年、クリストファーは両親の反対を押し切って、ミルン夫妻と絶縁状態にあった親戚の娘と結婚する。そしてコッチド・ファームから200マイル離れたデヴォン州ダーツマスで書店の経営をはじめることによって自立を勝ち取ったが、そのためにミルンとクリストファーとはミルンの死まで絶縁状態が続いた[56][57]。クリストファーが父との精神的な和解を果たしたのは、1974年に出版された『魔法にかけられた場所』にはじまる一連の自伝執筆を通してであった[58]。後年のクリストファーは、父の記念碑の除幕式など、「プー」関連のさまざまな企画に参加している。彼はデヴォンで妻子と暮らしながら執筆活動を続け、1996年に75歳でその生涯の幕を閉じた[59]

商品化権とディズニー

『クマのプーさん』のキャラクターは、すでに1920年代から人形やぬいぐるみ、文房具、カレンダー、バースデイブックといった様々な商品に用いられ一産業として発展していった[60][61]1930年1月にはキャラクターライセンス事業の先駆者であるステファン・スレシンジャーが、アメリカ合衆国とカナダにおける『プーさん』のグッズ制作や翻案、広告等に関するものを含む商品化権を、1000ドルの前払い金と売り上げの66パーセントを支払う契約で購入した。1931年11月までには「プー産業」は年間5000万ドルを売り上げる一大事業となっている[62]。スレジンジャーの会社はその後30年にわたって「プー」のグッズ販売を行っていた[63]

1961年、スレジンジャーの死後に商品化権を保持していた彼の妻シャーレイ・スレシンジャーは、売り上げの半分を使用料として支払う契約でディズニー社に『プーさん』の映像化や商品化などの権利使用を認め、同年にミルンの妻ダフネ・ミルンも権利使用をディズニーに認めた[64] 。1966年には、ウーリー・レイサーマンによる「プーさん」の初のアニメーション映画「プーさんとハチミツの木」が制作・公開された。ただしこれは20分の短編映画で、ディズニーはもともとは長編アニメにするつもりであったが、原作の「イギリスらしさ」が物議をかもした結果として短編に変更されたという[65]

しかしこのアニメーション作品は、キャラクターたちはたいていアメリカ中西部のアクセントで喋り、プーの親友である子豚のピグレットが描かれず、その代わりに生粋のアメリカ的キャラクターとしてゴーファー(ジリス)という原作にないキャラクターが投入され、クリストファー・ロビンは髪を短くしていかにもアメリカ的な少年として描かれ、原作にあったミルンの詩は排除されてシャーマン兄弟の楽曲に差し替えられるなど、そのアメリカ的な解釈がイギリスで批判の的となった。イギリスの映画評論家フィリックス・パーカーは、この映画に対してクリストファー・ロビンの声を標準的なイギリス南部の発音にして吹き込み直すことを求めるキャンペーンを『イヴニング・ニューズ』紙で展開し、『デイリー・メイル』紙でもその運動に対する支持が表明された。さらにクリストファー・ミルンからも賛同の手紙が寄せられ、結果としてディズニーにクリストファー・ロビンの声を吹き替えさせることに成功した[66]

その後、ディズニーはピグレットを登場させた「プーさんと風の強い日」(1968年)をはじめ、短編・長編映画やテレビシリーズなど数多くの映像作品を製作している。当初は概ね原作に沿った内容で作られていたが、のちにはオリジナルストーリーも作られ、ゴーファーのほかにも小鳥のケシー、「ゾゾ」のランピーといったオリジナルキャラクターが加えられた。ディズニー版の「くまのプーさん」はアメリカでは強く支持され、「プーさん」はミッキー・マウスと並ぶ人気を持つディズニーキャラクターとなっている[67]。のちにシェパードの挿絵の価値に気づいてからは、ディズニーはシェパードの絵の商品化権も買収し、「クラシック・プー」と言われるキャラクターグッズの販売も行っている[68]。1998年には「くまのプーさん」のキャラクター関連グッズの売り上げがミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターの首位となった。日本でも人気が高く、キャラクター・データバンクが行った2002年のキャラクターグッズ購入調査では、ハローキティ、ミッキーマウスなどを抑えて首位となっている[69]。2006年、「くまのプーさん」はハリウッドで殿堂(ウォーク・オブ・フェイム)入りを果たし、ハリウッド大通りその名が刻まれた[70]

訴訟

1991年、ステファン・スレシンジャー社は、ディズニー社が同社と1983年に結んだ契約に違反し、「くまのプーさん」関連のキャラクター商品の売上を偽って報告したこと、また商品収入にかかる一部の権利料を払っていなかったとして、ディズニー社に対して訴訟を起こした。この契約によれば、「くまのプーさん」のキャラクター商品に関する売上のうち、98%がディズニー社の収入、残り2%がスレシンジャー社の収入となっていた。ディズニー社は2億ドル以上の商品化権に対する権利料を払うべきなのに、金額を実際より低く見せかけて6600万ドルしか払っていないというのが同社の主張であった[71]。この訴訟において、ディズニー社は莫大な書類を破棄し、証拠隠滅を図ったと認定されたが、一方でスレシンジャー社も調査会社を使って、ディズニー社のゴミの中から証拠を不正に入手していたことが明らかになったため、2004年5月、ロサンゼルス上級裁はスレシンジャー社の訴えを棄却し、最終的にディズニー社の勝利が確定した[72]

一方ディズニー社は、1998年の著作権延長法の制定後、ミルンの娘であるクレア・ミルンの名義により、アメリカ合衆国におけるスレシンジャー社の「くまのプーさん」に関する一切の権利を、将来にわたって破棄することを裁判所に訴えた。しかし連邦地方裁判所はスレシンジャー社の権利を認め、さらに2006年6月26日、米国最高裁判所が原告の訴えを棄却したため、ディズニー社側の敗訴が確定した[73] 。またシェパードの孫もディズニー社の後押しを受けて、スレシンジャー社から著作権を取戻すべく1991年に提訴したが、連邦地裁は2007年2月に原告の訴えを退ける判決を下した[74]。また2012年にも、ワシントン連邦巡回区控訴裁判所にて行われた米国特許商標庁による裁判で、スレシンジャーの訴えに対しディズニー側を支持する判決が出されている[75]

ディズニー版の映像作品一覧

短編映画

  • プーさんとはちみつ(1966年)
  • プーさんと大あらし(1968年)
  • プーさんとティガー(1974年)
  • Winnie the Pooh Discovers the Seasons(1981年)
  • プーさんとイーヨーのいち日(1983年)

長編映画

オリジナルビデオ

  • くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!(1997年)
  • くまのプーさん 冬の贈りもの(1999年)
  • くまのプーさん みんなのクリスマス(2002年)
  • くまのプーさん ルーの楽しい春の日(2004年)
  • くまのプーさん ランピーとブルブルおばけ(2005年)
  • プーさんといっしょ スーパー探偵団のクリスマスムービー(2007年)
  • プーさんといっしょ プーとティガーとミュージカル(2009年)
  • Super Duper Super Sleuths(2010年)

テレビシリーズ

キャラクターゲーム

文化的遺産

ギルズ・ラップにあるミルンとシェパードの記念プレート。

『クマのプーさん』の舞台となったハートフィールド村近郊の森は、現在観光地として多くの愛読者が訪れ、作品世界を追体験して回っている。ポッシングフォードの森にはプーたちが棒投げをして遊んだ橋のモデルとなった「プー棒投げ橋」があり、観光者が実際に「プー棒投げ」をして遊ぶ様子を見ることができる[76]。ギャレオン・ラップのモデルとなったジルズ・ラップにはA.A.ミルンとシェパードの記念碑が、案内板もなくひっそりとつくられている[77]。付近からは「ノース・ポール」と呼ばれる、マツの木が集まって生えている場所を眺めることもできる[78]。「100エーカーの森」のモデルになった「500エーカーの森」は1987年のハリケーンによって多くの古木を失ってしまったが、シェパードの描いた情景を連想させる風景はなおも残されている[79]。村の雑貨店「プーコーナー」(プー横丁)はプー・グッズで溢れており、夏の間は多数の観光客で賑わうが、秋になると地元の子供がときおり訪れるくらいになるという[80]

ワルシャワ中心街「クーブシュ・プハーテック通り」の街路表示板
ソ連版アニメ『ヴィンニ=プーフ』の切手(1988年)

『クマのプーさん』の物語とキャラクターは、イギリスでは誰にもなじみのあるものとしてしばしば言及され、「イーヨーのようにぶつくさ話す」「ティガーのようにはねまわる」「ヘファランプのわな」のように比喩に使われることも多い。例えば詩人フィリップ・ラーキンはニュージーランド版『リスナー』誌で「イギリス詩のイーヨー」と呼ばれ、実業家ロバート・マックスは『スペクテイター』誌で「はねっかえりティガー」と呼ばれた。トム・ストッパードの戯曲『ハップグッド』(1988年)には、「あなたはティガーのようにはねまわった」という台詞が出てくる。またクライブ・ジェイムズは、危機に瀕したイギリス人を描写した文章で「こわがるプーとピグレットのように、彼らは鼻歌を歌い続ける」といった表現を用いている。[81]

ポーランドでは「クーブシュ・プハーテック」(: Kubuś Puchatek)あるいは単に「クーブシュ」と呼ばれて第二次世界大戦の前から親しまれている。クーブシュはヤークプ(Jakub 、聖書名のヤコブに相当)の愛称形、プハーテックはプーフ(Puch)の指小形で「プーさん」と同様のニュアンスがある。首都ワルシャワの中心街には「クーブシュ・プハーテック通り」(Ulica Kubusia Puchatka)がある。

ロシアでは1969年から1972年にかけて、ディズニー版とは別に、『ヴィンニ=プーフ』(: Винни-Пух)という総題で3作の短編アニメーションが作られている。ヴィンニ(Vinni)は英語綴りの Winnie を、プーフ(Pukh)は同じく Pooh を転写したもので、スラブ語には冠詞が無いため the は省かれている。プーさんの声優はSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』の宇宙人役などで著名なソ連を代表するコメディ俳優のエフゲニー・レオーノフが担当している。

音楽では、ケニー・ロギンスが本作品に基づく「プー横丁にたった家」という歌を作っており、はじめにニッティ・グリッティ・ダート・バンドの1970年のアルバム『Uncle Charlie & His Dog Teddy』にこの歌が収録されたのち、ロギンス&メッシーナの1971年のアルバム『Sittin' In』にも収録された。ロギンスはのちにこれをリライトして「プー横丁に帰る」という歌も作っており、1991年の同名のアルバムに収録された。ロギンスはその後、2000年のディズニー版映画『ティガー・ムービー』で主題歌「Your Heart Will Lead You Home」も歌っている。またイタリアのプログレッシブ・ロックバンド「イ・プー」のバンド名は本作品に由来する[82]

日本文学への影響

大江健三郎は、知的障害を持つ息子・大江光を自身の小説に登場させる際に、しばしば「イーヨー」をその名前として使っている。この名の初出は『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)である[83]。現実の光は大江家では本作に由来する「プーちゃん」のあだ名で呼ばれていたが、大江は小説に用いるに当たって同作の別のキャラクターの名前に変えたのだという[84]。1983年の『新しい人よ眼ざめよ』の最後では、彼が「イーヨー」の名を拒んで「光」と本名で呼ばれるようになった場面が描かれており(この部分は大江光が現実に「プーちゃん」のあだ名を拒むようになった経緯をもとにして書かれている[85])、以降の大江の作品では、例外的なものを除いて「光」「ヒカリ」などの名が主に用いられるようになった[86]

高橋源一郎は、「さよなら、クリストファー・ロビン」と題する短編小説を2010年に発表している(『新潮』1月号)。この作品では様々な物語の登場人物が自分が物語の登場人物に過ぎないことを自覚し始めた世界を描いており、「プーさん」の登場人物たちは「虚無」に対抗するために自分自身で自分たちの物語を書き続けるものの、最終的には全員が書くことを諦めてしまう。高橋は本作を表題作とする短編集『さよなら、クリストファー・ロビン』(2012年、新潮社)で第48回谷崎潤一郎賞を受賞している。

脚注

注釈

  1. ^ ただし、後述するように童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』にはまだ「プー」の名前は登場しない。また童謡集『さあ僕たちは六歳』では詩や挿絵の随所にプーや関連キャラクターが登場するものの、それらに限った本というわけではない。以下本項目では『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の二つの物語集を中心に、「プー」と関連キャラクターに関係する限りにおいて2冊の童謡集についても適宜触れる。
  2. ^ 詩行の中には登場しないが、『ぼくたちがとても小さかったころ』のシェパードによる挿絵では「おやすみのお祈り」「かいだんをはんぶんのぼったところ」にもミルン家のテディベアが描かれている。ただし後述するように、挿絵のモデルとなったぬいぐるみ自体はミルン家所有のものとは別のものである[5]
  3. ^ 石井桃子の訳では省略されている。
  4. ^ E.H.シェパードの息子グレアムの所有物であった「グロウラー・ベア」は、後にその娘ミネットの手に渡っている。彼女は戦争中も疎開先のカナダに「グロウラー」を連れて行っていたが、このぬいぐるみはある日、モントリオールの公園で野犬に噛み裂かれてずたずたになってしまった[9]
  5. ^ コッチフォード・ファームは、ミルンの息子クリストファーが手放したのち、ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズが買い取って自宅として使っていた[15]。ブライアンは1969年にこの家のプールで自殺しており[16]、その後はまた人手にわたり個人に所有されている[15]
  6. ^ A.A.ミルンはシェパードに贈った『クマのプーさん』の中に、自分が死んだら2枚の挿絵(ピグレットがタンポポの綿を吹いている場面と、プーとピグレットが夕日に向かって歩いていく場面)で墓石を飾ってほしい、という内容の戯詩を書きこんでいる。この本は1990年、クリスティーズのオークションで16500ポンドで落札された[20]
  7. ^ Woozleはミルンの造語。響きからイタチ (Weasel) などを連想させる[27]。石井桃子訳では「モモンガー」となっている。
  8. ^ Heffalumpはミルンの造語。響きから象 (Elephant) を連想させる[28]。シェパードの挿絵でも象に似た姿で想像図が描かれている。石井桃子訳では「ゾゾ」。
  9. ^ 原文では探検(Expedition)のつづり間違いでExpotitionと書かれている。作中のプーの言い間違いを反映したもの。
  10. ^ 「イントロダクション」の反対語としてオウルが教えてくれたと記されている。実際には「矛盾」を意味する言葉である。
  11. ^ 原文では組織 (organaized) の綴り間違いでorgandizedとなっている。作中のプーの言い間違いを反映したもの。
  12. ^ 石井桃子訳では、貼り紙は「がいしつ すぎかえる」で、ラビットは「スギカエル」をさがすことになる。
  13. ^ 原文では、ラビットが決議 (resolution) をうまく綴れず rissolutionと書かれている。
  14. ^ 石井桃子訳では「トオリヌケ キンジロウ」。

参照

  1. ^ 安達 (2002), 8頁。
  2. ^ 小田島雄志、小田島若子訳 『クリストファー・ロビンのうた』 晶文社、1978年。『クマのプーさん全集』(岩波書店、1997年)にも所収。
  3. ^ 石井訳『クマのプーさん』 244-245頁(訳者解説)。
  4. ^ 安達 (2002), 49頁。
  5. ^ 安達 (2002), 44-47頁。
  6. ^ 安達 (2002), 53頁。
  7. ^ 安達 (2002), 59-61頁。
  8. ^ スウェイト (2000), 192頁。
  9. ^ シブリー (2003), 117-119頁。
  10. ^ 安達 (2002), 35頁。
  11. ^ 安達 (2002), 132頁。
  12. ^ 安達 (2002), 133頁。
  13. ^ スウェイト (2000), 190-191頁。
  14. ^ The Adventures of the Real Winnie-the-Pooh”. The New York Public Library. 2012年11月4日閲覧。
  15. ^ a b 猪熊 (1993), 50頁。
  16. ^ コジマ (2006年4月5日). ““ストーンズをつくった男”ブライアン・ジョーンズの人生を映画化。”. ナリナリドットコム. 2012年12月8日閲覧。
  17. ^ 安達 (2002), 123-124頁。
  18. ^ 猪熊 (1993), 36頁。
  19. ^ 猪熊 (1993), 88頁。
  20. ^ スウェイト (2000), 203-204頁。
  21. ^ 石井訳『クマのプーさん』 250頁(訳者解説)。
  22. ^ シブリー (1995), 11頁。
  23. ^ 安達 (2002), 134頁。
  24. ^ 安達 (2002), 47頁。
  25. ^ シブリー (2003), 117頁。
  26. ^ スウェイト (2000), 213頁。
  27. ^ 安達 (2002) 152頁。
  28. ^ 安達 (2002), 157頁。
  29. ^ スウェイト (2000), 100頁。
  30. ^ 安達 (2002), 136頁。
  31. ^ スウェイト (2000), 126-127頁。
  32. ^ スウェイト (2000), 127頁、190頁。
  33. ^ 小田島雄志、小田島若子訳 『クマのプーさんとぼく』 晶文社、1979年。前掲『クマのプーさん全集』にも所収。
  34. ^ 安達 (2002), 166-168頁。
  35. ^ 安達 (2002), 241頁。
  36. ^ スウェイト (2000), 141頁。
  37. ^ スウェイト (2000), 136頁。
  38. ^ スウェイト (2000), 143-144頁。
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参考文献

  • A.A.ミルン 『クマのプーさん』 石井桃子訳、岩波少年文庫、2000年
  • A.A.ミルン 『プー横丁にたった家』 石井桃子訳、岩波少年文庫、2000年
  • A.A.ミルン 『クマのプーさん全集―おはなしと詩』 石井桃子、小田島雄志、小田島若子訳、岩波書店、1997年
  • A.A.ミルン 『今からでは遅すぎる』 石井桃子訳、岩波書店、2003年
  • クリストファー・ミルン 『クマのプーさんと魔法の森』 石井桃子訳、岩波書店、1977年
  • 安達まみ 『くまのプーさん 英国文学の想像力』 光文社新書、2002年
  • 猪熊葉子、中川祐二 『クマのプーさんと魔法の森へ』 求龍堂、1993年
  • アン・スウェイト 『クマのプーさん スクラップ・ブック』 安達まみ訳、筑摩書房、2000年
  • ブライアン・シブリー 『クマのプーさんスケッチブック』 今江祥智、遠藤育枝訳、ブックローン出版、1995年
  • ブライアン・シブリー 『クマのプーさんの世界』 早川敦子訳、岩波書店、2003年
  • クラウプロトック ウォララック 『大江健三郎論』 専修大学出版局、2007年
  • 立花隆 「イーヨーと大江光の間」 『文学界』 1994年12月号

外部リンク

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