ヴァヴェルの竜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ゼバスチアン・ミュンスター英語版による『コスモグラフィア・ウニベルサリス/一般宇宙誌 (Cosmographie Universalis ) 』(1544年)の中に描かれたヴァヴェルの竜

ヴァヴェルの竜(ヴァヴェルのりゅう。英語: Wawel Dragonポーランド語: Smok Wawelski)は[注釈 1]ヴァヴェルの丘の竜としても知られ、ポーランドの伝承英語版では有名なの1種である。竜の住み処は、ヴィスワ川の岸の上の、ヴァヴェルの丘英語版の梺の洞窟であった。ヴァヴェルの丘は、当時ポーランドの首都であった、南部の都市クラクフにある。一部の物語では、都市が造られる前、まだ農民が住む地域だった頃に竜が棲んでいたとされている。

ヴァヴェル大聖堂とクラクフのヴァヴェル城英語版は、ヴァヴェルの丘の上に建っている。大聖堂は、ヴァヴェルの竜の像英語版、およびクラクス英語版による竜の敗北を祝う記念銘板を特色としている。記念銘板によれば、クラクスはポーランド人の王子で、殺された竜の住み処の上に都市と彼の宮殿を建設したという。城の下にある「竜の洞窟」は、現在は観光客が休憩する場としても人気がある[1][2]

伝説[ソースを編集]

ヴァヴェルの竜の像
ヴァヴェルの竜の像(火を噴いているとき)

広く知られた異本では、都市の伝説的な建設者であるクラクス王の統治の世に、クラクフで起こった出来事とされている。凶悪な竜が毎日のように田園地帯の全域を破壊し、踏み固めて回る。さらに、人々を殺害し、人々の家で略奪をし、人々の家畜を貪り食った。物語の多くの異本で、竜は特に若い女性を食べることに興じており、都市の人々が月に1度、竜の洞窟の前に少女を置き去ることでわずかの間竜を鎮めることができた。国王はもちろん竜を打ち倒したかったが、王の最も勇敢な騎士達も竜の燃えさかる息の前に倒れた。少女の犠牲を必要とする異本では、ついに、国王の娘ヴァンダ以外の、都市のあらゆる少女が犠牲になってしまった。自暴自棄となった王は、竜を倒せた者には誰でも王の美しい娘と結婚することを許すと約束した。近くからも遠くからも強力な戦士達が来て、褒美のために戦い、そして失敗した。ある日、スクプという名の貧しい靴職人見習い (en) が挑戦に応じた。彼は子硫黄を詰め込むと、竜の洞窟の上にそれを置いた。竜は子羊を食べ、間もなく途方もない喉の渇きに襲われた。竜は喉を潤そうとヴィスワ川に向きを変え、水を飲みに飲んだ。しかし竜の痛む胃は多量の水でも和らぐはずはなかった。ついにヴィスワ川の水の半分を飲み、膨れ上がった挙げ句、竜は破裂した。スクプは約束通り王の娘と結婚し、2人はその後ずっと幸せに暮らしたという[3][4]

異本[ソースを編集]

伝説についての最も古い報告は、ヴィンツェンティ・カドウベク英語版による著書にある、12世紀のものである[5][6]。ここでは牛の皮に硫黄を詰めて竜に食わせてことになっているが、ヤン・ドゥウゴシュ『年代記』(15世紀)では、動物の死骸に硫黄、火口ピッチタールを詰めて点火したものを与えた[5]

詩人シェミェンスキによる竜の伝説[ソースを編集]

ポーランドの詩人ルツィヤン・シェミェンスキポーランド語版(1809年 - 1877年)は、ポーランドや近隣国の伝説を収録した『ポーランド、ロシア、リトアニアの伝承と伝説 (: Podania i legendy polskie, ruskie i litewskie[7])』を出版しており[8]、この竜の話も「 (: Smok[9])」の題名で収められている。

シェミェンスキの記したところでは、かつて人々は、人間がこの竜に食べられないようにと竜に毎日のように家畜3頭を与えていた。あるとき、靴職人スクプからの助言を受けて、クラク(クラクス)は子牛の皮に硫黄を詰めさせると竜の住む洞窟の前に置かせた。目論見通りに、竜は硫黄ごと子牛を飲み込み、続いて水を多量に飲んで死んだ。クラクはスクプにたくさんの褒美を与えたという[10]

小説家ヘイドゥクによる竜の伝説[ソースを編集]

Walery Eljasz Radzikowskiによって描かれたクラクス

ポーランドの歴史小説家ブロニスワフ・ヘイドゥクポーランド語版(生没年不詳)[注釈 2]は、幼い頃の彼に祖母が物語を語り聞かせた口調を生かした『クラクフ神話伝説物語[注釈 3]』(日本語題)を著している。ヴァヴェルの竜の伝説も、「英雄クラクス伝説」(日本語題)として収録されている[11]

ヘイドゥクの記したところでは、クラクフの町を築いたクラクスI世の時代の後、クラクスIV世の治世には、大きな災害の後や戦争の前に、異教の神々にさまざまな生贄を捧げる慣習が続いていた。生きた動物ばかりか人間も捧げられていた。生贄となった人は、ヴァヴェルの丘の洞窟に繋がる深い穴の中に落とされ、洞窟に住む怪物スモークに食べられた。ある時、ヴィスワ川の洪水によって生贄になった人の死体が岸辺に打ち上げられ、神々が生贄を喜んでいないと判断された。その後、町は大火に見舞われ、春には雨が降らなくなって今年の飢饉が心配された。生贄を捧げても雨は降らず、ついにヴィスワ川の水が涸れた。すると今まで水面下にあった洞窟の入り口に入れるようになり、クラクスはスモークと戦ってこれを倒した。もはや生きた人間を生贄にする必要はなくなり、雨も間もなく降りだしたため、人々はクラクスに感謝し、クシェミョンカの丘に高塚を作った。そこには高城も建てられて、こんにちまで残っている[12][注釈 4]

現代の竜[ソースを編集]

竜がいたとされる洞窟は、ヴァヴェル城の敷地で一番ヴィスワ川に近い所に位置している[4]。現在、「竜の洞窟」は観光地になっており、火を噴く仕掛けが施された竜の像英語版が有名である[3]。竜の像は城の麓にある[4]

ギャラリー[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 原語の smokは単なる「蛇」も意味するが、場合によっては「大蛇」・「竜」。
  2. ^ ポーランド語版記事「Bronisław Heyduk」では1909年生、1984年没。
  3. ^ ポーランド語版記事「Bronisław Heyduk」での原題は『Legendy i opowieści o Krakowie』。
  4. ^ ヘイドゥクによるこの物語には、クラクスの娘ヴァンダは登場しない。なおヘイドゥクは、同じ著書に収めた「ヴァンダ伝説」において、後のクラクスVIII世の妻となったヴァンダの物語を語っている[13]

出典[ソースを編集]

  1. ^ The Dragon of Wawel Hill - Smok Wawelski. Icbleu.org. Retrieved July 27, 2012. (英語)
  2. ^ The Dragon of Wawel. Michael Resch at NSW AMES. Retrieved July 27, 2012. (英語)
  3. ^ a b 田村和子「訳者あとがき」『竜の年』pp. 136-137.
  4. ^ a b c 地球の歩き方 中欧』p. 215.
  5. ^ a b Sikorski, Czesław (1997), “Wood Pitch as Combat Chemical in the Light of the Jan Długosz's Annals and Some of the Old Polish Military Treatises”, Proceedings of the First International Symposium on Wood Tar and Pitch: 235 
  6. ^ Wincenty Kadłubek, "Kronika Polska", Ossolineum, Wrocław, 2008, ISBN 83-04-04613-X
  7. ^ 「出典」『ポーランドの民話』p. 352.
  8. ^ 解説」『ポーランドの民話』p. 345.
  9. ^ 「各話原題」『ポーランドの民話』p. 353.
  10. ^ 」『ポーランドの民話』p. 290.
  11. ^ 英雄クラクス伝説」『文学の贈物』p. 46.(訳者による序)
  12. ^ 英雄クラクス伝説」『文学の贈物』pp. 46-49.(英雄クラクス伝説)
  13. ^ 英雄クラクス伝説」『文学の贈物』pp. 50-54.(ヴァンダ伝説)

参考文献[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]