建部政民

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建部政民
時代 江戸時代中期
生誕 元禄11年(1698年
死没 安永8年8月18日1779年9月27日
改名 久米之助、政就、政民
別名 内膳(通称
墓所 京都市北区紫野の大徳寺芳春院
官位 従五位下丹波守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
播磨林田藩
氏族 建部氏
父母 父:建部政周、母:建部光成の養女
兄弟 政民九鬼隆寛光之有馬光隆
板倉重同の娘
長教政賢米津政崇正室、板倉勝該正室、本多政寛正室、本多紀智正室、大嶋義勝室ら
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建部 政民(たけべ まさたみ)は、江戸時代中期の大名播磨国林田藩の第5代藩主。官位従五位下丹波守

略歴[編集]

第4代藩主・建部政周の長男として誕生した。幼名は久米之助。内膳。初名は政就

享保17年(1732年)9月23日、父の隠居により跡を継ぐ。同年12月16日、叙任する。

宝暦12年(1762年)6月24日、長男の長教に家督を譲って隠居し、安永8年(1779年)8月18日に82歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院

系譜[編集]