大船観音寺
大船観音寺 | |
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所在地 | 神奈川県鎌倉市岡本1丁目5番3号 |
位置 | 北緯35度21分10.7秒 東経139度31分42.3秒 / 北緯35.352972度 東経139.528417度座標: 北緯35度21分10.7秒 東経139度31分42.3秒 / 北緯35.352972度 東経139.528417度 |
山号 | 仏海山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観音 |
創建年 | 1981年(昭和56年) |
開基 | 絶海勝俊、乙川瑾瑛(開山) |
正式名 | 仏海山 大船観音寺 |
別称 | 大船観音 |
公式サイト | 大船観音寺 |
法人番号 | 9021005001849 |
大船観音寺(おおふなかんのんじ)は、神奈川県鎌倉市岡本一丁目にある曹洞宗の寺。大船観音と通称される全長約25メートルの巨大白衣観音像で知られる。
概要
[編集]JR東日本(東海道本線・横須賀線・根岸線)、湘南モノレールの大船駅西口より徒歩10分程度。
シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。
沿革
[編集]護国観音を建立するために1927年(昭和2年)2月、護国大観音建立会の趣意書を作成。1954年(昭和29年)11月2日、護国大観音建立会が消滅し、財団法人・大船観音協会を設立。なお、大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙(たかしな ろうせん)や、東京急行電鉄(現在の東急)の初代社長・五島慶太の名前を始め、各界の著名人の名が見える。
1979年(昭和54年)12月25日、大船観音協会の解散と宗教法人への移行を決定。財団法人・大船観音協会は、1981年(昭和56年)11月30日に解散し曹洞宗の包括下にある大船観音寺として、1981年(昭和56年)11月20日に宗教法人となった[1][2]。
大船観音
[編集]大船観音は1929年(昭和4年)、地元有志の発起により、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造は中断。その後、20年以上放置される。第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した[3]。
観音本体は地上に見えている部分のみの半身像であり、下半身のある立像が山の中に埋まっているものではない。また内部にはサロン風の展示室が整備されており、縮小版の観音像や写真パネル等を見ることができる。
現在、大船観音は大船のシンボルとして位置付けられ、夜間にはライトアップされるなど、観光名所となっている。ライトアップの色は、2006年(平成18年)より、それまでの緑色からオレンジ色に変更された。
さらに観音像へは、日本人ばかりではなく、東南アジア(特に華僑・上座部仏教信者)などからの参拝客も多く、奉納された灯籠には多国籍な名前が並ぶ。こうしたアジアからの参拝客の増加を受け、1999年(平成11年)より台湾やスリランカなどから僧を招き、法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音in大船」という祭りが開催されるようになった。2009年(平成21年)、正力松太郎賞を受賞。
なお、NHKとtvkの大船観音中継局は、大船観音寺境内地内(ましてや観音像の頭上)に設置されているのではなく、道路を挟んだ南側の別の山の上に設置されている。
キャラクター
[編集]のんちゃん - 2012年(平成24年)に誕生した大船観音のゆるキャラ。
脚注
[編集]- ^ “大船観音寺 沿革”. 大船観音寺. 2017年10月15日閲覧。
- ^ “宗教法人名簿(鎌倉市)”. 神奈川県. 2017年10月15日閲覧。
- ^ 清田昌弘『かまくら今昔抄60話 第三集』冬花社、2013年5月5日、17頁。ISBN 9784925236867。