伊湯岳
伊湯岳 | |
---|---|
南側から望む伊湯岳 | |
標高 | 446 m |
所在地 |
日本 沖縄県国頭郡国頭村・東村 |
位置 | 北緯26度41分28秒 東経128度12分23秒 / 北緯26.69111度 東経128.20639度座標: 北緯26度41分28秒 東経128度12分23秒 / 北緯26.69111度 東経128.20639度 |
山系 | 国頭山地 |
| |
プロジェクト 山 |
伊湯岳(いゆだけ[1])は、沖縄県国頭郡国頭村と東村にまたがる、標高446メートルの山。
地勢・自然
[編集]沖縄本島北部の国頭山地に属し、沖縄県国頭郡国頭村と同郡東村にまたがる[2]。標高は446メートルで、沖縄県内で第8位、沖縄本島内で第4位の高さで[3]、東村の最高峰である[4]。北には与那覇岳が位置する[1]。
伊湯岳一帯はやんばる国立公園に指定され[5]、与那覇岳と共に標高400メートル以上の尾根が連なる山脈を形成している[6]。伊湯岳の南側において、標高約250メートルから沖縄本島東海岸にかけての一帯に海岸段丘が広がる[2]。地質は中生代の砂岩と頁岩を主体とする嘉陽層で[2]、植生はイタジイをはじめとする広葉樹林がみられ[1]、頂上部に着生植物が自生している[7]。
伊湯岳西麓は比地川と田嘉里川の源流域である[2]。東村側に伊湯岳を源に発する新川川と福地川が太平洋に注ぎ、前者は河口から約2.5キロメートル上流に新川ダムが、後者の中流には福地ダムが建設されている[8]。
歴史
[編集]方言で伊湯岳は「ユーダキ」といい、山名の由来は、東村の大字「宮城」に属する「魚泊(イュードゥマイ)」集落の背後に位置しているからと思われる[2]。
かつて伊湯岳山頂には、大宜味村と東村を結ぶ「巡視道」といわれる営林署管轄の林道が存在し、建材としてシイなどの木材を運搬を行っていたが、その後薪・炭の需要が減り、また東村でパイナップル栽培が開始されると、次第に木材運搬業は消滅していった[2]。
伊湯岳の東側にアメリカ軍海兵隊が管理する北部訓練場が位置する[2][9]。1988年(昭和63年)10月31日、普天間飛行場に所属するヘリコプター「CH-46」の1機が、飛行訓練中に伊湯岳東麓に墜落し、乗員4人が死亡した[10]。1990年(平成2年)8月に、アメリカ陸軍はキャンプ・フォスターと八重岳通信所を繋ぐ「伊湯岳マイクロウェーブタワー」を山頂に設置した[11]。
出典
[編集]- ^ a b c 高江洲重一「伊湯岳」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.243
- ^ a b c d e f g 「伊湯岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.170
- ^ “沖縄の地理”. 国土地理院沖縄支所 (2017年10月1日). 2018年10月19日閲覧。
- ^ 仲田栄二「自然環境の概観」、東村史編集委員会編(1987年)、p.15
- ^ “やんばる国立公園 指定書及び公園計画書”. 環境省 (2018年6月29日). 2018年10月19日閲覧。
- ^ 「沖縄島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.73中段
- ^ 日越國昭ほか「恩納村の植物」、『恩納村誌 第1巻 自然編』(2014年)、p.112
- ^ 池原貞雄「自然概況」、東村史編集委員会編(1987年)、p.5
- ^ 「北部訓練場」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、p.179
- ^ 「北部訓練場」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、p.183
- ^ 「北部訓練場」、『沖縄の米軍基地 平成25年3月』(2013年)、p.182
参考文献
[編集]- 沖縄県知事公室基地対策課編『沖縄の米軍基地 平成25年3月』沖縄県知事公室基地対策課、2013年。
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社、1983年。全国書誌番号:84009086
- 恩納村誌編さん委員会編『恩納村誌 第1巻 自然編』恩納村役場、2014年。全国書誌番号:22441720
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7。
- 東村史編集委員会編『東村史 第1巻 通史編』東村役場、1987年。全国書誌番号:95038377
- 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、伊湯岳に関するカテゴリがあります。