武蔵家刀自

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武蔵 家刀自(むさし の いえとじ、生年不詳 - 延暦6年4月11日787年))は、奈良時代後期の采女女官宿禰足立郡出身。

経歴[編集]

姓・出身地から、武蔵不破麻呂の縁者と思われる。「西角井家系図」では、不破麻呂の娘となっており、森田悌は『古代東国と大和政権』の中で「女というよりは姉妹ないし姑の方がふさわしいようである。」と記している。姉妹だとすると、『続日本紀』巻第二十八の768年神護景雲元年12月6日)に不破麻呂らとともに武蔵宿禰(むさしのすくね)の氏姓を賜ったことになる[1]

称徳天皇崩御後の光仁天皇の朝廷で勢力を伸ばし、『続日本紀』巻三十一によると770年宝亀元年10月25日)、和気広虫とともに位階を授与され、外従五位下から従五位下に昇叙した[2]

それからしばらくして、『続紀』巻第三十七によると、783年(延暦2年2月5日)、正五位下を授与されている[3]。続く巻第三十八によると、785年(延暦4年正月9日)、正五位上に昇叙した[4]

『続紀』巻第三十九では、786年(延暦5年正月14日)、従四位下に昇叙したが[5]、次の年の787年(延暦6年)、

武蔵国足立郡「采女(うねめ)掌侍(ないしのまつりごとひと)兼典掃(かにもりのすけ)従四位武蔵宿祢家刀自卒(しゅつ)しぬ。[6]

とあり、死因ははっきりとしない。最終的には武蔵不破麻呂の従五位上を越えている。

「掌侍」は「ないしのじょう」とも読み、後宮の礼式などをつかさどった官職、内侍司(ないしのつかさ)に所属する三等官、「典掃」は宮中の掃除や設営のことをつかさどる官職、掃部司(かにもりのつかさ)に所属する二等官で、20年ほどの間に家刀自が宮中において影響力を及ぼす地位に出世した。

脚注[編集]

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  1. ^ 『続日本紀』称徳天皇 神護景雲元年12月6日条
  2. ^ 『続日本紀』光仁天皇 宝亀元年10月25日条
  3. ^ 『続日本紀』桓武天皇 延暦2年2月5日条
  4. ^ 『続日本紀』桓武天皇 延暦4年1月9日条
  5. ^ 『続日本紀』桓武天皇 延暦5年1月14日条
  6. ^ 『続日本紀』桓武天皇 延暦6年4月11日条

参考文献[編集]

  • 『続日本紀』4・5 新日本古典文学大系15・16 岩波書店、1995年、1998年
  • 『続日本紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年、1995年
  • 『日本の古代11 ウヂとイエ』大林太良:編より「10東と西の豪族 - 東国の豪族と文化」文:原島礼二中央公論社、1987年
  • 『日本古代氏族事典』【新装版】佐伯有清:編、雄山閣、2015年

関連項目[編集]