戸田氏宥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
戸田氏宥
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永9年(1780年
天明2年3月21日1782年5月3日)とも
死没 嘉永5年3月17日1852年5月5日
改名 忠熊(幼名)、氏宥
別名 泰五郎、一学(通称
墓所 東京都文京区向丘の蓮光寺
官位 従五位下、淡路守、河内守
幕府 江戸幕府
美濃大垣新田藩主(三河畑村藩主)
氏族 戸田氏
父母 父:戸田忠諏、母:西郷員総の養女
養父:戸田氏興
正室:五島盛運の娘
娘(柳沢光昭正室)、娘(戸田光武正室)、
養子:氏綏
テンプレートを表示

戸田 氏宥(とだ うじひろ)は、美濃大垣新田藩三河畑村藩)の第6代藩主大垣藩戸田家分家6代。

安永9年(1780年)、7000石を領する大身旗本戸田忠諏の四男として生まれる。寛政10年(1798年)1月、第5代藩主・戸田氏興が重病に倒れたため、末期養子として迎えられる。そして氏興が死去したため、3月19日に家督を継いだ。12月16日には従五位下、淡路守に叙位・任官される。

文政9年(1826年)6月21日、家督を養子の氏綏に譲って隠居した。それにともない、官名を河内守に改めた。天保14年(1843年)2月15日、剃髪して靖翁と称した。嘉永5年(1852年)3月17日、73歳で死去した。