妙興寺 (一宮市)

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妙興寺
Myoukouji2.jpg
仏殿(一宮市指定有形文化財)
所在地 愛知県一宮市大和町妙興寺2438
位置 北緯35度17分4.8秒 東経136度48分2.3秒 / 北緯35.284667度 東経136.800639度 / 35.284667; 136.800639座標: 北緯35度17分4.8秒 東経136度48分2.3秒 / 北緯35.284667度 東経136.800639度 / 35.284667; 136.800639
山号 長嶋山(ちょうとうさん)
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦三尊
創建年 貞和4年(1348年
開基 滅宗宗興、南浦紹明(勧進開山)
正式名 長嶋山 妙興報恩禅寺
文化財 勅使門、紙本着色足利義教像、木造大応国師坐像ほか(重要文化財)
梵鐘ほか(愛知県指定有形文化財)
境内(愛知県史跡)
法人番号 8180005010143 ウィキデータを編集
妙興寺 (一宮市)の位置(愛知県内)
妙興寺 (一宮市)
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上泉信綱修道跡の碑
足利義教像

妙興寺(みょうこうじ)は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院

概要[編集]

山号は、長嶋山(ちょうとうさん)、寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称する。本尊釈迦三尊、開山は滅宗宗興である。周囲には、五つの塔頭がある。古より「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われる。

新陰流開祖上泉信綱が修行した。無刀取り発祥の地。修行道場として僧堂が設置されている。

歴史[編集]

創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っており、境内各所から出土する奈良時代の瓦によって8世紀には寺院建築が存在したことが確認されている。その後寺院は、いつしか衰退し廃寺になった。数百年後の貞和4年(1348年) 尾張国中島城中島蔵人の次男滅宗宗興が亡き父母の報恩に感謝するために創建され、先師にあたる南浦紹明(なんぽじょうみん)を勧請開山とした。伽藍が完成したのは貞治4年(1365年)のことである。この間、文和2年(1353年)には 足利義詮祈願所となり諸山に列し、延文元年(1356年後光厳天皇勅願寺となっている。最盛期には、境内塔頭8、末寺13あったという。

ところが、応仁の乱を境に足利将軍家の庇護を失い、戦国時代の戦乱によって多くの寺領を失い衰微する。天正18年(1590年)寺の荒廃を憂いた豊臣秀次(あるいは豊臣秀吉)によって京都妙心寺から南化玄興が招聘され再興がはじまり、この時から妙心寺の末寺となった。秀次が200石を寄進した後、秀吉が300石を朱印地として宛てがい、後に松平忠吉に200石に減らされるも、これが尾張藩主によって代々安堵された。

明治時代に火災で伽藍を焼失し、方丈明治26年(1893年)、庫裏は明治30年(1897年)にそれぞれ再建された。重要文化財の勅使門は、創建当初来の遺構を今日に至るまで伝えている。当門には1353年、後光厳天皇より賜った勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。

  • 開山:大応国師 南浦紹明 延慶元年十二年廿九日遷化
  • 創建:円光大照禅師 滅宗宗興 永徳元年七月十一日遷化
  • 一世:正宗大暁禅師 峰翁祖一
  • 二世:心王守性禅師 大興定菴
  • 三世:大機円融禅師 聖翁享庵
  • 四世:善一禅師
  • 五世:伝心宗蜜禅師
  • 六世:了山覚禅師

伽藍[編集]

境内全域が愛知県指定史跡であり、一宮市博物館が設置されている

文化財[編集]

重要文化財[編集]

左より滅宗宗興(大照禅師)、達磨大師、南浦紹明(大応国師)像
  • 勅使門
  • 紙本著色足利義教像 瑞渓周鳳賛 - 賛の右下に足利義政花押がある。賛によれば永享4年(1432年)秋、義教が富士遊覧と称して駿河へ下向した際、妙興寺に半日滞在し、寺号額「妙興報恩禅寺」を与えたという。また長禄2年(1458年)義教の子・義政が妙興寺などの寺領を安堵した縁により、義教供養のため同寺住職の古伯眞稽が制作させたという。
  • 絹本著色仏涅槃図
  • 絹本墨画白衣観音(びゃくえかんのん)図 良全筆 乾峰士曇賛 - 鎌倉から南北朝時代(14世紀)
  • 絹本著色道仏二教諸尊図 4幅 - 中国・南宋から元時代(13世紀後半)。寛永8年(1631年)柳生利厳が表装し直して寄進
  • 絹本著色十六羅漢像 16幅 - 中国・元時代。同じ年利厳が表装し直して寄進
  • 絹本墨画著色金泥文殊図 空谷明応賛
  • 木造大応国師(南浦紹明)坐像 - 鎌倉時代(14世紀)南浦が示寂した延慶元年(1308年)からあまり経ってない頃の作
  • 九条袈裟(南浦紹明所用、田相薄茶地四葉花文顕文紗、条葉紺地四葉花折枝文顕文紗)(附:環2枚、坐具2枚)[1] - 南宋から元時代(13世紀後半)
  • 九条袈裟(滅宗宗興所用、田相黄地桐竹鳳凰麒麟文綾、条葉薄茶地二重蔓牡丹唐草文綾)(附:坐具1枚)[1] - 南北朝時代
  • 妙興寺文書 549通

※ 典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000年)による。

愛知県指定有形文化財[編集]

  • 梵鐘
  • 南浦紹明塔銘牌 - 木製1基。享徳2年(1453年)妙興寺27代住持無隠徳吾が造立。
  • 紙本著色豊臣秀吉像 - 南化玄興賛(慶長5年(1600年))、伝狩野山楽
  • 紙本墨画神農図 - 江戸時代(17世紀)神前松徳筆、蘭叟紹秀賛
  • 紙本墨画達磨図 - 江戸時代(17世紀)神前松徳筆、蘭叟紹秀賛
  • 木製漆塗彫根来大香合 - 室町末から安土桃山時代(16世紀)南化玄興所用と伝えられる。

一宮市指定有形文化財[編集]

釈迦三尊像
  • 不動明王像 - 平安時代(10-11世紀)
  • 天部立像 2躯 - 平安時代(10-11世紀)
  • 釈迦三尊像 - 南北朝時代(14世紀)院派仏師院遵(院吉の子、院広の弟)作
  • 軒丸瓦 - 奈良時代(8世紀)尾張国分寺所用瓦
  • 木造滅宗宗興坐像 - 南北朝時代(14世紀)滅宗の没する永徳2年(1382年)前後の作
  • 絹本著色南化玄興像 - 安土桃山時代(16世紀)自賛
  • 紙本墨画出山釈迦図三尊図 - 室町時代(15世紀)伝祥啓
  • 絹本墨画淡彩不動明王像 - 嘉慶元年(1387年)龍湫周澤賛筆
  • 紙本墨画淡彩寿老人図 - 室町時代(15世紀) 万里集九
  • 紙本墨画著色竹雉子図 足利義継筆 - 室町時代(16世紀)足利義継は足利将軍家の一人か。
  • 鷹図 - 室町時代(15世紀)万里集九賛
  • 絹本墨画柳牛図 - 中国・元時代(13-14世紀)毛倫筆
  • 紙本墨画著色五位鷺図 - 江戸時代(17世紀)伝相阿弥筆とされるが筆法は狩野派
  • 絹本墨画墨梅図(白梅図) - 中国・明時代(14-17世紀)伝楊補之筆
  • 紙本墨画墨梅図(紅梅図) - 室町時代(16世紀)雪崖筆
  • 破墨山水図 - 室町時代(15世紀)伝雪洞筆
  • 蓮鷺図双幅 - 室町時代(15世紀)雪洞筆
  • 喚鐘 - 享徳2年(1453年)青銅製
  • 手水鉢 - 江戸時代(18世紀)御庭焼。尾張藩主によって寄進
  • 朱漆沈金膳 - 室町から安土桃山時代。寺伝では南化玄興が豊臣秀吉から拝領したという。
  • 湖州鏡 付朱漆塗鏡筥 - 中国・宋時代(10-13世紀)
  • 建造物 16棟 - 総門・三門・仏殿・客殿・庫裡・唐門・開山門・玄関・禅堂・開山堂・侍者寮・衆寮・書院・明暢亭・雪爪庵・宝蔵・弁天堂[2]

※ 他にも文化財が多数あり、尾張の正倉院とも呼ばれる。

塔頭[編集]

耕雲院、種玉院、太陽院、清寥院、来薫院の5か院がある。このほか、かつては西住院、瑞芳院もあったが、現在は故地を離れている。また、来薫院の北側に桂昌院があった。

妙興寺そば[編集]

全国的に知られる妙興寺そばは、妙興寺僧侶が考案したとされる。

所在地[編集]

  • 愛知県一宮市大和町妙興寺2438

交通手段[編集]

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 平成26年8月21日文部科学省告示第106号
  2. ^ 所報(2018年4月号)

参考文献[編集]

  • 一宮市博物館編集・発行 『常設展示リニューアル記念 特別展 妙興寺展』 2014年10月17日

外部リンク[編集]