コンテンツにスキップ

大学 (書物)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台南孔子廟の明倫堂にある『大学』冒頭の書

『大学』(だいがく)は、儒教の経書の一つ。南宋以降『論語』『孟子』『中庸』と合わせて「四書」とされた。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子によって作られたとも秦漢の儒家の作とも言われる。

概要

[編集]

儒家のうち曾子学派の手になったものではないかと考えられている[1]。何のために学問をするのかと言う大目標を述べた書で、文字訓詁の学問を小学と呼ぶのに対して名付けたもの[1]。

六朝以前には特に注目されなかったが、唐代に韓愈が著書『原道』中に『大学』篇の精神を主張、北宋に入り司馬光が『大学』『中庸』を並べて推奨、程顥と程頤が特に注釈を加えた。

朱熹に至って本来『礼記』の中の一篇でしかなかったものを『中庸』とともに取り出し、『論語』・『孟子』と合わせ「四書」と呼び、基本的テキストと定めた。こうして大学は大切な教典の1つに格上げされ、「四書」の流行とともに読書人の指針とされるようになった[1]。

宋明理学

[編集]

宋明理学において、自己修養から始めて人々を救済する政治へと段階的に発展していく基本綱領が示されているとして重要視された。その内容には「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目が提示されている。

朱熹は、注釈書『大学章句』や解説書『大学或問』を著した(熊沢蕃山『大学或問』とは別)。朱熹によると、「大学の道は明徳を明らかにするにあり、民を新たにするにあり(朱熹は「親」を「新」と改めている)」に始まり、修身、正心、誠意、致知格物・斉家・治国・平天下を説くところまでが、曾子が唱えた本来の形、「経」の10項目であると考え、その他の部分は曾子学派が経文を解説した「伝」であるとし、原文の順序を変えて、経文の各項目に付随させた。特に致知格物に関しては、「伝」が失われたと考え、程顥の説によって「格物補伝」を創作し補充し、朱子学の修養論、学問論を打ち立てた[1]。

王陽明は、朱熹を批判して「格物補伝」を不要とし、本来の『礼記』大学篇を『古本大学(大学古本)』と称して注釈を施した『大学古本旁註』を書いた。

その他、真徳秀『大学衍義』、丘濬『大学衍義補(中国語版)』、豊坊(中国語版)『石経大学』などが書かれた。

日本

[編集]
二宮金次郎像

江戸時代日本の儒教では、上記の諸書が読まれるとともに、中江藤樹 『大学考』『大学蒙注』『大学解』、伊藤仁斎『弁大学非孔氏之遺書弁』、荻生徂徠『大学解』、中井履軒『大学雑議』、古賀精里『大学章句纂釈』、大塩平八郎『古本大学刮目』などが書かれた。

また、他の四書と同様に庶民にも読まれ、『経典余師』など初学者向け注釈書・訓蒙書も作られた[2]。江戸文学のパロディの対象にもなり、関亭京鶴著『傾城情史 大客』などの戯作・洒落本[2][3]や、古典落語の廓噺の演目『廓大学』[4]が作られた。

一説には、二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいるのも『大学』であるとされる[5][2]。

現代語訳

[編集]

関連文献

[編集]
  • 源了圓編『江戸の儒学 : 『大学』受容の歴史』思文閣、1988年。ISBN 978-4-7842-0524-0
    • 吉田公平「朱子学・陽明学における『大学』」、小田嶋利江「中江藤樹」、前田勉「山鹿素行」、八木清治「熊沢蕃山」、若尾政希「伊藤仁斎」、田尻祐一郎「闇斎学派」、前田勉「荻生徂徠」、田尻祐一郎「懐徳堂学派」、荻生茂博「古賀精里」、荻生茂博「大塩中斎」、中村安宏「佐藤一斎」

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. 1 2 3 4 藤堂明保「中国の名著『大学』の項」『漢和大字典』(1版)学習研究社、1980年、1605頁。ISBN 978-4051035044。
  2. 1 2 3 鈴木俊幸「第3章 『経典余師』というモデル」『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。ISBN 9784582842272。
  3. ↑ 洒落本大成編集委員会『洒落本大成』第28巻、中央公論社、1987年。ISBN 978-4124007787
  4. ↑ “ひねりや、にせ金、磯の鮑――「禁演落語」の夏が終わる : 長井好弘’s eye : エンタメ・文化 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2020年9月4日). 2020年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
  5. ↑ “少年二宮金次郎像の変容【日本古書通信 編集長だより27】”. 八木書店 (2018年). 2021年3月28日閲覧。
  6. ↑ 旧版は『大学 中庸 孟子 世界古典文学全集18』筑摩書房、初版1971年

外部リンク

[編集]