モン=ドール (ピュイ=ド=ドーム県)

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Mont-Dore
Blason ville fr Mont-Dore (Puy-de-Dôme).svg
Le mont dore vu du puy gros.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県Blason département fr Puy-de-Dôme.svg
(arrondissement) イソワール郡
小郡 (canton) ル・サンシー小郡
INSEEコード 63236
郵便番号 63240
市長任期 ジャン=フランソワ・デュブール
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Massif du Sancy
人口動態
人口 1329人
2012年
人口密度 37人/km2
地理
座標 北緯45度34分38秒 東経2度48分35秒 / 北緯45.5772222222度 東経2.80972222222度 / 45.5772222222; 2.80972222222座標: 北緯45度34分38秒 東経2度48分35秒 / 北緯45.5772222222度 東経2.80972222222度 / 45.5772222222; 2.80972222222
標高 平均:m
最低:897m
最高:1883m
面積 35.87km2
Mont-Doreの位置(フランス内)
Mont-Dore
Mont-Dore
公式サイト www.mairie-mont-dore.fr
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モン=ドールMont-Dore[1])は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューン。しばしばル・モン=ドール(Le Mont-Dore)と呼ばれるが、これは正式名称ではない。

地理[ソースを編集]

標高1050mの地点に、中央高地最高峰ピュイ・ド・サンシーを含む火山に囲まれて、モン=ドールの村はある。ピュイ・ド・サンシーの斜面には2つの急流があり、1つはドール川(アリエ川の支流ドレ川とは異なる)、もう1つのドニュ川はドルドーニュ川に合流する。

由来[ソースを編集]

フランス革命後の国民公会時代(1792年から1795年)、コミューンはレ・バン・デュ・モンドール(Les Bains-du-Montdor)と改名させられていた[2]

経済[ソースを編集]

モン=ドールには複数の水源があり、国内ではモン=ドールの名でボトルウォーターとして販売されている[3]

人口統計[ソースを編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2135 2243 2216 2329 1975 1682 1464 1329

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

史跡[ソースを編集]

  • カピュサンのケーブルカー - 電気で牽引されるケーブルカーとしては、国内最古の1898年に開業した。
  • グラン・テルム - 新古典主義建築。

温泉の歴史[ソースを編集]

町は主としてスパの町として知られている。ケルト人とローマ人は自分たちの健康のためにオーヴェルニュ山地の水を利用していた。

中世にはこうした慣習は、モン=ドールを除いて廃れつつあったが、モン=ドールでは肺やリューマチ疾患の療養に利用されていた。往来は無料であり、人々が集った。

19世紀、新たに生まれた資本主義が、自然の豊かさや、ラ・ブルブールやモン=ドールに関心を持ち、1830年代以後成長していった。カジノ、ホテルが療養施設沿いに建てられた。そこで湧く水は国内で最も無水ケイ酸を含んでおり、さらにガスと炭酸を含み、温度は38℃から44℃の間であった。

喘息、呼吸器疾患、リューマチの治療が行われた。また、鼻茸など副鼻腔炎の手当ても行われた。

頻繁にモン=ドールのスパに通った著名人には、セヴィニエ夫人、ミラボー侯爵、ジョルジュ・サンドアルフレッド・ド・ミュッセシャルル・ノディエオノレ・ド・バルザックアナトール・フランスマリー・ド・オエンゾレルン=シグマランジャンメアリー・オブ・エディンバラマルセル・プルーストマリ・バシュキルツェフジョルジュ・クレマンソーらがいる。

さらに、19世紀初頭、フランス王家の姫君2人がモン=ドールに滞在した。ルイ16世王女アングレーム公爵夫人と、ベリー公爵夫人である。

脚注[ソースを編集]