渡嘉敷勝男
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渡嘉敷 勝男(とかしき かつお 1960年7月27日-)は、元WBA世界ライトフライ級王者であった元プロボクサー、タレント。沖縄県生まれの兵庫県宝塚市育ち。浪速工業高等学校(現・星翔高等学校)中退。愛称は「トカちゃん」。
典型的な"悪ガキ"から"ボクサー"への転身
幼少のころから絵に描いたようなやんちゃ坊主で、高校時代は喧嘩に明け暮れる札付きの"悪ガキ"だったそうである。浪速工業高校中退後、単身で上京。当時のWBA世界ライトフライ級王者具志堅用高が所属していた協栄ジムに入門。プロボクサーを目指し始め、低身長からは想像のつかない力強い戦いを見せる。
プロボクサー時代の経歴
- 1978年12月、プロデビュー。
- 1980年2月、全日本ライトフライ級新人王獲得。
- 1981年12月16日、世界初挑戦。金煥珍(韓国)を15回判定に降し、WBA世界ライトフライ級王座獲得。同王座は具志堅が3月に14度目の防衛戦で敗れ、手放していたもので、渡嘉敷にとっては9ヵ月前の先輩の無念を見事に晴らす形となった。ただ、残念なことは、当時週刊誌のゴシップ面を賑わせた「オレンジ事件」のために、当時、渡嘉敷の偉業が正当に評価されなかったことである
- その後、5度の防衛に成功するが、1983年7月10日、6度目の防衛戦でルペ・マデラ(メキシコ)に4回負傷判定(当時はTKOと記録された)で敗れ、王座陥落。不本意な形で王座を手放した渡嘉敷は10月にマデラと再戦するが、15回判定で完敗。
- 1984年8月、敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑戦するが、9回TKOに敗れ、世界王座返り咲きならず。結局、この試合を最後に現役を引退。最終戦績は19勝(4KO)4敗2分。日本プロボクシング史上唯一、デビュー戦からラストファイトまで首尾一貫してライトフライ級で戦い、世界チャンピオンとなり指名試合をクリアという記録を残した。
引退後
- 引退後芸能界入りし、タレントとして活動し始める。「風雲!たけし城(TBS)」、「たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ)」等にレギュラー出演。「平成教育委員会」では毎回のように珍解答を連発し、多くの視聴者・出演者に笑いを提供し番組を盛り上げていた。
- 1987年、プロボクサーのライセンス取得を熱望していたタレントの片岡鶴太郎に、古巣に当たる協栄ジムを紹介したのも渡嘉敷であった。当時、鶴太郎とはテレビ番組で共演しており、渡嘉敷はその橋渡し役を駆って出ていた。
- 東京都内に「渡嘉敷ボクシングジム」を開設。同ジム会長として後進の指導に当たっている。ジムを開設してからは、後進の育成に力を入れるようになってきており、以前と比べると、タレントとしてのテレビ出演は減っている。
- 2006年11月、元世界王者の輪島功一、玉熊幸人、飯田覚士、戸高秀樹らとともに、袴田事件の再審を求める要請書を、最高裁判所に提出。元ボクサー袴田巌の無罪獲得のため活動を続けている。
エピソード
- 沖縄県生まれであるが、生後間もなく兵庫県宝塚市に転居している。世間的に異論はないのだが、本人は意外と真面目なため「自分は沖縄ボクサーのグループで呼ばれてもいいのだろうか?」と、一時期は考えていたらしい。
- プロボクサーになったきっかけは具志堅用高を倒すためだったが、入門した協栄ジムにはその具志堅がいた。同一ジムに所属する選手との対戦は行われないため「打倒・具志堅」の目的は果たせなかったものの、入門後は具志堅や彼の対戦相手のスパーリングパートナーを積極的に務めた。これが後に渡嘉敷が世界王者となるきっかけにつながったと評価するファンも多い。
- 前述のように「たけし・逸見の平成教育委員会」では珍解答を連発。その結果、毎回のように岡本夏生と最下位争いを演じていた。しかし天然ボケ的な珍解答の多かった岡本に対し、渡嘉敷は意図的に珍解答を連発していたようである(例えば「日本三景を答えよ」という問題〔正解:天橋立、松島、宮島〕に対し、渡嘉敷は「オグラ景、谷景、マリムラ景」と、応仁の乱を「大人の乱」と解答するなど)。<br.>時折難解な問題で正解すると、学級委員長の逸見政孝に「(正解を書いたのは)ウケ狙いですか?」。北野武先生には「ボケようとして、正解してしまったんですね。」と、散々に言われる。<br.>しかし「切ったトイレットペーパーを円筒状にして火をつけるとどうなるとか」という問題に対して、「飛ぶ」と珍解答を狙ったが正解だったということもあった。
また岡本には対抗意識を持っていたようで、「川柳『○○と 言われるほどの 馬鹿でなし』の『○○』に当てはまる言葉を答えよ」という問題(正解:先生)に「岡本」と解答した。ちなみに岡本もこの問題で「とかしき」と解答している。
近年のスペシャル放送でも相変わらず最下位に定着しているため、北野先生に「ディフェンディングチャンピオン」と称される。 - タレントとしてはすっかり三枚目に定着してしまったが、芸能界デビュー当時は「松田優作さんのような男の匂いのする俳優になりたい」と抱負を語っていた。
- 以前に住んでいたマンションに松本人志も住んでおり、駐車場で渡嘉敷のバイクと松本の車が、あわや衝突事故という状況になり、興奮した二人が喧嘩寸前の状態になった事がある。松本がこの件を謝罪しようと思っているが、不幸にも数年たった現在でもTV番組で共演が実現していないとラジオでコメントする。 松本によれば、渡嘉敷がフルフェイスのヘルメットをかぶっていた為、相手が渡嘉敷だと気付くのが遅れ、気付いた時には、お互いエキサイトしていたので、もう引き下がれない状態だったと苦笑していた。
- 亀田興毅のランダエダ戦後、テレビ朝日の番組「ワイド!スクランブル」において「みんな先入観で亀田を見ている」とメディアによる扇動について指摘し、亀田に対する判定はおかしいという世論と一致する意見を述べるガッツ石松に対し「あまり軽々しくそんなこと言わない方がいい」と警告した。
テレビドラマ
主な出演番組
- 『東武伊勢崎線』編
- 『小田急電鉄線』編(1997年)
ほか多数