ヤドランカ

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ヤドランカ
Jadranka Stojaković-Dani-sarajeva 09.jpg
基本情報
生誕 1950年7月24日
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
サラエヴォ
死没 (2016-05-03) 2016年5月3日(65歳没)
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
バニャ・ルカ
学歴 フィロゾフスキー大学 卒業
サラエヴォ国立美術大学 卒業
ジャンル ワールドミュージック
環境音楽
職業 ミュージシャン
画家
公式サイト official web site

ヤドランカ・ストヤコヴィッチ(Jadranka Stojaković、1950年7月24日 - 2016年5月3日[1])は、日本で活動していたシンガーソングライター歌手ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォ出身。

来歴[編集]

16歳の時にドイツに住んでいた叔父のジャズグループに加わり、ベースとボーカルを担当。フィロゾフスキー大学で心理学を専攻し、卒業後、更にサラエヴォ国立美術大学で絵画を学ぶ。

1984年サラエボオリンピックのメインテーマ曲を作詞、作曲。自らそのテーマ曲を歌い、一躍ユーゴスラビアの国民的歌手となる。

以前から日本文化、特に浮世絵俳句に興味を抱いていた。1988年、日本でレコーディングを行なうために来日するが、その間に祖国ボスニアの内戦が酷くなり、それ以降2011年まで日本を活動の拠点としていた。

アルバムは『SARAJEVO BALADA』『BABY UNIVERSE』『MOON WILL GUIDEYOU』他。母国語のセルビア・クロアチア語以外にも英語日本語でも歌っており、NHK教育あつまれ!じゃんけんぽん』の主題歌やTBS神々の詩』の挿入歌なども手がけた。2001年には坂本龍一が呼びかけた「地雷ZERO」キャンペーンにもボーカリストとして参加、TBS『NEWS23』にも出演し注目を集める。歌手だけではなく画家としても幅広く活躍した。

海外ではイギリスの有名誌SONGLiNES誌でヤドランカの曲が代表曲として収録されたCDが2007年度の年間ベストアルバムに選ばれ、ヨーロッパで話題になった。

2009年6月には、国から40年間音楽分野で貢献したことを評価する賞が与えられた。(日本では文化勲章にあたる)

国内では、映画『魂萌え!』の主題歌の他、2009年4月からのテレビ東京系列の報道ドキュメンタリー番組『ルビコンの決断』のテーマソング(作曲:新井誠志 編曲:渡辺俊幸)も歌った。映像作家・高木正勝のプロジェクトにも参加し、7月にはドキュメンタリーフィルムが渋谷ユーロスペースを皮切りにカナダ・名古屋他各地で上映された。

2011年4月には、NHK『みんなのうた』において母国ボスニアの民族楽器名をタイトルに冠した「誰かがサズを弾いていた」がオンエアされた。

2011年3月にクロアチアでの仕事のため帰国していた際、筋萎縮性側索硬化症と診断[2]され、バニャ・ルカ養護ホームで闘病していた。筋萎縮性側索硬化症による呼吸不全のため、2016年5月3日夜遅くにバニャ・ルカの病院で死去[3]。5月7日にサラエヴォで追悼式が、5月9日にはバニャ・ルカで追悼式と葬儀が執り行われた[2]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • アラベスク(1989年)
  • 裸のドゥーシャ(1990年)
  • カレッジ・ブランジョ(1991年)
  • 風よ!FORTISSIMO(1994年)
  • 悲しみを燃やして(1996年)
  • 勇気(2003年)
  • アマリア / リュビッツァ〜すみれ〜(2010年)

アルバム[編集]

  • 裸のドゥーシャ(1990年)
  • アンジョ(1991年)
  • 信じているの(1994年)
  • サラエボのバラード(1995年)
  • ベイビー・ユニバース(1996年)
  • ムーン・ウィル・ガイド・ユー(2000年)
  • ひとり(2003年)
  • 音色 おといろ(2007年)
  • Daleko(2011年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]