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丹羽長裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
丹羽長裕
丹羽長裕肖像
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 安政6年3月15日(1859年4月17日)
死没 1886年(明治19年)7月29日
改名 頼丸(幼名)、長裕
戒名 心量院
墓所 青山墓地
官位 従五位
主君 明治天皇
藩 陸奥二本松藩主
氏族 上杉氏→丹羽氏
父母 父:上杉斉憲、母:郁姫(松平頼恕の娘)
養父:丹羽長国
兄弟 上杉茂憲、上杉勝賢、吉井信謹、松平忠敬、長裕、長保、亀雄、相良頼基正室、池田政礼正室、小笠原忠忱正室、千鶴子ら
妻 峯(丹羽長国の長女)
子 芳子
養子:長保
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丹羽 長裕(にわ ながひろ)は、陸奥国二本松藩の第11代(最後)の藩主。官位は従五位。丹羽家第12代。のち子爵。

略歴

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出羽国米沢藩主・上杉斉憲の九男として生まれる。母は高松藩主・松平頼恕の娘。幼名は頼丸。正室は先代藩主・丹羽長国の長女・峯。

二本松藩は奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍(西軍)と戦ったが、各地で敗戦。旧暦明治元年12月7日(1869年1月19日)、新政府は藩主・長国に封土没収及び謹慎を命じ、さらに同年12月26日(2月7日)、長裕を養子として家督を相続させ、旧封地5万石(半減)を与えた。

明治2年6月19日(1869年7月)、版籍奉還により二本松藩知事に就任。明治3年12月20日(1871年2月)、藩政の一部を参事に任せ東京遊学を願い出て、12月25日、明治政府から許可された。新暦1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵[1]。

1886年(明治19年)7月29日に死去(公式上は7月30日[2])。享年28。実弟の長保(斉憲十一男、幼名駒雄)が後を継いだ。

二本松藩藩主を務めた丹羽氏の墓所は、菩提寺の大隣寺(福島県二本松市)と青山墓地(東京都)の丹羽家墓所に分かれており、長裕の墓は長国とともに青山墓地にあったが、2024年(令和6年)に大隣寺に新たに整備される丹羽家墓所に移設してまとめられることになった[3][4]。

家族

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父母

妻

子女

養子

脚注

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  1. ↑ 『官報』1884年7月9日。
  2. ↑ 『官報』1886年8月2日「宮廷録事◯華族死去」。
  3. ↑ “二本松藩主の墓、東京から帰還へ 今秋には完了、竣工法要”. 福島民友新聞. 2024年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月22日閲覧。
  4. ↑ “丹羽家歴代藩主の墓を一カ所に 福島県二本松市の菩提寺・大隣寺に東京の墓所を移設統合”. 福島民報 (2024年7月11日). 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
(二本松)丹羽家初代
1884年 - 1886年
次代
丹羽長保