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山内 六郎(やまうち ろくろう、1908年(明治41年)6月9日 - 没年不明)は、日本の造園系官僚。
静岡県に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1934年に京都帝国大学農学部を卒業。1937年に静岡県立静岡農学校(現・静岡県立静岡農業高等学校)の教諭となる[1]。
1940年に内務省に入り、計画局都市計画課技手となる。翌年、都市計画大阪地方委員会技手兼大阪府都市計画課技手に転じ、1943年には都市計画北海道地方委員会技師兼北海道庁技師となった。[要出典][1]
1947年から福岡県土木部計画課公園係長[2]を務めた後、1955年に神戸市建設局に移る。神戸市では土木緑地砂防課長などを務めた[3][4][5]。
1972年に第3回日本公園緑地協会公園緑地折下功労賞[6]、昭和60年度(第4回)日本造園学会上原敬二賞[7]を、それぞれ受賞している。
- ^ a b 『造園雑誌』第50巻4号
- ^ 山内六郎「北九州五市民のレクリエーション管見」『新都市』第7巻2号、都市計画協会、1953年2月、pp.56 - 59
- ^ 『兵庫県名士録』神港新聞社、1958年、[要ページ番号]
- ^ 山内六郎「神戸市の交通公園」『新都市』第17巻4号、都市計画協会 1963年4月[要ページ番号]
- ^ 山内六郎「元武庫離宮跡公園について(中間報告)」『新都市』第19巻8号、都市計画協会、1965年9月、[要ページ番号]
- ^ “公園緑地折下功労賞受賞者”. 日本公園緑地協会. 2020年5月21日閲覧。
- ^ 上原敬二賞受賞者 - 日本造園学会
参考文献[編集]
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- 近松公夫・矢木勉「山内六郎氏に聞く (〔第4回〕上原敬二賞受賞者に聞く〔含 略歴・肖像〕)」『造園雑誌』第50巻4号、日本造園学会、1987年3月、pp.290 - 293(書誌情報)