李永茂 (軍人)

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李永茂
生誕 1905年5月16日[1]
Flag of Korea (1882–1910).svg 大韓帝国慶尚北道漆谷郡
死没 不明
所属組織 中華民国空軍
大韓民国空軍
最終階級 少校(中国空軍)
大領(韓国空軍)
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李永茂
各種表記
ハングル 이영무
漢字 李永茂、李英茂
発音: イ・ヨンム
ローマ字 Lee Yong-mu
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李 永茂(イ・ヨンム、이영무)は大韓民国軍人。韓国空軍創設者の1人。本名は李永禄(李永祿、이영록)。別名は李英茂、李英武、李光黙。は青邱(靑邱、청구)。

人物[編集]

1918年から1920年まで大邱の啓聖学校に在学。1921年4月、京城府文所に入所。1922年3月に退所して同年5月に中国に渡る。

韓国臨時政府の推薦を受けて、權基玉と共に雲南陸軍航空学校(第1期)に入学して1925年に卒業した。南京国民政府飛行隊副飛行員。1932年(民国21年)5月21日、軍政部航空第3隊飛行員[2]。1935(民国24年)9月7日、空軍中尉[3]。1936年11月末、空軍第13隊副隊長[4]。1937年9月7日、空軍上尉[5]日中戦争では第13中隊(隊長:李逸階)副中隊長、航空委員会爆撃機訓練隊隊長を歴任。1939年、飛行大隊飛行員(少校)。同年春、鹵獲した一〇〇式輸送機(のちに沙洋号と命名)を操縦[6]

1943年8月19日、韓国臨時政府空軍設計委員会委員[7]。同年、朝鮮民族革命党成都区域党部責任者[8]。戦争末期、インド・ビルマ方面の戦闘に参加。1945年6月、中米混成航空団中国語版所属。1945年6月28日、空軍少校[9]

解放後の1946年に帰国し、8月10日に韓国航空建設協会副会長[10]。韓国空軍の創設に参加。1948年7月、陸軍航空基地部隊(司令官:崔用徳中尉)副司令官(中尉)[11]。翌月、同部隊司令官[11]。飛行団長等を歴任したが、1949年頃に姿をくらました。軍内部の共産分子を除去する粛軍に巻き込まれて北に亡命したとも、朝鮮戦争中に拉致されたか自ら越北したとも言われている。

栄典[編集]

出典[編集]

  1. ^ 陸海空軍軍官佐任官名簿 Part3 (PDF)” (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 251. 2017年10月20日閲覧。
  2. ^ 国民政府令 二十一年五月二十一日 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年6月3日閲覧。
  3. ^ 国民政府令 二十四年九月七日 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年6月3日閲覧。
  4. ^ 李天民 (1973). 中國航空掌故. 中國的空軍出版社. pp. 135. 
  5. ^ 国民政府広報 2452号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  6. ^ “中国军队俘获日皇座机“天皇号”始末(图)” (中国語). 鳳凰網. (2006年12月30日). http://news.ifeng.com/history/1/200612/1230_335_57128_1.shtml 2016年1月21日閲覧。 
  7. ^ 韓国臨時政府部署別職員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年1月10日閲覧。
  8. ^ 朝鮮民族革命党重要幹部履歴書” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年1月10日閲覧。
  9. ^ 国民政府広報 渝字801号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  10. ^ 韓国国防部(2016)、p.210
  11. ^ a b 6・25戦争史第1巻 p.359
  12. ^ 国民政府広報 渝字830号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  13. ^ 国民政府広報第2649号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月8日閲覧。

参考文献[編集]