慶祚

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慶祚(けいそ、天暦9年(955年)- 寛仁3年12月22日1020年1月19日))は、平安時代中期の天台宗の僧。俗姓は中原氏

略歴[編集]

園城寺余慶について天台教学を学ぶ。正暦4年(993年比叡山から円珍の門徒が追放された際、慶祚も岩倉大雲寺その後園城寺に移ったが、慶祚の学徳を慕って多くの学徒が集まり園城寺における天台教学興隆の基となった。正暦5年(994年)には園城寺南院に微妙寺を建立している。長徳3年(997年)朝命を受けてから送られてきた「竜女成仏義」を批判している。寛仁元年(1017年)の円珍忌に法華十講を行った。学識で知られ、増賀源信にも仰がれた。滋賀県大津市長等公園内にある微妙寺の旧地には慶祚阿闍梨入定窟が残されている。