燕京大学

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燕京大学
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大学設置/創立 1919年
廃止 1952年
学校種別 私立
本部所在地 北京市
研究科 {{{研究科}}}
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燕京大学(えんきよう-だいがく、英語: Yenching University、公用語表記: 燕京大學)は、北京市に本部を置いていた中華民国私立大学である。1919年に設置され、1952年に廃止。

当時のキャンパス

1952年中華人民共和国政府により解体された。

概要[編集]

燕京大学は1919年に英米系の教会学校3校が合併し、設立された。アメリカ資本に買収されたことにより、アメリカ大使館と同様の処遇を受けた。そのため、日中戦争開戦下でも日本軍は大学構内に踏み入れなかった。ここでは、アメリカン・ジャズが鳴り響き、欧米人教員らと中国人学生たちは、ジャズを踊り、学問の自由を謳歌した。1942年の日米開戦で影響を受けるが、1945年の日本敗戦により復帰。1952年に再編に伴い、解体された。

前身[編集]

米英両国の教会が北京に設置した教会学校3校を前身とする。

  1. 匯文大学Peking University) - 1870年同治9年)、アメリカメソジスト監督教会が設置した学校。開校当初は崇内懐理書院と称された。
  2. 華北協和女子大学The North China Union College for Women) - 1864年(同治3年)開校。
  3. 通州協和大学 - 1867年(同治6年)開校。当初は公理会潞河書院と称された。

沿革[編集]

1919年民国8年)、匯文大学、華北協和女子大学及び通州協和大学が合併し燕京大学が設立され、南京金陵神学院で司教を務めていたジョン・スチュワートen)が校長に任命された。

1921年(民国10年)、スチュワートは米国で出版社を経営するヘンリー・ロビンソン・ルースen)及びアルコア社の寄付を獲得し、北京市郊外の皇族庭園を買収、中国最大のキャンパスを建設、1926年(民国15年)に新キャンパスに移転し、神学部、法学部、医学部及び文学部、理学部の専門学科を設置した。

1928年(民国17年)、チャールズ・マーティン・ホールらの出資を受け、姉妹校であるハーバード大学と燕京大学の共同でハーバード燕京研究所を設置した。

1941年(民国30年)、太平洋戦争が勃発、開戦直後、日本軍が大学構内に突入占領し、大学は閉鎖された。

1942年(民国31年)、四川省成都市に臨時学校が設立され授業を再開する。

1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い、北平市に復帰、翌年には成都の臨時学校より教員及び学生が復学し、あわせて工学部が設置された。

1951年中華人民共和国成立後に国立化、1952年には大学教育機関再編に伴い、大部分は北京大学に、工科は清華大学、社会科学類は中国人民大学で継承され、校舎は、北京大学に移管された。

歴代校長[編集]

  1. ジョン・レイトン・スチュアート : 1920年 - 1945年
  2. 呉雷川 : 1929年 - 1934年 (代理校長)
  3. 陸志韋 : 1934年 - 1941年 (代理校長)
  4. 梅貽宝 : 1942年 - 1945年 (代理校長)
  5. 陸志韋 : 1945年 - 1949年 (代理校長)
  6. 翁独健 : 1949年 - 1952年 (代理校長)

関連項目[編集]