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八幡神社 (土岐市妻木町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
妻木八幡神社
拝殿
所在地 岐阜県土岐市妻木町3051-1
位置 北緯35度18分14.08秒 東経137度11分42.57秒 / 北緯35.3039111度 東経137.1951583度 / 35.3039111; 137.1951583
主祭神 誉田別命
社格 県社・金幣社
創建 元応元年(1319年
例祭 10月第2日曜日
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県土岐市妻木町にある神社

概要

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土岐氏にゆかりのある神社である。社紋は土岐氏の家紋と同じ「土岐桔梗」である。

例祭では流鏑馬神事が行われ、土岐市の無形民俗文化財に指定されている[1]

沿革・概略

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元応元年(1319年)、土岐頼貞が氏神として創建する。

南北朝時代、土岐頼貞の九男の土岐頼重妻木城を築くと、妻木城の守護神とされる。(妻木城は暦応2年(1339年)、土岐頼重が築城の説もある)

南北朝時代~江戸時代初期まで妻木城城主の妻木氏(明智氏一族)の氏神として保護される。八幡神社は妻木氏により、文安元年(1444年)と慶長10年(1605年)に再建されている。

妻木氏は江戸時代も旗本としてこの地を収めていたが、万治元年(1658年)に妻木頼次が急死すると、嗣子がいないため断絶となり、妻木城も廃城となる。八幡神社は地元住民の神社として存続する。

元禄2年(1689年)に社殿が再建される。これが現在の社殿である。

別当寺として大鏡寺(妻木八幡院)[2]があったが、明治元年(1868年)の神仏分離令の際に廃寺となっている。

明治6年(1873年)に郷社、昭和17年(1942年)に県社に指定される。

祭神

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流鏑馬神事

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毎年10月第2日曜日の例祭に行われる流鏑馬である。元和9年(1623年)、妻木城主妻木家頼が武運を祈り御旅所を造営して馬を1頭奉納したことが始まりという[3]。江戸中期には歌舞伎の興行や山車もあった[3]

元々は10月15日に固定されていたが、平日の場合は運営が困難・観客の減少などの理由から10月の第2日曜日に変更になった。その結果10月15日には行われなくなった。

地場産業が窯業で原料や製品の運搬の馬が町内で多く飼育されていたが、トラックの普及とともに流鏑馬に出られる馬は次第に減少した[3]

1972年(昭和47年)からはサラブレッドの元競走馬が用いられたが、慣れない環境で暴れる場合があり、蹄鉄が飛んで観客がけがをする事故もあった[3]。そのため2018年(平成30年)からは本来の姿に近づけるため、神社が会場近くの厩舎で在来種を飼育して用いることになった[3]

馬の乗り手は小学校4年~小学校6年の高学年くらいの小学生6名が行う。当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回行われ、参道の坂道(約130m)を走る。以前は地区毎で乗り手を集めていたため、希望者が足りない場合に中学生が乗ったこともある。

1回の流鏑馬を終えて元の位置に戻る途中で、馬の乗り手から扇子が参拝者へ向けて投げられる。この扇子や鞭は縁起物として持ち帰られる。

文化財

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  • 絵馬(2面)
    • 慶長14年(1609年)、妻木頼久の奉納。岐阜県重要文化財[4]

所在地

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  • 岐阜県土岐市妻木町3051-1

交通機関

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関連項目

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参考文献

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  • 『土岐郡妻木町史』 第五章 土岐郡妻木町 第九節 神社 【郷社八幡神社】 p98~p102 日東泉之進 土岐郡妻木町役場  大正11年
  • 『笠原町史 その5 (かさはらの歴史)』 第四章 近世 第九節 笠原の寺社 一 心性寺 p188~p196 笠原町 1993年

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 文化財一覧”. 土岐市. 2012年10月16日閲覧。
  2. ^ 天台宗の江戸上野寛永寺の末寺で、多治見市笠原町にある心性寺の本寺であった。
  3. ^ a b c d e 流鏑馬400年、馬にも歴史あり 岐阜・土岐市の八幡神社、人との関わりの変化反映”. 岐阜新聞. 2023年11月13日閲覧。
  4. ^ 絵馬”. 岐阜県. 2012年10月16日閲覧。