小林光二 (陸上選手)

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小林 光二(こばやし こうじ、1989年1月16日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走マラソン栃木県出身。那須拓陽高校中央学院大学卒業。現在の所属はSUBARU

人物[編集]

  • 那須拓陽高校時代から全国高校駅伝などで活躍した。高校卒業後は中央学院大学に進学。箱根駅伝には1年生から4年生まで4度出場した。しかし4大会とも区間順位は二桁、3年時の第86回箱根駅伝ではエース区間の2区を任されたが他大学のエースには力負けし、区間トップと5分以上の差を付けられての区間最下位(20位)に沈んでしまい、翌年の第87回箱根駅伝でも再び2区を走ったが区間19位に終わってしまうなど、箱根駅伝では特筆すべき成果をあげられなかった。[1]
  • 大学卒業後SUBARUに入社し、マラソンに取り組み始めると才能が開花。入社1年目に2012年2月の延岡西日本マラソンでマラソンデビューを果たすと、同年10月にはワールドマラソンメジャーズの1つに数えられるシカゴマラソンに出場。2時間10分40秒の記録で日本人最高の14位に入った。[2] 翌2013年にはシカゴマラソンと並ぶワールドマラソンメジャーズの1つベルリンマラソンで8位入賞を果たす。[3] 2014年には同年に開催された仁川アジア大会のマラソン日本代表選考会を兼ねた東京マラソンで2時間08分51秒の自己ベストをマークし自身初のサブテンを達成したが、アジア大会代表の座は2時間08分09秒の記録で8位入賞を果たした松村康平(三菱日立パワーシステムズ長崎)と、前年の福岡国際マラソンで日本人トップになった川内優輝(埼玉県庁)に譲った。その後、この年日本陸連により組織されたナショナルマラソンチームに松村や川内とともに加入した。[4] 2014年10月には2年ぶりにシカゴマラソンに出場し、2年前と同じく日本人トップとなる10位に入った。[5] 2015年12月、翌年に開催されるリオデジャネイロオリンピックマラソン日本代表選考会を兼ねた福岡国際マラソンに招待選手として出場予定であったが、左足底部の痛みにより欠場した。[6]
  • SUBARU入社後は毎年元日に開催されるニューイヤー駅伝に出場している。2013年にはエース区間の4区を担当し、有力チームのエース達に引けを取らない走りで順位を10位から入賞圏内の6位にまで押し上げた。(区間5位‐1時間04分08秒) スバルはその後に順位を落としたものの、最終的にはアンカーの塩川雄也が順位を押し上げ総合6位でゴールし、チーム創部以来初のニューイヤー駅伝入賞を果たした。[7]

記録[編集]

自己ベスト[編集]

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マラソン歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ [1] 箱根駅伝公式Webサイト
  2. ^ [2] ケベデ大会新V、小林14位 シカゴ・マラソン :日本経済新聞
  3. ^ [3] W・キプサングが世界新 ベルリン・マラソン ― スポニチ Sponichi Annex マラソン
  4. ^ [4] ナショナルマラソンチーム メンバー
  5. ^ [5] キプチョゲV、小林10位 シカゴ・マラソン ― スポニチ Sponichi Annex マラソン
  6. ^ [6] 小林光二が左足底部の痛みで福岡国際マラソン欠場 - 陸上 : 日刊スポーツ
  7. ^ [7] 富士重工業 SUBARU陸上競技部 公式WEBサイト-歴史・過去の成績
  8. ^ [8] 富士重工業 SUBARU陸上競技部 公式WEBサイト-小林光二