ヴャチェスラフ・イヴァーノフ (言語学者)

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ヴャチェスラフ・イヴァーノフ
2011年撮影
人物情報
全名 ヴャチェスラフ・フセヴォロドヴィチ・イヴァーノフ
生誕 1929年8月21日
死没 (2017-10-07) 2017年10月7日(88歳没)
出身校 モスクワ大学
両親 父 - フセヴォロド・イヴァーノフ英語版
学問
学派 モスクワ・タルトゥ学派英語版
研究機関 モスクワ大学
機械工学・コンピュータ工学研究所
ロシア国立人文大学英語版
カリフォルニア大学ロサンゼルス校
指導教員 M. N. Peterson
主な指導学生 Andrey Zaliznyak[1]
学位 モスクワ大学博士号、ヴィリニュス大学博士号[2]
影響を
受けた人物
フェルディナン・ド・ソシュール
アーサー・モーリス・ホカート英語版[3]
エフゲニー・ポリワーノフ
ミハイル・バフチン[3]
ロマーン・ヤーコブソン
レフ・ヴィゴツキー[3]
クロード・レヴィ=ストロース[3]
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ヴャチェスラフ・フセヴォロドヴィチ・イヴァーノフロシア語: Вячеслав Всеволодович Ивановラテン文字転写の例:Vyacheslav Vsevolodovich Ivanov1929年8月21日 - 2017年10月7日[4])はソビエト連邦ロシア言語学者ユーリ・ロトマンと共に記号学の学派モスクワ・タルトゥ学派英語版を形成し[5]ウラジーミル・トポロフと共に学派のモスクワ側における代表的人物とされた[6]。父はソ連の作家フセヴォロド・イヴァーノフ英語版[7]。研究分野が広く、インド・ヨーロッパ語族の言語と文化の初期の歴史、ヒッタイトの文化と言語、機械翻訳計算言語学文化人類学などを研究していた[8]。日本語では表記ゆれがあり、イワーノフ[9][10]イヴァノフ[11]と表記する場合もある。

生涯[編集]

父の教育と学生時代[編集]

1929年8月21日[4]、ヴャチェスラフ・イヴァーノフはソ連の作家フセヴォロド・イヴァーノフ英語版の息子として生まれた[7]。ヴャチェスラフ・イヴァーノフは2010年8月に受けた記号学の学術誌『Sign System Studies』のインタビュー[12]の中で、父フセヴォロドから受けた教育について語っている。フセヴォロドは幅広い科学分野に関心があり、息子のヴャチェスラフには7、8歳の頃から昆虫学者ファーブルの著作[注釈 1]など優れた科学的発見に触れさせていたという[13]。言語学者エフゲニー・ポリワーノフの著作を初めて読んだのも父の蔵書だったという[14]。フセヴォロドは戦時中に避難していたタシュケントで1920年代以降の地元の学術的出版物を購入しており、その中にポリワーノフの著作も混ざっていた[14]

ヴァチェスラフはモスクワ大学で言語学を学んだ[5]。18歳のときにはスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの記号学についての講義を受け、強い影響を受けたという[注釈 2][15]

卒業後の経歴[編集]

1951年に卒業した後も彼は大学に残り[5]、翌年に指導教授のM・N・ピーターソン (M. N. Peterson)に勧められてロシアの音韻論研究の起源に関する研究を始めた[16]。1956年から1957年にかけてウラジーミル・ウスペンスキー英語版、Petr Kuznetsovと共に言語学における数学的手法の応用についての講義を担当し[17]、1957年に学術誌『Voprosy yazykoznaniya』でスターリン政権下で死去した言語学者エフゲニー・ポリワーノフについての論文を発表した[16]。『Sign System Studies』によれば、この論文はポリワーノフの業績を再評価する端緒になったという[16]

1959年、ヴァチェスラフはモスクワ大学から解雇された[18]。2010年のインタビューによれば、当時彼は大学でヒッタイトミケーネ、ギリシアの言語、プロシア語、共通スラヴ語インド・ヨーロッパ祖語トカラ語についての講義、東洋学者向けの言語学入門を担当していたという[17]。発端は彼の友人であるボリス・パステルナークノーベル文学賞受賞作『ドクトル・ジバゴ』への対処に反対したことであり、またロシア人言語学者ロマーン・ヤーコブソンの見解を公的に支持したことが決め手になったという[5][18]。1950年代後半、『Sign System Studies』によれば、ヴァチェスラフが反ソビエト主義者だと告発する手紙が研究所に届き、彼は機械工学・コンピュータ工学研究所への移籍を余儀なくされた[18]。ヴァチェスラフはこの研究所で機械翻訳の研究をすることになった[注釈 3][18]。ソ連科学アカデミーのサイバネティックス委員会委員長アクセリ・ベルクの支援の下、ヴァチェスラフは構造言語学と記号論を専門とする研究部署を複数の施設で立ち上げ、サイバネティックス委員会では1959年に設立された言語学部門の初代責任者となった[19][20][注釈 4]

モスクワ・タルトゥ学派[編集]

1962年にソ連科学アカデミースラヴ学研究所に設置された構造分類学セクターで記号学のシンポジウムが開催され、この翌年にタルトゥ大学の記号学者ユーリ・ロトマンとモスクワの構造主義者ら[注釈 5]は知り合うことになった[6]。その一方で記号学専門の研究所設立は失敗し、記号学の中心はタルトゥへと移った[6]。1964年にユーリ・ロトマンがタルトゥ大学で記号学専門の学術誌『Sign Systems Studies英語版[注釈 6]を創刊し[21]、この雑誌と1964年から1970年の隔年および1974年冬に開催された「サマー・スクール」と題したシンポジウムがモスクワ・タルトゥ学派の主要な活動となった[6]。1973年、ユーリ・ロトマン主導、共著者としてヴァチェスラフの他アレクサンデル・ピアティゴルスキーウラジーミル・トポロフ、ウラジーミル・ウスペンスキーが名を連ねた論文“Theses on the Semiotic Study of Cultures”[注釈 7]を発表した[22]

後半生[編集]

解雇から30年後、モスクワ大学はヴァチェスラフの解雇を誤りだと認め[18]、ヴァチェスラフは1988年にモスクワ大学に戻った[5]。2015年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校を退職し、2017年10月7日に死去した[2]。晩年まで学術的活動などを続けており、2018年冬にもカリフォルニア大学ロサンゼルス校でセミナーが2つ予定されていた[4]

評価[編集]

2004年にthe Russian Presidential Prize for Contributions to Russian Art and Literature(直訳:ロシア大統領賞の芸術・文学部門)を受賞した[2]

肩書[編集]

著書[編集]

出典中で言及のあった著書を紹介する。

  • “Lingvisticheskie vzgljady E. D. Polivanova”. Voprosy yazykoznaniya 3: 55–76. (1957年). [28]
    ロシアの言語学者エフゲニー・ポリワーノフについての論文1作目[29]。なお、2作目の論文は長年未公開だったが、ヴャチェスラフの著作集の最終巻、第7巻下巻(2011年出版)に掲載された[18]
  • V. V. Ivanov; J. M. Lotman; A. M. Pjatigorski; V. N. Toporov; B. A. Uspenskij (1998年). “Theses on the Semiotic Study of Cultures”. Tartu Semiotics Library (Tartu: Tartu University Press) 1: 1-88. ISSN 1406-4278. 
    1973年初版の共著。上記データは便宜上1998年にタルトゥ大学出版から復刻されたものを記載している[30]
  • Chet i nechet: Asimmetriya mozga i znakovyh sistem. Мoskva: Nauka. (1978). [28]
    1983年にドイツ語訳、1986年にハンガリー語訳、1987年に日本語訳(後述の『偶数と奇数の記号論』)、1990年に改訂版のラトビア語訳出版と複数言語に翻訳されている[18]。2010年時点、ロシア語での最新版は著作集の第1巻(1998年出版)に掲載されている[17]

日本語訳[編集]

  • V.V.イワーノフ、V.N.トポローフ 『宇宙樹・神話・歴史記述:モスクワ-タルトゥ・グループ文化記号論集』 北岡誠司(編訳)、岩波書店〈岩波現代選書 78〉、1983年[9]
  • V.イヴァノフ 他 『ロシア・アヴァンギャルドを読む:ソ連芸術記号論』 桑野隆(編訳)、勁草書房1984年[11]
  • Вяч.Вс.イワーノフ 『偶数と奇数の記号論:脳と諸記号システムの非対称』 田中ひろし(訳)、青木書店1988年(原著1978年)。[10][18]
  • V.V. Iwanov、V.N. Toporov、川崎万里(訳)「<語彙研究>インド・ヨーロッパ語族の神話」、『象徴図像研究』第11巻、和光大学1997年、 44-54頁、 ISSN 09183981[31][32]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出典中には「J.-H. Fabre’s works on insects」(J・H・ファーブルの昆虫についての著作)とのみ書かれているが、ファーブルの代表作『ファーブル昆虫記』を指しているものと思われる。
  2. ^ 後に1960年代から1980年代にかけて出版されたウラジーミル・トポロフとの共著では、ソシュールの記号学と共通する見解が反映されている。
  3. ^ 2010年のインタビューによれば、彼は以前から機械翻訳に興味を持っており、研究所では機械翻訳の研究チームのリーダーに推薦されたという[17]
  4. ^ 1960年にソ連科学アカデミーで構造言語学部門を複数の研究所に設置する審議が始まり、ウラジーミル・トポロフはこの年を構造主義が公的に認められた年と定義している[6]
  5. ^ 出典中に明記はされていないが、文脈からいってヴァチェスラフ・イヴァーノフ、ウラジーミル・トポロフらを指しているものと思われる。要検証。
  6. ^ 雑誌名の日本語訳としては『記号システム論集』[6]がある。
  7. ^ 出典中での表記は“Theses for a Semiotic Study of Culture”だが、1998年の復刻版の表記に合わせた。
  8. ^ イギリス学士院のフェロー(特別会員)にはFellow(フェロー)、Corresponding Fellow(コレスポンディング・フェロー)、Honorary Fellow(名誉フェロー、名誉会員)の3種類があり、Corresponding Fellowは自身の研究分野で国際的に高い地位を築いているイギリス国外の研究者から選出される[26]

脚注[編集]

  1. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 302.
  2. ^ a b c d e f g h i JP Renaud (2017年10月12日). “In memoriam: Vyacheslav Vsevolodovich Ivanov, 88, renowned Indo-Europeanist and literary scholar”. カリフォルニア大学ロサンゼルス校文理学部英語版. https://www.college.ucla.edu/2017/10/12/in-memoriam-vyacheslav-vsevolodovich-ivanov-88-renowned-indo-europeanist-and-literary-scholar/ 2018年4月25日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 301.
  4. ^ a b c “Vyacheslav Vsevolodovich Ivanov - IN MEMORIAM”. カリフォルニア大学ロサンゼルス校The Department of Slavic, East European & Eurasian Languages & Cultures. http://slavic.ucla.edu/in-memoriam/ivanov/ 2018年4月27日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g “Obituary for Vyacheslav Ivanov”. 国際記号学会英語版. (2017年10月17日). http://iass-ais.org/obituary-for-vyacheslav-ivanov/ 2018年4月26日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g 乗松亨平 2012, p. 5.
  7. ^ a b E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 293.
  8. ^ a b c d “Vyacheslav Ivanov, a founding member of the Tartu-Moscow School of Semiotics departed”. タルトゥ大学哲学記号学研究所. (2017年10月16日). https://www.flfi.ut.ee/en/news/vyacheslav-ivanov-founding-member-tartu-moscow-school-semiotics-departed 2018年4月26日閲覧。 
  9. ^ a b 宇宙樹・神話・歴史記述:モスクワ-タルトゥ・グループ文化記号論集(岩波書店):1983”. 国立国会図書館サーチ. 2018年4月27日閲覧。
  10. ^ a b 偶数と奇数の記号論:脳と諸記号システムの非対称(青木書店):1988”. 国立国会図書館サーチ. 2018年4月27日閲覧。
  11. ^ a b ロシア・アヴァンギャルドを読む:ソ連芸術記号論(勁草書房):1984”. 国立国会図書館サーチ. 2018年4月27日閲覧。
  12. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 291.
  13. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, pp. 293, 294.
  14. ^ a b E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 296.
  15. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 299.
  16. ^ a b c E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 295.
  17. ^ a b c d E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 298.
  18. ^ a b c d e f g h E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 297.
  19. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, pp. 297, 298.
  20. ^ Igor Pilshchikov; Mikhail Trunin (2016年). “The Tartu-Moscow School of Semiotics: A transnational perspective”. Sign Systems Studies (タルトゥ大学記号学部) 44 (3): 378. doi:10.12697/SSS.2016.44.3.04. http://www.sss.ut.ee/index.php/sss/article/view/SSS.2016.44.3.04 2018年5月2日閲覧。. 
  21. ^ Sign Systems Studies”. タルトゥ大学哲学記号学研究所. 2018年4月26日閲覧。
  22. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 300.
  23. ^ Vyacheslav Vsevolodovich Ivanov - Contributor”. ブリタニカ百科事典. 2018年4月27日閲覧。
  24. ^ Short history”. 国際記号学会. 2018年5月2日閲覧。
  25. ^ Honorary Members by Year”. アメリカ言語学会. 2018年5月2日閲覧。
  26. ^ Bye-laws of the British Academy”. イギリス学士院. 2018年5月2日閲覧。
  27. ^ Professor Dr Vjaceslav Ivanov”. イギリス学士院. 2018年5月2日閲覧。
  28. ^ a b E. Velmezova & K. Kull 2011, p. 312.
  29. ^ E. Velmezova & K. Kull 2011, pp. 295, 296.
  30. ^ Tartu Semiotics Library”. タルトゥ大学哲学記号学研究所. 2018年5月1日閲覧。
  31. ^ <語彙研究>インド・ヨーロッパ語族の神話:1997-03”. 国立国会図書館サーチ. 2018年5月2日閲覧。
  32. ^ 象徴図像研究(和光大学):1987”. 国立国会図書館サーチ. 2018年5月2日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]