九州電気軌道66形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九州電気軌道66形電車
西日本鉄道66形電車
車体更新後の66形(69、1992年撮影)
基本情報
運用者 九州電気軌道西日本鉄道
製造所 川崎車輌
製造年 1929年 - 1930年
製造数 20両(66 - 85)
改造所 新潟鐵工所、川崎車輌(車体製造)
改造年 1950年(車体更新、新造名義)
改造数 10両
運用終了 1992年
投入先 北九州線福岡市内線
主要諸元
編成 1両(単行運転)
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
最高運転速度 58.0 km/h(登場時)
起動加速度 2.5 km/h/s(登場時)
減速度 3.2 km/h/s(登場時)
車両定員 70人(着席30人)(登場時)
80人(着席32人)(車体更新車)
車両重量 17.3 t(登場時)
17.0 t(改造後)
16.3 t(車体更新車)
全長 12,110 mm
12,200 mm(車体更新車)
全幅 2,286 mm
2,400 mm(車体更新車)
全高 4,017 mm
4,022 mm(車体更新車)
床面高さ 785 mm(登場時)
車体 全鋼製→半鋼製
台車 76E-2形
K-10形(交換後)
車輪径 660 mm
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機 東洋電機製造 TDK-524-2C(66 - 70、76 - 85)
東芝 SE-129B(71 - 75)
主電動機出力 45 kw
歯車比 3.11(北九州線)
4.2(福岡市内線、66 - 69)
4.75(福岡市内線、71 - 75)
出力 90 kw
定格速度 24.0 km/h(登場時)
制御方式 抵抗制御(直接制御方式)
制動装置 直通空気ブレーキ(SM3)、手ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6]に基づく。
テンプレートを表示

九州電気軌道66形電車(きゅうしゅうでんききどう66がたでんしゃ)は、かつて九州電気軌道(現:西日本鉄道)が所有していた路面電車路線である北九州線向けに製造された電車。九州電気軌道で初めて鋼製車体を導入した他、主電動機の出力など以降の北九州線向け電車の標準となる要素を多数取り入れた形式である。66 - 69までの4両を60形、それ以降の16両(70 - 85)を70形と呼ぶ資料も存在する[2][3][7][8][9][10][6]

概要[編集]

1911年に最初の路線が開通した、後に西鉄北九州線と呼ばれる事となる九州電気軌道の路線網は、北方線[注釈 1]を除き1923年までに完成した。これに伴い必要となった車両増備分として製造されたのが66形である[11][12]

九州電気軌道で初めて鋼製車体を採用した形式で、内装を含めた車体全体が鋼製であり組み立てにはリベットが多用された。屋根の構造もそれまでの二重屋根から丸屋根へと変わり、引戸式の乗降扉も両側面の前後2箇所に設置された。また主電動機の出力もそれまでの37.3 kwから45 kwへと向上し、川崎車輌によって製造された76-2E形台車[注釈 2]も車輪径を660 mmとする事で従来の車両と比べ床上高さが低く設計された。車体設計など一部を除いたこれらの仕様は、以降長期に渡って導入される事となる北九州線向け電車の標準となった[1][11][9][6]

運用[編集]

1929年から1930年にかけて20両(66 - 85)が製造された66形であったが、全ての部品を鋼製とした車体は設計よりも重量が増え、横梁に問題が生じる事態となった。そのため、1936年以降に製造された増備車である100形は車体を半鋼製に改め、66形についても1950年に10両の内装を木製に変更する改造が実施された。一方、同時期に状態不良であった残りの10両については新潟鐵工所や川崎車輌で製造された半鋼製の新たな車体への交換が行われた。雨樋を屋根上に移した張り上げ屋根や、従来の車体よりも面積が拡大した窓など整ったデザインは利用客から評判を呼び、同年以降製造が始まった600形にもほぼ同型の車体が採用される事となった[注釈 3]。また、この車体新造が実施された車両についてはそれまでの車歴が受け継がれず、1950年4月に「新造」されたと言う扱いになった[8][11][9][13][14][15]

それぞれの更新を受けた車両は以下の通りである[11]

  • 車体新造車 - 66 - 69、71 - 75、78
  • 内装改造車 - 70、76、77、80 - 85

内装の改造のみが行われた10両は以降も北九州線で使用され、以降も扉の2枚折戸化や内装の近代化、方向幕の改装などの近代化工事が実施されたが、ダイヤ合理化によって余剰となった結果、全車とも1972年6月22日に廃車となった[11][16]

福岡市内線で稼働中の74号 川端付近 昭和42年

一方、車体更新が実施された10両についても1953年以降連接車である1000形の大量導入が行われた事で余剰となり、木製ボギー車[注釈 4]の置き換えが必要となった福岡市内線へ向けて、79を除き1964年から1967年にかけて3度に渡って転出された。その際に歯車比(3.11)が純然たる市内電車である福岡市内線に合わせたもの(4.2、4.75)に改められた他、1968年以降はワンマン運転への対応工事も行われ、前面中央窓下への通風孔の設置、車体右側の方向幕やスピーカーの搭載を始めとする各種改造を受けた[8][18][7]

福岡市内線の路線縮小に伴い75と79は1976年に廃車となった一方、同年度に残りの7両は歯車比を元の値へと戻した上で再度北九州線に転出し、ワンマン化改造が行われなかったボギー車を置き換えた。また、先に同様の交換が行われていた66を除いた車両については、転出に合わせて台車をウイングばね式のK-10形に交換した。1980年以降は600形に準じた更新工事として、外板の張り替えや窓上部の枠のHゴム(バス窓)化、車内の改装、運転台の機器配置の整理などの改造を受けた[8][19][7]

その後、1985年に実施された北九州線の第1次路線廃止に伴い66 - 68の3両は同年に廃車され、残った7両についても第2次路線廃止が実施された1992年10月をもって廃車となり、66形は形式消滅した[10][5]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 線路幅が他の路線(1,435 mm)と異なる1,067 mmであり、廃止まで独立した運用が行われていた。
  2. ^ アメリカブリル製台車のコピー品であった。
  3. ^ 66形とは屋根上のガーランド式通風器の数が異なり、66形は12個、600形は10個であった[8][10]
  4. ^ 元は66形以前に製造された九州電気軌道1形・35形だった車両である[17]

出典[編集]

  1. ^ a b 電気協会関東支部 1930, p. 5.
  2. ^ a b 朝日新聞社 1973, p. 178-179.
  3. ^ a b 朝日新聞社 1973, p. 180-181.
  4. ^ 飯島巌, 谷口良忠 & 荒川好夫 1985, p. 158-159.
  5. ^ a b 寺田祐一 2003, p. 163.
  6. ^ a b c d 朝日新聞社「日本の路面電車車両諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、176-177頁。doi:10.11501/2456138 
  7. ^ a b c 山本魚睡 & 松本克広 1982, p. 80-81.
  8. ^ a b c d e 飯島巌, 谷口良忠 & 荒川好夫 1985, p. 84-85.
  9. ^ a b c 奈良崎博保 2002, p. 167.
  10. ^ a b c 寺田祐一 2003, p. 90.
  11. ^ a b c d e 飯島巌, 谷口良忠 & 荒川好夫 1985, p. 114.
  12. ^ 奈良崎博保 2002, p. 90-91,141.
  13. ^ 奈良崎博保 2002, p. 166.
  14. ^ 奈良崎博保 2002, p. 164.
  15. ^ 寺田祐一 2003, p. 91.
  16. ^ 飯島巌, 谷口良忠 & 荒川好夫 1985, p. 169.
  17. ^ 奈良崎博保 2002, p. 170.
  18. ^ 奈良崎博保 2002, p. 171.
  19. ^ 飯島巌, 谷口良忠 & 荒川好夫 1985, p. 68-69.

参考資料[編集]

  • 電気協会関東支部『最新電動客車明細表及型式図集』1930年。doi:10.11501/1188867 
  • 朝日新聞社「日本の路面電車車両諸元表」『世界の鉄道 昭和48年版』1973年10月14日、170-181頁。 
  • 山本魚睡、松本克広『西鉄』保育社〈日本の私鉄 16〉、1982年6月5日。ISBN 4-586-50571-0 
  • 飯島巌、谷口良忠、荒川好夫『西日本鉄道』保育社〈私鉄の車両 9〉、1985年10月25日。ISBN 4-586-53209-2 
  • 寺田祐一『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』JTB〈JTBキャンブックス〉、2003年4月1日。ISBN 4533047181