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安鼎福

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アン・ジョンボク
あん ていふく

安 鼎福
生誕 1712年
死没 1791年
職業 文臣
実学者
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安 鼎福
各種表記
ハングル 안정복
漢字 安 鼎福
発音: アン・ジョンボク
日本語読み: あん ていふく
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安 鼎福(あん ていふく、アン・ジョンボク、朝鮮語: 안정복1712年 - 1791年[1])は、李氏朝鮮文臣実学者[1]は「百順」、は「順菴」、諡号は「文粛」。英祖末年王世孫の教育係となる。官は同知中枢に昇り、広成君に封ぜられた[1]

人物

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安鼎福は、朱子学を自己の学問の土台としながら、師である李瀷の学風を継承して経世致用の実学を研究する[1]

安鼎福は、朝鮮征服した後、箕子朝鮮を建国した中国殷王朝政治家箕子を「中華文明=礼・文」の保持者として崇め、箕子の「礼・文」を継承した朝鮮こそが「中華」であると主張している[2]

紀元前2333年に即位したとされる檀君朝鮮の王である檀君について考証し、荒唐無稽とみなしている。すなわち檀君説話には、多数の仏教に関係のある仏説が登場することから、「按ずるに東方古記等の書言ふ所の檀君の事皆荒誕不経、…其の称する所の桓因帝釈法華経に出づ。其の他称する所は皆是れ僧談」として、檀君を否定した[3]。ちなみに、仏教は372年朝鮮半島に伝えられた。

安鼎福は、著書『東史綱目朝鮮語版』の巻頭に「殷太師箕子東来。周天子因以封之」と記しており[4]朝鮮の歴史正統性箕子から、馬韓へと、統一新羅へと、高麗王朝へとつなげ、漢人が侵入して建国した衛氏朝鮮および漢四郡朝鮮の歴史の正統性から除外しており[5]、衛氏朝鮮は漢人亡命者が王統を簒奪した「簒賊者の支配した国家」と非難している[6]

安鼎福は、著書『東史綱目朝鮮語版』で渤海靺鞨の歴史と記述しており[7][8]渤海を建国した大祚栄の出自は靺鞨であり、渤海朝鮮の歴史として扱うことは不当であると主張している[9]

渤海不當錄于我史。而本爲高句麗故地,與我壤界相接,義關唇齒。故通鑑備書之。今從之[10]

渤海は我が国の歴史に記録するには当たらない。しかし渤海は高句麗の故地に興ったものであり、かつ我が国と境域を接していた。その意義はまことに密接である。この故に「東国通鑑」も渤海のことを記載している。そこで今は「東国通鑑」に倣って渤海のことを記述する[11] — 安鼎福、東史鋼目
靺鞨大祚栄……[11] — 安鼎福、東史鋼目、巻四下・新羅孝昭王九年条

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d 日本大百科全書安鼎福』 - コトバンク
  2. ^ 李豪潤「16 世紀朝鮮知識人の「中国」認識 -許篈の『朝天記』を中心に」『コリア研究』第2巻、立命館大学コリア研究センター、2011年3月、81-96頁、CRID 1390853649745659776doi:10.34382/00007841hdl:10367/3438ISSN 1884-5215  p.91 より
  3. ^ 北山祥子 (2021). “日本人の檀君硏究”. 한일관계사연구 (한일관계사학회): 103-105. doi:10.18496/kjhr.2021.11.74.75. https://doi.org/10.18496/kjhr.2021.11.74.75. 
  4. ^ 池明観 1987, p. 158.
  5. ^ “허연의 책과 지성 순암 안정복 (1712~1791)”. 毎日経済新聞. (2019年8月23日). オリジナルの2019年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190914134842/https://www.mk.co.kr/news/culture/view/2019/08/657965/ 
  6. ^ 池明観 1987, p. 140.
  7. ^ 이종욱 (2006-12-30). 민족인가, 국가인가?. 소나무출판사. ISBN 8971396121 
  8. ^ ““한국사의 정통성은 신라에… 고구려 중심사관 폐기해야””. 東亜日報. (2007年1月16日). オリジナルの2021年9月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210903034839/https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20070116/8396213/1 
  9. ^ 東北アジア歴史財団 編『동아시아의 발해사 쟁점 비교 연구東北アジア歴史財団〈동북아역사재단 기획연구 29〉、2009年9月、54頁http://contents.nahf.or.kr/id/NAHF.bg.d_0154 
  10. ^ “사료라이브러리 > 발해사자료집 >東史綱目 >발해의 기록과 우리의 역사기록이 마땅하지 않다.”. 東北アジア歴史財団. オリジナルの2017年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170108124046/http://contents.nahf.or.kr/item/item.do?levelId=bh.d_0027_0010 
  11. ^ a b 石井正敏『日本渤海関係史の研究』吉川弘文館、2001年、192頁。ISBN 4642023631 
    石井正敏『日本渤海関係史の研究』 国学院大学〈博士(歴史学) 乙第192号〉、2002年。 NAID 500000228639https://id.ndl.go.jp/bib/000004042929 

参考文献

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