徳興大院君
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| 徳興大院君 | |
|---|---|
| 宗親一世 | |
| 大院君 | |
| 続柄 | 第11代王 中宗 第9王子 |
| 幼諱 | 歓壽 |
| 諱号 | 李岹(イ・チョ) |
| 字号 | 景仰 |
| 出生年 |
嘉靖9年3月5日 (新暦1530年4月2日) |
| 出生地 | 李氏朝鮮漢城 |
| 没死年 |
嘉靖38年5月9日 (新暦1559年6月14日) |
| 没死地 | 漢城・都正宮 |
| 実父 | 中宗 |
| 実母 | 昌嬪安氏 |
| 配偶者 | 河東府大夫人 鄭氏 |
| 子女 | 下記参照 |
| 親戚 |
鄭麟趾(義理の曽祖父) 鄭世虎(義父) |
| 徳興大院君 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 덕흥대원군 |
| 発音: | トグンデウォングン |
| 日本語読み: | とくこうだいいんくん |
徳興大院君(トグンデウォングン、덕흥대원군)は、李氏朝鮮初期の男性王族。諱は岹 (チョ、초)、字は景仰(けいぎょう、キョンアン)、幼名は歓壽(かんじゅ、ハンス)。第11代国王中宗と、側室の昌嬪安氏の王子。第14代国王宣祖の父。
生涯
[編集]嘉靖9年3月5日(新暦1530年4月2日)、朝鮮漢城で誕生した。嘉靖18年(1538年)、徳興君に冊封され、その4年後の嘉靖22年(1542年)、世祖治世下で領議政を務めた鄭麟趾(河東府院君)の曾孫であり、判中樞府事(六曹の総括長官)であった鄭世虎の娘である河東鄭氏と結婚した。河源君(李鋥)、河陵君(李鏻)、宣祖、李明順、李恵玉の3男2女をもうけた。
明宗14年/嘉靖38年5月9日(新暦1559年6月14日)、病のため私邸の都正宮で薨去。同年8月16日(新暦9月17日)、楊州(現・南楊州市)水落山に埋葬された。
隆慶元年(1567年)、三男の河城君が明宗の崩御に伴い、即位して宣祖となった。2年後の宣祖2年/隆慶3年(1569年)、北宋第5代皇帝英宗の実父趙允譲に濮王の号が追号された故事にならって、徳興君は「徳興大院君」と、夫人の河東鄭氏は「河東府大夫人」と追尊された。夫妻は「皇伯父母」とも称された。
著作
[編集]漢詩をものし、『遺墨』という著作がある。