二風谷
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二風谷 | |
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北緯42度38分10秒 東経142度09分34.7秒 / 北緯42.63611度 東経142.159639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 北海道 |
郡 | 沙流郡 |
市町村 | 平取町 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
055-0101 |
二風谷(にぶたに)は、北海道(日高振興局管内)沙流郡平取町の字。
2010年10月1日現在の人口は395人である[1]。郵便番号055-0101。
地理
[編集]平取町役場がある平取市街より国道237号を沙流川沿いに4 km ほどさかのぼった地点にあたる。
人口の過半数をアイヌが占め、北海道内でアイヌの比率が最も高い地域とされる[2]。
萱野茂二風谷アイヌ資料館や、二風谷アイヌ文化博物館があり、アイヌの伝統的な家屋のチセを訪れることが可能である。また、びらとり温泉や二風谷ファミリーランドといった娯楽施設、旧マンロー邸(現:北海道大学文学部二風谷研究室、ニール・ゴードン・マンローが、1933年より1942年まで、医院を開業し居住していた邸宅)が所在する。
河川
[編集]地名の由来
[編集]松浦武四郎の『左留日誌』にも「ニブタニ」の名称で登場する地名であるが、語義ははっきりしない[3]。
一説には下記の松浦『左留日誌』の記述から「ニㇷ゚タイ(nip-ta-i)」(柄を・作った・ところ)からとされている[3]。
其名義、昔し此処に細工の上手の土人有りて、木太刀を作って、其柄に金物を三ツ附て奉りしかと云。其事にて号るとかや。 — 松浦武四郎、『左留日誌』
歴史
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
遺跡
[編集]江戸時代
[編集]- 1808年(文化5年)、同年の成立とされる『左留場所大概書』(『東夷窃々夜話』所収)に集落の名称として「ニヒタニ」が見え、戸数は11軒とある[6]。
- 1826年(文政9年)、この頃の成立と推定されている高橋景保の蝦夷図には「ニプタニ」とある[7]。
- 1858年(安政8年)、松浦武四郎が、二風谷を訪れ、「ニプタニ」「ピパウシ」「カンカン」のコタン名および合計116人の住民数を、「左留日誌」に記録する[8]。
明治
[編集]大正
[編集]- 1920年(大正9年)、第一回の国勢調査にて、二風谷村の人口が311人であった[11][信頼性要検証]。
- 1923年(大正12年)10月1日、「二風谷村」が「平取村」および付近の村と合併し、「平取村」の一部となる。
昭和
[編集]- 1930年(昭和5年)、ニール・ゴードン・マンローが、二風谷にて、医院を開業する[12]。なお、医院は、1942年まで営業する。
- 1954年(昭和29年)11月1日、「平取村」が「平取町」となり、二風谷も「平取町字二風谷」となる。
- 1972年(昭和47年)、二風谷アイヌ資料館が実現する。
- 1973年(昭和48年)、二風谷ダムが、着工となる。
- 1987年(昭和62年)、二風谷ダムの、強制収用の手続きが行われる。
平成
[編集]- 1989年(平成元年)8月、アイヌモシリ一万年祭が、平取町で開催される。
- 1993年(平成5年)5月、二風谷ダムの地主の貝澤正と萱野茂が、土地収用委員会相手に行政訴訟を起こす。
- 1994年(平成6年)8月、二風谷の住人の萱野茂が繰上げ当選で参議院議員就任、アイヌ初の国会議員となる。
- 1997年(平成9年)10月、二風谷ダムが竣工する。
- 2008年(平成10年)7月1日 - 4日、「先住民族サミット」アイヌモシリ2008が行われるが、二風谷に会場の一つが実現する[13][14]。
施設
[編集]学校および研究機関
[編集]- 北海道大学文学部二風谷研究室(旧マンロー邸)
- 二風谷54-1[15]
- 平取町立二風谷小学校
博物館
[編集]- 萱野茂二風谷アイヌ資料館
- 二風谷79[18]
- 二風谷アイヌ文化博物館
- 二風谷55[19]
- 沙流川歴史館
- 二風谷227-2[20]
- 平取町アイヌ文化情報センター
- 二風谷61-6[21]
郵便局
[編集]- 平取二風谷簡易郵便局
- 二風谷74-6
娯楽施設
[編集]宿泊施設
[編集]温泉
[編集]- びらとり温泉
- 二風谷94-8
ダム
[編集]その他
[編集]- 二風谷ファーム - 競走馬を生産する牧場の他、競走馬の調教施設である二風谷軽種馬育成センターがあり、嘗てはトウカイテイオーやサイレンススズカなどの名馬がここで調教されていた。
交通手段
[編集]- 道南バス『資料館前』『びらとり温泉前』バス停下車。
宿泊
[編集]また、5月から10月まで、二風谷ファミリーランドで、バンガロー宿泊が可能である。[要出典]
関連人物
[編集]出身人物
[編集]- 貝澤正 - 平取町町議会議員をしていたこともある。二風谷ダム建設反対訴訟の共同原告の一人。
- 萱野茂 - アイヌ人初の国会議員で、1994年8月から1998年7月まで、参議院議員をつとめる。萱野茂二風谷アイヌ資料館を設立する。
- 山道康子 - 山道アイヌ語教室を運営。「アイヌモシリ一万年祭」実行委の中心人物の一人
- 貝澤耕一 - 二風谷ダム建設反対訴訟の共同原告の一人。NPO法人チコロナイ理事長。
- 萱野志朗 - 萱野茂二風谷アイヌ資料館館長を務める。アイヌ民族党の代表。
ゆかりの人物
[編集]- ニール・ゴードン・マンロー - 1863年生まれのスコットランド人医師で、1930年から1942年まで、二風谷にて医院を開業し邸宅を構えていた。
脚注
[編集]- ^ “平成22年国勢調査 小地域集計 (総務省統計局)第2表 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等・北海道” (CSV). 政府統計の総合窓口. 2012年6月14日閲覧。
- ^ 貝澤耕一. “今こそ先住民の権利保障を”. 一般財団法人アジア太平洋人権情報センター. 2012年6月14日閲覧。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、364頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b “ポロモイチャシ”. 秋田の中世を歩く. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月22日閲覧。
- ^ “ユオイチャシ 訪城記”. KUBOの家系城郭研究所. 2022年2月16日閲覧。
- ^ 北海道『新北海道史』 第7巻(史料1)、北海道、1969年、542頁。全国書誌番号:73017682。
- ^ 高橋景保『蝦夷図』c.1826。NDLJP:1286172。
- ^ 萱野志朗「アイヌ語を普及するには」(PDF)『普及啓発セミナー報告集』平成15年度、アイヌ文化振興・研究推進機構、2004年、69-77頁、2012年6月16日閲覧。
- ^ “学校施設”. 平取町. 2014年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月16日閲覧。
- ^ “市町村変遷:北海道”. イッシーのホームページ. 2009年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月16日閲覧。
- ^ “国勢調査北海道 年度別 大正9年”. 大日本銀河会さちかぜ. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月26日閲覧。
- ^ “マンロー博士と二風谷” (PDF). 平取町立二風谷アイヌ文化博物館. 2015年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月16日閲覧。
- ^ “「先住民族サミット」アイヌモシリ2008 二風谷宣言” (PDF). 世界先住民族ネットワークAINU. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月16日閲覧。
- ^ “「先住民族サミット」アイヌモシリ2008の開催”. ヒューライツ大阪. 2016年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月16日閲覧。
- ^ “旧マンロー邸”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ “全国へき地校リンク・北海道ブロック”. 全国へき地教育研究連盟. 2012年6月14日閲覧。
- ^ “平取町立二風谷小学校”. 学校教育情報サイト. 2012年6月14日閲覧。
- ^ “萱野茂 ニ風谷アイヌ資料館”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ “二風谷アイヌ文化博物館”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ “沙流川歴史館”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ “平取町アイヌ文化情報センター(二風谷工芸館)”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ “二風谷ファミリーランド”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c “宿泊施設”. 平取町. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月16日閲覧。
関連項目
[編集]- 貝沢 (曖昧さ回避)・(貝澤)(ビバウシ)、二谷