影現寺 (葛城市)

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影現寺
所在地 奈良県葛城市柿本161
位置 北緯34度29分22秒 東経135度43分37秒 / 北緯34.48944度 東経135.72694度 / 34.48944; 135.72694座標: 北緯34度29分22秒 東経135度43分37秒 / 北緯34.48944度 東経135.72694度 / 34.48944; 135.72694
山号 柿本山
宗旨 高野山真言宗
本尊 十一面観音
創建年 (伝)斉衡2年(855年)あるいは天安2年(858年
開山 (伝)真済
正式名 柿本山 影現寺
公式サイト 柿本山 影現寺
法人番号 2150005005696 ウィキデータを編集
影現寺の位置(奈良県内)
影現寺
影現寺
影現寺 (奈良県)
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影現寺(ようげんじ)は奈良県葛城市にある高野山真言宗の寺院。山号柿本山(しほんざん)。本尊は木造十一面観音菩薩立像[1]

隠れ寺霊場縁日巡礼の霊場札所。

歴史[編集]

寺伝によれば、空海の高弟の一人で神護寺住職を務めた真済によって斉衡2年(855年)あるいは天安2年(858年)に創建されたという[2]柿本神社神宮寺として創建された経緯から、現在も神社と隣接しており、境内も繋がっている。災害や火災で幾度となく焼失し、現在の本堂は17世紀に再建されたもの[3]。なお寛政3年(1791年)の『大和名所図会』においては黄檗宗の寺で本尊は阿弥陀仏と記載されているという[2]

かつては施餓鬼などの際に「仙方施神丸」という丸薬を頒布していたほか[2]、旧暦3月18日に柿本神社で行なわれていた「チンポンカンポン祭」では会式の際に寺の鐘太鼓を打ち鳴らしていたといい[4]、祭りの名はこの音に因むという[5]。なお、この祭礼は現在では毎年4月18日に行なわれているが鳴り物は無くなっている[5]

文化財[編集]

仏像[編集]

  • 十一面観音立像(本尊)
  • 伝真済上人坐像
    • 真済の姿とされる坐像。江戸時代に造られた。寄木造、彩色、玉眼。高さ67.7センチメートル。[6]
  • 不動明王立像
    • 平安時代に造られた不動明王像。一木造の立像で高さ97.5センチメートル、彫眼、古色。[6]
  • 難陀龍王像
    • 江戸時代に造られた難陀竜王像。寄木造で高さ46.8センチメートル、玉眼、彩色、一部に漆箔。[6]
  • 雨宝童子像
    • 江戸時代に造られた雨宝童子像。寄木造で高さ39.9センチメートル、玉眼、彩色、一部に漆箔。[6]
  • 普賢延命菩薩坐像
  • 阿弥陀如来立像
    • 江戸時代に造られた阿弥陀如来像。一木造で高さ19.4センチメートル、玉眼、金泥、漆箔。[6]
  • 地蔵菩薩立像
    • 江戸時代に造られた地蔵菩薩像。一木造で高さ16.2センチメートル、彫眼、彩色。[6]
  • 地蔵菩薩立像
    • 室町時代に宿院仏師の源次によって造られた地蔵菩薩像。寄木造で高さ58.1センチメートル、玉眼。[6]

その他[編集]

  • 影現寺縁起絵巻(江戸時代)[7]
  • 涅槃会図(天保10年(1839年))[7]
  • 十三仏図(室町時代)[7]
  • 阿弥陀三尊来迎図(南北朝時代)[7]
  • 慈雲尊者像(江戸時代)[7]
  • 胎蔵界大日如来像(江戸時代)[7]
  • 星曼荼羅図(嘉永7年(1854年))[7]
  • 大徹禅師像(享保5年(1720年))[7]
  • 柿本太夫人麻呂之墓
  • 人麻呂像
    • 真済の作と伝えられる木像。首がはめ込み式になっており、夜中に月の出る方角に向くという言い伝えがある。

かつては笛吹大明神に奉納された大般若経400巻を所蔵していたが、現在は光現寺蔵となっている[8]

脚注[編集]

  1. ^ 影現寺について”. 柿本山 影現寺 (2015年10月11日). 2017年1月18日閲覧。
  2. ^ a b c 大和・紀伊寺院神社大辞典、pp.794- 795
  3. ^ a b 柿本山 影現寺の沿革”. 柿本山 影現寺 (2015年12月26日). 2017年1月18日閲覧。
  4. ^ 『大和・紀伊寺院神社大辞典』、P.161
  5. ^ a b 柿本神社”. ええ古都なら. 2017年1月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 仏像”. 柿本山 影現寺 (2014年12月7日). 2017年1月18日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h その他の宝物”. 柿本山 影現寺 (2014年4月10日). 2017年1月18日閲覧。
  8. ^ 『大和・紀伊寺院神社大辞典』、pp.184 - 185

参考文献[編集]