本田弘人

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本田 弘人(ほんだ ひろと 1898年 - 1978年4月10日)は、日本の教育者官僚

経歴[編集]

1898年、熊本県に生まれる。1916年第五高等学校一部甲類に進学、1922年東京帝国大学法学部卒業後、京都帝国大学文学部哲学科に入学。1925年に大学院に進学、同時に龍谷大学講師となった。1926年福岡県女子専門学校教授1928年旧制静岡高等学校教授に就任。1936年に文部書記官、専門学務局学芸課長を務めた後、1945年7月、京都帝国大学事務監に転出。1949年日本学術振興会事務局長となる[1]

1964年から1965年に熊本大学学長、文化財保護審議会委員、日本学術会議理事などを経て、1974年から1978年3月まで中九州短期大学の初代学長を務める。1978年4月10日、心不全のため東京慈恵会医科大学附属第三病院にて死去。80歳[2]

脚注[編集]

  1. ^ 特別コレクション詳細 本田弘人旧蔵書資料”. レファレンス協同データベース. 2021年5月17日閲覧。
  2. ^ 訃報欄 本田弘人氏(ほんだ・ひろと=元熊本大学学長)『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月11日朝刊、13版、23面
学職
先代
(新設)
中九州短期大学
1974年 - 1978年
次代
白木原孝臣