楊亨燮
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楊亨燮 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 양형섭 |
漢字: | 楊亨燮 |
発音: | ヤン・ヒョンソプ |
日本語読み: | よう こうしょう |
ローマ字: | Yang Hyong-sop |
楊 亨燮(ヤン・ヒョンソプ、1925年10月1日 - 2022年5月13日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局員。前最高人民会議常任委員会副委員長。妻の金信淑は金日成のいとこである。(姉は金貞淑)
経歴
[編集]1925年10月1日、咸鏡南道咸興市生まれ。金日成総合大学卒業後、モスクワ大学に留学。1961年10月に中央党学校校長。 1962年10月から最高人民会議代議員を務める。1977年には一時的に失脚するが、後に復活し、1979年10月に祖国統一民主主義戦線議長を務める。1980年10月に朝鮮社会科学院の院長を務める。1984年4月に最高人民会議常設会議議長を務める。1984年2月に祖国平和統一委員会副委員長を務める。1993年12月に朝鮮労働党の政治局員候補。1998年9月に最高人民会議常任委員会副委員長を務める。2009年8月にビル・クリントン元アメリカ大統領が訪朝した際に平壌国際空港で出迎えた[1]。2010年9月28日の第3回党代表者会および中央委員会総会で党中央委員会政治局員に選出された。2016年5月の朝鮮労働党第7次大会終了時点での党内序列は14位[2]。
2019年3月の最高人民会議第14期代議員選挙で再選されたが[3]、同年4月に最高人民会議常任委員会副委員長を退任[4]。
2022年5月13日、脳梗塞で死去。享年96歳[5][6]。
脚注
[編集]- ^ 平壌入りしたクリントン米元大統領 東亜日報 2009年8月5日
- ^ “【北朝鮮党大会】伝統の書記局が「政務局」に改称 書記は「副委員長」に”. 産経新聞 (2016年5月31日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “北朝鮮代議員選挙結果を徹底分析!相次ぐ実力者らの意外な「落選」が判明! - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース 2019年6月2日閲覧。
- ^ “北朝鮮ナンバー2崔竜海氏が国家首班に…北、正恩氏以外すべて変更”. 中央日報 (201904-12). 2019年4月13日閲覧。
- ^ “양형섭동지의 서거에 대한 부고(楊亨燮同志の逝去に関する訃音)”. 労働新聞. (2022年5月15日) 2022年5月15日閲覧。
- ^ “경애하는 김정은동지께서 고 양형섭동지의 령구를 찾으시여 깊은 애도의 뜻을 표시하시였다(敬愛する金正恩同志が故楊亨燮同志の逝去に際して深い哀悼の意を示された)”. 労働新聞. (2022年5月15日) 2022年5月15日閲覧。
参考文献
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