濱江丸

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Hinko Maru Scan10013.JPG
船歴
建造所 播磨造船所
起工
進水 1936年6月19日
竣工 1936年9月20日
その後 1944年8月5日放棄
主要目
総トン数 5,418トン
純トン数 3,151トン
載貨重量 7,737トン
排水量 10,924トン
全長 126m[1]
登録長 124.4m
型幅 16.15m
登録深 9.14m
機関 三連成レシプロ機関1基1軸[2][注 1]
出力 4,260馬力(最大)
速力 16ノット(最大)
13ノット(航海)
乗員 42人
乗客 一等2人
同型船 龍江丸、松江丸、西江丸、北江丸、三江丸[1]
出典 原則として『昭和十八年版 日本汽船名簿』[2]

濱江丸(ひんこうまる)は、大連汽船1936年に建造したばら積み貨物船太平洋戦争日本海軍に徴用され、1944年に空襲により父島で大破放棄された。残骸が戦後も長く放置され、観光スポットとなっている。

建造[編集]

本船は、当時日本の統治下にあった関東州に拠点を置く船会社の大連汽船により、「龍江丸級貨物船」6隻のうちの1隻として計画された。船舶改善助成施設による補助金の交付対象が第二次助成から関東州置籍船にも拡大されたのを利用し、姉妹船のうちで唯一、日本政府からの建造費補助を受けて建造されている[3]。工事は他の姉妹船3隻とともに播磨造船所へ発注され、1936年(昭和11年)9月20日に竣工した。船名は、姉妹船と同じく「江」の文字を含む名を付けられた[4]

濱江丸の船体は、5000総トン級の船尾機関型である。船倉は途中に甲板が無い一層構造で、荷崩れ防止用の内壁、周囲が補強され幅広の倉口など鉱石運搬に適した設計となっていた。ただし、船倉上に換気用のベンチレーターが設置されており、鉱石以外の通常貨物の運搬も考慮されていたと思われる[4]。荷役設備は、船橋前方と船体後部に単脚型ポスト、船橋後方甲板中央に門型ポストが設置され、それぞれデリックが付属している。なお、同型船のうち「龍江丸」、「松江丸」、「三江丸」は3基とも門型デリックポストになっているため、船容が異なる。龍江丸級貨物船の設計は、石油タンカーの1TM型戦時標準船設計の参考にされたといわれ、船尾機関型・5000総トン級という基本形状が共通する[4]

運用[編集]

小笠原諸島父島境浦海岸に残る濱江丸(2011年4月)

民間商船として就役した。満州産の石炭を日本本土へ運んでいる。

太平洋戦争の勃発後も民需船として運航されていたが、戦争後期の1944年(昭和19年)4月10日付で日本海軍により海軍省の一般徴用船(特設艦船ではない徴用船)として徴用された[5]マリアナ諸島方面の輸送任務に投入され、同年5月17日から25日には第3515船団(輸送船12隻・護衛艦8隻[注 2])へ加入して航海し、館山湾からサイパン島へ無事に到着した[6]

1944年6月11日、サイパン島へ侵攻してくるアメリカ軍から逃れるため、濱江丸は第4611船団に加入して日本本土への退避を開始した[8]アメリカ海軍第58任務部隊の空襲を受けて船団は壊滅状態となったが[注 3]、本船は損傷しつつも同月21日に硫黄島へ到達できた。その後、特設駆潜艇「文丸」と航空機の援護を受けて父島まで移動した[9]。父島の二見湾に碇泊中の同年7月4日に再びアメリカ海軍機動部隊の空襲を受けた際、被弾を免れるものの座礁してしまう[10]。同年8月4日から5日のスカベンジャー作戦によりまたもアメリカ海軍機動部隊の空襲を浴びた濱江丸は、5日に魚雷の命中を受けて炎上し、全損となった[11]

終戦後も濱江丸の船体の残骸は父島の境浦海岸に残されたままで、戦争遺跡として小笠原村の観光スポットの一つとなった[12]。船体は風化が著しく、海面上に残った部分は少なくなっているが、現在でも残骸は存在している[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 岩重(2011年)はタービン機関とする[1]
  2. ^ 加入輸送船は「濱江丸」「白山丸」「日本海丸」「第八雲洋丸」「営口丸」「麗海丸」「錦州丸」「夏川丸」「東豊丸」「清海丸」「明島丸」「千代丸」。護衛艦は、駆逐艦「旗風」(旗艦)、海防艦「御蔵」、同「三宅」、第16号海防艦、敷設艇「猿島」、第20号掃海艇第48号駆潜艇および特設防潜網艇「第二号興亜丸」[6]。指揮官は第5護衛船団司令官吉富説三少将。船団名は横須賀鎮守府の護送船団への命名規則に基づくもので、千の位の3は横須賀・トラック島間航路の下り方面を、下3桁は5月15日出航を意味する[7]
  3. ^ 駒宮(1987年)は加入船全てが被爆沈没としているが[8]、濱江丸はこのときは沈没を免れている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 岩重(2011年)、118頁。
  2. ^ a b 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1943年、関東州在籍船の部8頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050086500、画像9枚目。
  3. ^ 米田冨士雄(著)、西村勝巳(編) 『現代日本海運史観』 海運産業研究所、1978年、264-265頁。
  4. ^ a b c 岩重(2011年)、40頁。
  5. ^ 海軍省兵備局 『昭和一九・六・一現在 徴傭船舶名簿』 JACAR Ref.C08050095500、画像46枚目。
  6. ^ a b 駒宮(1987年)、176-177頁。
  7. ^ 岩重(2011年)、71頁。
  8. ^ a b 駒宮(1987年)、192頁。
  9. ^ 父島方面特別根拠地隊 『自昭和十九年六月一日 至昭和十九年六月三十日 父島方面特別根拠地隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030275500、画像45-47枚目。
  10. ^ 父島方面特別根拠地隊司令部 『七月四日米機動部隊艦載機対空戦闘 戦闘詳報 第二号』 JACAR Ref.C08030275100、画像10枚目。
  11. ^ 父島方面特別根拠地隊司令部 『父島方面特別根拠地隊 戦闘詳報 第四号』 JACAR Ref.C08030275300、画像45枚目。
  12. ^ 観光情報:父島全体マップ小笠原村公式サイト(2012年7月28日閲覧)

参考文献[編集]

  • 岩重多四郎 『戦時輸送船ビジュアルガイド―日の丸船隊ギャラリー2』 大日本絵画、2011年ISBN 978-4-499-23041-4
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年

外部リンク[編集]