小川菊松
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小川菊松(おがわ きくまつ、1888年 - 1962年7月3日)は、誠文堂新光社の創業者、社長。
経歴[編集]
茨城県出身。1903年15歳で上京、書店店員から出版取次の至誠堂に入社、1912年独立して神田錦町に取り次ぎ仲買の誠文堂を創立、13年渋川玄耳の『わがまま』を刊行し出版を始める。1920年『商店界』、24年『子供の科学』『無線と実験』などを創刊。1935年新光社を合併、誠文堂新光社とする。1945年、終戦直後に『日米会話手帳』を科学教材社名義で発行しベストセラーとする。1947年12月22日、公職追放の指定を受ける[1]。1950年10月13日に公職追放を解除され[2][3]、誠文堂新光社に会長として復帰[4]。1962年猟銃自殺。
著書[編集]
- 『商戦三十年』誠文堂 1932
- 『出版興亡五十年』誠文堂新光社 1953
- 『出版の面白さむずかしさ』誠文堂新光社 1959
- 『日本出版界のあゆみ』誠文堂新光社 1962
共編著[編集]
- 『礎』編 誠文堂新光社 1941 NDLJP:1122838
- 『最新愛犬読本』宮本彰一郎共著 誠文堂新光社 1949
- 『犬の性能と形態』宮本彰一郎共著 誠文堂新光社 1950
- 『猟犬銃猟射撃事典』編 誠文堂新光社 1957