小畑千代

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小畑 千代
小畑 千代の画像
プロフィール
リングネーム 小畑 千代
本名 小沢千代子[1]
ニックネーム 東洋の魔女
突貫撫子
身長 160cm
体重 63kg
誕生日 (1936-03-05) 1936年3月5日(83歳)[2]
出身地 日本の旗 日本東京都台東区浅草吾妻橋[2]
所属 東洋女子プロレス
日本女子プロレス
国際プロレス
デビュー 1955年1月
引退 1976年?[3]
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小畑 千代(おばた ちよ、1936年3月5日 - )は、女子プロレスラー。本名は小沢千代子(おざわ ちよこ)、千代子の命名者は長兄である小沢喜三(おざわ よしみつ)、小畑千代のリング名は東京女子プロレス社長による[2]日本女子プロレス国際プロレス女子部のエースとして活躍した。東京都台東区出身。

経歴[編集]

1955年1月、フランス座で知られた東洋興業によって旗揚げされた東洋女子プロレス(媒体によっては東京女子プロレスとも表記[4])でデビュー。妹である小畑紀代(本名:小沢清子)も同団体のレスラーだった[5]

1968年、当時、団体の分裂による全日本女子プロレスへの戦力流出に悩まされた日本女子プロレスの呼びかけに答え入門。エースに指名された。

11月、ファビュラス・ムーラを下しIWWA世界王座を奪取。この試合を東京12チャンネルが録画放映し、24.4%とという、当時の局最高視聴率を記録している[6]

日女解散後は休業を経て、国際プロレス女子部に入団。佐倉輝美とのタッグで王座にも君臨。1976年の女子解散まで活動した。

1976年以降は、佐倉とともにスナック「BARさくら」を経営。

2002年以降、魔界倶楽部の魔界魔女軍団総裁として全日本女子プロレスなどに来場していた。

国際プロレス女子部解散以降は事実上現役を退いているが、正式な引退宣言はしておらず、インタビューでは「永遠に引退はしないと思った。死ぬまで現役よ」と答えている[6]

エピソード[編集]

  • 男同士の喧嘩の仲裁に入った際、大の男3人を束にして投げたことがある。
  • 経歴からも分かるように、全日本女子プロレスとは全く接点は無かったが、全女の30周年記念興行で女子プロレスに貢献した選手として、女子プロレスの殿堂入りしている。
  • ジャパン女子プロレスが旗揚げされた頃、かつて自分の保持していたベルトを持ち、王座復活を訴えた。後に太平洋岸タッグ選手権はジャパン女子プロレスのタッグ王座として復活している。
  • 2015年5月から評伝『闘う女の戦後史 女子プロレスラー・小畑千代』が岩波書店世界」で連載開始。著者は秋山訓子[7]。2017年に岩波書店から単行本化している[6]
  • 2019年3月、TOKYO MXの「5時に夢中」に街頭インタビューという形で出演した。

獲得タイトル[編集]

得意技[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 岩波書店刊『世界』6月号 女子プロレスラー・小畑千代 第2回 闘う女の戦後史
  2. ^ a b c 岩波書店刊『世界』5月号 女子プロレスラー・小畑千代 第1回 闘う女の戦後史
  3. ^ 1976年と一部では言われている所も有るが、2014年3月現在、本人曰く「興業活動こそしていないものの引退表明をした憶えは無く、生涯現役を貫く所存」と公表している。
  4. ^ 1955年の東京女子プロレスも熱かった 小畑千代から語る戦後史【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】”. boku-pro.com. 2019年3月23日閲覧。
  5. ^ 岩波書店刊『世界』5月号 女子プロレスラー・小畑千代 第1回 闘う女の戦後史
  6. ^ a b c 痛快!『女子プロレスラー 小畑千代』81歳にして現役 - HONZ” (日本語). HONZ - 読みたい本が、きっと見つかる!. 2019年3月23日閲覧。
  7. ^ 目次”. 岩波書店 世界. 2015年8月2日閲覧。

関連項目[編集]