山本秀煌

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やまもと ひでてる
山本 秀煌
生誕 1857年12月16日
日本の旗 日本丹後国峰山藩
死没 (1857-12-16) 1857年12月16日(満-86歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
職業 牧師教会史

山本 秀煌(やまもと ひでてる、1857年12月16日安政4年10月30日) - 1943年昭和18年)11月21日)は、横浜バンドの一人で明治時代の日本基督教会牧師教会史家。

生涯[編集]

幼少期[編集]

丹後峰山藩士の家に生まれる。1873年(明治6年)8月にS・R・ブラウン修文館の教師を辞職して、伝道者養成のためにブラウン塾を開く。山本は、押川方義井深梶之助植村正久熊野雄七本多庸一島田三郎らと一緒にブラウン塾で学ぶ

神学生時代[編集]

1877年(明治10年)に東京一致神学校が開校されると、ブラウン塾からは山本、井深、植村らが転校し、第一期生になる。デイヴィッド・タムソンタムソン塾からは瀬川浅服部章蔵青山昇三郎三浦徹ら学ぶ。

牧師時代[編集]

山本は卒業後1885年(明治18年)に高知教会初代牧師に就任した。その後横浜住吉町教会大阪東教会などの牧師を務める。1908年(明治41年)より明治学院教授として教会史の講義をした。また、麹町教会の牧師を務めた。

山本は教会法規に詳しいので、日本基督教会大会書記や議長を務めた。日本基督組合教会との合同運動についても中心になって働き、外国のミッションとの協力関係、日本基督教会憲法規則改定でも重要な役割を負った。

著作[編集]

  • 『日本基督教会史』

参考文献[編集]

  • 小野静雄『日本プロテスタント教会史』聖恵授産所、1983年
  • 『長老・改革教会来日宣教師事典』教文館、2003年
  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年