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川口朋保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川口 朋保
社会人野球日本代表 監督 #78
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 (1971-09-14) 1971年9月14日(53歳)
選手情報
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

川口 朋保(かわぐち ともやす、1971年9月14日 - )は、日本の元野球選手内野手)、野球指導者である。

経歴

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和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校から明治大学に進学。3年春にベンチ入りを果たすも同期に鳥越裕介らがいてレギュラー獲得には至らず、代打要員での出場が主であった[1]。他の同期に柳沢裕一、1学年上に古沢淳、2学年下に野村克則がいた。1994年に三菱自動車工業に入社し、三菱自動車岡崎でプレーした[2]。同僚に谷佳知岩下修一がいた。

2000年10月、監督の堀井哲也よりマネジャー就任の打診を受けたことから現役を引退。また2002年より2年間コーチを務めた[1]

2004年、三菱自動車工業によるリコール隠し事件の影響で、野球部がシーズン途中に活動を停止。監督の堀井や全選手の3分の2が移籍や引退を決めた。存続が危ぶまれたものの、翌年に活動を再開し、川口が監督に就任。同年の都市対抗野球大会への出場を果たすなど、2009年に監督を退任するまでの5年間で4回の都市対抗大会出場に導いた[3][4]

2023年10月、石井章夫の後任として社会人野球日本代表監督に就任した。任期は2026年のアジア競技大会まで[5]。2023年の第30回アジア野球選手権大会では、6戦全勝で2大会ぶりの優勝を果たした[6]。2024年は、第5回WBSC U-23ワールドカップで社会人所属の選手からの選抜となったU-23代表を率いて連覇を達成した[7]

脚注

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  1. ^ a b “波乱万丈の野球人生 川口朋保監督(侍ジャパン社会人代表)が歩んだ白球の道”. 週刊ベースボールONLINE. (2023年12月6日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=022-20231211-03 2023年12月11日閲覧。 
  2. ^ 日本代表新監督に川口朋保氏 初の実戦は12月のアジア選手権 社会人野球NOW vol.8”. 日本野球連盟公式サイト (2023年10月22日). 2023年12月11日閲覧。
  3. ^ “東芝、野球部を存続(下) 苦境背負い再スタート”. カナロコ. (2018年2月3日). https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-25414.html 2023年12月11日閲覧。 
  4. ^ “「挑戦できる組織」目指す ~ 社会人野球 日本代表監督 川口 朋保さん”. ニュース和歌山. (2022年12月2日). https://www.nwn.jp/feature/231202ima_kawaguchi_tomoyasu/ 2023年12月11日閲覧。 
  5. ^ 野球日本代表「侍ジャパン」社会人代表の新監督について”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2023年10月20日). 2023年12月11日閲覧。
  6. ^ 3投手による完封リレーや向山基生の決勝打で2大会ぶり20回目のアジア選手権制覇”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2023年12月10日). 2023年12月11日閲覧。
  7. ^ “侍U23代表、2大会連続3度目の世界一 プエルトリコに“雪辱”、川口監督は笑顔”. Full-Count. (2024年9月15日). https://full-count.jp/2024/09/15/post1618060/ 2024年9月15日閲覧。