大衆食堂
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大衆食堂(たいしゅうしょくどう)とは、飲食店のうち大衆向けに廉価で食事を提供する飲食店。
日本の大衆食堂
[編集]日本では、大衆向けに家庭料理的な食事を廉価で提供する飲食店のことを指し、高級店、専門店と対比した表現でもある[1][2]。ハレの場としての外食ではなく、手軽な日常の食事、自炊や弁当の代替としての外食という役割を担ってきた[3][4][5]。
オフィス街や繁華街などの都市部や工場街に通う労働者、住宅街や学生街の単身者を主な顧客層としている[4][6]。家庭料理の範疇で和食・洋食・中華料理の区別なくメニューに取り込み、専門性がないことそのものが専門店との差異であるともされる[7]。定食を中心としたメニュー構成の店舗は、定食屋、定食店とも呼ばれる。また、酒類を提供し、昼は大衆食堂、夜は大衆酒場・居酒屋として営業する店舗もある[6][8]。
大衆食堂の起源は、江戸時代に都市部や街道沿いで米飯に併せて煮物などの簡単な総菜を提供していた煮売茶屋、飯屋とされている[9][10]。天和(1681年-1684)の頃に浅草の奈良茶飯屋が流行したのをきっかけとして店内で食事を提供する業態が広まり、庶民が外食をすることが珍しくなくなっていった[11]。
明治時代に入ると、 dining roomの訳として食堂を用いるようになり[12]、やがて、テーブルと椅子で食事をさせる施設や飲食店を指して食堂というようにもになる[13]。また、和洋折衷料理としての洋食が庶民にも徐々に根付いていき、大正時代には、日雇労働者でも手が届く一品洋食屋も現れた[14][15][16]。このような流れの中、1924年(大正13年)に加藤清二郎が神田須田町に大衆食堂の元祖といわれる須田町食堂(現:聚楽)を開店する[17]。須田町食堂は、コロッケ3銭、カツレツ5銭、カレーライス8銭といった「三銭・五銭・八銭均一」のメニューと「安くて早くてうまい」のスローガンをもとに開店から5年で店舗数を25店にまで拡げ、これが現代風の大衆食堂の嚆矢とされる[18]。同時期に京阪神でも甘味屋から食堂へと業態を拡大した力餅食堂が店舗を増やしていく[19]。
1940年代に入ると、第二次世界大戦の影響を受け、戦中期の食糧統制、戦後も1949年(昭和24年)までは都道府県が指定する外食券食堂(米穀通帳と引き換えに交付される外食券を要する食堂)以外での営業が困難となり、停滞する[19][20]。
1950年代から1960年代にかけて大衆食堂は再び増え、1966年(昭和41年)には外食産業の中で約20%のシェアを占めていたが、1970年代以降はファミリーレストランやファストフード店の増加の影響を受け、シェアは低下していく[19][21][22]。
日本標準産業分類
[編集]日本標準産業分類では「小分類7611-食堂、レストラン(専門料理店を除く)」に分類され「主として主食となる各種の料理品をその場所で飲食させる事業所」と定義されている[23]。かつては「一般食堂」という分類も用いられたが2007年(平成19年)11月の改定により再編された[24]。
沖縄県の大衆食堂
[編集]沖縄県の大衆食堂は本土と大きく異なるメニューが存在する。たとえば、「そば」とあれば沖縄そばのことであり、「肉そば」は肉野菜炒めの載った沖縄そばのことを指す。チャンポン、カツ丼、すき焼きなども、本土とは内容が違う。チャンプルーやポーク玉子は必ずメニューにある。「ランチ」は洋食揚げ物のセットで、昼でなくても食べられる。24時間営業の店では、真夜中や早朝からステーキをオーダーする客も珍しくはない。
また、一見単品のようなメニューも基本的には定食である。以下のような本土で見慣れないセットメニューが多くの店舗で提供されている。
たとえば「ご飯とおかずとみそ汁」を注文すると、どんぶり飯がひとつ(ご飯)、野菜炒めと卵焼きの皿とみそ汁とご飯(おかず)、それに丼に山盛りのみそ汁とご飯(みそ汁)、さらに漬物の小皿が3つに、時には定食の副菜やしーぶんまでもが運ばれてくる。予備知識のない観光客がこのような注文をして驚くことがしばしば見受けられる。
日本以外の大衆食堂
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ホーカーセンター
[編集]東アジアや東南アジアでは大衆食堂が集中していることが多く、ホーカーセンターと呼ばれる。
ビストロ
[編集]フランスではビストロ(bistro, bistrot)がこれに当たるが、現在ではビストロと呼ばれる店でも高級料理店ならずともある一定の格式や雰囲気を持つ店も多く、ビストロという言葉が即大衆食堂に当たるとは限らない。日本に於いてはフランス料理店が自らの店に『ビストロ』の名を付与していることが多い。日本料理では割烹に相当する。
ビストロの語源はロシア語の方言という都市伝説がある。1814年にナポレオン戦争でパリが陥落した際、駐屯してきたロシア兵がカフェで酒を「早く(ブィストロ、быстро)出せ」と言ったことが語源とされる[25]が、実際には「ビストロ」という語はロシア兵がフランスに来る前から使われていて、「安酒 (bistouille)」という語と関係しているとされる[26]。
多くのビストロは近所の住人を主な客層としており、テラスや路上に藤椅子とテーブルを出して憩いの場を提供するなど、カフェと同様の業態や機能をもつ[27]。これらのビストロには固有の屋号が無い店が多く、客からは単に「ル・ビストロ」と呼ばれる[27]。
出典
[編集]- ^ “大衆食堂-2005年”. 全国生活衛生営業指導センター. 2025年4月29日閲覧。
- ^ 『オール喫茶・食堂経営の実際』誠文堂新光社、1961年、32-40頁。doi:10.11501/2493540。
- ^ 桜井忠夫『業種別にみる商店経営判定の手引 : 銀行員はどこをどうみるか』金融財政事情研究会、1968年、195-204頁。doi:10.11501/3021940。
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- ^ 原勉、稲垣勉『外食産業界』教育社、1979年、11-115頁。doi:10.11501/12022621。
- ^ 柴田書店出版部 編『儲かるメニュー・シリーズ 第8 (ランチ・定食)』柴田書店、1969年、19-23頁。doi:10.11501/2525186。
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- ^ 小柳輝一『食べものと日本文化 : 食生活の文化的考察』評言社、1972年、116頁。doi:10.11501/12170353。
- ^ 西東秋男『日本食生活史年表』楽游書房、1960年、35頁。doi:10.11501/12169992。
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- ^ 横井円二『戦時成功事業』東京事業研究所、1904年、30-33頁。doi:10.11501/801489。
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- ^ 『自由労動者に関する調査』東京市社会局、1923年、107-110頁。doi:10.11501/987291。
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- ^ a b c 奥井亜紗子 (2019). “大衆食堂経営主の「暖簾分け」と同業ネットワーク : 「力餅食堂」を事例として”. 社会学雑誌 (神戸大学社会学研究会) (35/36): 128-149.
- ^ 「東京の前食堂を三種に区分」1944年(昭和19年)4月10日 毎日新聞(東京版)(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』p41 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 原勉、稲垣勉『外食産業界』教育社、1979年、11-115頁。doi:10.11501/12022621。
- ^ 塩田長英『外食産業の虚像と実像』日本経済新聞社、1980年、28-29頁。doi:10.11501/12022880。
- ^ “大分類M-宿泊業,飲食サービス業”. 総務省. 2020年11月6日閲覧。
- ^ “平成23年表における飲食サービス関連部門の設定について”. 総務省. 2020年11月6日閲覧。
- ^ 「悲しき酒場のある都市コロンバス」、法政大学教養部紀要、中島時哉、1993年
- ^ NHKラジオ「まいにちロシア語」テキスト 2020年11月号
- ^ a b レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』忠平美幸訳 みすず書房 2013 ISBN 9784622077800 pp.244-251.