智観女王

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智観女王
続柄 伏見宮治仁王第一王女

身位 女王
出生 1412年
父親 伏見宮治仁王
母親 今上臈(一条氏)
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智観女王(ちかんじょうおう/にょおう、1412年応永19年〉 - ?)は室町時代皇族女王伏見宮家第2代当主で治仁王の第1王女。北朝第三代崇光天皇の曾孫。妹に智久女王後花園天皇(今日の皇室の男系祖)と貞常親王(伏見宮第4代当主・旧皇族の男系祖)は従弟にあたる。通称は鳴滝殿

1418年応永25年)12月26日、門跡寺院仁和寺十地院(通称鳴滝殿)に入室し、翌26年2月12日、喝食となり名を智観とした。応永29年6月、浄金剛院にて得度し、応永31年5月、十地院主(直仁親王王女)の死によりその跡をついだ。以後鳴滝殿と称される。『看聞日記』嘉吉3年7月10日条を最後に、以後不明。