井上孚麿
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井上 孚麿(いのうえ たかまろ、1891年(明治24年)2月22日 - 1978年(昭和53年)3月27日[1])は、日本の歌人・法学者。台北帝国大学教授、法政大学教授、亜細亜大学教授。
人物
[編集]長崎県平戸出身。父は井上寅之助、母はテイ(千浦庄七守本の長女)。
専門は憲法学。GHQ占領直後に日本国憲法無効論を唱えた。次男の井上實は東京銀行元頭取。
経歴
[編集]- 1914年 - 第五高等学校英法科卒業
- 1917年 - 東京帝国大学法科卒業
- 1919年 - 法政大学教授
- 1928年 - 台北帝国大学教授
- 1936年
- 1947年 - 東京裁判に弁護側証人として出廷、証言
- 1953年 - 亜細亜大学教授( - 1971年)
- 1978年 - 死去(享年87)
著書
[編集]- 「憲法研究」(1959年、東京堂)参考リンク:見開きの直筆 File:Autograph.jpg
- 「雲のはたてに」(表題は昭和33年新年宮中歌会始に選ばれた孚麿氏の歌「この見ゆる雲のはたてに君ありと思ふ心はたのしかりけり」より、井上孚麿先生歌集刊行会、1967年)
- 「現憲法無効論 -憲法恢弘の法理-」(日本教文社、1975年)
- 「続 雲のはたてに」(井上孚麿先生歌集刊行会、1981年)
関連項目
[編集]- File:井上深江家系図.jpg 【井上孚麿を含む家系図】
脚注
[編集]- ^ 『雲のはたてに : 井上孚麿歌集 続』(井上孚麿先生歌集刊行会、1981年)p.409-410
- ^ 「国体の本義」編纂委員決まる『大阪毎日新聞』昭和11年6月2日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p712 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
外部リンク
[編集]- 【井上孚麿の事蹟】 - ウェイバックマシン(2005年3月21日アーカイブ分)
- 【明治天皇の出自】 - ウェイバックマシン(2002年6月2日アーカイブ分)
- 深江一(Hajime Fukae, M.D.)