峯山海軍航空隊

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峯山海軍航空隊[1](みねやまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。中練教程の搭乗員の教育を推進するため、予科練卒業生への実機練習を推進した。

沿革[編集]

日華事変の泥沼化に加え、張鼓峰事件ノモンハン事件が相次いで勃発したことから、海軍はソビエト連邦に対する迎撃策を講じることになった。舞鶴鎮守府隷下の舞鶴海軍航空隊は偵察部隊であるため、舞鶴軍港の防空に必要な陸上機が駐留できる基地として、中郡河辺村に河辺飛行場を造成した。太平洋戦争中期に、逼迫する航空要員の大量育成を図るため、全国各地に訓練部隊が増設された。後方基地として遊休化していた河辺飛行場に目をつけた海軍は、ここに中練教程練習航空隊を設置することにした。

  • 昭和19年(1944年)
3月15日 第二美保海軍航空隊峯山分遣隊[2]開隊。三重海軍航空隊より予科練特乙3期卒業生入隊。同年8月卒業。
7月25日 第一美保海軍航空隊より予科練甲13期前期卒業生入隊。
9月20日 奈良海軍航空隊より予科練甲13期前期卒業生入隊。
  • 昭和20年(1945年)
1月頃  豪雪のため飛行訓練不能、福岡海軍航空隊に疎開し訓練続行。
2月11日 第二美保空の解隊にともない姫路海軍航空隊の分遣隊となり姫路海軍航空隊峯山分遣隊に改称[3]
2月5日 奈良空より予科練甲13期後期卒業生入隊。
2月20日 飛行訓練凍結・特攻編成開始、「飛神隊」と命名。選外の隊員は峯山へ帰還。
3月1日 独立し「峯山海軍航空隊」[1]開隊、舞鶴鎮守府所管。第二十連合航空隊に編入。
5月5日 福岡の特攻要員と本隊要員の一部、霞ヶ浦海軍航空隊に転出、特攻訓練・戦備作業に従事。

        5月中3回の墜落事故。

6月5日 宮津湾で駆逐艦「初霜」を標的とした夜間爆撃訓練中、1機墜落。
6月6日 陸戦隊編成開始。
6月30日 舞鶴軍港・宮津湾・河辺飛行場に敵機動部隊艦載機襲来、銃爆撃で機体・施設に被害。
7月14日 飛神隊「忠」部隊、鹿屋飛行場に進出。
7月19日 飛神隊「礼」部隊・「武」部隊、岩国飛行場に進出。
7月27日 飛神隊「義」部隊、岩国に進出。
終戦後、武装解除・解隊。

峯山から前進した飛神隊は出撃する機会がないまま終戦を迎えたが、卒業生の一部は実際に出撃している。飛神隊を送り出したあとの飛行場は、本土決戦時の特攻作戦に従事する予定で編成された各地の特攻隊が駐留し、最終的には峯山空要員とほぼ同じ人数に膨れ上がった。終戦後の残務処理は整然と進み、田結穣舞鶴鎮守府司令長官もその手際を絶賛したという。戦後は民間に払い下げられ、滑走路は農地・宅地となった。弾薬庫が放置されているほか、格納庫が繊維工場の倉庫として現存している。

主力機種[編集]

歴代司令[編集]

  • 菅原英雄(昭和20年3月1日 - )
  • 小関晟(昭和20年4月1日-終戦後解隊)

脚注[編集]

  1. ^ a b 昭和20年3月1日付 海軍内令第186号。峰山ではない。
  2. ^ 昭和19年3月15日付 海軍内令第448号。峰山ではない。
  3. ^ 昭和20年2月11日付 海軍内令第127号。峰山ではない。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)