丹羽高庸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
丹羽高庸

丹羽 高庸(にわ たかやす、享保15年2月9日1730年3月27日) - 明和2年12月14日1766年1月24日))は、陸奥二本松藩の第6代藩主。丹羽家第7代。先代藩主・丹羽高寛の長男。母は久保氏女。通称は百介、五郎左衛門。官位は従四位下、若狭守。正室は徳川宗直の娘。子は、丹羽長貴(長男)、丹羽長恒(次男)、娘(中川久徳正室)、娘(越前松平直泰正室)、娘(越前松平直泰継室のち間部詮茂継室)、娘(太田資順継室)、娘(本多助受正室)。戒名は大洞院殿柏庭宗樹大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。

生年は享保13年(1728年)とも。寛保元年(1741年)4月13日、将軍徳川吉宗にお目見えする。同年12月25日、従五位下若狭守に叙任する。延享2年(1745年)5月9日、父高寛の隠居により、跡を継ぐ。延享4年(1747年)に幕府より木曽川・長良川・揖斐川の3河川治水工事の御手伝普請を命じられた(宝暦治水事件)。寛延3年(1750年)12月18日、従四位下に昇進する。明和2年(1765年)、父高寛に先立って死去し、長男・長貴が跡を継いだ。