小出吉重

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小出吉重
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年(1607年
死没 延宝2年1月18日1674年2月23日
改名 万作、吉重
戒名 鑑英宗昭真常院
墓所 東京都練馬区桜台広徳寺
官位 従五位下修理亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
但馬出石藩
氏族 小出氏
父母 父∶小出吉英、母∶貞松院
兄弟 帯刀、三浦重勝正室、吉重、次女、三女、保科正英英本英信、高岳院、
松平信之正室
有馬豊氏
英安有馬豊祐英直大関増栄正室、
青峰院、谷衛広正室、成瀬正親正室、
土方雄隆正室、山内一輝室ら
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小出 吉重(こいで よししげ)は、江戸時代前期の大名但馬国出石藩5代藩主。官位従五位下修理亮。出石藩小出家4代。

略歴[編集]

慶長12年(1607年)、出石藩主小出吉英の次男として出石にて誕生。幼名は万作。

寛文6年(1666年)、京極高国改易されたため、その城の受け取り役を務めた。その直後の同年5月14日、父の隠居により60歳にして家督を継いだ。このとき、所領5万石のうち、弟の英本英信に2000石ずつ、養嗣子の英勝に1000石を分与した。延宝元年(1673年)12月12日、長男の英安に家督を譲って隠居し、直後の延宝2年(1674年)正月18日に68歳で死去した。

法号は鑑英宗昭真常院。墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺。

系譜[編集]