嘉永3年9月の風水害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

嘉永3年9月の風水害(かえい3ねん9がつのふうすいがい)は、1850年10月7日から10月8日嘉永3年9月2日から9月3日)ごろに日本を襲った風水害である。

日本各地の状況[編集]

『日本高潮史料』によると、北陸近畿中国地方を中心に被害の記録が残されている[1]

以下、月日はすべて和暦である。

東北地方[編集]

岩手県内では「岩手県災異年表」に記載があり、3日は大風雨となった[1]

北陸地方[編集]

富山では2日は空気が冷たく南西風が吹き、翌3日は未明から「あゆの風」と冷気を伴って大風雨となり、14時ごろに風雨が弱くなった[2]

加賀では3日の朝から風雨が強まり、浅野川犀川などで洪水が起きた[3]

関東地方[編集]

江戸では3日はに雨が降り、朝には南東風、正午には南風、昏には南東風、深夜には北風がいずれも強く吹いた[4]

東海地方[編集]

『岐阜県災異誌』には対応する記載がない[5]

富士宮市の『袖日記』によると、3日は大雨で、夜は大風、4日は晴天となったものの風があった[6]

愛知県内では伊勢湾高潮が起こり、矢作川豊川も出水しているが、水害をおこすほど水位は高くなかったようである[7]

近畿地方[編集]

中部・南部[編集]

和歌山県内では「熊野史」や「南牟婁郡」に記載があり、2日または3日に大風雨となり、船が壊れるなどした[8]

滋賀県内では3日に安曇川堤防が決壊した[9]

池田では2日は東風が吹いて暮から雨となり、3日は辰下刻(9時ごろ)には雨が止んで西風に変わった[10]

北部[編集]

舞鶴では3日に洪水となった[11]

福知山では3日に記録寺横で由良川の堤防が決壊した[12]

山東では大洪水となり、凶作につながった[13]

出石では前代未聞の洪水ともされ[14]、「御用部屋日記」や「東門日乗」には水害の様子が詳細に書かれている[15]。「御用部屋日記」によると、2日の夜から強い雨が降り始め、3日の暁七ツ時(4時)ごろからは北東の風を伴って大風雨となって出石城下が浸水や土砂崩れに見舞われた[16]

豊岡市宮井の三宅家文書『前代未聞・大洪水大変之事』によると、豊岡では3日の朝4ツ(10時)まで雨が降り続き、7ツ時(16時)に約2丈7~8尺の増水となって1816年文化13)9月の大雨の際の水位を8尺上回ったという[17]

中国地方[編集]

山陰[編集]

鳥取では2日は風雨が強くなり、3日の8時ごろには土手筋の所々で越水した[18]。鳥取藩家老日記によると、2日の夕夜半頃から強い北風を伴って大風雨となったと書かれている[19]

『島根県既往の災害』『山口県災異誌』には対応する記載がない[20][21]

山陽[編集]

「岡山市史」によると3日の夜半から出水した[1]

広島県北部の加計では、2日の朝6つ時(6時)ごろから雨となり、3日も降り続いて風も吹き、水が出た[22]。『広島県気象史料』には対応する記載がない[23]

四国地方[編集]

愛媛県内では9月に洪水や大風雨があったとされる[1]

高知県内では「太平寺覚書」に記載があり、2日に東風で家屋が破損したとされる[24]

九州・沖縄地方[編集]

「西日本災異誌」には対応する記載がない[25]

『沖縄気象台百年史』には対応する記載がなく、「球陽」によると1850年は夏から秋に干ばつがあった[26]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 荒川秀俊・石田祐一・伊藤忠士編/気象研究所監修『日本高潮史料』気象史料シリーズ1、pp.227-228、吉川弘文館、1961年12月
  2. ^ 児島清文・伏脇紀夫編『応響雑紀(下)』越中資料集成8、p.415、渋谷文泉閣、1990年3月
  3. ^ 前田育徳会『加賀藩史料』藩末篇上巻、pp.240-241、清文堂出版、1958年3月
  4. ^ 東京市編『東京市史稿/変災編/第2』、p.912、1915年7月
  5. ^ 岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』、p.28、1965年3月
  6. ^ 富士宮市教育委員会編『袖日記1番・2番・4番(駿州大宮町横関家)』、p.86、富士宮市、1996年3月
  7. ^ 名古屋地方気象台監修『愛知県災害誌』、p.106、愛知県、1970年8月
  8. ^ 和歌山測候所編『紀州災異誌』、p.29、1953年9月
  9. ^ 高島郡教育会編『増補高島郡誌全』、p.971、1972年7月
  10. ^ 池田市史編纂委員会編『池田市史/史料編5/稲束家日記(文政十三年~慶応三年)』、p.786、池田市、1973年3月
  11. ^ 舞鶴市史編さん委員会編『舞鶴市史』年表編、p.269、舞鶴市、1994年3月
  12. ^ 藤井善布「第十一章災害/第一節水害と旱魃」(福知山市史編さん委員会編『福知山市史』第3巻、pp.957-1019、福知山市、1984年3月)
  13. ^ 山東町誌編集委員会編『山東町史』、pp.1057-1058、山東町、1984年3月
  14. ^ 桜井勉『校補但馬考』、p.216、臨川書店、1973年6月
  15. ^ 豊岡市立図書館「郷土資料デジタルライブラリ」”. 豊岡市立図書館. 2019年2月21日閲覧。
  16. ^ 赤在義信「第5章近世の出石/第4節近世後期の出石/3町方の暮らし」(出石町史編集委員会編『出石町史』第1巻、pp.852-893、出石町、1984年3月)のうちp.886。当該書籍では「3月」と書かれているが、御用部屋日記には3月に該当する記載がなく、9月の誤りとみられる。
  17. ^ 井上義次「第二編近世/第五章町方のくらし/第七節洪水」(豊岡市史編集委員会編『豊岡市史』上巻、pp.503-509、豊岡市、1981年3月)
  18. ^ 鳥取市発行『鳥取市史』、p.940、1943年5月
  19. ^ 鳥取藩政資料家老日記テキストデータベース”. 鳥取県立博物館. 2019年2月21日閲覧。
  20. ^ 浜田測候所編『島根県既往の災害』、1934年3月
  21. ^ 山口県編『山口県災異誌』、1953年3月
  22. ^ 加計町編『加計町史』資料編Ⅱ、pp.1143-1156、加計町、2002年9月
  23. ^ 遠藤二郎編『広島県気象史料』中央気象台彙報第35冊第1号、中央気象台、1950年10月
  24. ^ 高知県編『高知県災害異誌』、p.43、1966年10月
  25. ^ 日下部正雄「西日本災異誌」『研究時報』第11巻、pp.425-465、気象庁、1959年
  26. ^ 沖縄気象台編『沖縄気象台百年史/資料編』、p.62、1992年3月

参考文献[編集]

  • 荒川秀俊・石田祐一・伊藤忠士編/気象研究所監修『日本高潮史料』気象史料シリーズ1、吉川弘文館、1961年
  • 池田市史編纂委員会編『池田市史/史料編5/稲束家日記(文政十三年~慶応三年)』、池田市、1973年
  • 出石町史編集委員会編『出石町史』第1巻、出石町、1984年
  • 遠藤二郎編『広島県気象史料』中央気象台彙報第35冊第1号、中央気象台、1950年
  • 沖縄気象台編『沖縄気象台百年史/資料編』、1992年
  • 加計町編『加計町史』資料編Ⅱ、加計町、2002年
  • 岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』、1965年
  • 日下部正雄「西日本災異誌」『研究時報』第11巻、pp.425-465、気象庁、1959年
  • 高知県編『高知県災害異誌』、1966年
  • 児島清文・伏脇紀夫編『応響雑紀(下)』越中資料集成8、渋谷文泉閣、1990年
  • 桜井勉『校補但馬考』、臨川書店、1973年
  • 山東町誌編集委員会編『山東町史』、山東町、1984年
  • 高島郡教育会編『増補高島郡誌全』、1972年
  • 東京市編『東京市史稿/変災編/第2』、1915年
  • 鳥取市発行『鳥取市史』、1943年
  • 豊岡市史編集委員会編『豊岡市史』上巻、豊岡市、1981年
  • 名古屋地方気象台監修『愛知県災害誌』、愛知県、1970年
  • 浜田測候所編『島根県既往の災害』、1934年(松江地方気象台により1994年に覆刻)
  • 福知山市史編さん委員会編『福知山市史』第3巻、福知山市、1984年
  • 富士宮市教育委員会編『袖日記1番・2番・4番(駿州大宮町横関家)』、富士宮市、1996年
  • 舞鶴市史編さん委員会編『舞鶴市史』年表編、舞鶴市、1994年
  • 前田育徳会『加賀藩史料』藩末篇上巻、清文堂出版、1958年
  • 山口県編『山口県災異誌』、1953年