曾子

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曾子(そう し、 紀元前505年 - 没年不詳)は、孔子の弟子で、儒教黎明期の重要人物である。(しん)。子輿(しよ)。父は曾点(子皙)[1]、子に曾申。十三経の一つ『孝経』は、曾子の門人が孔子の言動をしるしたと称されるものである。また、孔子の孫子思は曾子に師事し、子思を通し孟子に教えが伝わったため、孟子を重んじる朱子学が正統とされると、顔回・曾子・子思・孟子を合わせて「四聖」と呼ぶようになった。

生涯[編集]

曾参はの武城(現在の山東省臨沂市平邑県武城)出身で、の道(親孝行)に優れており、孔子より見込まれ、『孝経』を著したという説がある。

弟子には『呉子』の著者である呉起がいたが、母の葬儀を上げなかったとして破門している(呉起は曾申に学び、破門したのは子の曾申ともされる)。

また「曾参、人を殺す」と言う言葉の中に姿を残している。この話は「ある時に曾参の親類が人を殺し、誰かが誤って曾参の母に「曾参が人を殺した」と報告した。母は曾参のことを深く信じていたのでこれを信用しなかったが、二度・三度と報告が来ると終いにはこれを信じて大慌てした」といわれる。これは『戦国策』に載っている説話で、あまりに信じがたい嘘であっても何度も言われると人は信じてしまうと言う意味の言葉だが、このような説話に使われる事は逆に曾参の人柄と母との間の深い信頼関係が当時の人にとって常識であったと言うことを示している。

それ以外にも母との絆についての逸話は、曾参が柴刈りに行き留守中に来客が来たものの母が客人をどうもてなせば良いのかわからず、母は曾参の帰宅を促すために自分の指をかみ続けた。すると、曾参の胸が痛み帰宅し客人に気付き曾参が客人をもてなしたという。これは『二十四孝』に記載されている。

その他[編集]

書名における『曾子』は、『大戴礼記』のうち、立事・本孝・立孝・大孝・事父母・制言3篇・疾病・天員を独立させたものをいう。

脚注[編集]

  1. ^ 孔子家語』七十二弟子解「曽点、曽参父、字子晳。」『論語』先進篇で孔子は曽皙に向かって「点」と呼びかけている。

関連項目[編集]