木村清四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
木村 清四郎
きむら せいしろう
Kimura Seishiro.jpg
生年月日 1861年7月12日文久2年6月5日
出生地 日本の旗 備中国
没年月日 1934年9月24日(満74歳没)
死没地 日本の旗 群馬県伊香保
出身校 慶應義塾
(現・慶應義塾大学
前職 日本銀行副総裁
所属政党 同和会
称号 正五位
勲二等旭日中綬章

内閣 第1次若槻内閣
在任期間 1927年4月18日 - 1934年9月24日
テンプレートを表示

木村 清四郎(きむら せいしろう、1861年7月12日文久2年6月5日) - 1934年昭和9年)9月24日)は、明治・大正期の政治家実業家日本銀行に30年間在職し、日本銀行副総裁、貴族院勅選議員。正五位勲二等。

経歴[編集]

備中国小田郡三谷村(現・岡山県)生まれ。

大阪化学英学を学んだのち、1884年(明治17年)に慶應義塾(現・慶應義塾大学)へ入学。慶應義塾卒業後に、『商況社』に入社し、『中外商業新報』(現在の日本経済新聞社)主幹を経て、社長に就任。新聞を日刊化させるなど大きく飛躍させる。

時の日本銀行総裁・岩崎の勧めにより日本銀行に入行。1901年(明治34年)営業局長、1906年(明治39年)理事、1916年(大正5年)副総裁となる。中国欧米インドを相次いで視察。加藤高明内閣濱口雄幸蔵相)時代には、大蔵省出身で銀行の業務に暗い市来乙彦総裁に代わって、事実上の日銀総裁の権威をふるった。1927年(昭和2年)4月18日に貴族院議員に勅選された[1]。無所属系議員で構成される同和会に所属。次いで、前宮内大臣で当時は内大臣であった牧野伸顕の推薦により、木村は宮内大臣から帝室財務の相談に参与する嘱託を受ける。

日本銀行参与、千代田生命取締役を歴任また、中国銀行(本店・岡山市)新立に関して助言援助。群馬県伊香保にて死去。 墓所は多磨霊園

栄典[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 『官報』第89号、昭和2年4月19日。
  2. ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
  3. ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]