五色沼 (仙台市)

五色沼(ごしきぬま)は、宮城県仙台市青葉区の青葉山公園内にある池である。元々は仙台城(青葉城)をめぐる堀の一部で、仙台城三の丸[座標 1]の北面から大手門隅櫓[座標 2]の前にかけて広がる。明治時代以降、市民がここでスケートを楽しんだ。日本のフィギュアスケート発祥の地とされる。
堀の構築と変遷
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広瀬川の河岸段丘である青葉山に本丸を置く平山城の仙台城は、より低い段丘上に二の丸(現在の東北大学川内キャンパス所在地)と三の丸(現在の仙台市博物館所在地)がある。この三の丸を造営する際、広瀬川の後背湿地に堀を割り、掘った土で土塁を築いて三の丸を囲んだ。後に、三の丸の北面の堀は五色沼[座標 3]、東面のそれは長沼[座標 4]と呼ばれるようになった。
大手門を挟んで北側にある二の丸をめぐる堀もあったが、そちらは陸軍の駐屯地になった時になくなった。三の丸の二つの堀だけが現在も残る。
現在の五色沼は、池の南に三の丸の土塁が接している。木々が生え、秋になると紅葉する。
日本フィギュアスケート発祥地
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五色沼は「日本フィギュアスケート発祥の地」とされており[1][2][3]、五色沼のほとりに「日本フィギュアスケート発祥の地」の碑と男女ペアスケーターのブロンズ像が設置されている[4]がある[5]。
明治時代、外国人が五色沼でフィギュアスケートを楽しんでいたことが日本フィギュアスケートの始まりとされている。資料により異なるが、1890年(明治23年)頃[6]、または1897年(明治30年)頃[7]のこととされている。1897年(明治30年)頃から、外国人宣教師が日本の子供たちにフィギュアスケートを教えたという[6]。
旧第二高等学校(現在の東北大学)の生徒もドイツ語教師からフィギュアスケートを教わり、後輩とともに各地で普及に努め、日本スケート界の功労者といわれた[8][9]。1922年(大正11年)には二高スケート部がスケート大会を発足したが、五色沼の氷結状態が良くなかったため、広瀬川の大橋付近で行われた。二高関係者が結成した仙台スケート協会は、1923年(大正12年)に五色沼管理者の陸軍第二師団と交渉し、五色沼を仙台スケート協会の専用リンクとして借りた。さらにリンクの整備について兵員の動員が認められ、五色沼はよく整備されたスケートリンクとなった[7]。
1931年(昭和6年)には第2回全日本フィギュアスケート選手権(シニア、ジュニアの部)が開催された。また、1935年(昭和10年)、1928年サンモリッツオリンピックのフィギュアスケート競技および1932年レークプラシッドオリンピックのフィギュアスケート競技でフィギュアスケート女子シングル2大会連続銀メダリストのフリーツィ・ブルガー(オーストリア)が模範演技を披露した[6]。
五色沼で開催された各競技の試合は、1956年(昭和31年)のアイスホッケーが最後とされる[6]。スケートが行われていた当時と比較して、年平均気温が2度上昇した現在では、五色沼に氷が張ることも少なくなった[7]。
脚注
[編集]座標
[編集]出典
[編集]- ↑ 仙台市シティセールス情報館 Archived 2008年11月1日, at the Wayback Machine.(仙台市)
- ↑ フィギュア三都物語@仙台(上) 指導者が泣いた日 / 「最高のプレゼント」(中日新聞 2013年8月27日)
- ↑ 黄金世代が出陣 三都の絆、ソチに結集(産経新聞 2014年2月14日)
- ↑ 無限への軌跡 ●仙台造形マップ(全市)
- ↑ 憂楽帳:フィギュア発祥の地(毎日新聞 2014年01月08日12時53分(最終更新 01月08日12時53分))
- 1 2 3 4 五色沼から歴史 荒川、羽生2人の金メダリスト輩出(日刊スポーツ「フィギュアに恋して」)
- 1 2 3 仙台市博物館市史編さん室 『せんだい市史通信』第20号、2009年。
- ↑ 宮城県中学生の体育資料 2012 p.4 (PDF) (開隆堂)
- ↑ 65. 日本フィギュア・スケート発祥の地 『要説 宮城の郷土史』 p.146 (PDF) (仙台市民図書館・せんだいメディアテーク)
関連項目
[編集]- 日本の湖沼一覧
- 五色沼(同名の湖沼の一覧)
- フィギュアスケートの歴史
外部リンク
[編集]- 五色沼でのフィギュアスケートの様子(写真、動画)
- フィギュアスケート発祥の地 五色沼!(アリティーヴィー)
- 青葉山公園(仙台市 杜の都緑の名所100選)