日本語のために

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日本語のために
著者 丸谷才一
イラスト 装丁:辰巳四郎
発行日 1974年8月30日
発行元 新潮社
ジャンル 評論随筆
日本の旗 日本
言語 日本語
ページ数 213
コード 75016473
ウィキポータル 文学
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日本語のために』(にほんごのために)は、丸谷才一評論随筆

概要[編集]

1974年8月30日新潮社より刊行された。装丁は辰巳四郎。翌年11月までの間に15万2000部を記録した[1]1978年10月27日新潮文庫として文庫化された。

2011年3月1日、『完本 日本語のために』が新潮文庫として新たに出版される。『完本』は、本書と『桜もさよならも日本語』(新潮社、1986年)とを併せ、一部を除いて再編集したものである。湯川豊による聞き書き「日本人はなぜ日本語論が好きなのか」[注 1]が新たに収録された。

なお本書(オリジナル)の電子書籍版が2002年3月1日より配信されている[2]

内容[編集]

国語教科書批判
朝日新聞1970年9月14日11月16日に掲載された。「子供にを作らせるな」[注 2]「よい詩を読ませよう」「中学生に恋愛詩を」「文体を大事にしよう」「子供の文章はのせるな」「小学生にも文語文を」「中学で漢文の初歩を」「敬語は普遍的なもの」「文学づくのはよさう」「文部省にへつらふな」の全10回。
未来の日本語のために
中央公論1964年3月号に掲載された。その後『梨のつぶて』(晶文社1966年)に収録された。『マタイによる福音書』第6章26節から31節までの文語訳(大正6年)と口語訳(昭和29年)を全文引用して論じている。後者について丸谷は、「極めて劣悪」「イエスの口から断じて出るはずがない、平板で力点がなくて、たるみにたるんでゐる駄文」と評した[注 3]
現在の日本語のために
新潮1972年5月号に掲載された。
当節言葉づかひ
『小説サンデー毎日』1973年1月号~12月号に掲載された。「総理大臣の散文」「娘たち」「片仮名ローマ字で」「江戸明渡し」「敬語はむづかしい」「電話の日本語」「泣虫新聞」「テレビラジオ」「最初の文体」「タブー言霊」「字体の問題」「日本語への関心」の12編のエッセイ。『完本 日本語のために』にはこれらのエッセイは収録されなかった。「総理大臣の散文」とは、自民党総裁選挙の前月、1972年6月20日に出版された田中角栄の『日本列島改造論』を指す[注 4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 初出は『考える人』2010年冬号。
  2. ^ 散文の場合ならば達意の文章といふことはある。詩の場合には達意の詩なんてものはない」「詩は言葉魔法である。『力をも入れずして天つちを動かす』技術である。さういふ玄妙なものを書ける子供が滅多にゐるはずがないのは、明らかではないか」と丸谷は述べる[3]。それゆえ子供に詩を作らせるなというのが丸谷の論旨。
  3. ^ 駄文と評した箇所は「きょうは生えていて、あすはに投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」。当該部分の文語訳は「今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや」。
  4. ^ ベストセラーとなった『日本列島改造論』について、丸谷はこう述べている。「一見もつともらしく(無個性なだけなほさらもつともらしく)しかもそのくせ空疎にして浅はかな名調子(?)の連続は、とても総理大臣の本とは思へないのである。何よりも、一流の人物の文章ならあるに決まつてゐる生気がまつたくない」

出典[編集]

  1. ^ 『丸谷才一全集』第12巻、文藝春秋、2014年9月10日、548頁。
  2. ^ 丸谷才一『日本語のために』(電子書籍)|新潮社
  3. ^ 本書、新潮文庫、14頁。

関連項目[編集]