ラファイエット・ストリート

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Lafayette Street
Public Theatre Astor Library.jpg
ラファイエット・ストリートの位置(マンハッタン内)
ラファイエット・ストリート
マンハッタンにおける位置
50フィート
座標 北緯40度43分20秒 西経73度59分50秒 / 北緯40.722264度 西経73.99715度 / 40.722264; -73.99715座標: 北緯40度43分20秒 西経73度59分50秒 / 北緯40.722264度 西経73.99715度 / 40.722264; -73.99715
北端 東9丁目
南端 Reade Street
センター・ストリート
西 ブロードウェイ

ラファイエット・ストリート (Lafayette Street) はニューヨーク市ロウアー・マンハッタンを南北に走る通りである。この通りは一方通行で、南はチェンバーズ・ストリート (マンハッタン)の一ブロック北、リード・ストリート (Reade Street) とセンター・ストリート の交差点から、北は東9丁目および東10丁目の間までを走り4番街と合流する。途中、チャイナタウンリトル・イタリーノリータ、そしてノーホー地区を通過する。この通りの左側には、緩衝帯で隔てられた自転車専用車線がある。スプリング・ストリート (en) より北では北行き(アップタウン方面)、スプリング・ストリートより南では南行き(ダウンタウン方面)の一方通行である。

この通りの名前は、アメリカ独立戦争におけるフランス人の英雄ラファイエットから来ている[1]

歴史[編集]

初期(1804-1887年)[編集]

コマーシャル・ロマネスク:シャーマーホーン・ビルディング。en:Henry Janeway Hardenbergh作。1888年築。3丁目の地点。
消防署。87 ラファイエット・ストリート、White Streetの地点。en:Napoleon LeBrun作。1896年築。現在はen:Downtown Community Television Centerのオフィス。

この通りはジョン・ジェイコブ・アスターの不動産事業によって開発された。彼は1804年に広大なマーケット・ガーデンを$45,000で購入した。この土地の一部はフランス人Joseph Delacroixにリースされた。Joseph はその土地に"Vauxhall Gardens"と呼ばれるリゾートを建設した。これは当時ロンドン郊外にあった同名の人気リゾート地を意識していた。1825年にリース契約が終了した時、アスターはこの土地に幅100フィートの新しい通りを建設した。アスター・プレイスからグレート・ジョーンズ・ストリート (en) まで三ブロックを走るこの大通りは、どの通りとも交差していなかった[2][3]。彼はこの通りを、独立戦争の英雄の名前からラファイエット・プレイスと名付けた。これはその前年にラファイエットが英雄としてアメリカに帰還しニューヨークでパレードを行ったことに由来している。この新しい通りの両側の区画は分譲販売され、アスターが20年前に買い取った価格の何倍もの値段で売れた[4]。その中でも最も大きい区画は、通りの西側に建つ大理石の正面玄関を備えたグリーク・リヴァイヴァル建築 (en) のテラスであった。これは1833年に建てられた当時はLa Grange Terraceと呼ばれていたが、ニューヨーカーたちには"コロネード・ロウ " (en) として知られていた。二階建てに相当するコリント式の列柱がその正面に並んでいる。9つの住居はそれぞれ最高$30,000で売れた。そのうち4つが、この通りがファッショナブルな住宅エリアとして初めて開業した当時から現存している。この通りは1900年代初頭に市によって南へ拡張され、現在のラファイエット・ストリートという名前となった[5][6]。当時、そのルートは旧エルム・ストリート (Elm Street) 、マリオン・ストリート (Marion Street) そしてラファイエット・プレイスの地点からカーブしており、マンハッタン・ミュニシパル・ビルディングの地点でセンター・ストリートと接続していた[7]

近年(1888-現在)[編集]

ラファイエット・ストリートの歴史における転換点は1888年のシャーマーホーン・ビルディング (en) の建設であったと言うことができる。元々はシャーマーホー マンションと呼ばれる、William Colford Schermerhornがルイ15世ヴェルサイユ宮殿の内装を模して装飾を施した建物であった。これは、1854年に600人のニューヨーカーが参加するフランスがテーマのコスチューム舞踏会を催すためであったと言われている[8]。この舞踏会ではジャーマン・コティヨンという舞踏がニューヨークにもたらされた[9]。時代の移り変わりの象徴として、1860年にW.C. Schermerhornsはより北の49 西23丁目へと引っ越したため[10]、この大邸宅を取り壊しシャーマーホーン・ビルディングが建てられることとなった。やがてコロネード・ロウの半分のテラスは解体され、ワナメーカーズ・デパート (en) の倉庫が建てられた。ワナメイカーズは、9丁目および10丁目の間とブロードウェイとラファイエット・ストリートの間の全ブロックを占めるATスチュワート (en) の宮殿のような衣料品店舗を買い取り、その南隣の8丁目と9丁目の間に巨大な別館を建て、空中の渡り廊下で二つの建物をつないだ。本館は1956年に火災で焼失したが、別館は現存している。

ランドマーク[編集]

ラファイエット・ストリート沿いのランドマーク:[11]

サマー・ストリート[編集]

2008年8月の土曜日(3回)、ニューヨーク市交通局 (en) はラファイエット・ストリート、パーク・アベニュー、そして東72丁目 (en) の一部で車を通行止めにし、歩行者に開放する"Summer Streets"が催された。これは、歩行を促進するためのキャンペーンであった。このプログラムは2009年の8月8日、15日、および22日の7:00 AMから1:00 PM、2010年8月7日、14日、および21日にも開催された。2013年現在、このイベントは8月の第一、第二、第三土曜日に毎年行われている[13]

交通[編集]

ニューヨーク市地下鉄4 6 <6> B D F M 系統の列車 のBleecker Street / Broadway – Lafayette Street複合駅はこの通りの地下を横切っている。IRTレキシントン・アベニュー線 (4 5 6 <6> 系統の列車) はこの通りの地下を走っており、Canal StreetSpring Street、Bleecker Street、Astor Place駅、そしてすでに閉鎖されているWorth Streetがこの通り沿いにある。

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

パック・ビルディング (en) 正面に飾れている金箔のパック

出典[編集]

脚注

  1. ^ Moscow, Henry (1978), The Street Book: An Encyclopedia of Manhattan's Street Names and Their Origins, New York: Hagstrom Company, ISBN 0823212750 , p.67
  2. ^ Harris, Luther S.. Around Washington Square: an illustrated history of Greenwich Village JHU Press, 2003. ISBN 9780801873416. p.60
  3. ^ Welch, Rebeccah. New York: A Pictorial Celebration Sterling Publishing, 2007. ISBN 9781402723834 p.120
  4. ^ Burrows, Edwin G. & Wallace, Mike (1999), Gotham: A History of New York City to 1898, New York: Oxford University Press, ISBN 0-195-11634-8 , p.448
  5. ^ Moscow, Henry (1978), The Street Book: An Encyclopedia of Manhattan's Street Names and Their Origins, New York: Hagstrom Company, ISBN 0823212750 , p.67
  6. ^ Presa, Donald G. NoHo Historic District Designation Report New York Landmarks Preservation Commission (June 29, 1999) p.17-18
  7. ^ "Lower Manhattan Necrology" on ForgottenNY. Encyclopedia of New York Cityによると、その通りのハウストン・ストリートより南のパック・ビルディング (en) の西側は、1899年にこのビルの西側を削り通りを拡幅した際、"エルム・プレイス" (Elm Place) と呼ばれていた。これはマリオン・ストリートの新しい名前だったのかは不明である。Cf. Friedman, Walter and Opdycke, Sandra. "Puck" in Jackson, Kenneth T., ed. (2010), The Encyclopedia of New York City (2nd ed.), New Haven: Yale University Press, ISBN 978-0-300-11465-2 , p.1058
  8. ^ Burrows, Edwin G. & Wallace, Mike (1999), Gotham: A History of New York City to 1898, New York: Oxford University Press, ISBN 0-195-11634-8 , p.723
  9. ^ Morris, Lloyd R. (1979). Incredible New York: Life and Low Life of Last Hundred Years. London: Hamish Hamilton. pp. 17–19. 
  10. ^ Schermerhorn genealogy.
  11. ^ New York Songlines
  12. ^ Betts, Mary Beth (ed.) (May 11, 2010) "SoHo -Cat Iron Historic District Extension Designation Report" New York Landmarks Preservation Commission
  13. ^ Summer Streets

参考文献

外部リンク[編集]