原真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原 真(はら まこと、1936年 - 2009年3月20日)は日本の医師登山家である。愛知県名古屋市の出身で、札幌医科大学卒。2009年3月20日に脳疾患で死去。享年72。姉に岡崎恒子

概要[編集]

名古屋で病院を経営する外科医・原多喜万の長男として生まれる。札幌医科大学に入学し、山岳部を立ち上げて主将を務める[1]。 学生時代の1956年、北海道大学山岳部に入部。1961年3月、名古屋大学医学部学生だった弟の原武が、鹿島槍北壁で遭難死。遺体の捜索で、のちにアイガー北壁を日本人で初めて制覇する登山家の高田光政[2]と知り合う。高田は武の遺体を山から下した捜索隊の一人だった。原武の遺構をまとめて、『北壁に死す』として山と渓谷社から出版(1973年、1984年)。

札幌医科大学卒業後、医者となって名古屋に戻り、1966年アコンカグア(6960メートル)へ遠征、1970年日本山岳会東海支部隊によるマカルー南東稜(8463メートル)への登頂で登攀隊長を務めた[3]。その経験から名古屋市内に「高山研究所」を設立し、高所順応や速攻登山訓練について研究した。さらに、1982年には自ら中国のシシャパンマ(8027メートル)へ無酸素速攻登山を実践して登頂した。1990年にはマカルー北西稜隊長として大西宏が登頂した。

2009年3月20日脳疾患で死去し、葬儀・告別式は本人の遺志で行われなかった[4]。妻のエリザベスは17歳下のストラスブール出身のフランス人で、カトマンズで知り合った[1]

著書[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『晴れたら空に骨まいて』川内有緒 · 2016、4章「マカルーで眠りたい」
  2. ^ 新田次郎『アイガー北壁』の主人公のモデル
  3. ^ "原真氏:登山家・医師"、読売新聞、2009年4月2日8時48分配信、2009年4月10日閲覧
  4. ^ "「速攻登山」実践、登山家で医師の原真さん死去"、朝日新聞、2009年4月8日18時41分配信、2009年4月10日閲覧