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敏捷 (練習艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
敏捷
基本情報
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運用練習艦(装帆)[1]
母港 [2]
艦歴
就役 1896年4月22日帝国軍艦籍編入[3]
除籍 1896年9月26日[4]
その後 雑役船編入[5]
1909年売却訓令[6]
要目
排水量 1895年:約620英トン[7]
1896年:約800英トン[8]
全長 47.000m[8]
垂線間長 42.200m[7]、または42.300m[8]
最大幅 8.900m[7]、または8.800m[8]
深さ 4.850m[8]
吃水 1895年:2.700m[7]
1896年:3.050m[8]
帆装 3[7]
搭載艇 1895年:ギグ2隻[9]
修理完了後(予定):ピンネース1隻、カッター2隻、ギグ2隻、ジンギー1隻、外舷艇1隻[10]
その他 船材:(米松)[7]
甲板:2層[7]
信号符字:GQHW(1895年4月4日-)[11]
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敏捷(びんしょう[5]、旧仮名:びんせう[1])は日本海軍練習艦日清戦争の戦利艦[1]敏捷は「行動などの速やかですばしこい」意味[5]

艦型

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建造所、竣工日、要目などの詳細は現在に伝わっていない[5]。 練習艦とされたことからおそらく「満珠」「干珠」と同じ程度の帆走の旧式艦であったろうと推定される[5]

『明治27・8年 戦時書類 巻1 明治29年』によると要目は表の通り[7][8]。 2層甲板、3帆船[7]。 船首楼を持ち、中檣の前後に甲板室があり、船橋は後檣の前にあった[7]。 船材はで主に米松が使われている[7]。 しかし『日本海軍艦船名考』ではとしている[1]

艦歴

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北洋水師の帆走練習艦「敏捷(Min Chieh)」[12]1893年(明治26年)11月21日に旅順口で捕獲[5]、 翌1894年(明治27年)8月9日に佐世保に到着した[12]

1895年(明治28年) 7月18日、呉鎮守府では館山が既に老朽化しているため、代替艦として敏捷を要望した[13]。 このため敏捷が練習艦として使用出来るかどうかの調査が佐世保に命じられ[14]、 船体の出来は良くないが、修理改造を行えば6年ほどは使用出来るという調査結果だった[15]。 9月19日、敏捷は佐世保からへの回航と[16]、 改めてでの調査が命令された[17]

1896年(明治29年) 3月19日提出の報告書では[18] 修理に41,179円[19]、 その他に改造費用などで合計7万円余りが掛かるとされた[20][21]。 3月31日、敏捷の修理改造は臨時軍事費予算46,000円以内で工事することが訓令された[22]

同年4月22日に日本海軍艦籍に編入[3]、 4月29日に本籍を呉鎮守府とされた[2]。 ところで、呉水雷団の宿舎として利用していた旧富士山の船体は老朽化のために雨漏りがし、換気が悪く船内は湿度が高い、ビルジから悪臭が放つなど居住環境は最悪だった[23]。 そこで敏捷を富士山の代替に使用することが上申され[24]、 8月20日、敏捷の工事は兵員の宿泊程度に止めることが令達された[25]。 また9月5日に海兵団の砲術練習艦としても使用するため、敏捷に砲の装備も令達された[26]敏捷は9月26日に除籍[4][注釈 1]。 在籍はわずか5カ月だった[5]

除籍後は雑役船に編入[5]、 同日に呉海兵団附属となり[27]、 運用術練習艦として使用された[12]1909年(明治42年)10月18日売却訓令[6]、 予定価格は7,000[28]1910年(明治43年)1月7日に売却報告が提出された[29]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本海軍史 第7巻』p225によると8月26日除籍。

出典

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  1. ^ a b c d #浅井(1928)pp.80-81、敏捷
  2. ^ a b #M29達/4月画像30、明治29年4月28日達第42号「軍艦敏捷 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル」
  3. ^ a b #M29達/4月画像27、明治29年4月22日達第35号「捕獲清國軍艦敏捷ヲ帝國軍艦ト定メラル」
  4. ^ a b #M29達/9月画像13、明治29年9月26日達第81号「呉鎮守府所管豫備艦 館山 横須賀鎮守府所管豫備艦 干珠 佐世保鎮守府所管豫備艦 満珠 呉鎮守府所管豫備艦 敏捷 右軍艦ヨリ除名セラル」
  5. ^ a b c d e f g h #銘銘伝(2014)pp.206-207、敏捷
  6. ^ a b #M42公文備考20/売却其他処分(3)画像3、官房第3512号の2「明治四十二年拾月十八日 海軍大臣 呉鎮司令長官 船舟処分ニ関スル件 其府保管中ノ汽船楠保丸並ニ敏捷ハ廃船舟トシテ売却処分○○○クヘシ但敏捷還納ノ手続ヲ為サレ○タル上処分スル義ト心得ヘシ 右訓令ス」
  7. ^ a b c d e f g h i j k #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像5-6、明治28年9月4日、捕獲船捷現状報告
  8. ^ a b c d e f g #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像24-25、明治29年3月19日、軍艦敏捷現状報告
  9. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像9
  10. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像53-54
  11. ^ #須磨他信号符字画像1
  12. ^ a b c 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史(1994)資料篇p.10、敏捷
  13. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像4-5、明治28年7月18日呉鎮第1667号「捕獲船敏捷本府ヘ配属セシメラレ度儀ニ付上申」
  14. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像2、明治28年7月22日官房第2690号「捕獲船敏捷其府へ回着ノ上ハ速ニ検査ヲ遂ケ軍艦館山等ノ如キ練習艦ニ使用シ得ヘキヤ否ヤ意見申出ヘシ」
  15. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像9,12
  16. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像15、明治28年9月19日官房第3551号「捕獲船敏捷ハ便宜ヲ以テ運送船ニ曳カシメ呉鎮守府ヘ回航セシムヘシ」
  17. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像15、明治28年9月19日官房第3551号の2「捕獲船敏捷其府ヘ回航セシムヘキニ付回着ノ上其現状ヲ検査シ練習艦ニ適セシムルノ修理方案入費豫算取調報告スヘシ」
  18. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像24、明治29年3月19日呉鎮第2410号の2「敏捷現状報告書○進達 客年九月官房第三五三一号ノ二訓令ニヨリ捕獲船敏捷現状検査ヲ○ケ○処練習船ニ適セシムル○別紙方按乃通修理手○○ヲ要候条現状報告並修理等方按及入費豫算書進達候也」
  19. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像34
  20. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像35-54
  21. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像19
  22. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(1)画像17、明治29年3月31日官房第1125号「呉鎮第二四一〇号ノ二敏捷修理改造等ハ臨時軍事費艦船費豫算金四万六千円以内ヲ目途トシ施行スヘシ」
  23. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(2)画像5-11、明治29年5月18日舊富士山艦衛生報告
  24. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(2)画像3-4、明治29年5月28日呉鎮第1606号の3「旧富士山艦之処分方及敏捷ヲ水雷○附属ニ定メラ○○義ニ付上申」
  25. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(2)画像1、明治29年8月20日官房第34498号「呉鎮第一六〇六号ノ三上申軍艦敏捷ノ工事ハ一時兵員ヲ舎泊セシムルニ足ル丈ケニ止トメ水雷団人員ノ宿舎ニ充ツヘシ 但水雷団付属ニハ定メサル義ト心得ヘシ」
  26. ^ #M29日清戦争戦時書類1/艦船造修並解雇及使用(2)画像12、明治29年9月5日返電「敏捷ハ海兵○ノ砲術練習○トシ大砲ハ海兵団○○○内良砲ト認ムルモノヲ○トシ○○ハ○○ノ○ス○○○○ル○」
  27. ^ #M29達/9月画像13、明治29年9月26日達第82号「館山、敏捷ノ二隻ヲ呉海兵団ニ干珠ヲ横須賀海兵団ニ満珠ヲ佐世保海兵団ニ付属セシム」
  28. ^ #M42公文備考20/売却其他処分(3)画像6
  29. ^ #M42公文備考28/売却処分(1)画像2、呉鎮大2421号の7「明治四十三年一月七日 呉鎮守府司令長官加藤友三郎 海軍大臣男爵齋藤實殿 廃船舟売却処分ノ件 一旧敏捷 船体、附属物共現状ノ儘 壱隻 右ハ明治四十二年十月十八日官房第三五一二號ノ二訓令ニ依リ今回売却セシメ候条雑役船舟還納及廃却手続第四條ニ依リ 右報告ス(終)」

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 「軍艦須磨其他ノ艦船ヘ点附ノ信号符字」『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車)』、Ref.A15113036900。 (国立公文書館)
    • 「4月」『明治29年 達 完』、Ref.C12070036400。 
    • 「9月」『明治29年 達 完』、Ref.C12070036900。 
    • 「艦船造修並解雇及使用(1)」『明治27・8年 戦時書類 巻1 明治29年』、Ref.C08040756700。 
    • 「艦船造修並解雇及使用(2)」『明治27・8年 戦時書類 巻1 明治29年』、Ref.C08040756800。 
    • 「売却其他処分(3)」『明治42年 公文備考 艦船5 巻20』、Ref.C06092165600。 
    • 「売却処分(1)」『明治43年 公文備考 艦船11 巻28』、Ref.C06092331000。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』海軍歴史保存会、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9 
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 

関連項目

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