越北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

越北(えつほく、월북、ウォルプク)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治体制に共鳴し、大韓民国(韓国)を去り北緯38度線を越えることを指す。入北とも呼ばれ、北朝鮮では義挙入北との呼称で、美化される。反対に北朝鮮側から韓国側に奔る行為は、越南帰順あるいは脱北と呼ばれる。ただし、脱北は北朝鮮から逃げ出すことであり、必ずしも韓国に渡る行為ではない。

概要[編集]

1945年日本の敗戦により、北緯38度線以南をアメリカ軍政庁が統治し、以北をソ連軍が立ち上げた各級北朝鮮人民委員会が統治した。統一国家樹立を目指し、多くの政治家独立運動家が北緯38度線を去来したが、平壌に行ったまま北朝鮮に滞在し、北朝鮮政権樹立に参画した者も少なくなかった。

また、1950年6月25日朝鮮戦争勃発から1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定署名までの間に、南北の統治地域が国連軍中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)の直接介入の結果、アコーディオンのように変化する中で、北緯38度線を越えた者も少なくない。

休戦後、李承晩政権反共主義から逃れるためもあってマルクス主義に傾倒する知識人の越北者が存在したものの、朴憲永をはじめとする南朝鮮労働党員のように越北者の少なからずが朝鮮民主主義人民共和国建国後の政治闘争の末に粛清されている。

なお、韓国領出身者と子孫ので在日朝鮮人の帰還事業での移住者や林秀卿のように一時的な北朝鮮訪問を果たした者については、基本的に越北と呼ぶことは無い。

また、韓国国民が大韓民国統一部の許可なしに越北行為を行った場合、韓国では国家保安法で取締りの対象になる。例えば林秀卿が第三国を経由して1989年に越北行為を行った際は、帰還後に国家保安法違反で逮捕され、裁判懲役刑判決が確定している。

関連項目[編集]