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「八丈方言」の版間の差分

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'''八丈方言'''(はちじょうほうげん)は、[[東京都]][[伊豆諸島]]に属する[[八丈島]][[青ヶ島]]で使用されている[[日本語]][[方言]]。本土の日本語との差が著しいため独立した言語('''八丈語''')とする場合もあり、[[2009年]][[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]により[[消滅危機言語]]とされた。
'''八丈方言'''(はちじょうほうげん)は、[[東京都]][[伊豆諸島]]に属する[[八丈島]]、[[八丈小島]]、[[青ヶ島]]で使用されてきた[[日本語の方言]]である。本土方言との差が著し、[[2009年]][[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[消滅危機言語]]に指定した際には、その分類基準によって「独立した言語」('''八丈語''')とされた<ref>或る言語を「[[方言]]」とするか「独立した言語」とするかという問題設定は、学問的には無意味であり、政治的にのみ意味があるとされる。詳しくは「[[方言]]」の記事を参照。また、ユネスコの分類基準に学問的な合意が得られているわけではなく、様々な意見の中の一つである。</ref>
[[ファイル:Japanese dialects-ja.png|thumb|300px|right|図1.日本語族の方言区画]]
[[ファイル:Izu islands.png|thumb|300px|right|図2.伊豆諸島の地図]]


== 概説 ==
== 分類 ==

[[八丈島]]と北部列島との間には[[黒潮]]が流れており、古来海洋交通の難所であったため本土との交流が少なく、本土の他方言とは著しい方言差がある。[[万葉集]]に記録された[[日本語の方言#上代東国方言|古代東国方言]]の特徴を多くとどめている。
=== 近縁の方言 ===
[[八丈島]]と[[御蔵島]](北部伊豆諸島<ref>伊豆諸島をどのように南北に分けるか、または南部・中部・北部に分けるかについては地理的な観点から諸説あるが、ここでは方言分類に即した分け方をし、御蔵島以北を北部とする。</ref>に属する)との間には[[黒潮]]が流れており、古来海洋交通の難所であったため本土との交流が少なく、本土の他方言とは著しい方言差がある。現代方言で最も近縁とされる方言は[[北部伊豆諸島方言]]<ref>北部伊豆諸島に属する有人島は[[伊豆大島|大島]]、[[利島]]、[[新島]]、[[式根島]]、[[神津島]]、[[三宅島]]、[[御蔵島]]であり、これらの島の方言が北部伊豆諸島方言に属する。北部伊豆諸島方言と八丈方言を区別する理由は様々だが、最も顕著なのはアクセント型の区別の有無であり、北部伊豆諸島方言には西関東的なアクセント体系が存在するのに対して、八丈方言にはアクセント型の区別が無い。</ref>である。文献上、最も近縁とされる方言は[[萬葉集#『万葉集』と方言|万葉集の東歌・防人歌]]に記録された[[日本語の方言#上代東国方言|上代東国方言]](奈良時代の中部・関東地方の方言)であり、その特徴を多く共有しているとされる。八丈方言そのものの文献としては、[[江戸時代]]末期に[[近藤富蔵]]が著述・編纂した『[[八丈実記]]』が代表的である。八丈方言を元にしつつ八丈方言でなくなったものに[[小笠原方言]]と[[南大東島方言]]がある。[[小笠原群島]]では[[英語]]や[[ハワイ語]]を[[基層言語]]として八丈方言がそれらとの[[クレオール言語|クレオール化]]を果たした。[[南大東島]](当時無人島)には[[玉置半右衛門]]主導で入植した歴史があり、八丈方言を基層言語としつつ[[沖縄本島]]の[[ウチナーヤマトグチ]]に同化した。

=== 流人の言語の影響 ===
[[宇喜多秀家]]ら、高貴な身分の[[流人]]によって八丈島に当時の最新の文化がもたらされたことは歴史の事実である。島民は、島言葉にはところどころ流人の出身地の言葉の影響が見られると主張することがある。確かにそう感じられるが、厳密に出所を特定しようとすると簡単には行かない。例えば宇喜多秀家の[[岡山方言]]の影響が存在すると主張する場合、それが江戸方言や北部伊豆諸島方言ではなく、ほかならぬ岡山方言の影響であることを示す必要がある。例えば、共通語の断定の「だ」に対応する要素としては、関東的な「だら」と岡山的な「じゃ」の2種類が存在し、更に「だら」の連体形「どー」に「じゃ」が付いた「どーじゃ」という形式も存在している<ref>詳細は平山輝夫編(1965)p.200を参照。</ref>。この「じゃ」の出所は岡山方言以外には考えにくい<ref>共通語の断定の「だ」に対応する語は、関東では「であ(る)」→「だ(る)」と変化したのに対して、関西では「である」→「であ」→「じゃ」→「や」と変化したということが文献上の証拠から分かっている。江戸方言、北部伊豆諸島方言、および八丈方言の「だ(る)」が関東的な音の形であるのに対して、岡山方言と八丈方言の「じゃ」は関西的な音の形である。関東と関西の音変化の過程は互いに相容れないものであり、これらの変化が八丈方言で同時に起こった可能性は無い。また、八丈方言の「だら」が活用語であるのに対して、八丈方言の「じゃ」は他の活用形を持たず、終助詞的である。ゆえに「じゃ」は非固有語であると考えられ、その出所は岡山方言以外には考えにくい。なお、金田(2001)pp.179-182では「飲もじゃ」は「飲もにては」に由来し、それゆえ念押し・確認の意味が発生すると分析されているが、「にては」即ち「では」に当たる要素が直後の「有ろわ・無っきゃ」等の用言を不要としつつ断定の意味を持つという主張は理解しにくい。</ref>。
[[ファイル:Japonictree20110107.jpg|thumb|360px|right|図3.日本語族の系統樹(試案)]]
[[ファイル:Hachijo1950.jpg|thumb|360px|right|図4.八丈島、小島、青ヶ島の地図]]
[[ファイル:Hachijotree20100108.jpg|thumb|360px|right|図5.八丈方言の系統樹(試案)]]

=== 日本語の中での位置づけ ===
八丈方言と北部伊豆諸島方言とは[[方言連続体]]であり、現代の[[記述言語学|共時態]]をありのままに見るなら八丈方言だけを切り離して卓立させるのは理に適わない。それにもかかわらず八丈方言が特別視される理由は、その[[比較言語学|通時論]]への貢献度の高さにある。日本語の本土方言は奈良時代には既に中央方言と東国方言とで方言差を生じていたが、東国方言の側に属する現代方言が八丈方言と、もう一つ[[長野県方言#奥信濃方言|長野県栄村秋山方言]]ぐらいしかない。北部伊豆諸島方言なども東国方言的な特徴を持ってはいるが痕跡的である。そこで、八丈方言と長野県栄村秋山方言には言わば生き証人の使命が課せられる。ではこれらはどれくらい卓立しているのだろうか。平山輝夫編(1965)p.17は、[[本土方言]]と[[琉球方言]]を先ず分けて、更に本土方言を[[東日本方言|東部方言]]、八丈方言、[[西日本方言|西部方言]]、[[九州方言]]に4分割するという立場をとった(「[[日本語の方言]]」を参照)。方言区画が現代共時態と通時論の折衷案であるかぎり、この分類は妥当である。しかし通時論だけを考えるなら八丈方言はもう一段昇格し、八丈方言、八丈方言以外の本土方言、琉球方言の3者が互いに匹敵することになる。[[日本語族]]の[[系統樹]](試案)を描くと図3のようになる<ref>服部四郎(1959)、服部四郎(1968)、服部四郎(1978-1979)の内容を図にまとめた。図の中で「中央祖語」、「東国祖語」という言い方は一般的な用語ではないが、「現代方言を比較して再構される祖語」と文献とを更に比較して再構される祖語が概念的に存在するので、それらに便宜的に名称を与えた。現代の本土方言の直接の祖先が上代中央方言であると大まかに考えられることがあるが、厳密には、本土方言を比較して遡った先が上代中央方言に完全に収束するとは限らず、僅かにずれる可能性がある。なお、三又に枝分かれしている箇所は、どの枝が先に分かれたのか判らないため、便宜的に三又とした。</ref>。但し、長野県栄村秋山方言の幾つかの特徴は東国方言の祖語へと枝を伸ばす。現代共時態だけを見る場合、現代共時態と通時論の両方を見る場合、通時論だけを見る場合の3通りの見方があり、日本語の中での位置づけ方も変わってくる。

=== 下位方言の分類 ===
図4を参照。八丈方言に含まれる下位方言を地理的に分類すると下の一覧のようになる<ref>地名の平仮名表記は、「八丈島」と「樫立」の清濁を方言風に改めたほかは、共通語地名のままとした。方言地名そのものは地区ごとに異なり、更に変化した発音となる場合があるので、共通の用語としては適さない。</ref>。原則として、地理的に近い方言ほど互いによく似ている。地理的条件と長母音・二重母音の音韻対応に基づいて下位方言間で比較すると図5の系統樹(試案)が描ける<ref name="高山2009">詳細は高山(2009)を参照。内容は金田(2001)pp.15-28の研究を発展させたもの。</ref>。但し利用した情報が限られるため、更に他の要素を比較することで別様の系統樹が描かれる可能性はある。

* 八丈島(はちじょうしま<ref>共通語では「はちじょうじま」と濁るが、島民の大多数は清音で発音する。</ref>;御蔵島の南南東に約75km)
** 坂上(さかうえ;八丈島の南部の山岳地帯)
*** 旧[[末吉]]村(すえよし;坂上東部) ― '''末吉方言'''<ref>末吉方言は坂上の方言と坂下の方言の中間的な性質を持っている。</ref>
*** 旧[[中之郷]]村(なかのごう;坂上中部) ― '''中之郷方言'''
*** 旧[[樫立]]村(かしたて<ref>共通語では「かしだて」と濁るが、島民の大多数は清音で発音する。</ref>;坂上西部) ― '''樫立方言'''
** 坂下(さかした;八丈島の中部の平野地帯)
*** 旧[[三根]]村(みつね;坂下東部) ― '''三根方言'''
*** 旧[[大賀郷]]村(おおかごう;坂下西部) ― '''大賀郷方言'''<ref>大賀郷の中でも樫立に近い地点の方言は樫立方言に似た特徴を持っているということが金田(2001)p.404注17に述べられている。方言連続体の中で扱う分には興味深いが、系統論では扱いづらいかもしれない。</ref>
** 永郷(えいごう;八丈島の北部の山岳地帯)
*** 旧三根村側(永郷東部) ― 移住者の出身地区による
*** 旧大賀郷村側(永郷西部) ― 移住者の出身地区による
* 小島(こじま;八丈島の西に約7.5km)<ref>八丈小島は現在無人島だが、大賀郷などに移住した方言話者が2010年時点で存命である。「八丈小島」は日本中の他の「小島」と区別する為の共通語地名であり、島民は単に「小島」とだけ呼ぶことが多い。</ref>
** 旧[[宇津木]]村(うつき;小島南東部) ― '''宇津木方言'''
** 旧[[鳥打]]村(とりうち;小島北西部) ― '''鳥打方言'''
* 青ヶ島(あおがしま;八丈島の南に約65km)
** 青ヶ島村 ― '''青ヶ島方言'''


== 音韻 ==
== 音韻 ==

[[アクセント]]は[[無アクセント]]である。[[母音]]の融合や[[リエゾン]]が著しく、島外者には聴き取りが難しいとされる。
=== 音調 ===
[[アクセント]]は[[無アクセント]]であり、アクセント型を区別する意識が話者に無いため、例えば「飴」と「雨」を同じように発音するし、共通語を喋ろうとしても例えば「林道」と「竜胆」を同じように発音してしまいがちである。音調として意識されるのは専ら[[イントネーション]]であり、方言話者は地区によるイントネーションの違いをよく話題にするが、未だに体系的な研究がなされたことはなく、今後の課題である。

=== 音便と促音 ===
共通語のイ音便に当たる箇所が促音便で現れる。例えば「書いて」が「書って」に、「稼いで」が「稼っで」になる<ref>「稼っで」が古い世代の形だが、やや若い世代になると「稼んで」に変化し撥音便になっている。</ref>。同様の現象は例えば東京方言の「歩って」にも見られる。また、共通語とは違って濁音の前に促音が立つことが容易であり、例えば中之郷方言では「タッゴ(双子)」、「ヤッデ(病んで)」<ref>「病っで」が古い世代の形だが、やや若い世代になると「病んで」に変化し、共通語と変わらなくなっている。</ref>、「ヒッビ(日々)」、「アッザ(痣)」と言う。同様の現象は例えば[[長野県方言#奥信濃方言|長野県栄村方言]](「奥信濃方言」と同じものを指す)の「コッタ(今度は)」、「ベッポ(貧乏)」、「サッツァ(散々)」にも見られる<ref name="馬瀬1983">馬瀬良雄(1983)「長野県の方言」『講座方言学6 中部地方の方言』pp.64,92-93を参照。</ref>。これらの点は東国方言的な特徴であると言えるが、これら自体が東国方言の祖語に遡るとは考えられない。むしろ祖語の段階に何らかの音韻的な制約・特性が存在し、それが後代にこれらの点をもたらしたと考えられる。

=== 長母音・二重母音 ===
連続する[[母音]]の融合や、融合後の音色の変化が著しく、島外者には聴き取りが難しいとされる。地区によって音色が違っており、方言話者はそのことに自覚的で、人によっては地区ごとの音色の違いを部分的に説明できる。

==== 表1.助詞「を」の屈折 ====
軽音節に対する助詞「を」の融合と音色の変化は次のとおり<ref name="助詞の音形">共通語と三根方言は実際に確かめられた単語の形であるが、それ以外のものは対応関係から推定される音の形である。それぞれ、確認された最も古い世代の音を挙げたため、現在の話者の発音では既に変化している場合もある。</ref><ref name="高山2009"/>。但し重音節に対しては膠着形式「ヨ」が付き、例えば「ホンヨ{{IPA|χoĩjo}}(本を)」などとなる。「イ」で終わる単語の屈折形に「ツチー」と「ツチョ」の2種類を挙げたが、前者は後述の「イー格」とまぎらわしく、後者はまぎらわしさの解消の為に新たに生じたと推測される。なお、樫立・中之郷ではオー{{IPA|oː}}がウー{{IPA|ʊː}}に近い音色で実現することもある。金田章宏はこれらを総称して「ヨ格」と呼ぶ。

{| class="wikitable"
|-
! 共通語 !! 三根 !! 大賀郷 !! 末吉 !! 中之郷 !! 樫立 !! 宇津木 !! 鳥打 !! 青ヶ島
|-
| 皿を || サロー{{IPA|saɾoː}} || サロー{{IPA|saɾoː}} || サラー{{IPA|saɾaː}} || サロア{{IPA|saɾʊɐ}} || サロア{{IPA|saɾʊɐ}} || サロー{{IPA|saɾoː}} || サロー{{IPA|saɾoː}} || サロー{{IPA|saɾoː}}
|-
| 物を || モノウ{{IPA|monou}} || モナウ{{IPA|monɐu}} || モノー{{IPA|monoː}} || モノー{{IPA|monoː}} || モノー{{IPA|monoː}} || モナウ{{IPA|monau}} || モノー{{IPA|monoː}} || モナウ{{IPA|monɔu}}
|-
| 水を || ミズー{{IPA|mizuː}} || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左
|-
| 酒を || サケイ{{IPA|sakɛi}} || サカイ{{IPA|sakɐi}} || サキー{{IPA|sakiː}} || サケー{{IPA|sakeː}} || サキエ{{IPA|sakie}} || サカイ{{IPA|sakai}} || サケー{{IPA|sakeː}} || サケイ{{IPA|sakɛi}}
|-
| 土を(1) || ツチー{{IPA|tsutʃiː}} || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左
|-
| 土を(2) || ツチョ{{IPA|tsutʃo}} || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左
|}

==== 表2.助詞「へ」の屈折 ====
軽音節に対する助詞「へ」の融合と音色の変化は次のとおり<ref name="助詞の音形"/><ref name="高山2009"/>。但し重音節に対しては膠着形式「イ(ー)」が付き、例えば「キューシューイ(ー){{IPA|kjuːʃuːi(ː)}}(九州へ)」などとなる。但し青ヶ島では「キューシューリ(ー){{IPA|kjuːʃuːɾi(ː)}}」などとなる。「イ(ー)」の長さは地区によって異なり、発話時の音調によっても異なる。金田章宏はこれらを総称して「イー格」と呼ぶ。

{| class="wikitable"
|-
! 共通語 !! 三根 !! 大賀郷 !! 末吉 !! 中之郷 !! 樫立 !! 宇津木 !! 鳥打 !! 青ヶ島
|-
| 浜へ || ハメー{{IPA|χamɛː}} || ハメー{{IPA|χameː}} || ハメー{{IPA|χameː}} || ハメア{{IPA|χamea}} || ハミャー{{IPA|χamjaː}} || ハメー{{IPA|χamɛː}} || ハメー{{IPA|χameː}} || ハメー{{IPA|χameː}}
|-
| 角へ || カデイ{{IPA|kadɛi}} || カダイ{{IPA|kadɐi}} || カディー{{IPA|kadiː}} || カデー{{IPA|kadeː}} || カディエ{{IPA|kadie}} || カダイ{{IPA|kadai}} || カデー{{IPA|kadeː}} || カデイ{{IPA|kadɛi}}
|-
| 店へ || ミセイ{{IPA|misɛi}} || ミサイ{{IPA|misɐi}} || ミシー{{IPA|miʃiː}} || ミセー{{IPA|miseː}} || ミシエ{{IPA|miʃie}} || ミサイ{{IPA|misai}} || ミセー{{IPA|miseː}} || ミセイ{{IPA|misɛi}}
|-
| 彼方(ウク)へ || ウキー{{IPA|ukiː}} || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左
|-
| 海へ || ウミー{{IPA|umiː}} || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左 || 同左
|}

==== 対応規則全般 ====
長母音・二重母音の対応規則には二層あり、金田(2001)が「一次的」と呼ぶ層は相対的に歴史が深く、「二次的」と呼ぶ層は歴史が浅い。但し例外的に、音変化以前の音形「ウイ/u'i/」を留めた為に「二次的」な層に分類される語もある。「一次的」な層を利用して祖体系が八丈祖語に再構される。ここでは三根方言の状態と変化前の推定状態(標準語や古典語など)とを比較する<ref name="高山2009"/>。なお、下記で/c/は{{IPA|ts,tʃ}}を表わす記号である。
* 二次的な層
** 「オイ{{IPA|oi}}」に対応するもの:「オレ/ore/」。
*** 例:「こい」(<此れ)、「そい」(<其れ)、「どい」(<何れ)。
** 「ウイ{{IPA|ui}}」に対応するもの:「ウレ/ure/」、「ウイ/u'i/」(音変化前の形を保持)、「ウイ/u'i/」(/s,c,z/直後でありイー格である)。
*** 例:「うい」(<彼れ)、「むいか」(<六日)、「いずい」(<伊豆へ)。
** 「アイ{{IPA|ai}}」に対応するもの:「アレ/are/」、「アリ/ari/」、「アイ/a'i/」。
*** 例:「あい」(<吾れ)、「だい」(<誰れ)、「ふたい」(<二人)、「たいけ」(<大家)。
** 「アー{{IPA|aː}}」に対応するもの:「アラ/ara/」。
*** 例:「のまーば」(<飲まらば)、「こっかー」(<こっから)、「はー」(<早ら)。
* 一次的な層
** 「エイ{{IPA|ei}}」に対応するもの:「エキ/eki/」、「オシ/osi/」、「エイ/e'i/」、「オイ/o'i/」、「イイ/i'i/」(/s,c,z/直後でなくイー格でない)、「ウイ/u'i/」(/s,c,z/直後でありイー格でない)。
*** 例:「でいて」(<出来て)、「へいて」(<干して)、「ていねい」(<丁寧)、「てねげい」(<手拭い/tenogo'i/)、「へいるめ」(<ひひるめ)、「つぇいたち」(<ついたち)。
** 「イー{{IPA|iː}}」に対応するもの:「ウシ/usi/」、「イイ/i'i/」(原則)、「ウイ/u'i/」(原則)。
*** 例:「ひーて」(伏して)、「しー」(<椎)、「すきー」(<掬い)。
** 「エー{{IPA|eː}}」に対応するもの:「アセ/ase/」、「アレ/are/」、「アシ/asi/」、「アイ/a'i/」。
*** 例:「のめーて」(<飲ませて)、「ねー」(<活用語尾のナレ)、「えーたば」(<明日葉)、「へーろわ」(<入ろわ)。
** 「オー{{IPA|oː}}」に対応するもの:「アコ/ako/」、「アロ/aro/」、「オワ/owa/」、「アワ/awa/」、「アヲ/a'o/」(原則)、「オア/o'a/」、「アア/a'a/」。
*** 例:「しんのーだら」(<しんなこだら)、「のもー」(<飲まろ)、「おもーず」(<思わず)、「ほー」(<母)、「よー」(<巌/'iwa'o/)、「しょーりめ」(<白蟻メ)、「はどーし」(<裸足)。
** 「オウ{{IPA|ou}}」に対応するもの:「オヲ/o'o/」、「アヲ/a'o/」(例外)、「オウ/o'u/」、「アウ/a'u/」。
*** 例:「とうそわ」(<通そわ)、「ようらん」(<やをらに)、「らんぼう」(<乱暴/raNbo'u/)、「ほう」(<方/ha'u/)。
** 「ウー{{IPA|uː}}」に対応するもの:「ウス/usu/」、「ウヲ/u'o/」、「ウウ/u'u/」。
*** 例:「すーろわ」(<啜ろわ)、「かつー」(<鰹)、「ふうつき」(<風付き)。

==== 表3-1.内部での対応 ====
外部との対応規則に注意しつつ、内部での対応グループを6つに分類し、それぞれの特徴的な音から「ウウuu群、アウau群、オアoa群、エイei群、イイii群、アイai群」とラベルを付ける<ref name="高山2009"/>。なお、下表からは/s,c,z/とイー格が関わる特殊な対応規則を除外した。表中で『八丈実記』のほうが「祖体系」よりも過去に位置しているように、長母音・二重母音の祖体系の歴史は浅く、だいたい江戸時代末期以降に完成している(地区によって、また個々の要素によって成立時期にはズレや幅が存在するはずであり、最終的に現在の対応関係が完成したのが江戸時代末期以降ということである)。従って八丈方言の系統樹を描いて行くうえではこれら以外の要素についての検討が必須となる。「アウau群」と「オアoa群」について「祖体系」では「収束困難」としたが、これら2群から分かることもある。「オーoo」という音形の分布を見ると坂上では「アウau群」に、それ以外の地区では主に「オアoa群」に分布しており、坂上とそれ以外とを大別する根拠の一つとなっている。

{| class="wikitable"
|-
! 言語 !! ウウuu群 !! アウau群 !! オアoa群 !! エイei群 !! イイii群 !! アイai群
|-
| 全候補(全地区)(推定) || ウヲu'o</br>ウーuu || オヲo'o</br>オウou</br>アヲa'o</br>アウau || アヲa'o</br>オーoo</br>アワawa</br>アーaa</br>オワowa</br>オアoa || エエe'e</br>エイei</br>オエo'e</br>オイoi</br>イエi'e</br>イーii || ウエu'e</br>ウイui</br>イエi'e</br>イーii || アエa'e</br>アイai
|-
| 八丈実記(三根)(例証) || ウーuu || オヲo'o</br>オウou || オーoo</br>アワawa</br>アーaa</br>オワowa</br>オアoa || エイei || ウイui</br>イーii || アエa'e</br>アイai
|-
| 八丈実記直後(三根)(推定) || ウーuu || オウou || オーoo</br>アーaa</br>オアoa || エイei || イイii || アイai
|-
| 祖体系(全地区)(再構) || ウーuu || 収束困難 || 収束困難 || エイei || イーii || アイai
|-
| 青ヶ島(1950年ごろ) || ウーuu || アウau || オーoo || エイei || イーii || エーee
|-
| 鳥打(1950年ごろ) || ウーuu || オーoo || オーoo || エーee || イーii || エーee
|-
| 宇津木(1950年ごろ) || ウーuu || アウau || オーoo || アイai || イーii || エーee
|-
| 大賀郷(1950年ごろ) || ウーuu || アウau || オーoo || アイai || イーii || エーee
|-
| 三根(1950年ごろ) || ウーuu || オウou || オーoo || エイei || イーii || エーee
|-
| 末吉(1950年ごろ) || ウーuu || オーoo || アーaa || イーii || イーii || エーee
|-
| 中之郷(1950年ごろ) || ウーuu || オーoo || オアoa || エーee || イーii || エアea
|-
| 樫立(1950年ごろ) || ウーuu || オーoo || オアoa || イエie || イーii || ヤーjaa
|}

==== 表3-2.条件付き対応 ====
/s,c,z/直後かどうか、そしてイー格・ヨ格であるかどうかという条件によって音変化の結果が違う場合があるが、金田(2001)p.404注15は「対応の例外的なこれらの単語は,その伝来の時期とこの方言に規則的におこった母音変化の時期との関係が問題になるだろう」と述べ、条件付きの対応を見落としている<ref name="高山2009"/>。それ以外の対応事実は下表と同じだが、音変化の解釈には若干違いがある。「/s,c,z/直後」という条件は「母音の中舌性を維持する方向」の働きをし、「イー格・ヨ格である」という条件は「語幹母音の音色を維持する方向」の働きをしている。

{| class="wikitable"
|-
! 推定由来 !! 結果事実 !! 頭子音の条件 !! 形態の条件 !! 語例
|-
| オイoi・オエoe || エイei || 無条件 || 無条件 || 金田(2001)pp.21-22参照
|-
| ウイui・ウエue || エイei || /s,c,z/の直後 || イー格でない || 語例①
|-
| ウイui・ウエue || ウイui || /s,c,z/の直後 || イー格である || 語例②
|-
| ウイui・ウエue || イーii || /s,c,z/以外の直後 || 無条件 || 金田(2001)pp.17-19参照
|-
| イエie・イヲi'o || イーii || 無条件 || イー格であるか、ヨ格である || 金田(2001)pp.17-19参照、語例③
|-
| イイii || イーii || /s,c,z/の直後 || イー格でない || 語例④
|-
| イイii・イエie || エイei || /s,c,z/以外の直後 || イー格でない || 語例⑤
|-
| エイei・エエee || エイei || 無条件 || 無条件 || 金田(2001)pp.21-22参照
|}

*語例①;/s,c,z/の直後であり、イー格でない。 -- 確実な対応関係を示す。
** 三根方言;「セイモノ(吸物)」、「ゾウセイ(雑炊)」、「ツェイタチ(一日)」、「ウツツェイ(一昨日)」、「カテイル(かつえる;飢餓)」、「ヘッツェイ(へっつい;竈)」、「ゼイブ(ン)(随分)」、「ツェイ(杖)」、「セイシ(末吉)」。
*語例②;/s,c,z/の直後であり、イー格である。 -- 対応関係に疑義が残る。
** 中之郷方言;「イズイ(伊豆へ)」、「アスイ(明日へ)」。適当な語例が無く「伊豆・明日」を利用したが、伊豆にはあまり行かないし明日に行くのは架空の話になる。これらは単に、膠着形式「イ(ー)」が付いただけの可能性もあるが、いずれにせよ独自の対応を示している。
*語例③;頭子音にかかわらず、ヨ格である。 -- 確実な対応関係を示す。
** 三根方言;「ハナシー(話を)」、「マッチー(マッチを)」、「ボウジー(房事を;料理を)」、「キー(木を)」、「オウリー(ヲヲリを;樹木の枝房を)」。これらは「ハナショ」などとも言えて、2つの形式のあいだに意味の違いは無い。若い世代は「ハナシー」などを使わなくなっている。
*語例④;/s,c,z/の直後であり、イー格でない。 -- 対応関係に疑義が残る。
** 三根方言;「シー(椎)」、「チート(ちいと;少し)」、「ジー(爺)」、(例外「オセイル(教える)」)。「/s,c,z/直後」という条件が本当に有効なのか疑義が残る。単に、音変化から取り残されただけかもしれない。
*語例⑤;/s,c,z/以外の直後であり、イー格でない。 -- 確実な対応関係を示す。
** 三根方言;「シケイ(敷居)」、「ネイル(煮える)」、「ヘイルメ(ひひるめ;蛾)」、「ヘイキ(贔屓)」、「ヘイ(稗;稗そのものではなく田の雑草を指す)」、「メイル(見える)」、(例外「オセイル(教える)」)。

=== 表4.サ行イ音便 ===
金田(2001)p.19「動詞でのsの脱落は坂上ではおこりにくいが,「アシタバ」は中之郷でもja(:)tabaである」という記述に反して、実際には坂上でも、「明日葉」という語以外にも、動詞の連用形に接続助詞「テ」が続く環境でサ行イ音便が生じた語形が確認できる<ref name="高山2009"/>。下表でカッコ付きの語形は、その話者の中で音便が共通語化してしまっていると推測されるもの。なお、ここでの長母音・二重母音の体系は2009年ごろのものであるため、1950年ごろの体系とは音色が若干違っている。

{| class="wikitable"
|-
!   !! 青ヶ島 !! 三根 !! 末吉 !! 中之郷 !! 樫立
|-
| 伏して(ふして) || 未確認 || ひーて || (ふして) || ふして || 未確認
|-
| 燃して(むして) || みーて || みーて || (むして) || むして || 未確認
|-
| 干して(ほして) || へいて || へいて || (ほして) || ひーて || (ほして)
|-
| 話して(はなして) || (はなして) || はねーて || (はなして) || はにゃーて || はにゃーて
|-
| 「いらっしゃって」(わして) || 未確認 || うぇーて || うぇーて || うゃーて || うゃーて
|-
| 飲ませて(のませて) || 未確認 || のめーて || (のませて) || のみゃーて || のみゃーて
|-
| 明日葉(あしたば) || えーたば || えーたば || えーたば || やーたば(高年層)</br>やたば(中年層) || やーたば(高年層)</br>やたば(中年層)
|}


== 文法 ==
== 文法 ==
本土方言のほとんどで失われた[[動詞]]・[[形容詞]]の[[終止形 (文法)|終止形]]と[[連体形]]の区別があり、特に連体形は万葉集に記録されたものと同じく「行こ時」「高け山」のように言う。動詞の終止形は「書く」のようにウ段語尾、連体形は「書こ」のようにオ段であるが、言い切りには「書く」の形はあまり使われず、「書こわ」の形が使われる<ref name="大島1984">大島(1984)。</ref>。形容詞では、終止形は「たかきゃ」のように「-きゃ」、連体形は「たかけ」のように「-け」である<ref name="都竹1986">都竹(1986)。</ref>。


=== 形態 ===
動詞の打ち消しには「かきんなか」(書かない)のように連用形に「んなか」を付ける<ref name="都竹1986"/>。また過去表現に「かから」(書いた)、「たかからら」(高かった)、「静かだらら」(静かだった)のような形があり、古語で完了を表す「り」に由来するとみられる<ref name="大島1984"/>。古代東国方言ではア段に「り」が付いており、これが八丈方言ではア段に「ら」が付くという形になっている。


==== 終止形と連体形 ====
推量には、「書くのーわ」のように「のー」などを使い、集落により「のー」「のう」「ぬー」「なう」と言う。これは古代東国方言で推量を表した「なむ・なも」の名残とみられる<ref name="大島1984"/>。
本土方言のほとんどで失われた四段型活用[[動詞]]・[[形容詞]]の[[終止形 (文法)|終止形]]と[[連体形]]の音形の区別に相当するものがあり、特に連体形は[[萬葉集#『万葉集』と方言|万葉集の東歌・防人歌]]に記録されたものと同じく「行こ時」「高け山」のように言う。動詞の終止形は「書く」「有る」のようにウ段語尾、連体形は「書こ」「有ろ」のようにオ段であるが、言い切りには「書く」「有る」の形はあまり使われず、「書こわ」「有ろわ」の形が使われる<ref name="大島1984">詳細は大島一郎(1984)「伊豆諸島の方言」『講座方言学5 関東地方の方言』pp.233-271を参照。長野県栄村秋山方言についての簡単な言及がpp.261-262に見られる。</ref>。形容詞では、終止形は「高きゃ」「長きゃ」のように「-きゃ」、連体形は「高け」「長け」のように「-け」である<ref name="大島1984"/>。なお、終止形「高きゃ」は「高けわ」という形から来ているのではないかと推定されている。動詞の「書こわ」という形式は、連体形「書こ」に終助詞「わ」が付いていると分析できて、これと並行的になるように「高けわ」という形が推定された。


平山輝男編(1965)pp.11-13, 56-61によれば北部伊豆諸島方言の利島方言で四段型活用動詞終止形「書く」と連体形「書こ」に対立がある(が、形容詞のケ語尾は存在しない)<ref name="大島1984"/>と言う。また平山輝男編(1965)p.13によれば千葉方言に形容詞連体形「高け」が確認されると言うが、例えば馬瀬良雄(1983)にはそのような記述は見られない<ref name="馬瀬1983"/>。
== 分類 ==
* 八丈島方言
**末吉方言
**中之郷方言
**樫立方言
**大賀郷方言
**三根方言
* 青ヶ島方言


==== 形容詞未然=已然形 ====
== 脚注 ==
馬瀬良雄によれば<ref name="馬瀬1983"/>、[[長野県方言#奥信濃方言|長野県栄村秋山方言]]には「立つ」と「立と」の形態的対立や形容詞連体形のケ語尾が見られるだけでなく、長野県栄村秋山屋敷方言に形容詞未然=已然形のカ語尾が見られ、「トーカバ(遠ければ)」「トーカド(遠いけれど)」などと言う。形容詞未然=已然形は上代中央方言ではケ語尾であり、カ語尾は上代東国方言<ref name="福田1965"/>と共通の特徴となる。金田(2001)pp.89-90, 406によれば、八丈方言には「タカカバ(高ければ)」「タカケバ(高ければ)」「タカケドウ(高いけれど)」は存在するが、「タカカドウ(高いけれど)」が確認されたことは無く、「タカカバ」も動詞型活用からの類推で新規に生じた可能性が否定し切れないと言うから、上代東国方言と比較する際に利用することは出来ない。つまり長野県栄村秋山屋敷方言の形容詞未然=已然形のカ語尾は八丈方言にも見られない特徴ということになる。
<references/>


== 参考文献 ==
==== 形態の借用 ====
八丈方言固有の形容詞型活用は、終止形「高きゃ」に対して連体形「高け」であると考えられるが、実際には本土方言的な終止形も確認され、三根では「たけー」と言う<ref>詳細は金田(2001)pp.85-87を参照。</ref>。例えば「気味が悪い」を樫立で「きびごありー」と訛って言うように<ref name="高山2009"/>、本土方言的な終止形は歴史的にも古くから、固有の活用と共に存在したようである。「昨日(きのー)」という語は末吉では「きにー」が固有の形であると考えられるが、実際には北部伊豆諸島方言的な「きにょー」という形も確認される<ref name="高山2009"/>。八丈方言固有の形態を考える際には、本土方言や北部伊豆諸島方言、場合によっては岡山方言からの影響をも見極め、それらを適切な形で分離する必要がある。
*[[飯豊毅一]]・[[日野資純]]・[[佐藤亮一 (言語学者)|佐藤亮一]]編『講座方言学 1 方言概説』[[国書刊行会]]、1986年
**都竹通年雄「文法概説」
*飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 5 関東地方の方言』国書刊行会、1984年
**大島一郎「伊豆諸島の方言」


== 関連項目 ==
==== 現在の否定 ====
動詞の現在の否定には「書きんなか」(書かないよ)のように連用形に「んなか」を付ける<ref name="大島1984"/>。その連体形は三根方言では「書きんのー」となる。なお、「んなか」は「んなこわ」から来ているのではないかと推定されている。形容詞「無(っ)きゃ」の連体形「無(っ)け」が付いた「書きんなけわ」が「書きんなきゃ」を経て「書きんなか」に変化したのではないかと想像しがちだが、中之郷方言には連体形「書きんのあ」の他に連体形「書きんなこ」という形も確認されており<ref>金田(2001)pp.15-28や高山(2009)などを参照。</ref>、「んなこわ」が由来であるというのはほぼ確実である。つまり「んなか」は形容詞型でなく動詞型の活用をすることになるが、[[文法化]]という観点からは不思議なことではない。
* [[小笠原方言]] - 八丈方言に似るが、英語との[[クレオール言語|クレオール化]]など独自の特徴を持つ。
* [[金田章宏]] - [[日本語学|日本語学者]]、八丈方言の研究多数


== 外部リンク ==
==== 過去 ====
典型的な過去表現は「かから」(書いたよ)、「たかからら」(高かったよ)、「静かだらら」(静かだったよ)である。これは古語で完了を表す「り」に相当する要素が含まれていると考えられている<ref name="大島1984"/>。完了の「り」は、元々は例えば「立ち有り」のように四段型動詞連用形に「有り」が付く形であったと推定されており、これが上代中央方言ではエ段甲類に「り」が付く「立てり」という形に変化したのに対して、上代東国方言ではア段に「り」が付く「立たり」に変化したと考えられている。そして八丈方言ではア段に「ら」が付く「立たら」という形になっている。なお、この「ら」は「ろわ」という形から来ているのではないかと推定されている。なお過去表現に関するこの特徴は、たとえば大島(1984)にも類例の指摘が無く「きわめて独自な形式」と語られているように、八丈方言独自の特徴と見られる。
* [http://www.town.hachijo.tokyo.jp/kakuka/kyouiku/hachijo_hogen/index.html 島言葉(八丈方言)を見直そう]八丈町教育委員会(音声ファイル付き)

* [http://www.nhk.or.jp/r2bunka/nihon/0909.html 『八丈島の方言と民話』]私の日本語辞典(NHKラジオ第2、2009年9月)
==== 推量 ====
推量には、「書くのーわ」のように「のー」などを使い、集落により「のう{{IPA|nou}}」(三根)、「なう{{IPA|nau}}」(青ヶ島など)、「のー{{IPA|noː}}」または「ぬー{{IPA|nʊː}}」(樫立・中之郷など)と言う。これは上代東国方言で推量を表した「なむ・なも」の名残と考えられている<ref name="大島1984"/>。平山輝男編(1965)p.14によれば北部伊豆諸島方言のうち利島方言・三宅島坪田方言・御蔵島方言で「アカカンノー」(赤かるなむ)という語形が確認され、八丈方言の「アカカンノーワ」などに対応している。

=== 構文 ===

==== 係り結び ====
古典文法の係り結びに相当するものが存在するが<ref>詳細は金田(2001)pp.99-100, 184-187を参照。</ref>、連体形結びだけでなく、已然形結びに対しても係助詞「か」が用いられる<ref>係助詞「こそ」も一応存在するが、やや副助詞的であり固有の要素かどうか疑義が残る。</ref>。古典語の已然形係り結び「われこそ飲め」(私・こそ・飲むはず;私が飲むのだ)に相当する「あがか飲め」(私が・こそ・飲むはず;私が飲むのだ)という言い方がある。また、古典語の連体形係り結び「なにをかせむ」(何を・か・しよう;(私は)何をしようか/(彼は)何をするだろうか)に相当する「あにょかすのう」(何を・か・するだろう;(彼は)何をするだろうか)という言い方がある。但し「のう」が連体形であるかどうか形式からは判断できない。係助詞「か」は現れないが、疑問詞に対しても連体形係り結びをし、例えば「どけい行こ」(どこへ・行く;どこへ行くの)などとなる。この時の「行こ」は連体形であり、疑問の意味に対して連体形で結んでいることが分かる。

==== 直接話法と間接話法 ====
日本語の方言の中では極めて珍しい、直接話法と間接話法の区別がある<ref>詳細は金田(2001)pp.392-393を参照。</ref>。つまり引用する際に、発言内容をそのまま引用する場合と、話し手の表現に置き換えて伝える場合とで区別がある。共通語の「行くよと言って」に当たる表現は、直接話法なら「行こわーてって」になるが間接話法なら「行こじょうてって」になる。このとき事実としては、発言者は「行こわ」と発言している。また、共通語の「大したもんだよと言って」に当たる表現は、直接話法なら「大したもんだらーてって」になるが間接話法なら「大したもんじょうてって」になる。このとき事実としては、発言者は「大したもんだら」と発言している。意味的に英語の「that」に相当するこの「じょう」という要素だが、いわゆる[[候文]](そうろうぶん)で用いられる「条」という語との対応が見出される。

== 語彙 ==

=== まぎらわしい語彙 ===
ここでは八丈方言の語彙の中でも、共通語とは違う意味で使われるまぎらわしいものを紹介する。

==== 島と国 ====
八丈方言では「地方、中央」の代りに「島、国」と言い、「方言、共通語<ref>八丈島では「[[共通語]]」よりも「[[標準語]]」のほうをよく耳にする。歴史を辿ると、英語の「[http://en.wikipedia.org/wiki/Standard_language Standard language]」に当たる「標準語」という用語は日本では政治的に反感を受け、英語の「[http://en.wikipedia.org/wiki/Common_language Common language]」に当たる「共通語」とも言われるようになった経緯がある。しかし日本で「共通語」と呼ばれているものの実態は、国際的な定義に照らせば「標準語」と呼ぶべきものであり、その規範の普及は主に学校教育やテレビ・ラジオ放送が担っている。例えば八丈方言もまた共通語の普及によって消滅の危機に瀕しているように、共通語と八丈方言が対等の関係にあるわけではなく、規範としての前者が後者を駆逐する関係にある。</ref>」の代りに「島言葉、国言葉」(または「島の言葉、国の言葉」)と呼んで区別する<ref>活字本『八丈実記』1巻p.317に『八丈の寝覚草』引用部があり、そこに「嶋語(シマコトバ)」「国語(クニコトバ)」とあるのが最古の用例か。</ref>。「国」というのは狭義には[[江戸]]・[[東京]]を指すが、広義には[[宇喜多秀家]]の出身である[[岡山]]など、本土全体を漠然と指す。島外者が説明なしに「国」という語に接すると「日本国政府」の意味に取ってしまうかもしれないが、実際には「東京都」だったり「江戸幕府」だったり「本土」だったり「岡山」だったりもするので、文脈に応じて柔軟に解釈する必要がある。

==== 噛む ====
八丈方言では食べることを「噛む(かむ)」と言い、「食べる」とは言わない。「食べろ」という意味の語は「食え、噛め、参れ、上がれ」の4種類あり、この順で尊敬の度合いが上昇するが、地区によって主語になれるものの範囲が少しずつ異なる<ref>金田(2001)p.340と高山(2009)を参照。</ref>。尊敬を意味する「やれ」を接尾して「噛みやれ、参りやれ、上がりやれ」と言うこともある。なお、「参れ」は「メーレ、ミャーレ」などと音が変化している。島外者が説明なしに「噛め」という語に接すると、「良く咀嚼して食べてください」という意味に取ってしまうかもしれない。

=== めずらしい語彙 ===
ここでは八丈方言の語彙の中でも、共通語には見られない意味の区別に役立っているものを紹介する。

==== 火通ると火照る ====
中之郷方言では「火通る(ほとーる)」と「火照る(ほてる)」に使い分けがあり、前者は「体外からの放熱で暑い」を、後者は「体内の蓄熱で暑い」を意味する。例えば「陽光で皮膚が焼かれるような暑さ」だったら「火通る」に、「お風呂から出たばかりで汗が止まらない状態」だったら「火照る」になる。なお、「お風呂のお湯が触ると熱い」という時に使う言葉は「シャシャキャ」となる<ref name="高山2009"/>。共通語では「ほとぼりが冷める」という熟語を除けば既に死語になっているかもしれない「火通る(ほとおる・ほとぼる)」だが、広辞苑を確認する限りでは「火照る」とのあいだに明確な意味の区別があるわけではないようだ。古典語については具体例が少ないので何とも言えない。ちなみに「照る」は共通語と同じで「太陽が光を放つ」という意味になる。

==== 親愛の「メ」 ====
共通語で「奴(め)」と言うと、「馬鹿め!」「こん畜生め!」などの侮蔑や、「私め」「ウチの主人め」などの謙譲、つまりは卑下の意味を名詞に付加する接尾辞であり、広辞苑もこの2つの用法のみ挙げる。八丈方言でも例えば「このどんごメが!(この馬鹿ちゃんが!)」「このはろあためが!(この糞餓鬼ちゃんが!)」などと言うが、実はこの「メ」は侮蔑の意味ではなく、それどころか非難のニュアンスを緩和する働きをしている。なお「メ」とは別に、「持て余し」の意味を付加する接尾辞「ギー」が存在している<ref name="高山2009"/>。「メ」に卑下の意味が無い事を最も端的に示しているのが形式名詞としての用法であり、例えば「長男どーめ(長男である者)」「蟻メのちんごけメ(蟻ンコのちっこいの)」「近藤じーてよメ(近藤爺っていう人)」と言う。金田(2001)pp.326-328に用例が挙がり、金田(2001)p.414注6「動詞を名詞化したものに【単独のnomoだけでなく】nomo meがあるが,これは動作の名詞化ではなく主体や対象を名詞化したノムモノに相当し,meは動詞や形容詞だけでなく名詞かざりをうけることもできるので,意味的にも形式的にも,動詞の準体形とみるのではなく,動詞連体形と体言相当のmeとのくみあわせとみる」と記述されている。人間・動物・物体にかかわらず「メ」で代りに表わすことができ、動詞・形容詞・体言+ダラ・名詞にかかわらず「メ」を修飾することができるが、名詞に修飾された「メ」には(卑下でなく)親愛の意味を付加するというオマケの機能があり、例えば「じょうメ(次郎ちゃん)」「どんごメ(お馬鹿ちゃん)」「蟻メ(蟻ンコ)」などと言う。この点について森下喜一(1979)は「イヌ(犬)、ウサギ(兎)と呼ぶよりはイヌメ、ウサギメと呼ぶほうが、意味・内容は同じであるにしても、感情的に違いがある。【改行】それは「メ」そのものに違いがあるのではなくて、動物名に付いたときにその「メ」の機能を発揮する。【改行】「メ」の機能については、【略】(1)愛らしさ・親しみを感じる。(2)「メ」を付けたほうが表現しやすいなどを挙げることができる」と述べていて、メの接尾しうる動物語彙を大量に調査している(但し人間を表わす語彙に接尾する場合や形式名詞である場合についての言及が無い)。

また森下喜一(1979)は「茨城県・栃木県・福島県など」にも「親愛の「メ」」が見られると述べる。また新田哲夫(2010)<ref>新田哲夫(2010)「石川県白峰の複合動詞アクセントと諸方言のタイプ」国立国語研究所危機方言研究会発表稿</ref>によれば石川県白峰方言にも見られ、「生き物の名詞に付く接尾辞メ。(クマメ≪熊≫、ハットメ≪鳩≫、ドンボメ≪とんぼ≫など)。」と記述されている。但し八丈方言の「メ」は接尾辞(=造語要素)の用法だけでなく形式名詞(=単語)の用法も持つうえ、接尾辞の用法にしても動物語彙ばかりか人間を表わす語彙にも付くから、他の方言に比べて「メ」の使用範囲が広いということが言える。

==== 蟻の分類法 ====
蟻の分類法は地区によって異なるが、ここでは三根方言の分類法を中心に紹介する。白蟻を「ショーリメ」、ただの黒蟻を「アリメ」、小さくて見づらい蟻を「ヒヤシメ」、刺されると赤腫れになって痒くて仕方がないヒヤシメを「キービヤ(シ)」と呼ぶ。青ヶ島ではこれを「クイビヤシ」(食いビヤシ)または「クッチギリビヤシ」(食い千切りビヤシ)と呼び、『八丈実記』には「クヒビヤシ」という仮名書がある(「ヒ」の仮名で書かれているが音は「イ」であったと推定される)。他方で、坂上地区には「食いビヤシ」に当たる語が存在せず、代りに刺さない蟻を「アリメ」、刺して痒くなる蟻を「ヒヤシメ」と呼んで区別する<ref name="高山2009"/>。坂上の3分割法とそれ以外の地区の4分割法の違いは、系統樹の上でこれらを大別する根拠の一つとなる。ところでこの「刺されると痒くなる蟻」が生物学的にどの種の蟻に該当するかについては島民のあいだでも議論が有り、そもそもそんな蟻は存在しないのではないかという意見もあるが、刺されると痒くなる小さな虫が存在するという事は確かである。この点について興味深いのは、和名[[トコジラミ]]、別名南京虫とも呼ばれる、成虫でも8mmほどの赤い虫の存在である。この虫は望月誼三(1930)『八丈島方言の研究』に「アカメ」(南京蟲)と記載され、活字本『八丈実記』1巻p.402には「アカムシ」と記載されている。この「アカメ」が「(食い)ヒヤシメ」と同じものを指す可能性があるが、「(食い)ヒヤシメ」は黒蟻だという意見も聞かれ、判然としない。

== 文献に見られる方言との関係 ==

=== 八丈実記 ===
『八丈実記』には1855年までの江戸時代末期の八丈方言が例証される。特に注記が無いかぎり、著者である近藤富蔵の居住した三根村の方言が主体であると考えられ、現代方言の事実との整合性も取れるが、近藤富蔵が過去の文献を引用した箇所である場合、引用元の文献を問題とする必要があり、地区の特定には課題が残る<ref name="高山2009"/>。

==== 表3-3.文献の例証 ====
[[八丈方言#表3-1.内部での対応|表3-1]]に挙がる『八丈実記』の「例証される形」<ref name="高山2009"/>のうち、「ウイui」を例証するものは「[[八丈方言#蟻の分類法|クヒビヤシ]]」(蟻の一種、三根方言kiibi'ja(si))という仮名書である。但し同時代の文献『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「うぬきてきい(おまえ来て食え)」という仮名書からは、既に動詞の活用形などでは変化が起こり始めていたことが分かる。逆に「反証される形」のうち、「エイei群」の「イーii」を反証するものは「ヘイル」(蛾、三根方言heiru)という仮名書であり、古典語「ひひる(蛾)」に対応する。また「オイoi」を反証するものは『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「てねげへ」「てねげェ」(手拭、三根方言tenegei)という仮名書であり、推定形「テノゴイ(手拭)」に遡る。八丈方言や北部伊豆諸島方言では「ぬぐう(拭)」を「のごう」と言うため、「テヌグイ」でなく「テノゴイ」に遡ることになる。また『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「きめへのめへて」(小腹が立って)がもし「肝へ飲ませて」という構成の熟語であれば、「オイoi」の反証の一助となる。「アーaa」を例証するものは「ハア」(母、三根方言hoo)や「マアミ」(早く、三根方言moomiN)などの仮名書である。「オアoa」を例証するものは「ヘイゴアメ」(牛の一種)や「テングノアジ」(蜘蛛の巣)という仮名書と、『八丈の寝覚草』(1848)より「をとあね」(兄弟、三根方言'otoone)という仮名書である。「オーoo」を例証するものは「カコフ」(母、三根方言kakoo)や「コゴウニ」(このように、大賀郷方言kogooni)という仮名書であるが、表記からは「オウ」と「オー」の区別は見出せず、現代方言の事実と照らし合わせて「オーoo」であると認定することになる。「アイai」を例証するものは山ほどあるが、例えば「ワヒタカ」(おわしたか、三根方言weetooka)という仮名書である。「ウーuu」を例証するものは「マグウニ」(実際に、中之郷方言maguN)や「クウルウ」(六女)という仮名書である。「イイii群」の「イーii」を例証するものは「ジヒロウ」(五女)、「イイ」(粥)などの仮名書である。「オウou」と「アウau」については、仮名書上は直音に「アウ」の例が無いため、既に合流して「オウou」になっていたと考えられ、例証するものは山ほどあるが、例えば「ボウエ」(母屋、三根方言bou'je)という仮名書である。「オヲo'o」を例証するものは「トボヲ」(家の表、樫立方言toboo)という仮名書である。「アウau群」の「アヲa'o」を反証するものは「ヨウラアレ」(静かにしろ、三根方言jouraNse)という仮名書であり、古典語「やをら」に対応する。「アエa'e」を例証するものは「スソガヘシ」(呪詛返し)や「アツカエヲカケ」(胡坐をかけ、三根方言'azukee'jokake)という仮名書である。「アワawa」を例証するものは「ハラハタ」(糞餓鬼、三根方言harootagii)や「クツカワシ」(蝉、三根方言kucukoosime)などの仮名書である。「オワowa」を例証するものは「イコハ」(行こわ、三根方言'ikowa)や「オワタナラヒ」(艮の風)などの仮名書である。まとめると、下表のようになる。

{| class="wikitable"
|-
! 言語 !! ウウuu群 !! アウau群 !! オアoa群 !! エイei群 !! イイii群 !! アイai群
|-
| 全候補(全地区)(推定) || ウヲu'o</br>ウーuu || オヲo'o</br>オウou</br>アヲa'o</br>アウau || アヲa'o</br>オーoo</br>アワawa</br>アーaa</br>オワowa</br>オアoa || エエe'e</br>エイei</br>オエo'e</br>オイoi</br>イエi'e</br>イーii || ウエu'e</br>ウイui</br>イエi'e</br>イーii || アエa'e</br>アイai
|-
| 三根(1850ごろ)(例証) || ウーuu || オヲo'o</br>オウou || オーoo</br>アワawa</br>アーaa</br>オワowa</br>オアoa || エイei || ウイui</br>イーii || アエa'e</br>アイai
|-
| 三根(1850ごろ)(反証) ||   || アヲa'o</br>アウau ||   || オエo'e</br>オイoi</br>イエi'e</br>イーii ||   ||  
|-
| 三根(1850ごろ)(不明) || ウヲu'o ||   || アヲa'o || エエe'e || ウエu'e</br>イエi'e ||  
|}

=== 「明日葉」と文献 ===
伊豆諸島周辺に固有の植物である[[明日葉]]は、共通語では「アシタバ」と言い、八丈方言でも対外的には「アシタバ」の呼称が継承されてきたふしがあるが、内部では音変化を遂げ、樫立・中之郷では「ヤータバ」または更に変化した「ヤタバ」、それ以外の地区では「エータバ」になっている。文献上、明日葉は「鹹草」(塩辛い草の意)、「アシタ」、「アシタ草」、「アシタ葉」などと記されてきたが、その仮名書例は古くは『大和本草』(1709)に「アシタ」、『八丈島年歴抜書』に「アシタ艸」、『御尋書御請控』(1749)に「あした草」が見え、以降も継続的に「アシタ」の仮名書が確認される。他方で、サ行イ音便を起こしたあとの仮名書例は古くは『南方海島志』(1791)に「アイタ・アイダ」、『八丈の寝覚草』(1848)に「アイタ・アイタバ」、『八丈実記』(1855)に「アヒダ草・アイタ・アヒタ草」が見える。そこで、1791年までに「アイタバ」という音形が成立したこと、更には、1791年までに「アシ」という音連続におけるサ行イ音便が完了して「アイ」に変化したことが分かる。「オシ」や「ウシ」という音連続におけるサ行イ音便も同時期に起こったと考えることにすると、『八丈実記』(1855)に「アイ」、「ウイ」が例証され『八丈の寝覚草』(1848)に「オイ」の残存が反証されることから、「オイ」から「エイ」への変化は1750年前後から1848年までの期間に起こったと推測されることになる<ref name="高山2009"/>。

=== 上代東国方言 ===
現代方言と[[日本語の方言#上代東国方言|上代東国方言]]を比較する際に挙げられる上代東国方言の形態的特徴は次のものである<ref name="福田1965">詳細は福田良輔(1965)pp.332-411,487-546を参照。</ref>。
# 完了の「り」(中央語ではエ列甲類に接続)がア列に接続する。例えば、中央の「立てり」に対して東国の「立たり」。
# 形容詞の未然形=已然形語尾を「け甲類」でなく「か」と言う。例えば、中央の「遠けば・遠けども」に対して東国の「遠かば・遠かども」。
# 形容詞の連体形語尾を「き甲類」でなく「け」と言う。例えば、中央の「長き(物)」に対して東国の「長け(物)」。
# 四段活用動詞などの連体形語尾をオ列甲類音で言う。例えば、中央の「有る(物)」に対して東国の「有ろ(物)」。
# 推量に「なむ・なも」(中央語の「らむ」に当たる)を用いる。
# 一段型動詞の命令形語尾に「ろ」を用いる。
これらに対応して八丈方言・長野県栄村秋山方言は次のような形態的特徴を持っている<ref>金田(2001)pp.1-14および平山輝男編(1965)pp.9-17等を参照。</ref><ref name="馬瀬1983"/>。
# 八丈方言でのみ、例えば動詞「書く」の過去形は「書から」(推定古形「書かろわ」)となる。
# 長野県栄村秋山屋敷方言でのみ、例えば形容詞の未然形=已然形は「とーかば・とーかど(遠)」となる。
# 八丈方言で、形容詞「高きゃ」(推定古形「高けわ」)の連体形は「高け(山)」。類似の特徴は長野県栄村秋山方言にも見られる。
# 八丈方言で、動詞「書く」の現在形は「書こわ」、連体形は「書こ(時)」。類似の特徴は利島方言・長野県栄村秋山方言にも見られる。
# 八丈方言で、推量を「のー」で表わす。この特徴は北部伊豆諸島の利島方言・三宅島坪田方言・御蔵島方言にも見られる。
# 八丈方言で、動詞「見る」の命令形は「見ろ」。この特徴は広く東日本の方言に見られる。

== 文献時代以前の日本語との関係 ==

=== 文法 ===

==== 過去の否定 ====
金田(2001)pp.132-145には、「飲みんじゃらら」(飲まなかったよ;過去の否定)という形式が「飲みにしありあろわ」に由来していると分析することが出来て、それゆえ否定の「~ず」の古い形であると想像されている「~にす」の連用形「~にし」の痕跡が確認できると主張されている。しかしながら、例えば「飲み見ずありあろわ」(飲んでみなかったよ)→「飲みみざらら」→「飲みんざらら」→(イiの前進同化=拗音化)→「飲みんじゃらら」などと変化した可能性もまた否定できず、様々な由来の可能性が残る。従ってこれを上代以前の特徴の痕跡と主張することは出来ない。

=== 語彙 ===

==== 蚯蚓 ====
語彙の中には上代以前の特徴の痕跡であると考えられるものがある。八丈方言では「[[ミミズ]]」を「メメズメ」または「ネネズメ」と言うが<ref>国立国語研究所(1950)pp.383,402を参照。</ref>、これは上代中央方言「美々須」(みみず;ミの甲乙は不明;岩波書店『古代歌謡集』「[[催馬楽]]」55番歌より)と対応する。他方で[[琉球方言]]には「[[水]]」を「メヅ」またはそれに由来する形で言う方言があり<ref>一例を挙げる。上野善道(2002)「喜界島小野津方言のアクセント調査報告」『琉球の方言』26号に「メズmIzu(水)」、「ヨメjomI(嫁)」、「メーmI:(目)」、「ミミmimi(耳)」、「ウミumi(海)」などとあり、「水」は中舌母音の「エI」で現れている。この事から元は「エe」であったと推測できる。</ref>、これは上代中央方言「美豆」(みづ;ミは甲類;[[万葉集]]4003番歌より)と対応する。これらの例は、中央のイ列甲類と方言のエ列とが対応している例であり、形容詞の連体形でも同様の対応(中央の「き甲類」に対して東国や八丈の「け」)<ref>詳細は服部四郎(1968)、服部四郎(1978-1979)を参照。</ref>が見られる。この対応関係を合理的に説明する為には、「メメズ」や「メヅ」の「エe」を上代以前の特徴の痕跡であると考える必要がある。

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
;語彙集・歌謡
:[[国立国語研究所]](1950)『八丈島の言語調査』秀英出版
:[[浅沼良次]](1999)『八丈島の方言辞典』朝日新聞出版サービス
:[[金田章宏]](2004)『奥山熊雄の八丈島古謡』笠間書院
:金田章宏ほか(2005)『八丈島古謡 奥山熊雄の歌と太鼓』笠間書院
:[[山田平右エ門]](2010)『消えていく島言葉 ~八丈語の継承と存続を願って~』郁朋社
;音韻・文法・語彙の研究書
:国立国語研究所(1950)『八丈島の言語調査』秀英出版
:[[平山輝男]]編(1965)『伊豆諸島方言の研究』明治書院
::平山輝男ほか「南部伊豆諸島方言の概観」
::[[馬瀬良雄]]ほか「八丈島・小島方言」
::平山輝男ほか「青ヶ島方言」
:[[大島一郎]]ほか(1980)『八丈島方言の研究』東京都立大学国語学研究室
:[[飯豊毅一]]・[[日野資純]]・[[佐藤亮一]]編(1984)『講座方言学5 関東地方の方言』国書刊行会
::大島一郎「伊豆諸島の方言」
:大島一郎(1986)『八丈小島方言調査報告書』東京都教育庁社会教育部文化課
:大島一郎編(1987)『八丈島方言における言語変化 ―共通語化の側面を中心として―』東京都立大学人文学部国語学研究室
:金田章宏(2001)『八丈方言動詞の基礎研究』笠間書院
;文献の影印・活字翻刻・研究書
:[[吉町義雄]](1951)「「園翁交語」と「八丈実記」の島言葉」『文学研究』第42輯pp.127-154 ---- 高橋與一(1802)『園翁交語』の活字翻刻
:[[福田良輔]](1965)『奈良時代東国方言の研究』風間書房
:[[澤瀉久孝]]ほか編(1967)『時代別国語大辞典上代編』三省堂
:[[馬淵和夫]](1971)『国語音韻論』笠間書院
:[[八丈実記刊行会]](1964-1976)『八丈実記』緑地社 ---- [[近藤富蔵#八丈実記(活字本)|近藤富蔵(1855)『八丈実記』の活字翻刻]]
:[[中田祝夫]](1985)『八丈の寝覚草』勉誠社文庫133 ---- 鶴窓帰山(1848)『八多化の寝覚艸』の影印および活字翻刻
;論文集・論文
:[[井上史雄]]ほか編(1995)『日本列島方言叢書7 関東方言考③(東京都)』ゆまに書房
::[[金田一春彦]](1943)「伊豆諸島の音韻とアクセントところどころ」『方言研究』8号
::平山輝夫(1958)「青ヶ島方言の所属」『国学院雑誌』10巻11号
::飯豊毅一(1959)「八丈島方言の語法」『国立国語研究所論集』1号
::[[北条忠雄]](1959)「八丈方言の国語学的研究(一)」『秋田大学学芸学部研究紀要』9号
::北条忠雄(1961)「八丈方言の国語学的研究(二)」『秋田大学学芸学部研究紀要』11号
::馬瀬良雄(1961)「八丈島方言の音韻分析」『国語学』43集
::[[服部四郎]](1968)「八丈島方言について」『ことばの宇宙』3巻11号
::[[森下喜一]](1979)「八丈島における接尾語「メ」の機能について ―特に各年齢層を通して―」『岩手医科大学教養部研究年報』14号
:[[利用者:Sandy65536|高山林太郎]](2009)「八丈方言の母音の通時的変化」東京大学修士論文
:高山林太郎(2010)「母音の甲乙が確認される現代方言の報告(1)~八丈島方言~」[http://www.ninjal.ac.jp/research/project/a/04-1/ 国立国語研究所危機方言研究会]発表稿
;系統論
:服部四郎(1959)『日本語の系統』岩波書店
:服部四郎(1968)「八丈島方言について」『ことばの宇宙』3巻11号
:服部四郎(1978-1979)「[[服部四郎#論文|日本祖語について]]」『月刊言語』7巻1号-8巻12号
:飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編(1983)『講座方言学6 中部地方の方言』
::馬瀬良雄「長野県の方言」 ---- [[長野県方言#奥信濃方言|奥信濃方言]](長野県[[栄村]]方言、特に[[秋山郷|秋山]]方言、特に屋敷方言)
;外部リンク
:[http://www6.ninjal.ac.jp/d_report/06/ 国立国語研究所報告No.1『八丈島の言語調査』(1950年)] -- 公開pdfファイル
:[http://homepage.mac.com/miyagi_iso14001/iiDB/005.html#.E6.B0.91.E4.BF.97.E3.83.BB.E7.94.9F.E6.B4.BB.E3.83.BB.E5.9B.9E.E9.A1.A7.E9.8C.B2 南部伊豆諸島の民俗に関する文献リスト] -- 方言以外に関する文献もふくむ
:[http://www.town.hachijo.tokyo.jp/kakuka/kyouiku/hachijo_hogen/index.html 島言葉(八丈方言)を見直そう] -- 八丈町教育委員会(音声ファイル付き)
:[http://www.nhk.or.jp/r2bunka/nihon/0909.html 『八丈島の方言と民話』] -- 私の日本語辞典(NHKラジオ第2、2009年9月)


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2011年1月12日 (水) 16:00時点における版

八丈方言(はちじょうほうげん)は、東京都伊豆諸島に属する八丈島八丈小島青ヶ島で使用されてきた日本語の方言である。本土方言との差が著しく、2009年ユネスコ消滅危機言語に指定した際には、その分類基準によって「独立した言語」(八丈語)とされた[1]

図1.日本語族の方言区画
図2.伊豆諸島の地図

分類

近縁の方言

八丈島御蔵島(北部伊豆諸島[2]に属する)との間には黒潮が流れており、古来海洋交通の難所であったため本土との交流が少なく、本土の他方言とは著しい方言差がある。現代方言で最も近縁とされる方言は北部伊豆諸島方言[3]である。文献上、最も近縁とされる方言は万葉集の東歌・防人歌に記録された上代東国方言(奈良時代の中部・関東地方の方言)であり、その特徴を多く共有しているとされる。八丈方言そのものの文献としては、江戸時代末期に近藤富蔵が著述・編纂した『八丈実記』が代表的である。八丈方言を元にしつつ八丈方言でなくなったものに小笠原方言南大東島方言がある。小笠原群島では英語ハワイ語基層言語として八丈方言がそれらとのクレオール化を果たした。南大東島(当時無人島)には玉置半右衛門主導で入植した歴史があり、八丈方言を基層言語としつつ沖縄本島ウチナーヤマトグチに同化した。

流人の言語の影響

宇喜多秀家ら、高貴な身分の流人によって八丈島に当時の最新の文化がもたらされたことは歴史の事実である。島民は、島言葉にはところどころ流人の出身地の言葉の影響が見られると主張することがある。確かにそう感じられるが、厳密に出所を特定しようとすると簡単には行かない。例えば宇喜多秀家の岡山方言の影響が存在すると主張する場合、それが江戸方言や北部伊豆諸島方言ではなく、ほかならぬ岡山方言の影響であることを示す必要がある。例えば、共通語の断定の「だ」に対応する要素としては、関東的な「だら」と岡山的な「じゃ」の2種類が存在し、更に「だら」の連体形「どー」に「じゃ」が付いた「どーじゃ」という形式も存在している[4]。この「じゃ」の出所は岡山方言以外には考えにくい[5]

図3.日本語族の系統樹(試案)
図4.八丈島、小島、青ヶ島の地図
図5.八丈方言の系統樹(試案)

日本語の中での位置づけ

八丈方言と北部伊豆諸島方言とは方言連続体であり、現代の共時態をありのままに見るなら八丈方言だけを切り離して卓立させるのは理に適わない。それにもかかわらず八丈方言が特別視される理由は、その通時論への貢献度の高さにある。日本語の本土方言は奈良時代には既に中央方言と東国方言とで方言差を生じていたが、東国方言の側に属する現代方言が八丈方言と、もう一つ長野県栄村秋山方言ぐらいしかない。北部伊豆諸島方言なども東国方言的な特徴を持ってはいるが痕跡的である。そこで、八丈方言と長野県栄村秋山方言には言わば生き証人の使命が課せられる。ではこれらはどれくらい卓立しているのだろうか。平山輝夫編(1965)p.17は、本土方言琉球方言を先ず分けて、更に本土方言を東部方言、八丈方言、西部方言九州方言に4分割するという立場をとった(「日本語の方言」を参照)。方言区画が現代共時態と通時論の折衷案であるかぎり、この分類は妥当である。しかし通時論だけを考えるなら八丈方言はもう一段昇格し、八丈方言、八丈方言以外の本土方言、琉球方言の3者が互いに匹敵することになる。日本語族系統樹(試案)を描くと図3のようになる[6]。但し、長野県栄村秋山方言の幾つかの特徴は東国方言の祖語へと枝を伸ばす。現代共時態だけを見る場合、現代共時態と通時論の両方を見る場合、通時論だけを見る場合の3通りの見方があり、日本語の中での位置づけ方も変わってくる。

下位方言の分類

図4を参照。八丈方言に含まれる下位方言を地理的に分類すると下の一覧のようになる[7]。原則として、地理的に近い方言ほど互いによく似ている。地理的条件と長母音・二重母音の音韻対応に基づいて下位方言間で比較すると図5の系統樹(試案)が描ける[8]。但し利用した情報が限られるため、更に他の要素を比較することで別様の系統樹が描かれる可能性はある。

  • 八丈島(はちじょうしま[9];御蔵島の南南東に約75km)
    • 坂上(さかうえ;八丈島の南部の山岳地帯)
      • 末吉村(すえよし;坂上東部) ― 末吉方言[10]
      • 中之郷村(なかのごう;坂上中部) ― 中之郷方言
      • 樫立村(かしたて[11];坂上西部) ― 樫立方言
    • 坂下(さかした;八丈島の中部の平野地帯)
      • 三根村(みつね;坂下東部) ― 三根方言
      • 大賀郷村(おおかごう;坂下西部) ― 大賀郷方言[12]
    • 永郷(えいごう;八丈島の北部の山岳地帯)
      • 旧三根村側(永郷東部) ― 移住者の出身地区による
      • 旧大賀郷村側(永郷西部) ― 移住者の出身地区による
  • 小島(こじま;八丈島の西に約7.5km)[13]
    • 宇津木村(うつき;小島南東部) ― 宇津木方言
    • 鳥打村(とりうち;小島北西部) ― 鳥打方言
  • 青ヶ島(あおがしま;八丈島の南に約65km)
    • 青ヶ島村 ― 青ヶ島方言

音韻

音調

アクセント無アクセントであり、アクセント型を区別する意識が話者に無いため、例えば「飴」と「雨」を同じように発音するし、共通語を喋ろうとしても例えば「林道」と「竜胆」を同じように発音してしまいがちである。音調として意識されるのは専らイントネーションであり、方言話者は地区によるイントネーションの違いをよく話題にするが、未だに体系的な研究がなされたことはなく、今後の課題である。

音便と促音

共通語のイ音便に当たる箇所が促音便で現れる。例えば「書いて」が「書って」に、「稼いで」が「稼っで」になる[14]。同様の現象は例えば東京方言の「歩って」にも見られる。また、共通語とは違って濁音の前に促音が立つことが容易であり、例えば中之郷方言では「タッゴ(双子)」、「ヤッデ(病んで)」[15]、「ヒッビ(日々)」、「アッザ(痣)」と言う。同様の現象は例えば長野県栄村方言(「奥信濃方言」と同じものを指す)の「コッタ(今度は)」、「ベッポ(貧乏)」、「サッツァ(散々)」にも見られる[16]。これらの点は東国方言的な特徴であると言えるが、これら自体が東国方言の祖語に遡るとは考えられない。むしろ祖語の段階に何らかの音韻的な制約・特性が存在し、それが後代にこれらの点をもたらしたと考えられる。

長母音・二重母音

連続する母音の融合や、融合後の音色の変化が著しく、島外者には聴き取りが難しいとされる。地区によって音色が違っており、方言話者はそのことに自覚的で、人によっては地区ごとの音色の違いを部分的に説明できる。

表1.助詞「を」の屈折

軽音節に対する助詞「を」の融合と音色の変化は次のとおり[17][8]。但し重音節に対しては膠着形式「ヨ」が付き、例えば「ホンヨ[χoĩjo](本を)」などとなる。「イ」で終わる単語の屈折形に「ツチー」と「ツチョ」の2種類を挙げたが、前者は後述の「イー格」とまぎらわしく、後者はまぎらわしさの解消の為に新たに生じたと推測される。なお、樫立・中之郷ではオー[oː]がウー[ʊː]に近い音色で実現することもある。金田章宏はこれらを総称して「ヨ格」と呼ぶ。

共通語 三根 大賀郷 末吉 中之郷 樫立 宇津木 鳥打 青ヶ島
皿を サロー[saɾoː] サロー[saɾoː] サラー[saɾaː] サロア[saɾʊɐ] サロア[saɾʊɐ] サロー[saɾoː] サロー[saɾoː] サロー[saɾoː]
物を モノウ[monou] モナウ[monɐu] モノー[monoː] モノー[monoː] モノー[monoː] モナウ[monau] モノー[monoː] モナウ[monɔu]
水を ミズー[mizuː] 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左
酒を サケイ[sakɛi] サカイ[sakɐi] サキー[sakiː] サケー[sakeː] サキエ[sakie] サカイ[sakai] サケー[sakeː] サケイ[sakɛi]
土を(1) ツチー[tsutʃiː] 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左
土を(2) ツチョ[tsutʃo] 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左

表2.助詞「へ」の屈折

軽音節に対する助詞「へ」の融合と音色の変化は次のとおり[17][8]。但し重音節に対しては膠着形式「イ(ー)」が付き、例えば「キューシューイ(ー)[kjuːʃuːi(ː)](九州へ)」などとなる。但し青ヶ島では「キューシューリ(ー)[kjuːʃuːɾi(ː)]」などとなる。「イ(ー)」の長さは地区によって異なり、発話時の音調によっても異なる。金田章宏はこれらを総称して「イー格」と呼ぶ。

共通語 三根 大賀郷 末吉 中之郷 樫立 宇津木 鳥打 青ヶ島
浜へ ハメー[χamɛː] ハメー[χameː] ハメー[χameː] ハメア[χamea] ハミャー[χamjaː] ハメー[χamɛː] ハメー[χameː] ハメー[χameː]
角へ カデイ[kadɛi] カダイ[kadɐi] カディー[kadiː] カデー[kadeː] カディエ[kadie] カダイ[kadai] カデー[kadeː] カデイ[kadɛi]
店へ ミセイ[misɛi] ミサイ[misɐi] ミシー[miʃiː] ミセー[miseː] ミシエ[miʃie] ミサイ[misai] ミセー[miseː] ミセイ[misɛi]
彼方(ウク)へ ウキー[ukiː] 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左
海へ ウミー[umiː] 同左 同左 同左 同左 同左 同左 同左

対応規則全般

長母音・二重母音の対応規則には二層あり、金田(2001)が「一次的」と呼ぶ層は相対的に歴史が深く、「二次的」と呼ぶ層は歴史が浅い。但し例外的に、音変化以前の音形「ウイ/u'i/」を留めた為に「二次的」な層に分類される語もある。「一次的」な層を利用して祖体系が八丈祖語に再構される。ここでは三根方言の状態と変化前の推定状態(標準語や古典語など)とを比較する[8]。なお、下記で/c/は[ts,tʃ]を表わす記号である。

  • 二次的な層
    • 「オイ[oi]」に対応するもの:「オレ/ore/」。
      • 例:「こい」(<此れ)、「そい」(<其れ)、「どい」(<何れ)。
    • 「ウイ[ui]」に対応するもの:「ウレ/ure/」、「ウイ/u'i/」(音変化前の形を保持)、「ウイ/u'i/」(/s,c,z/直後でありイー格である)。
      • 例:「うい」(<彼れ)、「むいか」(<六日)、「いずい」(<伊豆へ)。
    • 「アイ[ai]」に対応するもの:「アレ/are/」、「アリ/ari/」、「アイ/a'i/」。
      • 例:「あい」(<吾れ)、「だい」(<誰れ)、「ふたい」(<二人)、「たいけ」(<大家)。
    • 「アー[aː]」に対応するもの:「アラ/ara/」。
      • 例:「のまーば」(<飲まらば)、「こっかー」(<こっから)、「はー」(<早ら)。
  • 一次的な層
    • 「エイ[ei]」に対応するもの:「エキ/eki/」、「オシ/osi/」、「エイ/e'i/」、「オイ/o'i/」、「イイ/i'i/」(/s,c,z/直後でなくイー格でない)、「ウイ/u'i/」(/s,c,z/直後でありイー格でない)。
      • 例:「でいて」(<出来て)、「へいて」(<干して)、「ていねい」(<丁寧)、「てねげい」(<手拭い/tenogo'i/)、「へいるめ」(<ひひるめ)、「つぇいたち」(<ついたち)。
    • 「イー[iː]」に対応するもの:「ウシ/usi/」、「イイ/i'i/」(原則)、「ウイ/u'i/」(原則)。
      • 例:「ひーて」(伏して)、「しー」(<椎)、「すきー」(<掬い)。
    • 「エー[eː]」に対応するもの:「アセ/ase/」、「アレ/are/」、「アシ/asi/」、「アイ/a'i/」。
      • 例:「のめーて」(<飲ませて)、「ねー」(<活用語尾のナレ)、「えーたば」(<明日葉)、「へーろわ」(<入ろわ)。
    • 「オー[oː]」に対応するもの:「アコ/ako/」、「アロ/aro/」、「オワ/owa/」、「アワ/awa/」、「アヲ/a'o/」(原則)、「オア/o'a/」、「アア/a'a/」。
      • 例:「しんのーだら」(<しんなこだら)、「のもー」(<飲まろ)、「おもーず」(<思わず)、「ほー」(<母)、「よー」(<巌/'iwa'o/)、「しょーりめ」(<白蟻メ)、「はどーし」(<裸足)。
    • 「オウ[ou]」に対応するもの:「オヲ/o'o/」、「アヲ/a'o/」(例外)、「オウ/o'u/」、「アウ/a'u/」。
      • 例:「とうそわ」(<通そわ)、「ようらん」(<やをらに)、「らんぼう」(<乱暴/raNbo'u/)、「ほう」(<方/ha'u/)。
    • 「ウー[uː]」に対応するもの:「ウス/usu/」、「ウヲ/u'o/」、「ウウ/u'u/」。
      • 例:「すーろわ」(<啜ろわ)、「かつー」(<鰹)、「ふうつき」(<風付き)。

表3-1.内部での対応

外部との対応規則に注意しつつ、内部での対応グループを6つに分類し、それぞれの特徴的な音から「ウウuu群、アウau群、オアoa群、エイei群、イイii群、アイai群」とラベルを付ける[8]。なお、下表からは/s,c,z/とイー格が関わる特殊な対応規則を除外した。表中で『八丈実記』のほうが「祖体系」よりも過去に位置しているように、長母音・二重母音の祖体系の歴史は浅く、だいたい江戸時代末期以降に完成している(地区によって、また個々の要素によって成立時期にはズレや幅が存在するはずであり、最終的に現在の対応関係が完成したのが江戸時代末期以降ということである)。従って八丈方言の系統樹を描いて行くうえではこれら以外の要素についての検討が必須となる。「アウau群」と「オアoa群」について「祖体系」では「収束困難」としたが、これら2群から分かることもある。「オーoo」という音形の分布を見ると坂上では「アウau群」に、それ以外の地区では主に「オアoa群」に分布しており、坂上とそれ以外とを大別する根拠の一つとなっている。

言語 ウウuu群 アウau群 オアoa群 エイei群 イイii群 アイai群
全候補(全地区)(推定) ウヲu'o
ウーuu
オヲo'o
オウou
アヲa'o
アウau
アヲa'o
オーoo
アワawa
アーaa
オワowa
オアoa
エエe'e
エイei
オエo'e
オイoi
イエi'e
イーii
ウエu'e
ウイui
イエi'e
イーii
アエa'e
アイai
八丈実記(三根)(例証) ウーuu オヲo'o
オウou
オーoo
アワawa
アーaa
オワowa
オアoa
エイei ウイui
イーii
アエa'e
アイai
八丈実記直後(三根)(推定) ウーuu オウou オーoo
アーaa
オアoa
エイei イイii アイai
祖体系(全地区)(再構) ウーuu 収束困難 収束困難 エイei イーii アイai
青ヶ島(1950年ごろ) ウーuu アウau オーoo エイei イーii エーee
鳥打(1950年ごろ) ウーuu オーoo オーoo エーee イーii エーee
宇津木(1950年ごろ) ウーuu アウau オーoo アイai イーii エーee
大賀郷(1950年ごろ) ウーuu アウau オーoo アイai イーii エーee
三根(1950年ごろ) ウーuu オウou オーoo エイei イーii エーee
末吉(1950年ごろ) ウーuu オーoo アーaa イーii イーii エーee
中之郷(1950年ごろ) ウーuu オーoo オアoa エーee イーii エアea
樫立(1950年ごろ) ウーuu オーoo オアoa イエie イーii ヤーjaa

表3-2.条件付き対応

/s,c,z/直後かどうか、そしてイー格・ヨ格であるかどうかという条件によって音変化の結果が違う場合があるが、金田(2001)p.404注15は「対応の例外的なこれらの単語は,その伝来の時期とこの方言に規則的におこった母音変化の時期との関係が問題になるだろう」と述べ、条件付きの対応を見落としている[8]。それ以外の対応事実は下表と同じだが、音変化の解釈には若干違いがある。「/s,c,z/直後」という条件は「母音の中舌性を維持する方向」の働きをし、「イー格・ヨ格である」という条件は「語幹母音の音色を維持する方向」の働きをしている。

推定由来 結果事実 頭子音の条件 形態の条件 語例
オイoi・オエoe エイei 無条件 無条件 金田(2001)pp.21-22参照
ウイui・ウエue エイei /s,c,z/の直後 イー格でない 語例①
ウイui・ウエue ウイui /s,c,z/の直後 イー格である 語例②
ウイui・ウエue イーii /s,c,z/以外の直後 無条件 金田(2001)pp.17-19参照
イエie・イヲi'o イーii 無条件 イー格であるか、ヨ格である 金田(2001)pp.17-19参照、語例③
イイii イーii /s,c,z/の直後 イー格でない 語例④
イイii・イエie エイei /s,c,z/以外の直後 イー格でない 語例⑤
エイei・エエee エイei 無条件 無条件 金田(2001)pp.21-22参照
  • 語例①;/s,c,z/の直後であり、イー格でない。 -- 確実な対応関係を示す。
    • 三根方言;「セイモノ(吸物)」、「ゾウセイ(雑炊)」、「ツェイタチ(一日)」、「ウツツェイ(一昨日)」、「カテイル(かつえる;飢餓)」、「ヘッツェイ(へっつい;竈)」、「ゼイブ(ン)(随分)」、「ツェイ(杖)」、「セイシ(末吉)」。
  • 語例②;/s,c,z/の直後であり、イー格である。 -- 対応関係に疑義が残る。
    • 中之郷方言;「イズイ(伊豆へ)」、「アスイ(明日へ)」。適当な語例が無く「伊豆・明日」を利用したが、伊豆にはあまり行かないし明日に行くのは架空の話になる。これらは単に、膠着形式「イ(ー)」が付いただけの可能性もあるが、いずれにせよ独自の対応を示している。
  • 語例③;頭子音にかかわらず、ヨ格である。 -- 確実な対応関係を示す。
    • 三根方言;「ハナシー(話を)」、「マッチー(マッチを)」、「ボウジー(房事を;料理を)」、「キー(木を)」、「オウリー(ヲヲリを;樹木の枝房を)」。これらは「ハナショ」などとも言えて、2つの形式のあいだに意味の違いは無い。若い世代は「ハナシー」などを使わなくなっている。
  • 語例④;/s,c,z/の直後であり、イー格でない。 -- 対応関係に疑義が残る。
    • 三根方言;「シー(椎)」、「チート(ちいと;少し)」、「ジー(爺)」、(例外「オセイル(教える)」)。「/s,c,z/直後」という条件が本当に有効なのか疑義が残る。単に、音変化から取り残されただけかもしれない。
  • 語例⑤;/s,c,z/以外の直後であり、イー格でない。 -- 確実な対応関係を示す。
    • 三根方言;「シケイ(敷居)」、「ネイル(煮える)」、「ヘイルメ(ひひるめ;蛾)」、「ヘイキ(贔屓)」、「ヘイ(稗;稗そのものではなく田の雑草を指す)」、「メイル(見える)」、(例外「オセイル(教える)」)。

表4.サ行イ音便

金田(2001)p.19「動詞でのsの脱落は坂上ではおこりにくいが,「アシタバ」は中之郷でもja(:)tabaである」という記述に反して、実際には坂上でも、「明日葉」という語以外にも、動詞の連用形に接続助詞「テ」が続く環境でサ行イ音便が生じた語形が確認できる[8]。下表でカッコ付きの語形は、その話者の中で音便が共通語化してしまっていると推測されるもの。なお、ここでの長母音・二重母音の体系は2009年ごろのものであるため、1950年ごろの体系とは音色が若干違っている。

  青ヶ島 三根 末吉 中之郷 樫立
伏して(ふして) 未確認 ひーて (ふして) ふして 未確認
燃して(むして) みーて みーて (むして) むして 未確認
干して(ほして) へいて へいて (ほして) ひーて (ほして)
話して(はなして) (はなして) はねーて (はなして) はにゃーて はにゃーて
「いらっしゃって」(わして) 未確認 うぇーて うぇーて うゃーて うゃーて
飲ませて(のませて) 未確認 のめーて (のませて) のみゃーて のみゃーて
明日葉(あしたば) えーたば えーたば えーたば やーたば(高年層)
やたば(中年層)
やーたば(高年層)
やたば(中年層)

文法

形態

終止形と連体形

本土方言のほとんどで失われた四段型活用動詞形容詞終止形連体形の音形の区別に相当するものがあり、特に連体形は万葉集の東歌・防人歌に記録されたものと同じく「行こ時」「高け山」のように言う。動詞の終止形は「書く」「有る」のようにウ段語尾、連体形は「書こ」「有ろ」のようにオ段であるが、言い切りには「書く」「有る」の形はあまり使われず、「書こわ」「有ろわ」の形が使われる[18]。形容詞では、終止形は「高きゃ」「長きゃ」のように「-きゃ」、連体形は「高け」「長け」のように「-け」である[18]。なお、終止形「高きゃ」は「高けわ」という形から来ているのではないかと推定されている。動詞の「書こわ」という形式は、連体形「書こ」に終助詞「わ」が付いていると分析できて、これと並行的になるように「高けわ」という形が推定された。

平山輝男編(1965)pp.11-13, 56-61によれば北部伊豆諸島方言の利島方言で四段型活用動詞終止形「書く」と連体形「書こ」に対立がある(が、形容詞のケ語尾は存在しない)[18]と言う。また平山輝男編(1965)p.13によれば千葉方言に形容詞連体形「高け」が確認されると言うが、例えば馬瀬良雄(1983)にはそのような記述は見られない[16]

形容詞未然=已然形

馬瀬良雄によれば[16]長野県栄村秋山方言には「立つ」と「立と」の形態的対立や形容詞連体形のケ語尾が見られるだけでなく、長野県栄村秋山屋敷方言に形容詞未然=已然形のカ語尾が見られ、「トーカバ(遠ければ)」「トーカド(遠いけれど)」などと言う。形容詞未然=已然形は上代中央方言ではケ語尾であり、カ語尾は上代東国方言[19]と共通の特徴となる。金田(2001)pp.89-90, 406によれば、八丈方言には「タカカバ(高ければ)」「タカケバ(高ければ)」「タカケドウ(高いけれど)」は存在するが、「タカカドウ(高いけれど)」が確認されたことは無く、「タカカバ」も動詞型活用からの類推で新規に生じた可能性が否定し切れないと言うから、上代東国方言と比較する際に利用することは出来ない。つまり長野県栄村秋山屋敷方言の形容詞未然=已然形のカ語尾は八丈方言にも見られない特徴ということになる。

形態の借用

八丈方言固有の形容詞型活用は、終止形「高きゃ」に対して連体形「高け」であると考えられるが、実際には本土方言的な終止形も確認され、三根では「たけー」と言う[20]。例えば「気味が悪い」を樫立で「きびごありー」と訛って言うように[8]、本土方言的な終止形は歴史的にも古くから、固有の活用と共に存在したようである。「昨日(きのー)」という語は末吉では「きにー」が固有の形であると考えられるが、実際には北部伊豆諸島方言的な「きにょー」という形も確認される[8]。八丈方言固有の形態を考える際には、本土方言や北部伊豆諸島方言、場合によっては岡山方言からの影響をも見極め、それらを適切な形で分離する必要がある。

現在の否定

動詞の現在の否定には「書きんなか」(書かないよ)のように連用形に「んなか」を付ける[18]。その連体形は三根方言では「書きんのー」となる。なお、「んなか」は「んなこわ」から来ているのではないかと推定されている。形容詞「無(っ)きゃ」の連体形「無(っ)け」が付いた「書きんなけわ」が「書きんなきゃ」を経て「書きんなか」に変化したのではないかと想像しがちだが、中之郷方言には連体形「書きんのあ」の他に連体形「書きんなこ」という形も確認されており[21]、「んなこわ」が由来であるというのはほぼ確実である。つまり「んなか」は形容詞型でなく動詞型の活用をすることになるが、文法化という観点からは不思議なことではない。

過去

典型的な過去表現は「かから」(書いたよ)、「たかからら」(高かったよ)、「静かだらら」(静かだったよ)である。これは古語で完了を表す「り」に相当する要素が含まれていると考えられている[18]。完了の「り」は、元々は例えば「立ち有り」のように四段型動詞連用形に「有り」が付く形であったと推定されており、これが上代中央方言ではエ段甲類に「り」が付く「立てり」という形に変化したのに対して、上代東国方言ではア段に「り」が付く「立たり」に変化したと考えられている。そして八丈方言ではア段に「ら」が付く「立たら」という形になっている。なお、この「ら」は「ろわ」という形から来ているのではないかと推定されている。なお過去表現に関するこの特徴は、たとえば大島(1984)にも類例の指摘が無く「きわめて独自な形式」と語られているように、八丈方言独自の特徴と見られる。

推量

推量には、「書くのーわ」のように「のー」などを使い、集落により「のう[nou]」(三根)、「なう[nau]」(青ヶ島など)、「のー[noː]」または「ぬー[nʊː]」(樫立・中之郷など)と言う。これは上代東国方言で推量を表した「なむ・なも」の名残と考えられている[18]。平山輝男編(1965)p.14によれば北部伊豆諸島方言のうち利島方言・三宅島坪田方言・御蔵島方言で「アカカンノー」(赤かるなむ)という語形が確認され、八丈方言の「アカカンノーワ」などに対応している。

構文

係り結び

古典文法の係り結びに相当するものが存在するが[22]、連体形結びだけでなく、已然形結びに対しても係助詞「か」が用いられる[23]。古典語の已然形係り結び「われこそ飲め」(私・こそ・飲むはず;私が飲むのだ)に相当する「あがか飲め」(私が・こそ・飲むはず;私が飲むのだ)という言い方がある。また、古典語の連体形係り結び「なにをかせむ」(何を・か・しよう;(私は)何をしようか/(彼は)何をするだろうか)に相当する「あにょかすのう」(何を・か・するだろう;(彼は)何をするだろうか)という言い方がある。但し「のう」が連体形であるかどうか形式からは判断できない。係助詞「か」は現れないが、疑問詞に対しても連体形係り結びをし、例えば「どけい行こ」(どこへ・行く;どこへ行くの)などとなる。この時の「行こ」は連体形であり、疑問の意味に対して連体形で結んでいることが分かる。

直接話法と間接話法

日本語の方言の中では極めて珍しい、直接話法と間接話法の区別がある[24]。つまり引用する際に、発言内容をそのまま引用する場合と、話し手の表現に置き換えて伝える場合とで区別がある。共通語の「行くよと言って」に当たる表現は、直接話法なら「行こわーてって」になるが間接話法なら「行こじょうてって」になる。このとき事実としては、発言者は「行こわ」と発言している。また、共通語の「大したもんだよと言って」に当たる表現は、直接話法なら「大したもんだらーてって」になるが間接話法なら「大したもんじょうてって」になる。このとき事実としては、発言者は「大したもんだら」と発言している。意味的に英語の「that」に相当するこの「じょう」という要素だが、いわゆる候文(そうろうぶん)で用いられる「条」という語との対応が見出される。

語彙

まぎらわしい語彙

ここでは八丈方言の語彙の中でも、共通語とは違う意味で使われるまぎらわしいものを紹介する。

島と国

八丈方言では「地方、中央」の代りに「島、国」と言い、「方言、共通語[25]」の代りに「島言葉、国言葉」(または「島の言葉、国の言葉」)と呼んで区別する[26]。「国」というのは狭義には江戸東京を指すが、広義には宇喜多秀家の出身である岡山など、本土全体を漠然と指す。島外者が説明なしに「国」という語に接すると「日本国政府」の意味に取ってしまうかもしれないが、実際には「東京都」だったり「江戸幕府」だったり「本土」だったり「岡山」だったりもするので、文脈に応じて柔軟に解釈する必要がある。

噛む

八丈方言では食べることを「噛む(かむ)」と言い、「食べる」とは言わない。「食べろ」という意味の語は「食え、噛め、参れ、上がれ」の4種類あり、この順で尊敬の度合いが上昇するが、地区によって主語になれるものの範囲が少しずつ異なる[27]。尊敬を意味する「やれ」を接尾して「噛みやれ、参りやれ、上がりやれ」と言うこともある。なお、「参れ」は「メーレ、ミャーレ」などと音が変化している。島外者が説明なしに「噛め」という語に接すると、「良く咀嚼して食べてください」という意味に取ってしまうかもしれない。

めずらしい語彙

ここでは八丈方言の語彙の中でも、共通語には見られない意味の区別に役立っているものを紹介する。

火通ると火照る

中之郷方言では「火通る(ほとーる)」と「火照る(ほてる)」に使い分けがあり、前者は「体外からの放熱で暑い」を、後者は「体内の蓄熱で暑い」を意味する。例えば「陽光で皮膚が焼かれるような暑さ」だったら「火通る」に、「お風呂から出たばかりで汗が止まらない状態」だったら「火照る」になる。なお、「お風呂のお湯が触ると熱い」という時に使う言葉は「シャシャキャ」となる[8]。共通語では「ほとぼりが冷める」という熟語を除けば既に死語になっているかもしれない「火通る(ほとおる・ほとぼる)」だが、広辞苑を確認する限りでは「火照る」とのあいだに明確な意味の区別があるわけではないようだ。古典語については具体例が少ないので何とも言えない。ちなみに「照る」は共通語と同じで「太陽が光を放つ」という意味になる。

親愛の「メ」

共通語で「奴(め)」と言うと、「馬鹿め!」「こん畜生め!」などの侮蔑や、「私め」「ウチの主人め」などの謙譲、つまりは卑下の意味を名詞に付加する接尾辞であり、広辞苑もこの2つの用法のみ挙げる。八丈方言でも例えば「このどんごメが!(この馬鹿ちゃんが!)」「このはろあためが!(この糞餓鬼ちゃんが!)」などと言うが、実はこの「メ」は侮蔑の意味ではなく、それどころか非難のニュアンスを緩和する働きをしている。なお「メ」とは別に、「持て余し」の意味を付加する接尾辞「ギー」が存在している[8]。「メ」に卑下の意味が無い事を最も端的に示しているのが形式名詞としての用法であり、例えば「長男どーめ(長男である者)」「蟻メのちんごけメ(蟻ンコのちっこいの)」「近藤じーてよメ(近藤爺っていう人)」と言う。金田(2001)pp.326-328に用例が挙がり、金田(2001)p.414注6「動詞を名詞化したものに【単独のnomoだけでなく】nomo meがあるが,これは動作の名詞化ではなく主体や対象を名詞化したノムモノに相当し,meは動詞や形容詞だけでなく名詞かざりをうけることもできるので,意味的にも形式的にも,動詞の準体形とみるのではなく,動詞連体形と体言相当のmeとのくみあわせとみる」と記述されている。人間・動物・物体にかかわらず「メ」で代りに表わすことができ、動詞・形容詞・体言+ダラ・名詞にかかわらず「メ」を修飾することができるが、名詞に修飾された「メ」には(卑下でなく)親愛の意味を付加するというオマケの機能があり、例えば「じょうメ(次郎ちゃん)」「どんごメ(お馬鹿ちゃん)」「蟻メ(蟻ンコ)」などと言う。この点について森下喜一(1979)は「イヌ(犬)、ウサギ(兎)と呼ぶよりはイヌメ、ウサギメと呼ぶほうが、意味・内容は同じであるにしても、感情的に違いがある。【改行】それは「メ」そのものに違いがあるのではなくて、動物名に付いたときにその「メ」の機能を発揮する。【改行】「メ」の機能については、【略】(1)愛らしさ・親しみを感じる。(2)「メ」を付けたほうが表現しやすいなどを挙げることができる」と述べていて、メの接尾しうる動物語彙を大量に調査している(但し人間を表わす語彙に接尾する場合や形式名詞である場合についての言及が無い)。

また森下喜一(1979)は「茨城県・栃木県・福島県など」にも「親愛の「メ」」が見られると述べる。また新田哲夫(2010)[28]によれば石川県白峰方言にも見られ、「生き物の名詞に付く接尾辞メ。(クマメ≪熊≫、ハットメ≪鳩≫、ドンボメ≪とんぼ≫など)。」と記述されている。但し八丈方言の「メ」は接尾辞(=造語要素)の用法だけでなく形式名詞(=単語)の用法も持つうえ、接尾辞の用法にしても動物語彙ばかりか人間を表わす語彙にも付くから、他の方言に比べて「メ」の使用範囲が広いということが言える。

蟻の分類法

蟻の分類法は地区によって異なるが、ここでは三根方言の分類法を中心に紹介する。白蟻を「ショーリメ」、ただの黒蟻を「アリメ」、小さくて見づらい蟻を「ヒヤシメ」、刺されると赤腫れになって痒くて仕方がないヒヤシメを「キービヤ(シ)」と呼ぶ。青ヶ島ではこれを「クイビヤシ」(食いビヤシ)または「クッチギリビヤシ」(食い千切りビヤシ)と呼び、『八丈実記』には「クヒビヤシ」という仮名書がある(「ヒ」の仮名で書かれているが音は「イ」であったと推定される)。他方で、坂上地区には「食いビヤシ」に当たる語が存在せず、代りに刺さない蟻を「アリメ」、刺して痒くなる蟻を「ヒヤシメ」と呼んで区別する[8]。坂上の3分割法とそれ以外の地区の4分割法の違いは、系統樹の上でこれらを大別する根拠の一つとなる。ところでこの「刺されると痒くなる蟻」が生物学的にどの種の蟻に該当するかについては島民のあいだでも議論が有り、そもそもそんな蟻は存在しないのではないかという意見もあるが、刺されると痒くなる小さな虫が存在するという事は確かである。この点について興味深いのは、和名トコジラミ、別名南京虫とも呼ばれる、成虫でも8mmほどの赤い虫の存在である。この虫は望月誼三(1930)『八丈島方言の研究』に「アカメ」(南京蟲)と記載され、活字本『八丈実記』1巻p.402には「アカムシ」と記載されている。この「アカメ」が「(食い)ヒヤシメ」と同じものを指す可能性があるが、「(食い)ヒヤシメ」は黒蟻だという意見も聞かれ、判然としない。

文献に見られる方言との関係

八丈実記

『八丈実記』には1855年までの江戸時代末期の八丈方言が例証される。特に注記が無いかぎり、著者である近藤富蔵の居住した三根村の方言が主体であると考えられ、現代方言の事実との整合性も取れるが、近藤富蔵が過去の文献を引用した箇所である場合、引用元の文献を問題とする必要があり、地区の特定には課題が残る[8]

表3-3.文献の例証

表3-1に挙がる『八丈実記』の「例証される形」[8]のうち、「ウイui」を例証するものは「クヒビヤシ」(蟻の一種、三根方言kiibi'ja(si))という仮名書である。但し同時代の文献『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「うぬきてきい(おまえ来て食え)」という仮名書からは、既に動詞の活用形などでは変化が起こり始めていたことが分かる。逆に「反証される形」のうち、「エイei群」の「イーii」を反証するものは「ヘイル」(蛾、三根方言heiru)という仮名書であり、古典語「ひひる(蛾)」に対応する。また「オイoi」を反証するものは『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「てねげへ」「てねげェ」(手拭、三根方言tenegei)という仮名書であり、推定形「テノゴイ(手拭)」に遡る。八丈方言や北部伊豆諸島方言では「ぬぐう(拭)」を「のごう」と言うため、「テヌグイ」でなく「テノゴイ」に遡ることになる。また『八丈の寝覚草』(1848)に例証される「きめへのめへて」(小腹が立って)がもし「肝へ飲ませて」という構成の熟語であれば、「オイoi」の反証の一助となる。「アーaa」を例証するものは「ハア」(母、三根方言hoo)や「マアミ」(早く、三根方言moomiN)などの仮名書である。「オアoa」を例証するものは「ヘイゴアメ」(牛の一種)や「テングノアジ」(蜘蛛の巣)という仮名書と、『八丈の寝覚草』(1848)より「をとあね」(兄弟、三根方言'otoone)という仮名書である。「オーoo」を例証するものは「カコフ」(母、三根方言kakoo)や「コゴウニ」(このように、大賀郷方言kogooni)という仮名書であるが、表記からは「オウ」と「オー」の区別は見出せず、現代方言の事実と照らし合わせて「オーoo」であると認定することになる。「アイai」を例証するものは山ほどあるが、例えば「ワヒタカ」(おわしたか、三根方言weetooka)という仮名書である。「ウーuu」を例証するものは「マグウニ」(実際に、中之郷方言maguN)や「クウルウ」(六女)という仮名書である。「イイii群」の「イーii」を例証するものは「ジヒロウ」(五女)、「イイ」(粥)などの仮名書である。「オウou」と「アウau」については、仮名書上は直音に「アウ」の例が無いため、既に合流して「オウou」になっていたと考えられ、例証するものは山ほどあるが、例えば「ボウエ」(母屋、三根方言bou'je)という仮名書である。「オヲo'o」を例証するものは「トボヲ」(家の表、樫立方言toboo)という仮名書である。「アウau群」の「アヲa'o」を反証するものは「ヨウラアレ」(静かにしろ、三根方言jouraNse)という仮名書であり、古典語「やをら」に対応する。「アエa'e」を例証するものは「スソガヘシ」(呪詛返し)や「アツカエヲカケ」(胡坐をかけ、三根方言'azukee'jokake)という仮名書である。「アワawa」を例証するものは「ハラハタ」(糞餓鬼、三根方言harootagii)や「クツカワシ」(蝉、三根方言kucukoosime)などの仮名書である。「オワowa」を例証するものは「イコハ」(行こわ、三根方言'ikowa)や「オワタナラヒ」(艮の風)などの仮名書である。まとめると、下表のようになる。

言語 ウウuu群 アウau群 オアoa群 エイei群 イイii群 アイai群
全候補(全地区)(推定) ウヲu'o
ウーuu
オヲo'o
オウou
アヲa'o
アウau
アヲa'o
オーoo
アワawa
アーaa
オワowa
オアoa
エエe'e
エイei
オエo'e
オイoi
イエi'e
イーii
ウエu'e
ウイui
イエi'e
イーii
アエa'e
アイai
三根(1850ごろ)(例証) ウーuu オヲo'o
オウou
オーoo
アワawa
アーaa
オワowa
オアoa
エイei ウイui
イーii
アエa'e
アイai
三根(1850ごろ)(反証)   アヲa'o
アウau
  オエo'e
オイoi
イエi'e
イーii
   
三根(1850ごろ)(不明) ウヲu'o   アヲa'o エエe'e ウエu'e
イエi'e
 

「明日葉」と文献

伊豆諸島周辺に固有の植物である明日葉は、共通語では「アシタバ」と言い、八丈方言でも対外的には「アシタバ」の呼称が継承されてきたふしがあるが、内部では音変化を遂げ、樫立・中之郷では「ヤータバ」または更に変化した「ヤタバ」、それ以外の地区では「エータバ」になっている。文献上、明日葉は「鹹草」(塩辛い草の意)、「アシタ」、「アシタ草」、「アシタ葉」などと記されてきたが、その仮名書例は古くは『大和本草』(1709)に「アシタ」、『八丈島年歴抜書』に「アシタ艸」、『御尋書御請控』(1749)に「あした草」が見え、以降も継続的に「アシタ」の仮名書が確認される。他方で、サ行イ音便を起こしたあとの仮名書例は古くは『南方海島志』(1791)に「アイタ・アイダ」、『八丈の寝覚草』(1848)に「アイタ・アイタバ」、『八丈実記』(1855)に「アヒダ草・アイタ・アヒタ草」が見える。そこで、1791年までに「アイタバ」という音形が成立したこと、更には、1791年までに「アシ」という音連続におけるサ行イ音便が完了して「アイ」に変化したことが分かる。「オシ」や「ウシ」という音連続におけるサ行イ音便も同時期に起こったと考えることにすると、『八丈実記』(1855)に「アイ」、「ウイ」が例証され『八丈の寝覚草』(1848)に「オイ」の残存が反証されることから、「オイ」から「エイ」への変化は1750年前後から1848年までの期間に起こったと推測されることになる[8]

上代東国方言

現代方言と上代東国方言を比較する際に挙げられる上代東国方言の形態的特徴は次のものである[19]

  1. 完了の「り」(中央語ではエ列甲類に接続)がア列に接続する。例えば、中央の「立てり」に対して東国の「立たり」。
  2. 形容詞の未然形=已然形語尾を「け甲類」でなく「か」と言う。例えば、中央の「遠けば・遠けども」に対して東国の「遠かば・遠かども」。
  3. 形容詞の連体形語尾を「き甲類」でなく「け」と言う。例えば、中央の「長き(物)」に対して東国の「長け(物)」。
  4. 四段活用動詞などの連体形語尾をオ列甲類音で言う。例えば、中央の「有る(物)」に対して東国の「有ろ(物)」。
  5. 推量に「なむ・なも」(中央語の「らむ」に当たる)を用いる。
  6. 一段型動詞の命令形語尾に「ろ」を用いる。

これらに対応して八丈方言・長野県栄村秋山方言は次のような形態的特徴を持っている[29][16]

  1. 八丈方言でのみ、例えば動詞「書く」の過去形は「書から」(推定古形「書かろわ」)となる。
  2. 長野県栄村秋山屋敷方言でのみ、例えば形容詞の未然形=已然形は「とーかば・とーかど(遠)」となる。
  3. 八丈方言で、形容詞「高きゃ」(推定古形「高けわ」)の連体形は「高け(山)」。類似の特徴は長野県栄村秋山方言にも見られる。
  4. 八丈方言で、動詞「書く」の現在形は「書こわ」、連体形は「書こ(時)」。類似の特徴は利島方言・長野県栄村秋山方言にも見られる。
  5. 八丈方言で、推量を「のー」で表わす。この特徴は北部伊豆諸島の利島方言・三宅島坪田方言・御蔵島方言にも見られる。
  6. 八丈方言で、動詞「見る」の命令形は「見ろ」。この特徴は広く東日本の方言に見られる。

文献時代以前の日本語との関係

文法

過去の否定

金田(2001)pp.132-145には、「飲みんじゃらら」(飲まなかったよ;過去の否定)という形式が「飲みにしありあろわ」に由来していると分析することが出来て、それゆえ否定の「~ず」の古い形であると想像されている「~にす」の連用形「~にし」の痕跡が確認できると主張されている。しかしながら、例えば「飲み見ずありあろわ」(飲んでみなかったよ)→「飲みみざらら」→「飲みんざらら」→(イiの前進同化=拗音化)→「飲みんじゃらら」などと変化した可能性もまた否定できず、様々な由来の可能性が残る。従ってこれを上代以前の特徴の痕跡と主張することは出来ない。

語彙

蚯蚓

語彙の中には上代以前の特徴の痕跡であると考えられるものがある。八丈方言では「ミミズ」を「メメズメ」または「ネネズメ」と言うが[30]、これは上代中央方言「美々須」(みみず;ミの甲乙は不明;岩波書店『古代歌謡集』「催馬楽」55番歌より)と対応する。他方で琉球方言には「」を「メヅ」またはそれに由来する形で言う方言があり[31]、これは上代中央方言「美豆」(みづ;ミは甲類;万葉集4003番歌より)と対応する。これらの例は、中央のイ列甲類と方言のエ列とが対応している例であり、形容詞の連体形でも同様の対応(中央の「き甲類」に対して東国や八丈の「け」)[32]が見られる。この対応関係を合理的に説明する為には、「メメズ」や「メヅ」の「エe」を上代以前の特徴の痕跡であると考える必要がある。

脚注

  1. ^ 或る言語を「方言」とするか「独立した言語」とするかという問題設定は、学問的には無意味であり、政治的にのみ意味があるとされる。詳しくは「方言」の記事を参照。また、ユネスコの分類基準に学問的な合意が得られているわけではなく、様々な意見の中の一つである。
  2. ^ 伊豆諸島をどのように南北に分けるか、または南部・中部・北部に分けるかについては地理的な観点から諸説あるが、ここでは方言分類に即した分け方をし、御蔵島以北を北部とする。
  3. ^ 北部伊豆諸島に属する有人島は大島利島新島式根島神津島三宅島御蔵島であり、これらの島の方言が北部伊豆諸島方言に属する。北部伊豆諸島方言と八丈方言を区別する理由は様々だが、最も顕著なのはアクセント型の区別の有無であり、北部伊豆諸島方言には西関東的なアクセント体系が存在するのに対して、八丈方言にはアクセント型の区別が無い。
  4. ^ 詳細は平山輝夫編(1965)p.200を参照。
  5. ^ 共通語の断定の「だ」に対応する語は、関東では「であ(る)」→「だ(る)」と変化したのに対して、関西では「である」→「であ」→「じゃ」→「や」と変化したということが文献上の証拠から分かっている。江戸方言、北部伊豆諸島方言、および八丈方言の「だ(る)」が関東的な音の形であるのに対して、岡山方言と八丈方言の「じゃ」は関西的な音の形である。関東と関西の音変化の過程は互いに相容れないものであり、これらの変化が八丈方言で同時に起こった可能性は無い。また、八丈方言の「だら」が活用語であるのに対して、八丈方言の「じゃ」は他の活用形を持たず、終助詞的である。ゆえに「じゃ」は非固有語であると考えられ、その出所は岡山方言以外には考えにくい。なお、金田(2001)pp.179-182では「飲もじゃ」は「飲もにては」に由来し、それゆえ念押し・確認の意味が発生すると分析されているが、「にては」即ち「では」に当たる要素が直後の「有ろわ・無っきゃ」等の用言を不要としつつ断定の意味を持つという主張は理解しにくい。
  6. ^ 服部四郎(1959)、服部四郎(1968)、服部四郎(1978-1979)の内容を図にまとめた。図の中で「中央祖語」、「東国祖語」という言い方は一般的な用語ではないが、「現代方言を比較して再構される祖語」と文献とを更に比較して再構される祖語が概念的に存在するので、それらに便宜的に名称を与えた。現代の本土方言の直接の祖先が上代中央方言であると大まかに考えられることがあるが、厳密には、本土方言を比較して遡った先が上代中央方言に完全に収束するとは限らず、僅かにずれる可能性がある。なお、三又に枝分かれしている箇所は、どの枝が先に分かれたのか判らないため、便宜的に三又とした。
  7. ^ 地名の平仮名表記は、「八丈島」と「樫立」の清濁を方言風に改めたほかは、共通語地名のままとした。方言地名そのものは地区ごとに異なり、更に変化した発音となる場合があるので、共通の用語としては適さない。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 詳細は高山(2009)を参照。内容は金田(2001)pp.15-28の研究を発展させたもの。
  9. ^ 共通語では「はちじょうじま」と濁るが、島民の大多数は清音で発音する。
  10. ^ 末吉方言は坂上の方言と坂下の方言の中間的な性質を持っている。
  11. ^ 共通語では「かしだて」と濁るが、島民の大多数は清音で発音する。
  12. ^ 大賀郷の中でも樫立に近い地点の方言は樫立方言に似た特徴を持っているということが金田(2001)p.404注17に述べられている。方言連続体の中で扱う分には興味深いが、系統論では扱いづらいかもしれない。
  13. ^ 八丈小島は現在無人島だが、大賀郷などに移住した方言話者が2010年時点で存命である。「八丈小島」は日本中の他の「小島」と区別する為の共通語地名であり、島民は単に「小島」とだけ呼ぶことが多い。
  14. ^ 「稼っで」が古い世代の形だが、やや若い世代になると「稼んで」に変化し撥音便になっている。
  15. ^ 「病っで」が古い世代の形だが、やや若い世代になると「病んで」に変化し、共通語と変わらなくなっている。
  16. ^ a b c d 馬瀬良雄(1983)「長野県の方言」『講座方言学6 中部地方の方言』pp.64,92-93を参照。
  17. ^ a b 共通語と三根方言は実際に確かめられた単語の形であるが、それ以外のものは対応関係から推定される音の形である。それぞれ、確認された最も古い世代の音を挙げたため、現在の話者の発音では既に変化している場合もある。
  18. ^ a b c d e f 詳細は大島一郎(1984)「伊豆諸島の方言」『講座方言学5 関東地方の方言』pp.233-271を参照。長野県栄村秋山方言についての簡単な言及がpp.261-262に見られる。
  19. ^ a b 詳細は福田良輔(1965)pp.332-411,487-546を参照。
  20. ^ 詳細は金田(2001)pp.85-87を参照。
  21. ^ 金田(2001)pp.15-28や高山(2009)などを参照。
  22. ^ 詳細は金田(2001)pp.99-100, 184-187を参照。
  23. ^ 係助詞「こそ」も一応存在するが、やや副助詞的であり固有の要素かどうか疑義が残る。
  24. ^ 詳細は金田(2001)pp.392-393を参照。
  25. ^ 八丈島では「共通語」よりも「標準語」のほうをよく耳にする。歴史を辿ると、英語の「Standard language」に当たる「標準語」という用語は日本では政治的に反感を受け、英語の「Common language」に当たる「共通語」とも言われるようになった経緯がある。しかし日本で「共通語」と呼ばれているものの実態は、国際的な定義に照らせば「標準語」と呼ぶべきものであり、その規範の普及は主に学校教育やテレビ・ラジオ放送が担っている。例えば八丈方言もまた共通語の普及によって消滅の危機に瀕しているように、共通語と八丈方言が対等の関係にあるわけではなく、規範としての前者が後者を駆逐する関係にある。
  26. ^ 活字本『八丈実記』1巻p.317に『八丈の寝覚草』引用部があり、そこに「嶋語(シマコトバ)」「国語(クニコトバ)」とあるのが最古の用例か。
  27. ^ 金田(2001)p.340と高山(2009)を参照。
  28. ^ 新田哲夫(2010)「石川県白峰の複合動詞アクセントと諸方言のタイプ」国立国語研究所危機方言研究会発表稿
  29. ^ 金田(2001)pp.1-14および平山輝男編(1965)pp.9-17等を参照。
  30. ^ 国立国語研究所(1950)pp.383,402を参照。
  31. ^ 一例を挙げる。上野善道(2002)「喜界島小野津方言のアクセント調査報告」『琉球の方言』26号に「メズmIzu(水)」、「ヨメjomI(嫁)」、「メーmI:(目)」、「ミミmimi(耳)」、「ウミumi(海)」などとあり、「水」は中舌母音の「エI」で現れている。この事から元は「エe」であったと推測できる。
  32. ^ 詳細は服部四郎(1968)、服部四郎(1978-1979)を参照。

参考文献

語彙集・歌謡
国立国語研究所(1950)『八丈島の言語調査』秀英出版
浅沼良次(1999)『八丈島の方言辞典』朝日新聞出版サービス
金田章宏(2004)『奥山熊雄の八丈島古謡』笠間書院
金田章宏ほか(2005)『八丈島古謡 奥山熊雄の歌と太鼓』笠間書院
山田平右エ門(2010)『消えていく島言葉 ~八丈語の継承と存続を願って~』郁朋社
音韻・文法・語彙の研究書
国立国語研究所(1950)『八丈島の言語調査』秀英出版
平山輝男編(1965)『伊豆諸島方言の研究』明治書院
平山輝男ほか「南部伊豆諸島方言の概観」
馬瀬良雄ほか「八丈島・小島方言」
平山輝男ほか「青ヶ島方言」
大島一郎ほか(1980)『八丈島方言の研究』東京都立大学国語学研究室
飯豊毅一日野資純佐藤亮一編(1984)『講座方言学5 関東地方の方言』国書刊行会
大島一郎「伊豆諸島の方言」
大島一郎(1986)『八丈小島方言調査報告書』東京都教育庁社会教育部文化課
大島一郎編(1987)『八丈島方言における言語変化 ―共通語化の側面を中心として―』東京都立大学人文学部国語学研究室
金田章宏(2001)『八丈方言動詞の基礎研究』笠間書院
文献の影印・活字翻刻・研究書
吉町義雄(1951)「「園翁交語」と「八丈実記」の島言葉」『文学研究』第42輯pp.127-154 ---- 高橋與一(1802)『園翁交語』の活字翻刻
福田良輔(1965)『奈良時代東国方言の研究』風間書房
澤瀉久孝ほか編(1967)『時代別国語大辞典上代編』三省堂
馬淵和夫(1971)『国語音韻論』笠間書院
八丈実記刊行会(1964-1976)『八丈実記』緑地社 ---- 近藤富蔵(1855)『八丈実記』の活字翻刻
中田祝夫(1985)『八丈の寝覚草』勉誠社文庫133 ---- 鶴窓帰山(1848)『八多化の寝覚艸』の影印および活字翻刻
論文集・論文
井上史雄ほか編(1995)『日本列島方言叢書7 関東方言考③(東京都)』ゆまに書房
金田一春彦(1943)「伊豆諸島の音韻とアクセントところどころ」『方言研究』8号
平山輝夫(1958)「青ヶ島方言の所属」『国学院雑誌』10巻11号
飯豊毅一(1959)「八丈島方言の語法」『国立国語研究所論集』1号
北条忠雄(1959)「八丈方言の国語学的研究(一)」『秋田大学学芸学部研究紀要』9号
北条忠雄(1961)「八丈方言の国語学的研究(二)」『秋田大学学芸学部研究紀要』11号
馬瀬良雄(1961)「八丈島方言の音韻分析」『国語学』43集
服部四郎(1968)「八丈島方言について」『ことばの宇宙』3巻11号
森下喜一(1979)「八丈島における接尾語「メ」の機能について ―特に各年齢層を通して―」『岩手医科大学教養部研究年報』14号
高山林太郎(2009)「八丈方言の母音の通時的変化」東京大学修士論文
高山林太郎(2010)「母音の甲乙が確認される現代方言の報告(1)~八丈島方言~」国立国語研究所危機方言研究会発表稿
系統論
服部四郎(1959)『日本語の系統』岩波書店
服部四郎(1968)「八丈島方言について」『ことばの宇宙』3巻11号
服部四郎(1978-1979)「日本祖語について」『月刊言語』7巻1号-8巻12号
飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編(1983)『講座方言学6 中部地方の方言』
馬瀬良雄「長野県の方言」 ---- 奥信濃方言(長野県栄村方言、特に秋山方言、特に屋敷方言)
外部リンク
国立国語研究所報告No.1『八丈島の言語調査』(1950年) -- 公開pdfファイル
南部伊豆諸島の民俗に関する文献リスト -- 方言以外に関する文献もふくむ
島言葉(八丈方言)を見直そう -- 八丈町教育委員会(音声ファイル付き)
『八丈島の方言と民話』 -- 私の日本語辞典(NHKラジオ第2、2009年9月)