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巴波川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
巴波川
巴波川 2008年9月13日撮影
幸来橋付近(栃木市)
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 28.5[1] km
平均流量 -- m3/s
流域面積 213.6[1] km2
水源の標高 -- m
河口・合流先 渡良瀬川栃木市藤岡町石川)
流域 栃木県
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巴波川(うずまがわ)は、栃木県南部を流れる利根川水系渡良瀬川支流の一級河川

流路

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流域は栃木県中西部から南部。栃木市川原田町白地沼(しらじぬま)を水源とし、思川小倉堰(栃木市西方町本城)の分水と合流、広い平野を南に流れていく。栃木市の市街地中心部では歴史ある蔵が立ち並ぶ景観の中を流れ、南西に転じ渡良瀬遊水地に入り、栃木市藤岡町石川渡良瀬川に合流する。渡良瀬遊水地と栃木市大平町伯仲・小山市大字中里付近間は国土交通大臣が管理する直轄管理区間[2]

流域の自治体

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栃木県
栃木市小山市

名称の由来

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「ウズを巻き、波を立てて流れる」という意味に由来する。近世には「宇津間川」、「鶉妻川」などとも表記された[3]

歴史

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中世から江戸川と通じた舟運の盛んな川で、栃木市内には蔵造りの建造物が多く残り「蔵の街」として親しまれている。舟運の始まりは、江戸時代徳川家康の霊柩を久能山から日光山に改葬した際に、日光御用の荷物を栃木河岸に陸揚げしたことが端緒である。その後、物資の集散地として江戸との交易で隆盛を極めた[4]。現在は、錦鯉が放流されており、船頭による舟歌が楽しめる観光用の舟(蔵の街遊覧船)が行き来する。

ナマズの民話があり、そのナマズを模したしゃもじ郷土玩具がある[5]

治水

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明治時代に堤防が築かれる以前はたびたび氾濫し、橋をかけても2年ともたないと言われたほどであった。氾濫を鎮めるために人柱を立てたという伝説も残っており、「巴波川悲話」として栃木市の塚田歴史伝説館などで紹介されている(幸来橋#伝承・逸話を参照)。

近代以降においては、1947年(昭和22年)16日、カスリーン台風襲来の際に旧部屋村内で堤防が決壊、部屋村の全戸と旧生井村の6割が浸水する大洪水となり、多くの被災者を出した[6]。また、2015年(平成27年)9月関東・東北豪雨2019年(令和元年)の東日本台風襲来の際にも氾濫し、被害を出した[7][8]

支流

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自然

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栃木市内には多くの錦鯉が生息している。最盛期、鯉の数は県庁堀と合わせて10万匹にまでなったとも言われている[9]

橋梁

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上流から

石川橋付近

脚注

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  1. ^ a b 金子是久、布川洋之、藤咲雅明「巴波川(栃木県栃木市)における生物多様性の保全と地域の人々の関わり」『景観生態学』第15巻第1号、日本景観生態学会、2010年6月、31-36頁、doi:10.5738/jale.15.31NAID 40017215354 
  2. ^ 出張所管理区間 国土交通省利根川上流河川事務所
  3. ^ a b 巴波川」『ブリタニカ国際大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E5%B7%B4%E6%B3%A2%E5%B7%9Dコトバンクより2022年2月27日閲覧 
  4. ^ 栃木県歴史散歩編集委員会 編 編『栃木県の歴史散歩』山川出版社〈歴史散歩⑨〉、210-211頁。ISBN 978-4-634-24609-6 
  5. ^ 郷土玩具の杜 うずまの鯰
  6. ^ 濁流呑むニケ村『朝日新聞』昭和22年(1947年)9月17日、4版、1面
  7. ^ 平成27年9月関東・東北豪雨 災害・支援・復旧記録”. 栃木市 (2018年10月22日). 2018年9月29日閲覧。
  8. ^ 【台風19号】氾濫で屋形船損傷 橋桁に衝突、復旧見通せず 栃木・蔵の街遊覧船”. 下野新聞社 (2019年10月21日). 2020年12月27日閲覧。
  9. ^ 県庁堀の鯉”. とちぎ旅ネット. 公益財団法人 栃木県観光物産協会. 2020年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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